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>なるほど☆

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/05/21 22:59 投稿番号: [22401 / 49973]
>韓国政治が全国民の憤怒を買っているような状況で、朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領へのバッシングは、むしろ朴元大統領を懐かしがることに寄与し、朴代表の政治的成長を助けるようになる。

「韓国政治が全国民の憤怒を買っている」なんて痛烈な表現ですね。
大統領支持率30%台からすると、国民の大半はバカボン・パパに愛想を尽かしている。
バカボン・パパはすでに用済み。与党ウリ党は惨敗すると思います。


誤「時期大統領」
正「次期大統領」
訂正し謝罪しますが、賠償は勘弁汁。

> まったく

投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2005/05/21 22:39 投稿番号: [22400 / 49973]
君は、経験則は一切認めずどうしても手洗いを含め日本人の衛生観念と朝鮮人の衛生観念を同水準におきたいんだね。

ところで、君は韓国に行った事があるのか。

現状を見たことがあるのかな。

昔も、下の如く言われていた。

4人の外国人が見た韓国併合前の朝鮮

http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/nikkan/heigouji-chousen.html#1

写真で見る100年前の朝鮮半島

http://plaza.rakuten.co.jp/khiroba/diary/200411170000/

>そして、いつも必ず人の意見の影に逃げ込むと。

自分の屁理屈を棚に上げ、上のカキコ

笑うしかないなー。

>もう十分です・・・

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/21 22:38 投稿番号: [22399 / 49973]
>次は「百済(てか、半島)」に関わって、「kの法則」を発動させる事無きよう、お願いしたい・・・

>「白村江」も「ニテ〜イ36年」も、もう十分です・・・

いや、まさに…。

>トピ戻し

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/21 22:32 投稿番号: [22398 / 49973]
ナ〜〜〜〜〜イス☆

>盧政権が「過去と戦わず未来と戦おう」という朴代表に「親日派の娘」などと集中攻撃を浴びせたのは拙劣な敗着だった、とした。また、ベトナム戦への派兵を無理やり進めた朴元大統領やイラク派兵を強行した盧大統領には国家主義という共通点がある、とし朴代表批判・過去史清算を進める盧政権の資格について、疑念を示した。

なるほど☆

>「阿倍比羅夫(あべのひらふ)」

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/05/21 22:16 投稿番号: [22397 / 49973]
次は「百済(てか、半島)」に関わって、「kの法則」を発動させる事無きよう、お願いしたい・・・

「白村江」も「ニテ〜イ36年」も、もう十分です・・・

トピ戻し「時期大統領は朴正煕の娘か」

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/05/21 22:12 投稿番号: [22396 / 49973]
朴正煕氏へのバッシング、朴槿恵代表にプラス

「野党ハンナラ党・朴槿恵(パク・クンヘ)代表の大統領選に向けた快速疾走には、同代表を『維新(朴元政権が長期執権のため取った非常措置)の王女』とだけ認識した現政権の誤算が大きく寄与している」。

金大中(キム・デジュン)前大統領、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領、小説家の李文烈(イ・ムンヨル)、馬光洙(マ・クァンス)氏らについて独特な分析をした全北(チョンブック)大新聞放送学科・康俊晩(カン・ジュンマン)教授の「朴代表分析」の結論だ。

同氏は『人物と思想』の6月号に載せた「朴槿恵、維新王女の議論は正当か」との文でこのように評価した。それによると、韓国政治が全国民の憤怒を買っているような状況で、朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領へのバッシングは、むしろ朴元大統領を懐かしがることに寄与し、朴代表の政治的成長を助けるようになる。また、朴代表の人気は「親のおかげ」だけでは説明できない、とし支持者に率直ながら献身的で、安定感のあるイメージと愛国心、責任感が高いとの印象を与えている、と分析した。

