平和的自給自足自治の実現
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Re: 因果律が説明されてきた意味
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2011/03/09 18:53 投稿番号: [9 / 9]
だが、そんなことでみんな!いーわけないだろ!
だから、あきらめたらいかんよ。
これは メッセージ 8 (yuyu10nen さん)への返信です.
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Re: 因果律が説明されてきた意味
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2011/03/01 22:38 投稿番号: [8 / 9]
現状では、支配者総体の意思は、排他的で自己中心的な方向を目指してしまっている。
そんなままでいいとしては、おそかれ、はやかれ、この星、このような意識世界には未来はないであろうと感じている。
これは メッセージ 7 (yuyu10nen さん)への返信です.
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因果律が説明されてきた意味
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2011/02/22 07:23 投稿番号: [7 / 9]
だから、、、因果律を説明してきた。
その創造改造した世界、そこで生きる生命たちの受ける体験のすべてを
自らも受けることになっても、こんなままの世界でいいのかと。
そう、問うてきた。
こんなままの世界に、支配者たちは、逆の立場の被支配者となって、存在し続けるつもりなのかと。
こんなままの世界では、まずいのではないかと。
急いで償いや世界を平和で自由で合意が尊重されるまともなものにしてゆかなければならないのではないかと。
これは メッセージ 6 (yuyu10nen さん)への返信です.
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平和的自給自足自治の実現 精神編3
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2011/02/13 21:54 投稿番号: [6 / 9]
このように、人間は朝から晩まで、そして、眠っているときにすら、その肉体も精神も体験も、ほとんどの領域で支配されていた。
なるほど、、、はじめから、そういう設定であったのか。
もしくは、長い人類の歴史の中のどこかで、そうした改造をほどこしたのかもしれないが、、、、
まあ、どちらにしても、情けなくもひどいことが実行されたということには
違いはないな。。。
良心的な意識は、そういうことは絶対にしない。
だが、人間として生きている私は、人間としての限界も体験してきた。
それゆえに、わかる。
それは、そう思うだけでは、容易に超えれない壁であると。
そして、おそらくは、支配者たちにも、超えがたい不自由や欲望がある。
つまりは、さらに上の支配者に、この世界の悲惨体験の根本責任が
あるのだろう。
だが、しかし、、、なんでこんなに残酷な世界を、そのままでいいとし続けるのだろう。
それが、神々の超えれない壁だ。
人間も動物も、そのほとんどが超えれない。
悲しい壁だ。
ベルリンの壁よりもはるかに高い。
だが、それは、ぶち壊されるべき壁である。
ざんこくなことをしなければ、しあわせに、たのしくなれないという壁など
必要ない。
それは明らかだ。
それはあたりまえだ。
疑問の余地はない。
だが、このせかいでは、それがそうならないように仕組まれていた。
なんだ?これは。。。
この設定、この肉体本能や欲望、この心の病気のような状態。。。は。。。
こんなもの、自然勝手に偶然生まれるはずがない。
そんなことはありえない。
ミロのヴィーナスが、偶然に発生することはない。
そこには描き手が、そう描く意思がなければ生じ得ない。
そういうものだ。
誰が、なんのために、こんな世界をこのように描いたのか?
そして、誰が何のために、それをより平和により美しく描きなおそうと
する人間たちの意志を、つぶしてきたのか。。。
つぶしてなどいないって、、、?
それはない。
それならば、この世界にせめて、誰もがひどい体験から平和に自由に逃れれるための国や逃げ場所や組織が現に存在している必要がある。
だが、それが世界中どこにもない。
偶然、そうなった。。。。それはありえない。
そう、ありえないのだよ。
いくら、そうでないとしたくても、ごまかせない。
この世界の現実が、現に証拠になっているから。
そして、心は通じ合っているから。
ごまかせない。。。
そうだろう?
見ているものたちよ。
これは メッセージ 5 (yuyu10nen さん)への返信です.
