南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
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残虐行為多発の背景(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/28 01:08 投稿番号: [28922 / 29399]
歩兵第六十六聯隊第一大隊の
戦闘詳報には、さらに次のように
記録されている。
↓
九、右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命ジ整理集積セシメ
監視兵ヲ附ス
午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附意見ヲナシタル
結果、各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ連連五十名宛レ出シ、
第一中隊ハ路営地南方谷地
第三中隊ハ路営地西南方凹地
第四中隊ハ露営地東南谷地ニ於テ
刺殺セシムルコトトセリ
但シ監禁地ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際絶対ニ
察知サレザル如ク注意ス
各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分
刺殺ヲ終リ聯隊ニ報告ス
第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ
失敗セリ捕虜ハ観念シ恐レズ軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸ブルモノ、
銃剣ノ前ニ乗リ出シ
従容トシ居ルモノアリタルモ、中ニハ
泣キ喚キ救助ヲ嘆願セルモノアリ特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ
其ノ声起レリ
武装を解除し、投降した捕虜全員を、ただちに
殺害することは、
国際法違反である以前に、人道に反する残虐行為に
ほかならない。
ひとつの部隊だけでも、上記のような
数日にもわたる
組織的な
大量殺害が
実行されたのだから、日本軍全体での
捕虜殺害は、
いったい
どれほどの規模だったのだろうか――
想像を絶する。
虐殺の背景として、まず
第1には、中国人への蔑視とともに、
国際世論を恐れて戦争の実態を「事変」
と得矮小化するために
戦時国際法を無視したことによる
人権感覚の喪失が挙げられる。
第2に、もともと補給を極端に軽視する
日本軍の欠陥体質があり、
予期せぬ大量の捕虜を収容し、処遇に窮する事態を招いたことだ。
そして、第3には、軍紀風紀の頽廃による規律喪失が無視できない。
急速な軍隊の拡大による
兵士の素質の低下、とくに後備兵の増加が
軍紀風紀の頽廃の原因となり、その結果が、兵士個人の犯罪である
掠奪、強姦などを
多出させた
と考えられる。
旧軍の軍紀風紀関係資料については、既に別の投稿で引用したが、
「掠奪、強盗、強姦等極メテ悪質」犯罪の多発が記録されている。
日本の国土が
他国から
武力攻撃を受けているとか、侵略により
国家の独立が危機にたっている惨状を
目の当たりにして
自らの
愛国精神によって起ち上がった、等という状況では
まったくなく、
「事変」と称した他国への侵攻戦において、日本軍兵士の
多くは、
予期もせず
突然の令状で召集された
予後備兵か
補充兵だった。
もともと祖国防衛や民族解放などの崇高な理想に起った戦ではなく、
目的が不明確なうえに、各戦場では、予想を超えた
中国人たちの
はげしい抵抗に直面して、多くの戦友を失い、死の恐怖に苛まれた
日本兵士たちには、中国人民への憎悪と侮蔑感情だけが
かぎりなく
増幅し、理性と規律を
喪失していった。
これは、数多くの史料や
証言によって
記録されている事実だ。
これは メッセージ 28921 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28922.html
残虐行為多発の背景(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/28 01:07 投稿番号: [28921 / 29399]
対中戦争を「事変」の鎮圧で済ませようとした
日本軍には
長期戦に必要な補給路確保、給養の備えは
不十分だった。
その日本軍に、大量の捕虜を収容し続ける手段は
なかった。
上海派遣軍右翼を進んだ独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊の中尉は、
仙鶴門鎮付近で
大部隊を捕虜にした際の状況を
証言している。
↓
捕虜の数は約一万でしたが、早速軍司令部に報告したところ、
「直ちに銃殺せよ」
と言ってきたので
拒否しましたら
「では中山門まで連れて来い」
と命令されました。
「それも不可能」
と断わったら、やっと
「歩兵四コ中隊を増援するから連れて来い」ということになり、
私も中山門近くまで同行しました。(中略)
「直ちに銃殺せよ」とは、一体誰が決定し、命令を下したのか。
当時、私の胸が痛かった印象は、従軍中はもとより
今日に至るまで、私の脳裡から
離れません。
(畝本正巳「証言による『南京戦史』」)
師団副官が捕虜殺害を指示したという
歩兵第三十八聯隊副官の
次の証言もある。
↓
聯隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、
彼我入り乱れて
混戦していた頃、師団副官の声で、
師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」
と電話で伝えられた。(中略)
部隊としては実に驚き、困却しましたが
命令やむを得ず、
拡大隊に下達しましたが、拡大隊からは、その後何ひとつ
報告は
ありませんでした。
師団が捕虜の処置を決めて指示した
という史料も
残されている。
第十三師団は、10月9日付師団司令部名「戦闘に関する教示」で
中国人捕虜の扱いについての方針を
次のように
示していた。
↓
(前略)捕虜中将校ハ之ヲ射殺スルコトナク武装解除ノ上、
師団司令部ニ護送スルヲ要ス
(中略)
但シ少数人員ノ捕虜ハ所要ノ尋問ヲ為シタル上適宜処置スル
モノトス
(防衛研究所所蔵「第十三師団戦闘詳報別紙及附図」第一号)
護送せずに、「適宜処置スル」とは、つまり
処刑を意味している。
武装解除した後の捕虜を、裁判もなしに
その場で処刑することは
当時の国際法上でも、明白な違反であったことは、言うまでもない。
しかし、「事変」と称した大量殺戮の場では
国際法は
適用されず、
道義的規範は
完全に
無視されたのだ。
第十軍
第百十四師団
歩兵第六十六聯隊第一大隊の
戦闘詳報が
残されており、12月10日から13日の間に捕虜1,657人を
捕らえたこと、そして、この捕虜を
旅団命令で14日に
すべて
殺した事実が、具体的に
記述されている。
その記録によると、
捕虜を、上部命令で
組織的に虐殺したことが明らかにされている。
以下に
13日の記事の一部を抜粋してみよう。
↓
八、午後二時零分聯隊長ヨリ左ノ命令ヲ受ク
イ.旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ
其ノ方法ハ十数名ヲ捕縛シ逐次銃殺シテハ如何
ロ.兵器ハ集積ノ上別ニ指示スル迄監視ヲ附シテ置クベシ
ハ.聯隊ハ旅団命令ニ依リ主力ヲ以テ城内ヲ掃蕩中ナリ
貴大隊ノ任務ハ前通リ
これは メッセージ 28920 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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残虐行為多発の背景(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/28 01:05 投稿番号: [28920 / 29399]
以下は、中国戦線に従軍した
一兵士の証言だ。
徴発、掠奪をガタクルと言った・・・
掠奪はいかん、物品は必ず
金円を支払って調達せよと
空命令を出しても身も心も荒みきった兵隊に通じる筈も