半面、盧政権が「過去と戦わず未来と戦おう」という朴代表に「親日派の娘」などと集中攻撃を浴びせたのは拙劣な敗着だった、とした。また、ベトナム戦への派兵を無理やり進めた朴元大統領やイラク派兵を強行した盧大統領には国家主義という共通点がある、とし朴代表批判・過去史清算を進める盧政権の資格について、疑念を示した。

2005.05.20 19:27:58

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=63727&servcode=200§code=200

トピずれ: 「阿倍比羅夫(あべのひらふ)」

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/21 21:33 投稿番号: [22395 / 49973]
次期首相、安倍氏が断トツ=「望ましい」「なる」双方で−時事世論調査

  時事通信社が20日まとめた世論調査結果によると、次期首相に「望ましい」「なると思う」政治家に安倍晋三自民党幹事長代理を挙げた人がそれぞれ3割を超えてトップとなった。「望ましい人」では岡田克也民主党代表、「なると思う人」では麻生太郎総務相が続いたが、いずれも5%に満たず、安倍氏が2位以下を大きく引き離した。
  調査は12日から15日に全国の成年男女2000人に面接方式で実施し、回答率は68.5%。
(時事通信) - 5月20日17時1分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050520-00000820-jij-pol

半年ほど前にも・・・

投稿者: doronpa90 投稿日時: 2005/05/21 21:29 投稿番号: [22394 / 49973]
日本の火砲は鍛造だったんですが、西洋のは鋳造とボーリングだったので爆発する事が多かったそうです。   その分大量に製造したわけですが、兵隊としては恐ろしい代物だったんでしょうなぁ〜

>れ:>一合戦で百回斉射?

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/05/21 21:09 投稿番号: [22393 / 49973]
>>>メル・ギブソンが独立軍の民兵に
>>>「せめて2斉射してくれ」って言ってました。
>>これは「1分間に2斉射」ですね。
>ちゃいますよ。映画では本当に2斉射のみです。

そうでしたか。
有効射程距離内で、銃剣突撃を行った場合は、その位かも知れませんね。

>>小半刻(30分)くらいは「撃ち合い」状態だったのでは、と・・・
>それって明治維新の頃の戦いでしょ。

明治維新時でも、基本は「銃剣突撃戦」でしたが・・・
銃撃戦で敵陣を混乱させ、銃剣突撃(戦国期では鑓足軽部隊)で突破、は戦国期に確立し、幕末の戦いも同様です。
戦国期と幕末の違いは、火縄銃と後装式・薬莢式のミエニー銃の違い。
発射速度と射程の違い、です。

銃撃戦の戦法的には、実の所余り変わっていませんでした。

銃撃の役割は「面制圧」(実害が無くても、行動を阻害するだけでも良い)
あとは「恐怖感」(死傷可能か否かは別として、「鉛弾が雨霰と」打ちかけてくる、のは「恐怖」です)

発射速度の遅さ(ご指摘の通り、火縄銃は発射速度は熟練しても1分間で2斉射が限界かと)
をカヴァーするための「交差連続射撃」、有名な所で「長篠」ですが、これは石山合戦で、
本願寺派についた雑賀衆が既に行っておりますし。

実際、黒鍬(戦闘工兵)などは、敵のキル・ゾーン突破の為の仕寄道具(防御装甲、のハシリですね)として、
焼きを入れて強度を増した竹筒の束などを使って、攻城路構築などを行っております。
これは攻城戦ですが、防御側では戦国期にはかなりの斉射防御を行っていた証左なのではなかろうかと。

野戦でも、戦国末期には所謂「野戦築城」=野戦陣地構築は重要視されてきています。
(簡単な例ですが、「長篠」の「馬防柵」も「野戦築城」です)

これらから、戦国末期には結構な「火力戦」が攻城戦・野戦双方で行われていたのでは、と考えますが・・・

思い出した

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/21 20:39 投稿番号: [22392 / 49973]
ヨウチエンのころ、友達の女の子の家に遊びに行くと、バケツになんかの液が入ったのがあって、家に入る前にチャポン、チャポンと、3回手を突っ込めと言われて棚。