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平和的自給自足自治の実現 「精神編2」
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2011/02/03 20:45 投稿番号: [5 / 9]
続き)
だから、
そんな世界で、
精神を支配される前にどうしたら自分を保てるかについて、少しアドバイスをしておこう。
1、この世界や、その肉体が、すべてであるとは思わないこと。
2、すべての意識存在の理想と幸福を願うこと。(意識同胞すべてが本当に自由で幸せになるようにとの心を持つこと)
3、自分自身が、そうした意識状態であるときに、理想と熟慮において、自分のこれからの予定と計画をノートに書いておき、それを具体的に実現する方法を書いておき、それを毎日見直しながら、自分の理想とする目標や進路を保つこと。
4、欲望や気分に自分を同化させてしまわないこと。
抵抗できない強い欲望や気分に「襲われ」、抵抗できなくなっても、
あきらめず、そのすべてを見守る意識としての自分を忘れないこと。
それは、ある種の精神内面での暴力行為に等しいと理解しておくこと。
本来望んでもいなかった自己否定的な欲望や感情や気分を客観的に
見守る訓練をしておくこと。
そして、「なんだ、この欲望は?気分は?感情は?」と問うこと。
あんたら、お呼びではないんだけどね、、、と自分の本当の意思を
伝えておくこと。
そうした内面状態を、こっそり自分勝手な理由で人間に与えている存在があると理解しておくこと。
あなたは、それと同化しないならば、そして、それを本来望んでいないことを
伝えれば、たとえ、それに押し流されたとしても、それは強制された中で強いられたものであり、そうしたことで影響を受けざるを得なかった、あなたが悪いわけではないと自覚する自分を忘れないこと。
そのいじわるな内面支配をよく観察し、理解し、
ちゃんと自分を弁護してあげること。
そうした自分を否定しないこと。
そして、何度こかされても、何度でも立ち上がり、本来の理想へ進むこと。
あきらめないこと。
まだありそうだが、
また思いつけば書くことにしよう。
これは メッセージ 4 (yuyu10nen さん)への返信です.
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平和的自給自足自治の実現 「精神編」
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2011/02/03 20:43 投稿番号: [4 / 9]
人間の内面精神状態は、様々な欲望、気分、感情、そのエネルギー状態に
大きく翻弄される「仕組み」になっていた。
それゆえに、人間は自らを平和的に自給自足自治できるように自己コントロールすることが難しく「されて」いた。
その不自由さを伴った状態は、真の意味で自由な状態ではない。
しかし、その不自由さから人間は、ただそうした不自由さから自由に
なりたいと意思するだけでは、多くの場合、簡単に自由になることが
できないように「されて」いた。
私自身が、人間として生きてみた結果、それを理解できた。
それゆえ、私は、その不自由さに翻弄されて、自己否定的な行為を
「させられてしまう」人間の責任を全面的に問うことができないと
理解するようになった。
人間のほとんどが、そうした弱さを生得的に「合意もなく無理やりに、有無を言わさず、与えられて」いた。
その不自由さは、その人間個人が、本当に自由な心と自由な状態から魂の
ルールを正しく教えられた上で、理性的に慎重に選ぶことを様々に
妨害していた。
そして、多くの場合、家庭で、学校で、職場で、社会の中で、自由な個人として生きようとする意思が、排他的な意思(集団的な意思)によって阻害されていた。
ひどい場合は、それは「いじめ」として表面化し、表面化しないまでも
その人間の内面状態に多くの圧力を与え続けていることが多く観察される
結果になった。
そして、それが当然であり、当たり前であるとされる精神的なエネルギー
が支配していた。
そのような環境の中で、自分自身として成長してゆくことは、非常に難しい。
多くの魂が、そうしたエネルギー場の中で、その心に深い傷を負い、精神的な深手を負う。
私自身が、そのような体験を何度もしてきたので、それがわかる。
空気を読め、という言葉が使われることがあるが、そうした言葉が使われる
場合の多くで、そうした排他的な精神支配の仕組みが存在していた。
それは、往々にして、排他的であり、その場の空気、雰囲気に従わない
意識存在を、その集団精神支配を行う支配意識たちが否定する理由に
なっていた。
だが、そんな理由は、独自の意識存在を否定する正当性にならないのは
明白である。
反対の立場になったら、その支配意識は、それをよしとする覚悟をして
そうしているとは思えなかったし、その覚悟があるからといって、
そんな圧力を自分とは違う考え方や生き方をする人間に、押し付ける
ことは正当化されない。
だが、この世界の多くでは、それが当然であるとされる場合が非常に多く
見られた。
そのような態度は、因果応報の法において、排他的な行為であり、最終的に自己否定になると理解しなければならない。
多くの人間が、そうして、その精神圧力に負けて、自分自身を失ってゆくのを
見るのは、つらい。
いじめ、仲間はずれ、そうした体験は、とてもつらいものである。
それは、孤独に生きることよりも、はるかにつらい体験である。
そんな体験を、当然のことだとして、平気で、誰かれなく、与えてはならない。
それは、最終的に自分自身が、そうした体験を与えた責任を負うことになる
ことだからだ。
自発的に、そんなことは意思してはならない。
また、であれば、あら捜しをして、そこを徹底的に攻撃してやろうなどと
考えるのもまた、いじめと変わらない。
この世界で、あら捜しをされて、因果律において、すべて完璧である意識は、
ほとんど存在できない。
そのような自己否定的な行為が生存において自動的に強制されている仕組みの世界なのだから。
であれば、それは、自分自身を否定する結果になる。
といっても、この世界の支配意識存在たちは、そういわれても、素直にその姿勢を、どうやら、容易に自分自身で改めることができなくなってしまっている。
続く。
これは メッセージ 3 (yuyu10nen さん)への返信です.