なかった。漢口を発つ時、どの部隊も糧秣等は現地調弁
せよと命令され、調達物資は必ず相当金額を支払うこと、
金円がない場合は後払い証を発行せよ
と言われた。
こんな馬鹿げた命令をする奴は、第一線の状態が
どんな様相を呈しているのか承知していて、
腹の中では
腕ずくでも、相手を殺してでも徴発すべしと
言っているのだ。
(「湘南戦記」「十五年戦争史②日中戦争」青木書店より)
補給確保を軽視し、現地での徴発(という名目の略奪)に頼り、
それでもなお
自軍の食料確保にさえ窮していた
日本軍に、
大量の捕虜を収容し、その給養を確保する手段は
なかった。
方面軍司令は、捕虜殺害について、次のように
述べている。
捕虜も相当出来たけれども
捕虜に食はせる物もない。
(中略)
それでちよん斬つてしまうといふことになった。
それで大したことではないのだが
南京の東南方の鎮江との
間の所で
一万余の捕虜があつたのだけれども、そんなのは
無論追撃中だから戦闘中と見てもよろしい、(中略)
始末が付かぬものだからシヤーシヤーと射つてしまつたのだ。
その死骸が川に流れた。
それから問題になつたのだ。
(吉田裕『南京事件と国際法』より)
食料不足から捕虜の処遇に困った、それで「戦闘中」と見なして
捕虜を殺害した
という証言だ。
どうやら
日本軍の司令官は
中国軍捕虜を処分することを
犯罪とは考えていなかったようだ。
このほかにも、軍や師団が
捕虜の「処分」を命令または指示し、
組織的な殺害がおこなわれていたという史料が多数存在している。
派遣軍司令部の情報主任参謀で方面軍参謀を兼ねていた中佐が、
捕虜をどうするかという師団からの問い合わせに対して、
くりかえし「ヤツチマエ」と命令していた
という証言がある。
これは、当時少佐で方面軍司令の専属副官であった人物の証言だ。
おそらく、南京虐殺「まぼろし説」を振りかざす否定派などは、
こうした数々の証言を
すべて
捏造だ、ウソだ、などと決めつけ、
必死になって
否定しようとするだろう。
しかし、引用した陸軍次官通牒や戦闘詳報など
日本軍の記録には
これらの証言を裏付けるように、日本軍の
中国軍兵士への認識や
対処方針などが示されており、資料的価値は
非常に高いものだ。
これは メッセージ 28919 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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残虐行為多発の背景(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/28 01:04 投稿番号: [28919 / 29399]
第2に、日本軍の
補給軽視という、戦略上の欠点が挙げられる。
この欠陥は、太平洋戦争でも
兵士の大量餓死発生の要因となる。
補給軽視のうえに、対中戦争を「事変」鎮圧で済ませようとした
日本軍には
長期的戦略はなく、給養の備えは
不十分だった。
物資補給は、もっぱら
「現地調達」
に頼るほかなく、必然的に
「徴発」
名目による
現地人民からの略奪、強盗頻発を招いた。
陸戦法規には、徴発する場合は
その場で
現金を支払うか、
もしくは
領収証を発行し、「なるべく速やかに」
支払いを
履行しなければならない、と
定められていた。
しかし
南京へ進撃していた日本軍は、兵士らが
勝手に略奪を
続けることを
放置していたに
等しかった。
以下に引用する
兵士の証言は、その実情の一端を
表している。
↓
「米もカンパンも持ってなくての。特務隊が半煮えのご飯で作った
おにぎりなんかを、たまに届けてくれたの。だけども食料が来ない
ので、食べ物は
ほとんど徴発ですましてました。米とか味噌とか、
鶏、豚なんかを
徴発していました。」
「夜、中国人の家ん中に入って、鍋を探す者、米探す者、菜っ葉
探す者とそれぞれ役目を決めて、探して来た物を
分隊で分けて
食べるのさ。」
「二ヶ月くらい徴発で食いつないだかの。
菜っ葉なんか食べて
食いつなぎました。ずっと
物を盗って
すごしたな。」
(以上、「南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて・元兵士102人の
証言」社会評論社より引用)
兵士の証言だけでは足りない、と思われるかもしれないので、
南京安全区国際委員会委員長が残した記録も併せて引用しよう。
↓
「12月13日・・・
日本軍は10人から20人のグループで行進し、
略奪を続けた。
それは実際に
この目で見なかったら、とうてい
信じられないような光景だった。
彼らは窓と店のドアをぶち破り
手当たり次第盗んだ。
食料が不足していたからだろう。」
「ドイツのパン屋、カフェ・キースリングもおそわれた。
また、福昌飯店もこじ開けられた。中山賂と太平賂の店もほとんど
全部。なかには、獲物を安全に持ち出すため、箱に入れて
引きずったり、力車を押収したりする者もいた」
(ジョン・ラーベ著「南京の真実」より引用)
防衛研究所に収蔵されている
軍関係の資料を
調査すれば、
上記は、膨大な記録の
一部にすぎないことが
理解できる。
多数の記録が示すように、日本軍は
「徴発」
という名目の
略奪に頼って、なんとか食いつないでいたのが
実情だった。
菓子や酒など嗜好品も
「徴発」
していたという記録もある。
このように、略奪に頼るほど、日本軍は
補給に窮していた。
補給途絶は、自軍兵士の給養欠乏という
深刻な事態とともに、
予想を超える多数の中国人捕虜の収容を
困難にしてしまった。
日本軍の包囲戦により、南京城内と周辺地域には
少なくとも
10万人程度の中国兵が
逃げ遅れ、投降した
と推定される。
これに対し、日本軍側には
捕虜収容の用意が
なかった。
給養に窮乏し
困り果てた日本軍にとって
残された手段は、
中国人俘虜を
大量に
「処分」
することだけだった。
これは メッセージ 28918 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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残虐行為多発の背景(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/28 01:03 投稿番号: [28918 / 29399]
日本軍が起こした
侵略戦争を、正義の戦争
として美化し、
軍国主義を
免罪しようとする者にとっては、日本の軍隊が
中国大陸や
東南アジアの各地で行った
残虐行為の事実は、
じつに
都合の悪いものだろう。
したがって、彼らが、数多くの
記録史料や当事者の証言等
残虐行為の実態を示す
膨大な証拠資料を
ことごとく
「ウソ」だ、「捏造」だ
などと
必死になって否定し、
アカだ、反日だ、馬鹿だ、低脳だ
などと
下劣な雑言で
口汚く罵り、思想差別攻撃を吐き散らすのは、当然なのだ。
しかし、人が殺し合い
破壊し合う戦争を起せば、皇軍に限らず
戦場や占領地において
残虐行為が発生することは当然なのだ。
過去の事実から目をそらさず、原因と経緯を究明すること自体が、
日本の歴史を汚すとか、恥をさらす
ということではないし、
実際、そのような目的で
論じているのではない。
南京事件や慰安婦問題などの
歴史の真実に向き合うことを恐れ、
記録や証言などの資料すべてを「ウソ」、「デタラメ」
と否定し、
大本営発表だけを
拠所にして、戦争を美化することが、
真に国を愛する者の言動とは
言えない。
問題にすべきは、なぜ
規律に厳しかったはずの日本軍でさえも
残虐行為を
組織的に、かつ
広範囲にわたって
発生させ、
それを防げなかったか、ということであり、いま行うべきことは
客観的資料に基づく
徹底した検証作業なのだ
と思う。
この視点から、日中戦争の実相を
あらためて
論じてみたい。
日中戦争が
全面化し始めたとき、日本軍部は、これを
「事変」
であるから、「戦時国際法は適用しなくてもよい」
としていた。
支那駐屯軍が
華北で総攻撃を開始した
直後の
1937年、
8月5日付陸支密第198号
支那駐屯軍参謀長宛
陸軍次官通牒
「交戦法規ノ適用ニ関スル件」
には、次のように示されている。
一、現下ノ情勢ニ於テ帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ
「陸戦ノ法規ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約」ノ
具体的事項ヲ
悉ク適用シテ行動スルコトハ
適当ナラズ
戦線が
華北のみならず中国全土に拡大し、各方面で
日中両軍が
総力戦に突入して全面戦争となったにもかかわらず、日本軍部は
国際社会の非難と制裁を恐れ、戦争とは呼ばず「事変」と称した。
「戦争」でないのだから、当然、戦時法は適用しないことになる。
さらに、「日支全面戦ヲ相手側ニ先ンジテ決心セリト見ラルル如キ
言動、例ヘバ
戦利品、俘虜等ヘノ名称ノ使用」
などについては
「つとめて避けよ」
と指示している。
国際社会の批判を恐れ、
先に戦争を仕掛けたのが
日本軍だと悟られないよう、戦利品や
俘虜という
戦時用語は使用するなと
自軍の兵士に
命じたのだ。
こうした軍中央部の方針は、ただちに
現地軍に伝えられた。
投降した
中国人捕虜に対して、国際法に基づいた処遇は不要。
したがって、収監したり護送したりする手間は
要らなかった。
前線から国際法に基づく人道的扱いが消えたのは
当然だった。
虐殺の背景として、まず
第1には、このような
中国人蔑視と
国際法を無視による
人権感覚の喪失があった
と言える。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録⑥
投稿者: momotarou_no_onitaiji 投稿日時: 2012/12/27 23:31 投稿番号: [28917 / 29399]
9、太田壽男
南京の停泊場司令部の職員の少佐が、「12月16、17、18日に何万という死体を処理した」と書いています。
この人は後に戦犯となり、満州の撫順収容所に収容されてそこで書いたものであります。
ところが同停泊場司令部に梶谷という職員(曹長)の日記によると、太田少佐は12月16、17、18日に南京にはいなかった。
この人は12月25日に、上海から初めて南京に来た人であります。
太田という人は、戦犯収容所に収容されて、おそらくそう書くように強制されたものだと思います。
それをいかにもまことしやかに、虐殺の証拠だと言うのです。
太田少佐の手記については、毎日新聞静岡支局の武田某という記者が広島市に住んでいる畝本正巳氏(陸士46期。戦車隊中隊長として南京攻略戦に参加、偕行社編纂の「南京戦史」の編纂委員)のところに聴きに来た際、畝本氏は、
「そんな馬鹿な事は無い」
と、梶谷日記も見せて、太田少佐の手記の誤りである事を説明しています。
ところがそれが毎日新聞の記事になってみると、虐殺の動かぬ証拠として太田手記を載せ、しかも少佐であった人の証言であり、間違いないと言っているのです。
畝本氏の証言も梶谷日記のことも、一切無視しているのです。
今、お話したようなことが、「南京大虐殺」論の実態なのです。
南京に虐殺があったという主張にこれだけウソが多いということがお判りになれば、逆に虐殺は無かったという証拠になるのではないでしょうか。
「あった」という証明は簡単なのですが、「無かった」という証明はなかなか難しいのです。
ですから、「あった」という論にこれだけウソが多いことを指摘して、逆に証明する以外ありません。
しかしその指摘は、私や戦友、部下達が直接体験したところから出ているのです。
●南京に虐殺があったという主張にこれだけウソが多いということがお判りになれば、逆に虐殺は無かったという証拠になるのではないでしょうか。
●「あった」という証明は簡単なのですが、「無かった」という証明はなかなか難しいのです。
●ですから、「あった」という論にこれだけウソが多いことを指摘して、逆に証明する以外ありません。
しかしその指摘は、私や戦友、部下達が直接体験したところから出ているのです。
「しかしその指摘は、私や戦友、部下達が直接体験したところから出ているのです。」
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28917.html
◆元第16師団連隊長 魂の講演録⑤
投稿者: momotarou_no_onitaiji 投稿日時: 2012/12/27 23:12 投稿番号: [28916 / 29399]
5、東史郎(あずましろう)
歩兵第20連隊第3中隊上等兵。
わが南京プラトーン」という著書で随所に諸上官の悪口を書き、戦友の非
行として虐殺、強盗、強姦の情景を描写。
又「7千人の捕虜を各中隊に分配して殺害した」「中隊長自ら斥候(偵察)
に行った」等と書いています。
彼は私の連隊の兵士です。
捕虜を各中隊に分配して殺害するというような事はあり得ませんし、現に
私の中隊はそんな分配など受けた覚えはありません。
またどんなに激戦であろうとも、中隊長が約200人の部下の指揮を放棄して斥候に行くなんて、そんな馬鹿なことも考えられません。
各中隊はみな「中隊会」という戦友会を持っていますが、そんなウソを平気で書く男ですから、戦友会を除名されております。
また、「東という兵士が倉庫に秘蔵していた手記を我々に資料として提供した」と発表した新聞がありますが、同じ町に住んでいる私の部下が、私に手紙を送ってくれて、「東の家に倉庫なんてあったことはありません」と、はっきり言っております。
又、朝日新聞の記事によりますと、彼は自分の階級を「軍曹」と詐称して福岡で講演したこともあります。
6、北山与
歩兵第20連隊第3機関銃中隊。
「12月13日西山(前記の溝山のこと)麓で捕虜を火刑に処す」
「12月14日戦銃隊は紫金山の掃討、約800名、武装解除後、皆殺し」と証言。
これは私が第3大隊長代行として指揮した部隊の兵士です。
こんな命令を出したこともありませんし、これほど重要な事を、直接の指揮官である私が知らないはずがありません。
そんな大ウソを、朝日新聞は喜んで書いているのです。
彼はまた、自分は日記を書いたけれども、それは中隊長に検閲されるから差し支えのないことばかり書いた、と言っておりますが、戦場の中隊長は、兵士の日記を点検するほど暇ではありませんし、またどの兵士が日記を書いているかなんてことは判りません。
7、上羽武一郎
第16師団衛生隊の担架兵。
「戦場で放火、殺人、切り捨て勝手たるべしの命令があったので毎夜民家に放火して、住民をあぶり出して殺害した」と、メモに書いていると、新聞のインタビューに答え、
「中山門攻撃の歩兵第20連隊の多数の死傷者を運搬のため、住民中の青年約100名を徴用、使用した後虐殺」と証言。
「放火、殺人、切り捨て勝手たるべし」などと言う馬鹿なことを言う指揮官がいるわけがありません。
また当時の戦場の住民の中に、100名もの青年がそこいらにいる等という事はあり得ません。
8、最近、私が聞いた話で、京都に共産党をバックにした団体がありますが、それが舟橋照吉という男の日記が出た、これが虐殺の動かぬ証拠であると盛んに言っております。
週刊誌に出たその日記なるものを私は子細に読みました。
輜重輸卒(補給部隊)で京都の連隊に入ったそうですが、まるで自分1人で敵陣に突入し勇戦奮闘したようなことが書いてあります。
輜重輸卒が戦闘に参加したり、まして敵陣に突入するなんてことはあり得ない事です。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録④
投稿者: momotarou_no_onitaiji 投稿日時: 2012/12/27 23:11 投稿番号: [28915 / 29399]
実際に戦争に行った人間が、手記を書いたり日記を書いたりという形で色々虐殺を言っています。
まず第一に、日記や手紙を書いたというのがおかしいと思います。
戦場で兵士が日記を書けるものかどうか。
背嚢(はいのう)は必要最小限の携行品で一杯になっています。
その中へ一体何冊のノートを入れていったのか?
筆記具は鉛筆なのか、インキなのか?
当時はボールペンなどはありません。
終日戦闘を続けて、あるいは土砂降りの雨の中を一日中行軍して、くたくたになって露営して、暗闇の中にはロウソクの灯りさえ無いのです。
また敵と至近距離に対峙(たいじ)して夜を徹することもあります。
戦場では、眠るのが精一杯のことが多いのです。
そんな中で、どうして日記が書けるのでしょうか?
丹念に日記を書くという力があったのでしょうか?