あれ、オキシフルのような希ガス。

まあ

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/21 20:37 投稿番号: [22391 / 49973]
100年前から「征露丸(正露丸)」が日本にあったのは、意味がありますなあ。

あれは外地で使う事を前提にしていますからねえ。

クレオソート。

あるインドの方

投稿者: greatjp22 投稿日時: 2005/05/21 20:35 投稿番号: [22390 / 49973]
約8年だか10年だか日本に居て、インドに帰国したとの事です。しかし、故郷に帰ってまもなく腹を壊して2週間近く入院生活を余儀なくされたとの事。


日本に長く居るとサバイバル能力が低下してしまうのかも(笑)。

>>オブラード

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/21 20:28 投稿番号: [22389 / 49973]
女性トピで、似た話が出たときに、いろいろと文献を出すと「それは恣意的だ」とか言い出す御仁がいた希ガス。(笑)

で、「恣意的」という意味の語義で赤城さんにコテンパンにやられていたっけ。(笑)

ま、「フランスでハイヒールが生まれた理由」とかで、「オブラート」に包んでも、キャンキャン吼えてたっけ。(爆)

>百姓の才覚の一つだった

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/21 20:24 投稿番号: [22388 / 49973]
宇治茶でしたっけ?
京都の特定の地域の下肥を使って栽培したのは。

江戸の街では、汲み取りで得たお金で、大家が長屋の店子たちに餅などを振る舞い、店子が「オレたちゃてめえらのクソを食っているわけだな」とギャグをかましたとか。

東郷元帥が海軍兵学寮の生徒だった頃でしたか、教官達が、汲み取り料を着服して宴会をしているところに、「教官方はおいどんらのクソを飲んでおられるそうな」と、宴会の席に肥え桶をドカっと持ってきてしまったとか。(笑)

しかし、下肥の完全リサイクルというのは、大したものです。

現在も、産廃のリサイクルでは、例えば金属では排出する業者がお金を得られるが、オイルだと、まだまだお金を払ってリサイクル業者に回収を依頼したりしています。(全国的にどうかは分かりません。)
木材でも、今は焼却せず、粉砕してチップにしたり、脱臭炭にしたり出来ますが、まだまだ排出しているところがお金を「有価」としてもらえる段階ではないです。

自給率がほぼ100%だった江戸時代は、ちり紙でもムダに捨てたりは出来なかったので、止むに止まれぬリサイクルではあったのでしょうが、それでも、重要な「ヒント」にはなる訳ですね。

>反日の宴

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/21 20:12 投稿番号: [22387 / 49973]
>毎度毎度繰り返す「自業自得民族」の哀れな末路・・・
>反日が収まると、ハッと我に返り、ぶざまな半万年奴隷乞食民族の本質に立ち返る。
>はっはっはっは   哀れだねぇ・・・

つまり、「反日」自体が強烈な麻薬だという事が、これでも明らかですな。

目も当てられない現実から一瞬でも忘れるには、「反日」はよくキク。
しかし、麻薬が切れればこのザマ。

もはやコールドターキーをして、麻薬を絶とうとする決意も無さそう。

バカボン・パパの支持率が、またも降下して元の木阿弥になったのも、その証左かと。

>れ:>一合戦で百回斉射?

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2005/05/21 20:04 投稿番号: [22386 / 49973]
>>欧州でも日本でも、1分当たり2斉射できれば「熟練」だったようです。
>
>寄せ集めの民兵に、それを期待するのは酷ってもんです。
>正式軍だと、それくらい行くかもしれませんけど。

日本では、早合(弾と火薬を1セットにしたアイテム)を使えば、1分間に2発くらいは撃てたようですが、欧州ではどうだったんでしょう?