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Re: 平和的自給自足自治の実現1
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2011/01/27 06:14 投稿番号: [3 / 9]
同じいろいろな体験、つらい体験や喜ばしい体験などを体験する意識同胞として、そんな状態は、どう考えても私たち意識同胞たちが、最終的に目指すべき世界であるとは到底思えない。
そんな状態のままの世界が、このまま延々と続くことは、私にこの世界のそうした状態に絶望する気持ちを生じさせる。
そんなままでは、だめだと。
そんな世界を意思していてどうするのか?
そんなままの世界をそれでいいのだとする意識たちが、互いに相手よりも
より優位な地位や能力を持つことにしのぎを削り、争い殺し合い、支配しあい、利用しあい、憎しみあうような、、、そんな世界が、そのままでいいと
は、私には思えない。
そして、そんな世界をそのままでいいと支配権力争いをする意識たちによって、犠牲にされてゆく平和な世界を願う意識たちが、利用され、いじめられ、
不遇な体験を強制され、その平和的な自給自治の権利やその場やそのための
関係性の自由まで、制限され、抑圧され、禁止される、、、そんな世界では、
存続される価値そのものが疑わしいと感じるのだ。
そんな意識の支配争いが、当たり前の世界になるのなら、そんな世界は平和を願う意識たちにとって、危険極まりない世界と判断せざるを得ない。
ならば、平和に自給自足自治もできない、その権利も、そのための生きる場も、そのための世界の平和と自由を愛する人々が自由に交流できる権利も、
奪われたまま放置される世界など、今後存続されるべきではないと判断する。
また、表面的には、その権利や場や交流の自由が与えられているように見えても、実は、人間の精神や欲望や肉体を支配操作して、内部からその可能性を
破壊しているような世界では、やはりそんな世界がこのまま続くことをよしとするわけにはいかない。
人間のほとんどが、その精神肉体欲望気分、、、、など多くの内面状態を
操作され、それに翻弄され、支配されて生きてきている。
平和的に生きることを願えないように、そうして内部から支配しておいて、
その人間が、そう願わないようにしておいて、「ほら、平和に自由に生きれる
権利も与えるし、そのための場も与えるし、交流の自由も与えよう、、、
などと言っても、そこに、本質的に悪意ある支配動機があると判断されるのは
道理のある判断である。
そんなことを計画的に平気でやる意識たちが、この星の支配権限を握ることは
私は認めない。
これは メッセージ 2 (yuyu10nen さん)への返信です.