それだけ考えても、戦場で書いた日記だというのは、どうも信用出来ないのです。
彼らの証言をいくつかあげてみましょう。
1、中山重夫
岩仲戦車隊の兵で、昭和12(1937)年12月11日に雨花台(南京城南側、中華門外の台地)で、約4時間にわたって捕虜が虐殺されるのを見たと証言。
静岡県の中学教師、森正孝という人物が作った「侵略」という8ミリ映画を持ち歩いて各地で講演をして回っています。
昭和12(1937)年12月12日は激戦の真っ最中で、そんな中で捕虜を殺している余裕は絶対に無いのです。
まして数時間もそれを見物するなどは考えられません。
特に、中山重夫氏が配属されていた戦車隊は、南京城東側の中山門攻撃に加わっており、11日、12日の状況はすでにお話した通りです。
この部隊にいた兵士が、南京城南側の雨花台で捕虜の虐殺を見るわけがないじゃないですか。
そんな大ウソを平気で言うのです。
2、曽根一夫
豊橋の歩兵第18連隊の軍曹(分隊長)として従軍。
「私記南京虐殺」3部作を発表、その中で蘇州河の戦闘につき、
「11月7日朝霧の中工兵の人柱による橋上を敵弾を冒して走り、敵弾命中し河中に転落」と書いております。
これが全くのウソであります。
曽根一夫は豊橋歩兵第18連隊の軍曹ではなく、名古屋の野砲第3連隊の初年兵であったことを、彼と同じ中隊(野砲3、第12中隊)にいた戦友が証言しており、所属部隊の階級も全くデタラメですし、蘇州河の戦闘になどは参加しておりません。
また第18連隊の中隊長、及部巷氏は、
「11月7日は激しい風雨であり(朝霧などは無し)、蘇州河は水深2メートル余りで人柱等不可能、さらに当時は敵弾の飛来等ある状況では無かった」と、証言しています。
こんなウソを平気で言っております。
3、富沢孝夫
海軍の暗号兵。
「昭和12(1937)年12月11日、松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言。
海軍の暗号兵が陸軍の暗号を傍受・解読する事は、技術的に出来ないのです。
さらにもう1つは、12月11日には、松井軍司令官は蘇州で入院しておられ、南京にはおられません。
にもかかわらず、彼は平気でそういう事を言っております。
4、石川フミ
東北出身の日赤の看護婦で、病院船筑波丸に乗って揚子江を遡行(そこう)、12月27日に南京に上陸、中山陵を見物し、途中で「女、子供の死体が散乱しているのを見た」と証言。
そんな時期に、そこいらに死体がある訳がありません。
現実に、私は何度か中山陵に行きましたが、一体の死体も見たことはありません。
何度も通った私が全然見ていないのに、たった一度行った看護婦が、散乱した死体を見るわけがないじゃありませんか 。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録③
投稿者: momotarou_no_onitaiji 投稿日時: 2012/12/27 23:11 投稿番号: [28914 / 29399]
反日赤旗記者の捏造本
「隠された連隊史」という本を、共産党「赤旗」の下里正樹という記者が書いております。
これには私の属しました福知山歩兵第20連隊のことが書かれています。
大体、共産党の機関紙の記者が書いたものですから、内容は読まずとも知れたものですが、私の連隊のことを書いているものですから読んでみますと、よくもまぁこれだけ大ウソを書けたものだと思うくらいのものです。
イ、「歩兵第20連隊では兵士が上官の指揮を批判し、命令に反抗し、将校はひたすら兵に迎合して兵の非行も黙認し、部隊内には下克上の空気蔓延し、将校の権威も指導力も全く零であった」
私は第20連隊の中隊長として、兵士の機嫌を取らねばならない等と、思った事さえ1度もありません。
常に部下の兵士と共に、お互いが信頼しあって戦ってきたのです。
その結果もう半世紀も経った今もなお、当時の戦友会が毎年開かれているのです。
来月の7日にも、私の中隊の戦友会が京都府の綾部で行われますが、例年のごとく、「隊長殿、是非出席して下さい」と招待されております。
将校が兵士の機嫌を取らねばならなかった軍隊で、そんなことが続けられるのでしょうか?
また私が十数年前に大病で下関で入院したことがありますが、当時の部下の多くは京都府に住んでいるのですが誰かれ言うとも無く、
「隊長殿がひどい病気だ」
ということで、知らぬ間に多額の見舞い金を送ってくれました。
私はベッドで感激の涙にむせんだ事でした。
将校と下士官・兵の心が離れていたならば、こんなことはあり得ないと思います。
これは私の場合だけではなく、中隊長と中隊の兵士の気持ちがしっかりと結ばれていなければ、激戦を戦い抜くということは出来ないのです。
ロ、「日露戦争の際、歩兵第28連隊(北海道旭川)の兵2千人が捕虜になり、戦後恥ずかしくて日本には帰らず、ハワイに移住した者もある」
これもまた、ものを知らずに書いたにしてもあまりにひどいじゃないか、というものです。
1個連隊は約3千人ですが、そのうち2千人が捕虜になったなどということはあり得ないことです。
私に言わせれば、下里正樹は「私はウソを書いております」と、自分で白状しているようなものであります。
「天に向かってツバをする」とはこの事でしょう。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録②
投稿者: momotarou_no_onitaiji 投稿日時: 2012/12/27 23:10 投稿番号: [28913 / 29399]
(2)次に、戦後に参戦者の手記、日記、インタビュー等から、盛んに「虐殺」を言っている記事で、その取材の仕方が全く偏向したものである例を挙げます。
まず、第一に、取材する相手に、虐殺を証言する人間しか選ばないという点があります。
虐殺を否定すると思われる人には取材をしません。
そればかりか取材をすると何とかデッチあげてでも虐殺に仕立てるという事を致します。
場合によっては、証言を意図的に歪曲し、時には正反対の解釈をして、証言者がそんなことは言ってない、と憤慨(ふんがい)している例もあります。
また、証言者が、
「中隊の軍紀は非常に厳正でありました。」
などと証言しても、そんなことは一切取り上げようとしません。
自分の取材意図に合ってさえいれば、証言内容が明瞭(めいりょう)なウソであると判っていても、そのまま記事にしております。
宮崎県の農家で写真と参戦者の日記を発見したとして南京虐殺の決定的証拠とした、朝日新聞の昭和58(1983)年8月4日の記事に対し、その写真は満州の馬賊の写真で、昭和初期に朝鮮買ったものであると、読者が抗議しています。
また森村誠一の「続・悪魔の飽食」に、日露戦争当時の伝染病による死体写真を今次大戦の関東軍の虐殺の証拠写真としていつわって掲載しているのを、読者よりの指摘抗議によって暴かれたのは有名な話です。
そのような記事について、
「そんなことはあり得ないことである」
と反論されても、無視し、認めないか、言を左右にしてうやむやにするのが、彼らの常套手段(じょうとうしゅだん)なのです。
都城連隊関係者が、朝日新聞に対して名誉毀損の抗議訴訟を起こして朝日が敗訴した件、京都新聞の無責任な記事に対する歩兵20連隊第3中隊の抗議に対する態度、また「平和のための京都の戦争展」の朝日新聞の記事に対し私が抗議しましたが全く無回答、これが新聞の態度です。
全く礼儀知らずと言うほかありません。
さらに、偏向的時後取材により「南京大虐殺」を盛んに主張する例を挙げます。
朝日新聞の本多勝一という記者が「中国の旅」という本を書いています。
これは彼が戦後・満州・中国に行って、日本人がそんなに悪い事をしたかを中国人に取材して、全く無批判に鵜呑みにして書いたものですが、その内の南京関係の例をあげてみましょう。
イ、姜根福の証言。
日本軍は南京城北の燕子磯で10万人くらい機関銃で射殺した。
紫金山で2千人を生き埋めにした。
あるいは軍用犬に中国人を襲わせ、その人肉を食わせた。城内で20万人を虐殺、死体を積み上げて石油をかけて焼いた。
ロ、伍長徳の証言。
南京戦直後、日本兵に銃剣で肩を刺されたが逃げ、揚子江に飛び込んで、日が暮れるまで水中に隠れていた。日本軍は逮捕した青年を高圧線にぶら下げてあぶり殺し、工業用硝酸をかけて殺した。
ハ、李秀英(女性)の証言。
日本兵に強姦されそうになり抵抗、その銃剣を奪って格闘して追い払った。しかし37ヶ所も刺されて気絶していたのを、親族の者達に助けられた。
2千人を生き埋めにするための労力と時間と穴の大きさは、どれ程のものであったのでしょうか?
軍用犬に人を襲わせて、その肉を食わせるなどという馬鹿なことがあり得るのでしょうか?
石油や工業用硝酸を、戦場でいつ、どこで入手したのでしょうか?
揚子江は確かに冬でも凍りはしませんが、12月の揚子江に飛び込んで、首だけ出していて一体日が暮れるまで我慢できるのでしょうか?