銃撃戦の時間ですが、単純に考えると、火縄銃の有効射程が100mくらいとして、最初の斉射の生き残りは、次弾を浴びずに鉄砲隊に斬り込む事が可能と思います。
その空白を作らないように、タイミングをずらしたり、弓衆がサポートするんでしょうけど。

れ:>一合戦で百回斉射?

投稿者: jaway 投稿日時: 2005/05/21 19:54 投稿番号: [22385 / 49973]
>>メル・ギブソンが独立軍の民兵に
>>「せめて2斉射してくれ」って言ってました。
>これは「1分間に2斉射」ですね。

ちゃいますよ。映画では本当に2斉射のみです。

>欧州でも日本でも、1分当たり2斉射できれば「熟練」だったようです。

寄せ集めの民兵に、それを期待するのは酷ってもんです。
正式軍だと、それくらい行くかもしれませんけど。

>小半刻(30分)くらいは「撃ち合い」状態だったのでは、と・・・

それって明治維新の頃の戦いでしょ。

>糞尿戦争

投稿者: doronpa90 投稿日時: 2005/05/21 19:29 投稿番号: [22384 / 49973]
>江戸近郊の集落が、江戸の糞尿を争って、結構大きな喧嘩になることもあった、という話がありますね。

ははは、うちの爺様が戦前大阪であまっている糞尿を不足している滋賀県までトラックで売りに行く仕事を始めたそうです、(当時糞尿をトラックで運ぶなんてのは誰も思いつかなかったらしい、大津の手前の坂では後ろから押して坂を越えたそうだ)今で言うベンチャーですな。   2回目までは両者から金をもらいぼろ儲けだったそうです。   ですが3回目にはトラックも儲けもすべてシナ青年にパクられたそうです・・・

爺様はここで無一文になったのですが、やけにさばさばしていたそうです。   もともとボンボンで汚い仕事だとやる気の無かった爺様は本当はほっとしていたのだそうです。

婆様によると「本家の連中がオレに押し付けた事業なんか、アホらしい」「シナ青年を恨んじゃいないよ、縁が無かっただけ」といってさっさと次の事業を始めたそうです・・・急に貧乏になって婆様はひどく怒っていたそうですが・・・

>一合戦で百回斉射?

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/05/21 19:13 投稿番号: [22383 / 49973]
>その頃って多くても10回以内じゃないかな。

どうでしょう?
「100回」は例として挙げましたが・・・

>メル・ギブソンが独立軍の民兵に
>「せめて2斉射してくれ」って言ってました。

これは「1分間に2斉射」ですね。
欧州でも日本でも、1分当たり2斉射できれば「熟練」だったようです。

ですので、2斉射/分として。
命令の間やなんやかやと考慮しまして、15〜16斉射/10分くらいでしょうか?

中世の火縄銃は(現代でもその傾向は無きにしも非ず、ですが)「面制圧」目的。
それと「恐怖感」
ですので、小半刻(30分)くらいは「撃ち合い」状態だったのでは、と・・・
そうしますと、大体45〜50斉射くらいですか。

例として挙げました「100斉射」の半分ほどになりますが、それでも「大量の」装薬は必要なのでは、と・・・

何でしたっけ?

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2005/05/21 18:57 投稿番号: [22382 / 49973]
「ガラスの心のエゴイスト」でしたっけ??

織田軍の鉄砲

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/05/21 18:57 投稿番号: [22381 / 49973]
>織田軍の鉄砲二十万丁は一桁違うのでは?


