大量餓死で「英霊」を増産した日本軍(6)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/31 21:45 投稿番号: [29017 / 29399]
補給もなく、飢餓と
栄養欠乏による疾病で、兵士が次々と
倒れていく 惨状にもかかわらず、大本営は ガ島奪還作戦を
中断せず、11月16日、持久戦をせよ と命令した。
第十七軍参謀長小沼治夫少将は、次のように 書いている。
輸送、補給が続く状況に於ては 持久戦が成立するが、
輸送補給が 途絶し 第一線将兵が飢え 杖をついて
辛うじて歩行して居る「ガダルカナル」の第十七軍が
持久任務を受けて 何時迄持久し得るやの回答は単に
「敵の大攻勢を受ける迄持久し得」 といふに止まる。
予が 大本営から持久任務を受領して 感じたことは
「敵をして 大攻勢をとらしめないように 陣地特に
アウステン山方面の陣地を 強化しつつ 進んで欺瞞、
陽動及局部的積極行動を採り絶えず敵に危惧、圧迫感を
抱かせる」 ことの必要であった。
つまり、補給が途絶えている状況で 持久戦を命じられたが、
見通しは立たず、結局のところ 敵に攻撃されるまで耐える
だけであり、できることとして 考えられるのは、局地的な
ゲリラ戦法等で 敵軍に 不安感、精神的圧迫感を 抱かせ、
攻撃を遅れさせるしかない―― ということだ。
さらに 小沼参謀長の手記は 以下のように続く。
第一線陣地の守兵中歩行に堪えない傷病者は 陣地の守備に
任じ(壕内に寝て居り敵が近づいて来ると起き上って射撃し
又は手榴弾を投ずる)。 杖に倚って歩行し得る者は後方の
糧秣運搬及炊事を担任し 比較的元気の者は或は挺進斥候と
なり(出発数日前から飯の配給量を増加し元気を回復させて
出した)敵陣深く潜入して 後方撹乱を行なわせ 或は夜間
敵陣地又は哨所を奇襲して 偉功を樹てる等上下一致、戦友
相励まし終始積極的(局部的なるも)に行動し敵の大攻勢を
遅らせるに役立った。
このように 寝たきり状態や 杖を頼りに歩く兵士を抱えて、
ガダルカナル島の 持久戦が 戦われていたのだ。
防衛省の公判戦史が、各種資料から推計した数によると、
陸軍のガダルカナル島に上陸した人員は31,400名、
そのうち、途中病気などで 離島した者 740名、
撤収作戦で収容されたのは 約9,800名 であるから、
じつに 20,860名もの命が 失われたことになる。
このうち、純戦死が5,000名から 6,000名であり、
残りの約15,000名が 栄養失調症、マラリア、下痢、
脚気などの悪化による 餓死や病死である とされている。
(参考:防衛研究所『戦史叢書・南太平洋陸軍作戦〈2〉』)
つまり、純然たる戦闘死の3倍以上が 広義の餓死者なのだ。
このような悲惨な状況を自ら招いた「皇軍」には、本質的に
近代軍としては 致命的な欠陥があった と言えるだろう。
倒れていく 惨状にもかかわらず、大本営は ガ島奪還作戦を
中断せず、11月16日、持久戦をせよ と命令した。
第十七軍参謀長小沼治夫少将は、次のように 書いている。
輸送、補給が続く状況に於ては 持久戦が成立するが、
輸送補給が 途絶し 第一線将兵が飢え 杖をついて
辛うじて歩行して居る「ガダルカナル」の第十七軍が
持久任務を受けて 何時迄持久し得るやの回答は単に
「敵の大攻勢を受ける迄持久し得」 といふに止まる。
予が 大本営から持久任務を受領して 感じたことは
「敵をして 大攻勢をとらしめないように 陣地特に
アウステン山方面の陣地を 強化しつつ 進んで欺瞞、
陽動及局部的積極行動を採り絶えず敵に危惧、圧迫感を
抱かせる」 ことの必要であった。
つまり、補給が途絶えている状況で 持久戦を命じられたが、
見通しは立たず、結局のところ 敵に攻撃されるまで耐える
だけであり、できることとして 考えられるのは、局地的な
ゲリラ戦法等で 敵軍に 不安感、精神的圧迫感を 抱かせ、
攻撃を遅れさせるしかない―― ということだ。
さらに 小沼参謀長の手記は 以下のように続く。
第一線陣地の守兵中歩行に堪えない傷病者は 陣地の守備に
任じ(壕内に寝て居り敵が近づいて来ると起き上って射撃し
又は手榴弾を投ずる)。 杖に倚って歩行し得る者は後方の
糧秣運搬及炊事を担任し 比較的元気の者は或は挺進斥候と
なり(出発数日前から飯の配給量を増加し元気を回復させて
出した)敵陣深く潜入して 後方撹乱を行なわせ 或は夜間
敵陣地又は哨所を奇襲して 偉功を樹てる等上下一致、戦友
相励まし終始積極的(局部的なるも)に行動し敵の大攻勢を
遅らせるに役立った。
このように 寝たきり状態や 杖を頼りに歩く兵士を抱えて、
ガダルカナル島の 持久戦が 戦われていたのだ。
防衛省の公判戦史が、各種資料から推計した数によると、
陸軍のガダルカナル島に上陸した人員は31,400名、
そのうち、途中病気などで 離島した者 740名、
撤収作戦で収容されたのは 約9,800名 であるから、
じつに 20,860名もの命が 失われたことになる。
このうち、純戦死が5,000名から 6,000名であり、
残りの約15,000名が 栄養失調症、マラリア、下痢、
脚気などの悪化による 餓死や病死である とされている。
(参考:防衛研究所『戦史叢書・南太平洋陸軍作戦〈2〉』)
つまり、純然たる戦闘死の3倍以上が 広義の餓死者なのだ。
このような悲惨な状況を自ら招いた「皇軍」には、本質的に
近代軍としては 致命的な欠陥があった と言えるだろう。
これは メッセージ 29009 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.