高圧線に、どうやって人間を吊り下げるのでしょうか?
当時の日本兵は現役バリバリで士気も高く、女性と格闘して銃剣を奪われ、尻尾を巻いて逃げ出すような情けない兵士がいる訳がありません。
37ヶ所も刺されて失神した者が、また蘇生するなどという事があり得るでしょうか?
どれ1つ取ってもすぐウソだと判る事ばかりです。
それを本多勝一記者は、「なるほど、ごもっともです」とそのまま本にしているのです。
本多記者については、
「朝日の中には、本多君に対して良くない感情を持っている人が沢山いる」という事を朝日新聞の同僚の記者が言っていますし、又石原慎太郎氏は平成3(1991)年の「文藝春秋」に、
「朝日には本多という奇妙な性格の記者がいて、盛んに南京虐殺のことを書く」と言っております。
本多勝一記者は、
「日本の子弟に国際性を持たせるため、南京大虐殺の教育を徹底させる必要がある」と言っています。
私は売国奴、何を血迷ったか、妄語断じて許すべからずと、憤(いきどお)りに駆られます。
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◆元第16師団連隊長 魂の講演録①
投稿者: momotarou_no_onitaiji 投稿日時: 2012/12/27 23:09 投稿番号: [28912 / 29399]
元第16師団(京都)歩兵第20連隊(福知山)大隊長、森王琢氏
―
謹(つつし)んで英霊に捧(ささ)ぐ―
『「南京大虐殺」はなかった』より
「虐殺はあった」と主張する人を一応「虐殺論者」と呼ぶ事に致しますが、この中には新聞記者、学者、評論家という人達、それともう一つは戦争に行った兵隊、下士官、将校がおります。
そういう人達の虐殺論がいかにウソでありデタラメであるかをこれからご説明します。
(1)まず、当時の従軍記者の例をあげます。
当時南京には、新聞各社の記者が100名以上もおりました。
イ、朝日新聞の今井正剛記者という記者が「南京城内の大量殺人」という本を書いております。大阪毎日(当時)の後藤記者が、
「あなたはとんでもない事を書いていますね」とただしたところ、今井記者は、
「あれは興味本位で書いたのだ」と白状しています。
朝日の同僚の記者は、
「今井君は危険な前線に出て、目で見てものを書く人ではなく、後方で人の話を聞いて記事を書くのが上手であった」と批判をしております。
ロ、東京日々新聞の鈴木二郎という記者は、
「私は12月12日に中山門より入城した。後続部隊が次々に中山門上で万歳をし、写真を撮っていた。中山門の上では盛んに捕虜が虐殺されていた」と証言しております。
作家の阿羅健一氏が、
「あなは12月12日に中山門に入られたのですか。それは13日の間違いではありませんか」と問い正したのにも関わらず、
「いや、私は12日に入って、現実に捕虜が殺されるのを見たんだ」と譲らないのです。
12月12日には、私は先ほどお話したように、中山門正面約2キロ手前の溝山の山頂にいました。
双眼鏡で中山門の城壁がやっと見えたのですが、敵兵がいっぱいおりました。
一体いつになったらあれを占領できるのかと、その時思ったことを私ははっきり覚えています。
そんな時期に、一新聞記者がどうして中山門に入れるのでしょうか。
中山門の高さは約10メートル、厚さ20センチの扉はぴったり閉まっており、しかも門の内側には土嚢(どのう)がいっぱい積み上げられてありました。
13日の未明、我が歩兵20連隊が砲撃によって崩れた城壁をよじ登って占領し、私は15日に中山門に入ったのですが、ここで捕虜が虐殺されたような形跡は全くありませんでした。
要するに、鈴木二郎という記者の証言は、全くのウソであります。
ハ、東京日々新聞の浅海一男という記者が、「百人斬り」という記事を書いています。
京都の9連隊の野田・向井の2人の少尉に、上官が、どちらが早く百人を斬ることが出来るか競争せよ、勝者に賞を与えようと命じられ、2人が百人斬りを競ったというものでありますが、これが全くのウソであります。
第一に、軍隊で戦争の真っ最中に、上官が将校にかかる競争を命じ、勝った方に賞をやろうなどと言うこと、また将校もそんなエサで釣られるようなことは、軍隊の常識としてあり得ません。
その時の上官であると言われている富山大隊長も、
「そんな馬鹿なことがあるものか」
と、ハッキリ否定しておられます。
さらに野田少尉は大隊副官、向井少尉は大隊砲小隊長であり、両方とも部下が銃剣を持って敵陣に突入する部隊の指揮官ではありません。
そういう将校に、敵に突入して百人斬りを命ずる馬鹿がいるでしょうか?
そういう作り話がまことしやかに書かれ、そのために両少尉は戦犯にされ、処刑されたのです。
東京裁判の最中に、向井少尉の家族が、浅海記者にあの記事はウソである、作り話であるということを証言して欲しいと懇願していますが、浅海記者は逃げ回ってその証言を回避しております。
私は、彼が2人の若い将校を殺したのも同然だと考えております。
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Re: 難問 ワダツミと仁多はどっちがバカか
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/27 22:45 投稿番号: [28911 / 29399]
>たった3か月で5万人分の住宅、水、食料のインフラを整えるのは不可能
焼き打ちや堤防を決壊させて中国人民に迷惑をかける中国軍を掃討するまでの一時的な避難なら可能ですな。
これは メッセージ 28905 (仁多 さん)への返信です.
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Re: 難問 ワダツミと仁多はどっちがバカか
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/27 22:27 投稿番号: [28909 / 29399]
newdendenmaru2よりもnyankotyanndamonのほうがまだ賢い。
というよりずる賢い。
彼には「資料改竄」というわざがある。
(nyankotyanndamon氏による改竄の実例)
第二條
娼妓名簿に登録せられざる者は娼妓稼を為すことを得ず
娼妓名簿は娼妓所在地諸官警察官署(占領地に在りては領事警察)に備えるものとす
娼妓名簿に登録せられたる者は取締上警察官署の監督を受けるものとす
第三條
娼妓名簿の登録は娼妓たらんとする者自ら警察官署に出頭し左の事項を具したる書面を以て之を申請すべし
一.娼妓と為る事由
二.生年月日
三.同一籍内にある最近尊属親、尊属なきときは戸主の承諾を得たること若し承諾を与えべきものなきときは其の事実
四.未成年者に在りては前号の外実父、実父なきときは実母、実父母なきときは実祖父、実祖父なきときは實祖母の承諾を得たる殊
五.娼妓稼を為すに於ける住居
六.娼妓名簿登録後に於ける住居
七.現在の生業但し他人に依り生計を営むものは其の事実
八.娼妓たりし事実の有無竝に嘗て娼妓たりし者は其の稼業者たりしも之を申請すること
これは メッセージ 28904 (new*e*denm*ru* さん)への返信です.
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Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/27 21:08 投稿番号: [28907 / 29399]
>で、キリスト教やユダヤ教、イスラームなどアブラハム系の宗教における「人」の区分基準は自分の宗教または宗派を信仰しているかどうか。
つまり、他宗教はもちろん他宗派である場合ですらも人としてみなされません。
もし一神教が他宗教信仰者を「人」と見なさないのなら、キリスト教の牧師なり神父がアジアに布教にくるはずもないのだが。
常識で考えてもわかる話。
これは メッセージ 28900 (rug*rug*12 さん)への返信です.
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Re: 難問 ワダツミと仁多はどっちがバカか
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/27 21:01 投稿番号: [28906 / 29399]
まだすごいバカがいた。
その名は z_gusinlp。
「日本軍舎の前では、シナ人の子どもたちが爆竹を鳴らして、歓声をあげていた」
いくら物資に乏しい日本軍とはいえ、目の前でシナ人の子供に爆竹を鳴らされるほど落ちぶれてはおらん。
これは メッセージ 28904 (new*e*denm*ru* さん)への返信です.