無論、全て「銃兵」用ではありません。
「銃兵」が二十万人、と言う訳でもありません。

基本的には「予備」としての、備蓄数も入れての事だと考えております。

ただ、現代でも言える事ですが、銃だけあっても、弾薬がなければただの「殴打用」の棍棒と同じな訳でして・・・

備蓄予備兵器(備蓄火縄銃)には、それ用の「備蓄弾薬」が必要なのは、古今東西、軍事的には変わらない、と考えます。

あと、織田家の領域はご指摘の通り、約八百万石程です。
一万石当たりの徴兵能力は、各家、時代により様々ですが。
例えば江戸期の場合、一万石での旗備えは、二百名程です。
戦国期にはやや多かったようで・・・

「戦国合戦辞典」(PHP文庫)によると後北条氏は七貫文につき一人の軍役だったようです。
一貫文は十石にあたるとすれば、これで計算すると万石につき百四十人と、江戸期に比べ少ない数字となります。
実際、二百八十四貫(約三千石)の宮城氏は騎馬武者、鉄砲持ち、旗持ち等含め三十六人の軍役を課されている。(万石あたり百二十人)

同時代、上杉氏はほぼ百万石の地域を占めていた頃、動員兵力は騎乗の士から槍持ちや足軽まで含めほぼ八千人と言われます。
これは万石当たり八十人で、後北条よりも少なくなります。
もっとも、北条氏、上杉氏ともにこれは軍役のみの数字でして。
実際はこれに近在のあぶれ者や農家の次男などを銭で雇った足軽等の傭兵が加わります。
軍役の1.2倍から1.5倍にはなったと思われます。

もっとも貫高から石高を安易に換算することはできないのですが。
地方、時代によって違ってくるからですけど。

同じ後北条氏に仕えていた山村綱広という刀鍛冶は、永禄銭二十貫文という禄に対して五十石をもらっていたといいます。
実高五十石ということは、知行高にして七十五石。
(米のみの場合。他に各種雑穀、特産品、労役による免除、等々含めて、税率は三割ほどでしょうか)
つまり一貫=四石弱という換算となります。
これで計算すると後北条氏の軍役は万石につき三百四十人程となります。

この事から、戦国時代の動員数は、外戦時は万石当たり二百人前後。
防衛戦では万石当たり三百〜三百五十人前後、位でしょうか。
(黒田如水は、信長の死後、一時期九州を暴れまくりましたが。
その際の動員数は万石当たり四百人強だったそうです)

ですので、織田家の「兵力」は、最小十六万〜最大二十八万(多くて三十万)というご指摘は、最もな数字と思います。

では、その織田家兵力中の「火力率」はどの位だったか?ですが。
確か「信長公記」(違ったかな?)に「御軍役にあっては、足軽、組頭はすべからく上様これを御貸与えられたり」
「御貸与衆は、一勢五千ばかりをして陣立て整えるべしとの御下知あり」
とあったと記憶します。

類推する「五千の軍勢」は諸兵科連合ですが。
各兵科の「協業」効率からして次のような割合であったのでは、と。

鑓持足軽・1000
弓足軽・500
鉄砲足軽・1000
石火矢足軽・500
騎乗士・200〜250
物見・ 250〜300
黒鍬衆・500
小荷駄・1000

これで行くと、火力率20%。兵力16万で、3万6000丁。兵力28万で5万6000丁。

あくまで「御貸与衆」なので、これが適用されるのは、若手重臣(代表的なので、堀秀正や、金森長近等々)
宿老衆(柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益、丹羽長秀)は
もっと「編成」に関しては自由度があったようですし、
宿老衆と若手重臣の間(佐々成政、前田利家等々)は、宿老衆程ではないにせよ「自分の侍」でもって「編成」できたようです。
*佐々成政などは、一説には「火力率80%」だったとか・・・

平均して、織田家の火力率は30〜35%(最大40%)程だったのでは。
30%として、「鉄砲足軽」は4万8000〜8万4000
35%で5万6000〜9万8000
40%で6万4000〜11万2000

「予備」を含めて最大20万丁、と考えております。

>オブラード

投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2005/05/21 18:29 投稿番号: [22380 / 49973]
連中ったらば、
日本人が本音を言わない、裏表があるなんて言うくせに、
いざ、忌憚無く本音で指摘するとすぐクサル(爆)

連中がいくらネタとして笑えるといっても
たまに疲れます。

その喧嘩の中には川越の

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/05/21 18:29 投稿番号: [22379 / 49973]
農民も加わっていたようです。

川越・葛飾戦争?

