日韓歴史論争

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かんじんなところ

投稿者: ex_kuzumi 投稿日時: 2006/05/19 19:59 投稿番号: [2764 / 6952]
▲倭国の国家体制
法制:罪状の程度に応じた厳しい刑罰があった。
訴訟:盗窃せず、訴訟ごとは少ない。(民事裁判も存在した様子)
税制:国民は年貢を納めていた。(ということは私田と公田が存在したようである)
軍政:各国には、防衛・管理・行政の官吏がいた。
流通:「国々に市あり」で各国に市場があった。(貨幣がなく物々交換だったようである)
市場監視:各国それぞれの市場には、大倭という中堅官吏がいて交易を監視していた。
住宅事情:屋室(高床式の住居か)がある。邸閣(邸宅・倉庫など)がある。
検閲査察:検閲・査察の一大卒という官吏がいた。 (実態は卑弥呼関連の文物検察だった)
外交事情:中国との朝献外交のほかに、三韓諸国とも交流していた。
宮城規模:1000人の侍女が働き・生活する規模である。
宮城概要:宮室、楼観、城柵がある。
警備体制:武器を所持した兵士が城柵の周囲で24時間警備をしていた。  

官僚体制のはしりともいえる官吏がいたり、法制国家らしい厳しい法規制があったり。規模の大小や時代の洗練度を度外視すれば、大和時代にみる体制基盤がすでに見えている。ここまで整うにはそれなりの時間が必要だろうから、邪馬台国時代からさらに帥升の倭国時代へ、さらに倭奴国時代へさかのぼれば、早期から中国と接触してその知識や文化を取り入れてきたことが推察できる。

▲東夷諸国の人口比較
1.夫余:その領域は約2000里。戸数は80000戸。
2.高句麗: その領域は約2000里。戸数は30000戸。  
3.東沃沮:領域は1000里ばかり。 5000戸。
4.ユウロウ:領域不明。戸数不明。
5.ワイ:領域不明。戸数は20000戸。
6.韓:全体の領域は4000里ばかり。  
  馬韓:合計で10万余戸。   
  辰韓と弁韓:。合計4〜50000戸。
7.倭:全体の領域は5000里ばかり。  
  対海国:領域は400里、1000余戸。  
  一大国:領域は300里ばかり、3000ばかりの家。  
  末盧国:4000余戸。  
  伊都国:1000余戸。  
  奴国:20000余戸。  
  不弥国:1000余の家。  
  投馬国:50000余戸。  
  邪馬壹国:70000余戸。  

3世紀中葉に魏の封爵使節団が目撃した倭国は、東夷諸国の中でもトップクラスの先進国で、国家体制の整い具合も東夷の諸国の中でトップクラスである。
この数字によれば、当時の倭国は東夷諸国の中でも有数の過密地域である。書かれている9カ国だけでも三韓の総人口を上回る。これに、その他の傍国と狗奴国の人口を加えると、倭国の総人口は何人だったろうか。 かなりの数の移民が来ていたらしく、弥生時代の推定人口を見直す必要があるかも知れない。



3世紀においてトップクラスだった国が、いつごろから・どうして後進国になる理屈なのか
あっちでどうにかできなくて逃げて来た集団に簡単に征服される理屈なのか。
私には不可解な論理でしかありません。です。はい。
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