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Re: 難問 ワダツミと仁多はどっちがバカか
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/27 20:53 投稿番号: [28905 / 29399]
もっとすごいバカがいる。
その名は、madabakayatuterunokaomae。
「そして日本軍が撤退した3ヶ月後に、人口が25万人へと5万人も増えたのは周辺の町から南京城へ避難した人たちによって膨らんだからに違いないのです。」
たった3か月で5万人分の住宅、水、食料のインフラを整えるのは不可能。
これは メッセージ 28904 (new*e*denm*ru* さん)への返信です.
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難問 ワダツミと仁多はどっちがバカか?
投稿者: newdendenmaru2 投稿日時: 2012/12/27 18:15 投稿番号: [28904 / 29399]
●ワダツミ
『他国を
武力を用いて
攻撃・占領するためには、
少なくとも
「軍事力の脅威を排除する」という口実が必要だ。
軍事力を持たない日本には
「脅威」は
存在し得ない。』
●仁多
『治安を回復するために、とにかく誰彼かまわず虐殺してしまうということもな。ま、これは仮説にすぎんが。』
『 はい残念。
キリスト教はユダヤ教の人種差別を嫌って、イエスがユダヤ教の一分派として立ち上げた。
したがってキリスト教の根底にあるものは反人種差別。』
(笑)
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wadatumi_voice21の珍論の奥にあるもの
投稿者: newdendenmaru2 投稿日時: 2012/12/27 18:10 投稿番号: [28903 / 29399]
相も変わらずお馬鹿投稿を繰り返す wadatumi_voice21なる反日バカサヨが以前、こんな珍論を披歴していた。
↓
『他国を
武力を用いて
攻撃・占領するためには、
少なくとも
「軍事力の脅威を排除する」という口実が必要だ。
軍事力を持たない日本には
「脅威」は
存在し得ない。』
by wadatumi_voice21
日本には軍事力がないんだそうなww
笑いを止めるのに苦労するが、笑ってばかりもいられない。
なにせこのバカは「本気で言っている」のだから・・・・
なぜこのようなバカげた珍論を大真面目に語るのか?
それは、wadatumi_voice21をはじめとする頭空っぽのバカサヨが「念仏平和主義者」であるからに他ならない。
例えば日本がどこかの国に攻められる。そして占領される。そして「日本国憲法」が停止されるということは、世界の歴史を見れば、充分に考えられることである。するとそういうことがないようにはどうすればいいかというと、当たり前の話だが、そのための軍隊を持っておく。つまり憲法を護るための軍隊を持っておくということである。これはバカ以外は当然そう考えるから、どこの国でもちゃんと憲法に規定された軍隊がある。永世中立国といわれるスイスにもある。いや、むしろ自前のしっかりした軍隊があるからこそ、永世中立を掲げることが出来るのである。ところがバカだけは、軍隊があると戦争を呼ぶんじゃないか。だからないほうがいい。しかしまったくないのも不安だから、軍隊とは呼ばずに「自衛隊」といおうと。内容でも変わっているのかというと、全然変わっていない。ただ、言葉で誤魔化しているだけである。
自衛隊は常識的に見れば、どこの国の誰が見ても、軍隊でる。しかし、軍隊といわずに自衛隊といおうと。日本には軍隊はないんだと安心する。だけど自衛隊はある。それで安心する。こういう奇妙な言葉の上での誤魔化しの二重構造の上にバカの論理(「日本に軍事力は無い」)は成り立っているのである。
「雨が降ると言えば雨が降るという世界」では、日本に軍隊はありませんといえば、無いんです。実際にはあっても、それはどう見ても軍隊じゃないかというものがあっても、言葉の上だけで打ち消しておけば、無いんです。そして、そのことによって安心する。
全くもって呆れ果てて屁も出ないとはこのことである。
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Re: 南京への道の兵站5
投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/12/27 17:08 投稿番号: [28901 / 29399]
>↑十二月十二〜十三日頃食糧も弾薬も十分にあったんだね、師団(第十三師団)には。
「弾薬に乏しい日本軍が捕虜の処刑で弾薬を無駄にしたはずがない」というのが
馬鹿ウヨのよく言うセリフだがな(藁
これは メッセージ 28897 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
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Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/27 15:38 投稿番号: [28900 / 29399]
>したがってキリスト教の根底にあるものは反人種差別。
で、キリスト教やユダヤ教、イスラームなどアブラハム系の宗教における「人」の区分基準は自分の宗教または宗派を信仰しているかどうか。
つまり、他宗教はもちろん他宗派である場合ですらも人としてみなされません。
教科書でも載っている十字軍や魔女狩り、宗教戦争などを少しでも理解していればわかりそうなものですけどね。
これは メッセージ 28896 (仁多 さん)への返信です.
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Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/27 15:32 投稿番号: [28899 / 29399]
>食糧は行軍しながらでも購入なり略奪なりして調達可能だろう。
日本軍が来る前に中国軍が南京周辺を焼き討ちしておりましたので現地調達は物理的に不可能ですが。
あと仮に原材料を購入なり略奪なりしたとしてもそれなりに調理なり加工なりされていないと食べれません。下手に食べれば食中毒なり起こして全滅ですし。
それとも購入ならまだしも略奪されたかたがたはわざわざ日本兵向けに調理なり加工なりしてくれたのですかねぇ。ご親切にも。
>しかしいくら食糧のない日本軍とはいえ、最低、武器弾薬くらいは持って南京まで進軍したんじゃないのか。
で、南京郊外で餓死なり野垂れ死にでもしたのかね?
これは メッセージ 28895 (仁多 さん)への返信です.
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Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/27 15:25 投稿番号: [28898 / 29399]
>治安を回復するために、とにかく誰彼かまわず虐殺してしまうということもな。
で、その命令書は?
>ま、これは仮説にすぎんが。
根拠もへったくりもない以上は仮とはいえ説でもないですけどね。
これは メッセージ 28894 (仁多 さん)への返信です.
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南京への道の兵站5
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/27 15:02 投稿番号: [28897 / 29399]
歩兵第百十六連隊
一.十二日午前八時次の宿営地に向かい出発午後四時十分連隊本部、第二大隊は諌壁鎮、連隊機関銃薛湾、歩兵砲は石頭、第一大隊は枯林に夫々宿営せり
一.十三日午前九時師団集結地鎮江に出発午後二時鎮江に到着し師団の指示により鎮江党部に宿営し次期作戦に備える為弾薬及び糧食の補給を行う
↑十二月十二〜十三日頃食糧も弾薬も十分にあったんだね、師団(第十三師団)には。
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Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/26 17:22 投稿番号: [28896 / 29399]
>>キリスト教の牧師は人種差別をしない。
>けど「キリスト教」誕生から現在進行形で宗教・宗派差別はしてますがね。
はい残念。
キリスト教はユダヤ教の人種差別を嫌って、イエスがユダヤ教の一分派として立ち上げた。
したがってキリスト教の根底にあるものは反人種差別。
これは メッセージ 28889 (rug*rug*12 さん)への返信です.
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Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/26 17:20 投稿番号: [28895 / 29399]
>>おまえ、日本軍が南京市民に餅をふるまったといってだろ。
>仮にそれがうそならば何十万の虐殺するほどの武器弾薬もない=物理的に虐殺は不可能となるのだが。
なにもわしは虐殺が事実だと確信を持つ者ではないが、
食糧は行軍しながらでも購入なり略奪なりして調達可能だろう。
しかしいくら食糧のない日本軍とはいえ、最低、武器弾薬くらいは持って南京まで進軍したんじゃないのか。
これは メッセージ 28890 (rug*rug*12 さん)への返信です.
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Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/26 17:17 投稿番号: [28894 / 29399]
>だったら、残党兵がうろうろし、治安が回復していないところで虐殺なんかしている暇があるわけないのだが
逆の考え方もあるだろう。
治安を回復するために、とにかく誰彼かまわず虐殺してしまうということもな。
ま、これは仮説にすぎんが。
これは メッセージ 28891 (rug*rug*12 さん)への返信です.