>糞尿戦争

投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2005/05/21 18:27 投稿番号: [22378 / 49973]
糞尿といえば、
池袋から発車するニシタケ池袋線。

あの路線は昔はそれらを郊外に運ぶのが主目的だったなんて聞いたことがあります。

日本人は

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2005/05/21 18:03 投稿番号: [22377 / 49973]
ちと神経質すぎるくらい潔癖かな、とも思います。
街には抗菌グッズで溢れかえっているし。

外国に行くと、日本の環境に慣れている成果、
やっぱ最初は抵抗感があるんですよね。すぐに慣れちゃいますけど。

まあ、そういう細やかな所にまで気がいくところが日本人の良いところでしょう。

でも、中国の不潔さはさすがに少し・・・(苦笑)

>人工硝石製造法

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/05/21 18:00 投稿番号: [22376 / 49973]
>寧ろ「土硝法」(人工硝石製造法)は、すでに豊臣秀吉による朝鮮出兵時以前に明から日本に伝わっていたんでしょうか、それとも日本で発明されたんでしょうか。

土硝法自体が、いつ頃、どの様にして技術的に成立したかは、調べ切れていません・・・

大陸では古くから、火薬の技術がありましたし、その経緯で行けば、
土硝法の基となる技術背景は、割と古い時期には、大陸から日本に伝わっていたのではないでしょうか?

出典失念しましたが、伊賀・甲賀には割りと古い時代には(戦国中期頃?)火薬を使用した術技があったとか。(元ネタは「萬川集海」、だったかな?)

元になる基礎技術背景は大陸から。
後で必要に迫られて、国内で試行錯誤、じゃないでしょうか?

韓国人は不潔か否か

投稿者: shida_me11 投稿日時: 2005/05/21 17:58 投稿番号: [22375 / 49973]
韓国人が不潔なのではなく、
日本人が清潔なだけです。

ガリョウ君が言いたかった事はつまりそう言う事です。

幾ら事実でも少しオブラードに入れて指摘してくださいって事です。

糞尿戦争

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/05/21 17:25 投稿番号: [22374 / 49973]
江戸近郊の集落が、江戸の糞尿を争って、結構大きな喧嘩になることもあった、という話がありますね。

一合戦で百回斉射?

投稿者: jaway 投稿日時: 2005/05/21 17:17 投稿番号: [22373 / 49973]
>仮に一合戦で百回斉射したとして

その頃って多くても10回以内じゃないかな。


http://www.s2c.ne.jp/channel/toyspress/patriot.html
の中でメル・ギブソンが独立軍の民兵に
「せめて2斉射してくれ」って言ってました。

>土中窒素

投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2005/05/21 17:11 投稿番号: [22372 / 49973]
夏目漱石の作品に
主人公のところに下肥を汲みに来る百姓の態度が悪いので、
父親が怒り、
「奴には汲ません。別の百姓にする。」
と話す場面があったのを思い出しました。

栄養のある食事をし、良質な下肥を生産する家庭と契約することが、
百姓の才覚の一つだったようですね。

サムライ様の考察

投稿者: king_nobunaga 投稿日時: 2005/05/21 16:57 投稿番号: [22371 / 49973]
非常に興味深く読ませていただき感心いたしました。
ただ、織田軍の鉄砲二十万丁は一桁違うのでは?
私の裏覚えで申し訳ないのですが織田軍最盛期はたしか八百万石(もっと少ないかも)、当時一万石あたりの徴兵能力は200〜300人でしたから織田軍の最大兵力は二十四万人となります。
織田家には現金収入も多く百姓兵は少ない構成でしたからもう少し兵が多いとしてもせいぜい三十万、
その中には当然騎馬、槍、足軽、鉄砲と構成されますから多くて一割の三万丁と推測いたします。
サムライ様の計算の一〜二割だと思いますが…

