南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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◆まさに心の病 恥知らずな虐殺肯定者⑥

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/29 20:06 投稿番号: [28963 / 29399]
9.南京が日本軍によって陥落したとき、日本軍兵士たちとともに、多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入った

その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、欧米メディアで”南京大虐殺”を報道した記者はダーディンとスティールのみであった。しかもパネー号誤爆事件やアリソン事件(アリソン米国領事が日本兵によって殴打された事件)よりも小さい扱いだったのである。
「私はアメリカの世論を操るために(中国政府に)雇われたのだ。」
国民党中央宣伝部顧問   ティンパーリーの『WHAT WAR MEANS』
マスコミ報道でなく国民党自身によって南京陥落直後から約300回もの記者会見を行ったが、その中で一度も「南京虐殺があった」とは言っていない。

10.第二次上海事変から勃発したシナ事変は中国側の侵略行為

シナ事変(日中戦争)は中国側の「侵略」行為〜第二次上海事変
我慢に我慢を重ねて我慢の限界を超えてやむを得ず南京攻略に至ったのです。南京に誘い込んだのは蒋介石なのです。シナ伝統の人海戦術というやつです。
『国民党軍機による8月14日の空襲により民間人3000人以上の死傷者が出た事に対し、国民党政府は遺憾の意を表明したが、租界への爆撃、もしくは誤爆はその後も発生した。(中略)日本政府は、国民党軍が上海において日本側に対しての砲撃、さらには日本の軍艦に対しての爆撃まで行ったことから14日夜から緊急閣議を開き、それまで日本側が取ってきた事態の不拡大政策を見直し、8月15日未明、「支那軍膺懲、南京政府の反省を促す」との声明を発表した。』

◆まさに心の病 恥知らずな虐殺肯定者⑤

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/29 19:29 投稿番号: [28962 / 29399]
7.スマイス報告は日本軍による虐殺の証拠にはならない

南京安全区国際委員会の事務局長であったルイス・S・C・スマイスが南京陥落の3ヶ月後に実施した戦争被害調査「スマイス報告」によると南京市街地(城内)での民間人の被害は、暴行による死者が2400、拉致4200(拉致されたものはほとんど死亡したものとしている)、さらに南京周辺部(城外)での暴行による死者が9160、計15,760人が民間人の被害ということでした。これは「30万人」虐殺説には程遠い数字です。
Q)12月7日に中国軍によって城外の建物が焼き払われ近郊の住民は住む所がなくなり、8日に唐生智司令長官は城内のすべての非戦闘員に対し「難民区」に集結するよう布告し、9日には日本軍が飛行機で「勧告文」を城内に散布したのに、それでも南京城外に9160名もの住民たちは降伏勧告回答期限まで残っていたのでしょうか?
Q)戦闘員ですら軍服を脱ぎ捨てて便衣兵となって安全区に隠れていたのに安全区外に6600名、南京城外に9160名も非戦闘員が残っていたのでしょうか?
Q)ラーベら国際安全委員会がいた安全区で日本軍はどうやって非戦闘員を何百人何千人も虐殺したのでしょうか?
Q)何千人、いや何百人であっても民間人が日本軍に虐殺されたというのなら、日本側が管理している安全区の人口がどうして5万人も増えたのだろう。逆に日本軍を恐れて人口が大量に流出・減少するはずではないでしょうか?
A)私個人の見解ですが、南京周辺部の死者9160名も城内の6600人も、ほぼすべてが中国軍による殺人(清野作戦や徴兵徴用、漢奸狩りなど)と見て良いと考えます。
さらに国民党の外交戦略に基づいて故意に歪められた情報であることも指摘されている。
中間派と呼ばれる秦郁彦氏と板倉由明氏は、日本軍による民間人殺害をスマイス報告による死者数の1/2から1/3と非常に大雑把に結論しています。私は彼らに上記の質問をしてみたいのですが、すでに板倉氏は他界なさっていらっしゃいます。

8.捏造・水増しされた埋葬記録

東京裁判にも書証として提出された二つの「埋葬表」によれば、一九三七年十二月から翌年秋にかけて崇善堂という慈善団体が十一万体、紅卍字会という慈善団体が四万体それぞれ埋葬したという。しかし、本当に十五万体もの死体を埋葬したのだろうか。
『紅卍字会の倍以上の埋葬を行ったはずの崇善堂の名はどの記録にも出て来ない。ベイツがまとめた『南京救済安全区委員会報告書』(一九三九年)にも、南京で埋葬活動をしたと記録されているのは紅卍字会だけであった。そもそも崇善堂の活動内容は「施料(衣料給与)・救恤(寡婦の救済)・哺嬰(保育)」であり「埋葬」は含まれていなかった。しかも市来義道編『南京』(一九四一年、南京日本商工会議所発行)によれば、崇善堂は南京陥落の一九三七年十二月から翌年八月まで活動を停止していた。崇善堂が当時、埋葬作業に従事したとする証拠は存在しないのだ。そもそも崇善堂の埋葬表は、事件から九年経った後の一九四六年に作成されたものであって、一九三八年当時作成されたものではなかった。』
捏造されたのは崇善堂だけではない。「紅卍字会」の埋葬数も不自然なところがあり賃金を多くもらいたいばかりに埋葬数を水増し報告してきた可能性が高いのである。
『以上のことから、紅卍字会の埋葬数は一万前後であり、その素性はほとんどが中国軍の戦死者だと推測できる。』紅卍会の埋葬記録(約4万3千体)には女子供は皆無に近い。※