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南京への道の兵站4
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/26 14:29 投稿番号: [28893 / 29399]
上海派遣軍命令
昭和十二年十一月二十五日午後八時
於
滸浦鎮
一.軍は常州に迎脾摘を追撃中なり
二.兵站は第一線兵団推進の為逐次補給点を滸浦鎮−常熟−常州道竝に常熟
−江蔭−常州道に沿う地区に前進せしめんとす
水路補給輸送は臨時碇泊場司令官部之を担任す
三.滸浦鎮兵站司令官は先ず主力ヲ以て滸浦鎮に一部を以て常熟に位置し主
として集成騎兵隊第十三師団、重藤支隊及び第十六師団に対する補給に
任ずべし
警備区域は当分の間楅山−常熟水路以東滸浦鎮南北の線に亘る間とし一
部の兵力を以て碇泊場司令部の担任する水路輸送を直接警戒掩護すべし
特に楅山鎮は確実に占領するを要す
四.野戦道路構築隊は滸浦鎮−常熟道を自動車を通し得る如く応急保守すべ
し
五.兵站自動車第四十一中隊は主力ヲ以て前任務を続行すべし
六.野戦予備病院第十五班は主力を以て大吉丸雲陽丸にありて患者を収容す
ると共に一部を以て滸浦鎮に上陸し後送患者の受領保護に任ずべし
野戦予備病院第二十七班は速に主力を以て常熟に開設し患者の収容に任
ずべし
七.患者輸送部支部は第一線各兵団の患者後送に任ずべし
特に第十三師団と密接に連繋するを要す
八.第三兵站病馬廠は先ず常熟に開設し病馬の収容に任ずべし
九.第六師団後備歩兵第一大隊は常熟付近の警備に任ずべし
一〇.第六師団後備野砲兵第一中隊竝に第二師団後備工兵第一中隊は滸浦鎮
南側地区に集結待命すべし
野砲兵中隊は随時楅山及び梅李鎮方向を射撃し得る如く準備しあるを要
す
軍司令官
松井石根
下達法
印刷交付
↑兵站は順調に行われていたんだね、これを知らんのは中国軍くらいなものだろうね。
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南京への道の兵站3
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/26 13:48 投稿番号: [28892 / 29399]
12年11月12日
K方面揚陸計劃
一.中支碇泊場監部は配属揚陸作業をして当内上陸各兵団指揮官の区処を受
けしめ重藤支隊の先頭部隊を極めて秘密裏に奇襲上陸せしめ次いで各兵
団戦闘部隊を急速に揚陸す
二.爾後引続き後続部隊及軍需品を揚陸し且水路輸送を担任す
三.上陸根拠地を滸、浦口とし状況に依り白茆口に設定す
四〜六
省略
七.畑中部隊は直ちに所要の船艇を進水し重藤部隊の右翼隊及び左側支隊を
移乗せしめ13日午前2時出発海軍水雷艇嚮導の許に極めて隠密裡に上
陸點に向かい進行同午前五時三十分頃着岸上陸部隊を上陸せしむ
八.第一輸送戦隊は右第一回上陸部隊第一錨地発進後出発午前六時上陸點錨
地に至り投錨す
又第二輸送戦隊は第一輸送戦隊の中央後に又第16師団戦隊は其の左翼
に投錨す
九〜十省略
十一.上陸兵団の上陸進捗し海上の船艇を他に転用し得る状況に至れば畑中
部隊は歩兵約一大隊を乗艇せしめ得る船艇を各重藤部隊及中島部隊に交
付し第一線の推進に使すものとす其の時機は別命す
十二.畑中部隊は兵団揚陸中と雖も軍需品の到着せるに従い之を揚陸し兵站
に交付す又速に滸浦口状況に依り白茆口に根拠地を設定し上海より水路
輸送用の船艇の集合するに従い水路輸送を開始し弾薬糧秣を第一線に追
及せしむるものとす
十三〜二十省略
二十一.重藤支隊滸浦鎮(若しくは白茆口)を占領せば兵站と協力し時機を
失せず上陸拠点設定するべし
拠点設定要領■■■
(一)日々20噸軍需品を揚陸しこれを直ちに水路により前送し得るを
標準とす
(二)根拠地の設備程度及び強度は相当長期間(約二、三箇月)に亘る
ものとして設定するを要す
(三)警備に関しては重藤支隊と協定す
――――――――――――――――――――――−−−−−
上海派遣軍長江上流方面上陸に伴う後方計画案
一.兵站は兵団の上陸及び常熟無錫付近の戦闘に遺憾なからしむると共に戦
況の進展に伴う江蔭攻略南京向かう追撃に支障なからしむるを方針とす
二.兵団上陸地方面に補給所廠兵站部隊の一部を配置し後方業務の円滑を期
す
上陸方面に転用する兵站部隊別紙第一の如く其の上陸順序日次別紙第二
の如し
三.滸浦鎮若しくは白茆口を補給の基点とす
四.補給線は滸浦鎮(白茆口)−支塘鎮及び滸浦鎮(白茆口)−常熟−無錫
道に予定す
五.補給廠より有力なる部員を先遣せしむ
上陸当初は水上倉庫の形式に依り爾後速に陸上に集積す
六.弾薬
上陸部隊は務めて部隊装備を充実携行せしむ
野戦砲兵廠支廠には上陸第三日以降速に先ず三分の一会戦分を前送集積
す
弾薬の補給開始は上陸後4日以後とす
七.器材
上陸部隊には予め豊富に軽渡河材料を交付せり橋梁構築材料を前送す
八.糧秣
上陸部隊には五日分の糧秣を携行上陸せしむ
上陸第3日以降糧秣揚陸を開始し各隊に対する補給は各当該部隊の上陸
第4日より実施す
成る可く速に50師団分の糧秣を基点に集積す
特に地方物資の収集利用に努
九.輸送は水路及び兵站自動車中隊による
上陸当初は水路を主とし後兵站自動車中隊を揚陸す
十.此の方面に充当する船数は地方水船約七十(大40、小30)兵站自動
車約六中隊とす
以降省略
↑上記のように兵站はされていたんだね、中国軍は兵站がなかったようだね自国内でも。
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Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/26 10:47 投稿番号: [28891 / 29399]
>日本軍が迫ってきている切迫した状況のなかで、女性に迫る時間があるわけないだろ!
だったら、残党兵がうろうろし、治安が回復していないところで虐殺なんかしている暇があるわけないのだが
これは メッセージ 28856 (仁多 さん)への返信です.
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Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/26 10:46 投稿番号: [28890 / 29399]
>おまえ、日本軍が南京市民に餅をふるまったといってだろ。
仮にそれがうそならば何十万の虐殺するほどの武器弾薬もない=物理的に虐殺は不可能となるのだが。
これは メッセージ 28855 (仁多 さん)への返信です.
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Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/26 10:44 投稿番号: [28889 / 29399]
>キリスト教の牧師は人種差別をしない。
けど「キリスト教」誕生から現在進行形で宗教・宗派差別はしてますがね。
そして日本人の大半は非キリスト教徒どころか一神教が忌み嫌う多宗教の文化圏ですが。
これは メッセージ 28854 (仁多 さん)への返信です.