土中窒素

投稿者: jaway 投稿日時: 2005/05/21 16:49 投稿番号: [22370 / 49973]
>現代でも畜産農家では牛のウンコから出る硝酸窒素で
>農地の汚染が深刻なのですよ。

これは「現代では」ですね。

化学肥料が普及する迄は、農地の窒素は不足気味で、
収量の制限要因だったようです。

田植え前の田圃にレンゲなどを植えて鋤き込むのは、
豆科植物の空中窒素固定能力を用いて、土中窒素量を増やすためです。
最近はレンゲよりも菜の花が流行ですが、効果はどうなのでしょう?

「雷が落ちると豊作」と言う伝承も、雷の高熱によって、
大気中の窒素が硝酸化し雨とともに降り、土中窒素が補えるから、
と言われています。

人工硝石製造法

投稿者: kusuo1 投稿日時: 2005/05/21 16:37 投稿番号: [22369 / 49973]
>>鎖国がはじまり輸入が途絶えると、古い民家の床下の土から国産の硝石が作られるようになった。
豊臣秀吉による朝鮮出兵時に明軍の火薬技術者から硝石の製造法を聞き出したと推測されている。

>は、疑問視しています。
寧ろ「土硝法」(人工硝石製造法)は戦国末期、尾張、美濃、近江といった肥沃な農業地帯を抱えた織田家に於いては、
必要不可欠な(軍維持の為にも)技術ではなかったではなかろうか、と。

寧ろ「土硝法」(人工硝石製造法)は、すでに豊臣秀吉による朝鮮出兵時以前に明から日本に伝わっていたんでしょうか、それとも日本で発明されたんでしょうか。

100%自然発生の塩硝とくらべると、

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/05/21 16:37 投稿番号: [22368 / 49973]
「天然の材料」を使いながら、「人の手を加えて」、ということですね。これなら納得です。

私は、何か人工的化学反応的な手法が使われていたのかと思っていました。

人工的に作る方法

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/05/21 16:19 投稿番号: [22367 / 49973]
土硝法に関してですが。

基本的には動物(人間含む)の排泄物を豊富に含んだ土壌(アンモニア分を多量に含んだ土壌)
を元にして、硝化バクテリアを発生させ、それに石灰等を加えて加熱する事で人工硝石を生成します。

要は、馬小屋、肥溜め、堆肥といったものがあればいい訳でして。

家の便所と軒下だけではないのですね。
寧ろ、農業、畜産関係の場所の方が、材料はより豊富である訳でして・・・

この事を戦国大名に当てはめますと、より大領域の農村地帯を支配下に置く家が、
土硝法による人工硝石生産を可能にする訳でして・・・

ですので、江戸期より遥かに焔硝の需要が多かった戦国時代末期に、輸入のみに頼っていたのなら、
あのような「火力戦」が展開された説明が付かないと思うのです。

極めて合理的な方法ですね

投稿者: chonkanchigai_yarodomo 投稿日時: 2005/05/21 16:06 投稿番号: [22366 / 49973]
>便所と床下からだけでは量的にどうかなともおもいますが、家々を総計すると結構なりょうにもなりますかね。

  現代でも畜産農家では牛のウンコから出る硝酸窒素で農地の汚染が深刻なのですよ。
  硝酸窒素があると土中の寄生虫が繁殖して水源が侵され、畜産農家では深刻な環境問題になっているのです。

  硝酸を土中から取り除くというのは、環境保全の点から極めて有効で合理的な方法です。

  こうしておけば、江戸の長屋の井戸も安心して飲めるわけです。

  江戸時代は究極のリサイクル社会と言われていましたが、まさかここまで完璧に廃棄物を資源として活用しているとは思いませんでした。

>疑問視しています。

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/05/21 15:29 投稿番号: [22365 / 49973]
便所と床下からだけでは量的にどうかなともおもいますが、家々を総計すると結構なりょうにもなりますかね。「火薬の歴史」(家の中で行方不明なので、著者、出版社不明。以前同じ話題が出たときにさがしたのですが)も硝石の産出場所は、便所と床下としていた気がしますが、不確実。

