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織田軍の鉄砲

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/05/21 18:57 投稿番号: [22381 / 49973]
>織田軍の鉄砲二十万丁は一桁違うのでは?


無論、全て「銃兵」用ではありません。
「銃兵」が二十万人、と言う訳でもありません。

基本的には「予備」としての、備蓄数も入れての事だと考えております。

ただ、現代でも言える事ですが、銃だけあっても、弾薬がなければただの「殴打用」の棍棒と同じな訳でして・・・

備蓄予備兵器(備蓄火縄銃)には、それ用の「備蓄弾薬」が必要なのは、古今東西、軍事的には変わらない、と考えます。

あと、織田家の領域はご指摘の通り、約八百万石程です。
一万石当たりの徴兵能力は、各家、時代により様々ですが。
例えば江戸期の場合、一万石での旗備えは、二百名程です。
戦国期にはやや多かったようで・・・

「戦国合戦辞典」(PHP文庫)によると後北条氏は七貫文につき一人の軍役だったようです。
一貫文は十石にあたるとすれば、これで計算すると万石につき百四十人と、江戸期に比べ少ない数字となります。
実際、二百八十四貫(約三千石)の宮城氏は騎馬武者、鉄砲持ち、旗持ち等含め三十六人の軍役を課されている。(万石あたり百二十人)

同時代、上杉氏はほぼ百万石の地域を占めていた頃、動員兵力は騎乗の士から槍持ちや足軽まで含めほぼ八千人と言われます。
これは万石当たり八十人で、後北条よりも少なくなります。
もっとも、北条氏、上杉氏ともにこれは軍役のみの数字でして。
実際はこれに近在のあぶれ者や農家の次男などを銭で雇った足軽等の傭兵が加わります。
軍役の1.2倍から1.5倍にはなったと思われます。

もっとも貫高から石高を安易に換算することはできないのですが。
地方、時代によって違ってくるからですけど。

同じ後北条氏に仕えていた山村綱広という刀鍛冶は、永禄銭二十貫文という禄に対して五十石をもらっていたといいます。
実高五十石ということは、知行高にして七十五石。
(米のみの場合。他に各種雑穀、特産品、労役による免除、等々含めて、税率は三割ほどでしょうか)
つまり一貫=四石弱という換算となります。
これで計算すると後北条氏の軍役は万石につき三百四十人程となります。

この事から、戦国時代の動員数は、外戦時は万石当たり二百人前後。
防衛戦では万石当たり三百〜三百五十人前後、位でしょうか。
(黒田如水は、信長の死後、一時期九州を暴れまくりましたが。
その際の動員数は万石当たり四百人強だったそうです)

ですので、織田家の「兵力」は、最小十六万〜最大二十八万(多くて三十万)というご指摘は、最もな数字と思います。

では、その織田家兵力中の「火力率」はどの位だったか?ですが。
確か「信長公記」(違ったかな?)に「御軍役にあっては、足軽、組頭はすべからく上様これを御貸与えられたり」
「御貸与衆は、一勢五千ばかりをして陣立て整えるべしとの御下知あり」
とあったと記憶します。

類推する「五千の軍勢」は諸兵科連合ですが。
各兵科の「協業」効率からして次のような割合であったのでは、と。

鑓持足軽・1000
弓足軽・500
鉄砲足軽・1000
石火矢足軽・500
騎乗士・200〜250
物見・ 250〜300
黒鍬衆・500
小荷駄・1000

これで行くと、火力率20%。兵力16万で、3万6000丁。兵力28万で5万6000丁。

あくまで「御貸与衆」なので、これが適用されるのは、若手重臣(代表的なので、堀秀正や、金森長近等々)
宿老衆(柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益、丹羽長秀)は
もっと「編成」に関しては自由度があったようですし、
宿老衆と若手重臣の間(佐々成政、前田利家等々)は、宿老衆程ではないにせよ「自分の侍」でもって「編成」できたようです。
*佐々成政などは、一説には「火力率80%」だったとか・・・

平均して、織田家の火力率は30〜35%(最大40%)程だったのでは。
30%として、「鉄砲足軽」は4万8000〜8万4000
35%で5万6000〜9万8000
40%で6万4000〜11万2000

「予備」を含めて最大20万丁、と考えております。
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