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南京への道の兵站2
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/26 09:45 投稿番号: [28888 / 29399]
補給用軍需品船舶輸送概見表(昭和十二年十一月二十三日)
糧食(新年用)
480噸
搭載日
十一月二十五〜三十日
揚陸日
十二月八〜十二日
糧食(新年用)
220噸
搭載日
十二月一〜三日
揚陸日
十二月六〜九日(大阪搭載)
糧食(新年用)
370噸
搭載日
十二月一〜三日
揚陸日
十二月六〜九日(広島搭載)
↑此以外に糧秣は十六回以上輸送されている。
又、もち20万瓩、糯米5万瓩が上海派遣軍に、餅12万瓩、糯米3万瓩が丁集団宛に送られている、昭和十二年十二月十五日。
これで食糧不足など起こる理由がない、これが歴史的事実である。
これは メッセージ 28875 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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南京への道の兵站
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/26 09:11 投稿番号: [28887 / 29399]
昭和12年8月16日付
上海派遣軍上陸直後用糧秣
一.軍艦輸送糧秣
軍艦に搭乗派遣せらる部隊に対しては其の兵額に応じ概ね二週間分の糧
食、燃料を海軍に於いて整備し上陸部隊に交付する如く協定しあるに付
受領の上補給用に充当せられたく
二.第一次軍隊輸送船下積み糧秣
第一次に輸送せらるる軍隊輸送船には別紙第二の糧秣中適宜下積として
搭載しあるに付き(船内糧秣残余共)揚陸後は補給用に充当せられ度
尚本件糧秣の処理業務援助の為陸軍糧秣廠より陸軍主計大尉石川廣一を
出張せしめらるるに付き派遣間貴軍に於いて区署し本業務を援助せしめ
られ度
(爾後は8月16日陸支密第313号の通り追送す)
下積糧秣交付区分
品目
乾麺麭
85,000瓩
携帯缶詰
19,000
携帯食塩
15,000
精米
960,000
精麦
250,000
尋常缶詰
94,000
同代用品
94,000
醤油エキス
5,000
醤油
34,000立
味噌
47,000瓩
乾物類
34,000
漬物類
50,000
木炭
120,000
大麦
800,000
干草
330,000
↑糧食の用意はしてあったんだね、これが史実だよ。
以降追送されているからね、糧秣は。
これは メッセージ 28875 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 南京への道(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/26 08:14 投稿番号: [28886 / 29399]
昭和一二、一一、二八 秘 電報 一一、二七 後五、〇一発 八、三〇着 上参三第二六四号 次官 兵站総監宛 上海派遣軍参謀長 陸支密第一七〇〇号及第一七七七号臨命 第五九三号ニ依ル第三次補給弾薬ハ少数 ノモノヲ除ク外到着済逐次揚陸中ナリ、 未到着ハ本日迄ノ調査ニ依レハ手榴弾ニ万二千重擲弾二千七百九二式歩兵砲弾五千 八百野砲榴弾七千十加、榴弾六百、十五加 榴弾二千八百ナルモ差当リ不足ヲ感スルモ ノナシ 三、目下丁集団行ノ弾薬ト当軍ノモノト混在 スルカ如キコトナシ 四、十一月十一日以降ノ射耗断数ハ本月三十日 迄ノ分ヲ一括シテ調査中ナルモ比較 的少数ナリト判断シアリ (終)
↑弾薬の兵站も順調なんだね。
これは メッセージ 28875 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 南京への道(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/26 08:08 投稿番号: [28885 / 29399]
昭和12年10月2日〜昭和12年10月7日
一、勤務ノ名称 陳家行及其東南地区ノ戦闘ニ於ケル輸送並ニ補給業務 二、期間 自昭和十二年十月八日至昭和十二年十月二十二日 三、師団ノ戦況経過ノ概要 別紙ノ如シ 四、連隊行動ノ概要 師団カ速ニ軍所命ノ線ニ進出センカ為ニ鋭意堅陣ヲ突破シツアル時連隊ハ師団ノ要求ニ応シ且師団ノ戦闘力ヲ保持増進セシメ其ノ活動性ヲ保有セシメンカ為ニ連日連夜泥寧ト闘ヒ豪雨ヲ冒シ駄馬ノ欠数ハ臂力ヲ以テ補ヒ或ハ楊行鎮姚家宅太平橋間ノ糧秣輸送或ハ第一線近ク前進シテ直接弾薬糧秣資材ヲ交付ス 時ニ補給点ニ弾薬糧秣ナシ時ハ兵站ニ至リ補充長途悪路豪雨ヲ冒シテ輸送補給ニ任ス 而シテ第一線ノ戦闘資材及糧秣ノ需要急ナル時ニ於テハ輸送モ極メテ迅速ニ行ハサル
↑和田罪の記述とは可成の点に於いて史実は懸け離れているよね。
兵站が順調に行われていたんだね。
これは メッセージ 28875 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 南京への道(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/26 08:06 投稿番号: [28884 / 29399]
第十軍戦闘序列別表 第十軍直轄兵站部隊 第三師団第二兵站司令部 (留守第三師団長) 第五師団第二兵站司令部 (留守第五師団長) 第七師団第二兵站司令部 (第七師団長) 第十六兵站輜重兵隊 第十六兵站輜重兵隊本部 (第七師団長) 第九師団第三部、第四兵站輜重兵中隊(駄) (留守第九師団長) 兵站自動車第三乃至第七中隊 (近衛師団長) 第十軍予備馬廠(三号予備品廠) (第二師団長) 第十軍野戦砲兵廠(二号野戦砲兵廠) (第一師団長) 第十軍野戦工兵廠(一号野戦工兵廠) (第一師団長) 第十軍野戦瓦斯廠(四号野戦瓦斯廠) (第十六師団長) 第十軍野戦衣糧廠(八号野戦衣糧廠) (留守第五師団長) 第十軍
↑兵站部、衣糧廠も機能していたんだね。
これは メッセージ 28875 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 南京への道(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/26 08:04 投稿番号: [28883 / 29399]
昭和十二年十二月自二日至三十一日 南京ニ至ル追撃及江北作戦間行動詳報 兵站自動車第八十一中隊 十二月二日 中作命令第九四号 中隊命令 十二月一日午前九時於楊家浜 一、中隊ハ明二日主力ラ以テ野戦砲兵廠ニ協力カセントス 二、第一小隊(一分隊欠)第二小隊(二分隊欠)ハ午后三時野戦砲兵廠ニ至リ弾薬ヲ積載帰行スヘシ 三、第一、第二小隊ヨリ各一分隊宛ヲ明二日午前九時迄ニ野戦砲兵廠ニ差出シ之ニ協力スヘシ 四、第三小隊ハ車輛ノ手入検査ヲ実施スヘシ 五、修理班ハ現在地ニ在リテ故障車ノ修理ニ任スヘシ 六、予ハ現在地ニ在リ 中隊長福頼中尉 下達法 小隊長、修理班長ヲ集メロ達ス 行動 一、第一小隊(一分隊欠)第二小隊(二分隊欠)
↑自動車兵站部隊が機能していたんだね。
これは メッセージ 28875 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 南京への道(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/26 08:03 投稿番号: [28882 / 29399]
十二月一日 晴 東遷鎮-湖州間行軍 一、午前七時三十分宿営地東遷鎮-呉家兜出発 一路南京ニ向ヒ前進ヲ開始ス 嘉興集結迄連日ノ豪雨ニ輓馬倒シ@濘膝ヲ没スル中ヲ難行軍ニ行軍ヲ続ケタルニ及シ嘉興出発以来比較的快晴ニ悪シ道路モ稍平常ニ復ス 二、午前九時岡田少尉ヨリ報告スル 午前九時第一機団長ト連絡事項報告 1.午前九時第一機団先頭ハ昇山市出発 2.小休止ハ一時間毎ニ十分間 3.大休止ハ十二時二十分ヨリ一時間ノ予定 4.宿営地ニ到着シタラ直チニ宿舎ニヲクコト 5.宿営地ハ窑水橋附近ト報告シテナキマシタ 十二月一日 岡田少尉 大隊長殿 大隊日日命令 十二月一日正午 於昇山市 一、各中隊ハ左記ノ通リ湖州丙兵站支部ニ残置スヘシ
↑兵站は順調なんだね。
これは メッセージ 28875 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 南京への道(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/26 07:09 投稿番号: [28881 / 29399]
前提が全く事実と符合しない所が、和田罪の大嘘つきと言われる所以だね。
これは メッセージ 28875 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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