塩硝を人工的に作る方法は当時では簡単だったのでしょうか。

明軍の火薬技術者から

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/05/21 14:20 投稿番号: [22364 / 49973]
>豊臣秀吉による朝鮮出兵時に明軍の火薬技術者から硝石の製造法を聞き出したと推測されている。

歴史、特に軍事史、軍事技術史を知らないと、こう言う突拍子もない事を言うものですねぇ・・・

確かに日本国内では「硝石が産しない」ですが。
それを「輸入品でまかなわれていた」とは。いやはや・・・

戦国末期、日本には約三十万丁の、織田家だけでも約二十万丁の「種子島(火縄銃)」が存在したと言うのに・・・

当時の火縄銃の平均的装薬は、六匁玉筒(口径15.5mm   弾重量22.5g)
これ用の発射装薬は三匁(約11g)
焔硝百斤(十六貫=60kg)から、木炭、硫黄と調合して製造できる装薬は、二十貫(75kg)
一貫=千匁として、百斤の焔硝から、約6666回の発射回数分の装薬量となる訳で。

6666回と言えば、多いと思いがちですが。
千五百丁の鉄砲隊(名の有る大名・武将家にとっては、少数)では、たったの四斉射しかできない。

仮に一合戦で百回斉射したとして。
必要な焔硝量は三百六十貫。ほぼ同数を訓練に要したとして、七百貫=約2.6トン。
実際には大よそ3トンほどの焔硝が必要になってくる計算で。
仮に合戦を、農繁期、収穫期を除き、年5回行うとすると、約15トン。

千五百丁の火縄銃でさえ、これだけ必要。
織田家の二十万丁では、約2万トン/年の消費量となってきます。

これを全て「輸入」に頼るのは「絶対に不可能」
「南蛮船」の入港は、実際、年2〜3隻ほどですし。中継貿易をしていた日本商人の船でも、大きさは精々2000石程度の積載量。
明は基本的に海禁国。
それに積荷は「硝石」だけでは無いですから。
*因みに当時の「大型商船」である「南蛮船」「日本商船(後の『朱印船』)の積載量は、約500トン未満でした。
織田家の「2万トン」を充足するには、40〜50隻丸々、硝石を積荷にしなければならない訳で・・・
*因みに、やや時代が下がった後の「朱印船貿易」では、年間10隻〜12隻程の出入港数/全国

この事から、
>鎖国がはじまり輸入が途絶えると、古い民家の床下の土から国産の硝石が作られるようになった。
豊臣秀吉による朝鮮出兵時に明軍の火薬技術者から硝石の製造法を聞き出したと推測されている。

は、疑問視しています。
寧ろ「土硝法」(人工硝石製造法)は戦国末期、尾張、美濃、近江といった肥沃な農業地帯を抱えた織田家に於いては、
必要不可欠な(軍維持の為にも)技術ではなかったではなかろうか、と。

鋭い(笑)

投稿者: guiseinoyuu 投稿日時: 2005/05/21 13:56 投稿番号: [22363 / 49973]
>「朝鮮」に出兵したのに、「明軍」からって所が興味深いです。


爆笑!

> 便所と

投稿者: pup_poop_one 投稿日時: 2005/05/21 13:32 投稿番号: [22362 / 49973]
火薬は尿だけでなく、「糞尿」で作れるんですね。

> 豊臣秀吉による朝鮮出兵時に明軍の火薬技術者から硝石の製造法を聞き出したと推測されている。

「朝鮮」に出兵したのに、「明軍」からって所が興味深いです。
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