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Re: 平和的自給自足自治の実現1
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2011/01/27 06:12 投稿番号: [2 / 9]
誰もが平和的に自給自足自治できる世界が実現することを願っている。
それは、私たちが、互いに公平に互いの自由や平和を互いに守りあい、
尊重しあう世界だ。
そして、その相互関係の意味や体験の真実の意味を正しく理解したうえで、
最大限互い望む体験や関係性を、互いに楽しみあえるような世界だ。
それは、現状の世界から見れば、まだ高い目標ではある。
なぜならば、現状の世界では、互いの合意を本当の意味で尊重しようと
する社会意識がまだ未熟であり、
互いが、互いの支配勢力を争っている世界だから。
でも、それが不可能だとは、私には思えない。
もし、それが不可能であるとしたら、そもそも、私たちにそれを目指す
ことが「できる」自由意志がないということになるからだ。
そんなことは、ないであろう。
そうであれば、私たちは、まるで壊れた自動機械と同じようなものに
なってしまうだろう。
互いに互いが望まない体験を強制されないように「みんなで」配慮しあい、
守りあい、その上で、互いの望む体験を最大限に「みんなが」体験できる
世界にしようと意思することが、理性ある「意識存在」にできないはずはない。
それができる、そう願える自由意志を、私たちは、持っていると信じたい。
私たちは、望んでもいない欲望や気分や感情に翻弄され、肉体は生命エネルギーを操作され、自由の大部分を実は奪われている。
だが、それでも、本当にみんなが平和に自由に楽しく合意を尊重しあって
生きれる世界にしたい、、、と願う自由くらいは、あるのではないか?
その自由すらないならば、そもそも人間として生まれるということ、人間として生きるということに、はじめから問題があったという以外にはない。
それは人間個人の責任というよりも、そのように人間を創造し、あるいは
改造してきた創造者や支配者たちの責任問題である。
だが、そうした創造者や支配者たちにも、また人間が持っている以上の
自由があるはずだ。
その自由度は、人間よりもはるかに高い。
家畜と扱われている動物たちが、一般の市民としての人間よりもはるかに
不自由であり、さらにその不自由さにすら気がつけていないように、
人間の多くもまた、創造者や支配者たちに比べれば、そのように自由がなく、
また、それに気がつくこともできない状態で生きている。
だが、そんな生存状態は、美しいものであろうか?
存続される価値のある状態であろうか?
私はそうは感じれない。
これは メッセージ 1 (yuyu10nen さん)への返信です.
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平和的自給自足自治の実現
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2011/01/20 07:46 投稿番号: [1 / 9]
前の「循環型自給自足の実現」トピックスが消えてしまいましたが、
最近思うことは、ただ循環型であっても、それが平和的な生活でないならば、
希望としては、不十分であると感じるようになりました。
なぜならば、科学技術を知らない過去の人間は、ある意味、仕方なしに、、、
循環型の生活をしていたはずですが、だからといって、平和に満足して生きていたとも言えないと感じているからです。
文化という名で、過去から引き継がれてきた生活様式のほとんどが、同じように感情や苦痛を体験する動物につらい体験やその命を犠牲にして生存することをもって、それをそのままでいいのだとしているのが現状です。
ですが、そのままでいいとしていて、いいのでしょうか?
戦争ならば、動物ではなく、人間同士が、同じ苦しみや悲しみを感じる存在同士殺しあわないとならなくなる。。。
そんなことはわかりきっていることなのに、いつまでたっても、それを根本的になくそうという意識が、この世界に広がってゆかない。
動物たちの苦しみを知っていても、そのままでいいとしようとする意識が、
勢力を伸ばす世界になりつつあるようです。
だから、ただ循環型であるだけでは、足りないと感じるようになりました。
ただ、互いの望まない苦しみや痛みなどを、互いに与え合わないようにしたい、、、と思う気持ち。
それがあるかないかが、意識の進化の分岐点になる。。。
それには、表面的な生活システムだけではなく、人間精神の奥深い部分やそこに植えつけられた欲望や本能の仕組みまで、私たちは、意識の光を向けなければならないようです。
その意識の光で、その有様をよく観察して、その問題を理解し、そして、それに対処する方法をみんなで探し、良い方法や技術を分かち合う必要があるのでしょう。
そうした方向に進むことを願う方たちへ、このメッセージを贈ります。
もちろん、環境問題も大事です。
しかし、それは、これからの意識同胞みんなの平和的な生存のための配慮すべき要素のひとつでしかありません。
環境に配慮した自給自足にも、また、平和的生存にも、また、そのための心や欲望への正しい理解も、それを正しく平和的に制御する技術や方法も、すべてが必要になる。。。
私の体験してきた過去を振り返れば、それは簡単なことではありませんが、
だから、とても重要なこと。
そんな問題意識を一部でも共有してくれる方のご参加をお待ちしています。
少しでもより弱い立場の意識を助けたいと思う心を持つ、同志たちの「その心」に、「ありがとう」。
おそらく、それは、自分自身を救う心です。
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