◆まさに心の病 恥知らずな虐殺肯定者④

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/29 19:29 投稿番号: [28961 / 29399]
5.ラーベは日本軍に49人の殺人しか報告していない、日本兵による非合法殺人を安全区委員会のメンバーが全く目撃していない。

『ただの1件も殺人事件を目撃していないラーベが当時、本国のヒトラーに対しては犠牲者数を「5万から6万」、上海のドイツ大使館には「数千」と報告しながら、同時期の1月28日付けの南京のイギリス大使館宛手紙には「南京の25万難民のうちほとんどが、南京市内と近郊で起きた広域にわたる放火のために家を失いました。そして、1家の働き手が連行されたり殺されたりして、赤貧に陥っている家族が数千と言わないまでも、数百あります。」と書いている。(中略)おそらくラーベも中国側の申し立てが単なる噂に過ぎないことを知っていたに違いない。なぜなら安全区の人口が減るどころか増えたことを彼ら自身が一番よくわかっていたからだ。また、何よりもラーベら安全区委員会は69通にも及ぶ日本当局への手紙の中で、ただの一度も「日本軍による民間人大量殺人をやめて欲しい」とは書いていないのだ。(中略)南京にいる日本当局には反論される恐れがあるので、ある程度信憑性のある情報に基づいて“犠牲者49人”という「被害届」を送付した一方、南京にいないジャーナリストやドイツ外交官、ヒトラーには中国人が語る噂話に基づいて数万もの市民が日本軍によって殺害されたかのように報告したのである。(中略)つまり、ハーケンクロイツ(ナチス)の腕章をつければ自由に動き回れたはずのラーベを初めとする欧米の安全区委員会メンバーは誰も、約六週間の間に日本軍兵士が実際に非合法殺人を行った現場を目撃していないのである。』虐殺するどころか疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵の写真も残っています。【写真1】

6.中国側の証言も十分に集まらなかった上、信憑性が著しく低い

『東京裁判に提出された「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」によれば、第二次大戦後、日本の「戦争犯罪」を裁くため連合国が開廷した「東京裁判」に備え、中国国民政府は一九四五年十一月七日「南京敵人罪行調査委員会」を設置し、中国人に南京における日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけた。ところが、日本軍の残虐行為を申告する者が「甚だ少なき」ばかりか、聞き取り調査を行うと唖然として「口を噤みて語らざる者」や虐殺を「否認する者」までいたという。やむなく中国政府は暫定的な報告を一九四六年一月二十日、東京裁判に提出したが、「日本軍による大量虐殺」の証拠は埋葬記録を除けば、魯甦という人物の「目撃証言」ただ一件であった。』たとえ100人の虐殺であっても、安全区に20万の市民が集まっていたのです。証言はたくさん出てくるはずです。

◆まさに心の病 恥知らずな虐殺肯定者③

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/29 19:28 投稿番号: [28960 / 29399]
3.南京城は「防守都市」で無差別爆撃できたが、日本軍は国際安全区にできるだけ被害が及ばないように配慮した。

このことについて国際安全区委員長ジョンラーベは日本軍に感謝状を贈った。
※防守都市とは「地上兵力による占領の企図に対し抵抗しつつある都市をいう」(原爆訴訟東京地裁判決、昭和38年12月7日)砲爆撃における軍事目標主義では、軍事目標および防守都市に対する砲爆撃が認められる。防守都市に対しては無差別攻撃が認められ、無防守都市に対しては軍事目標に対する攻撃が認められる。
日本軍の処置に問題があったとしても、それが無差別攻撃を回避したがために起因し、より少ない不利益であるのなら許容されるべき。
蒋介石はなぜ南京城を防守都市にしたのでしょうか?蒋介石の判断によって南京市民は危機にさらされることになったのです。

4.当時の中国兵の実態「匪賊同然」

現在の中国軍である「人民解放軍」は中国共産党のための軍であり、中国人民を守るための軍では無い。そのことは辛亥革命以降シナ事変当時でも同様で、中国共産党の軍と中国国民党の軍がそれぞれ存在し、シナ大陸での覇権を争っていたのであり、中国人民を守るための軍では無かった。
『ハルビンでは次のような話が信用できるものとして流布していた。すなわち兵士の多くは、いつでも変えられる2種の腕章を持っている。彼らはあるときは、吉林軍すなわち「満州国」軍のしるしをつけ、また他の時には、反吉林軍、すなわち「満州国」軍および日本軍と敵対する中国軍のしるしをつけているというのだ。ここで問題になるのは伝統的な中国兵のあり方である。昔から中国に長いこと居住する欧州各国人の話によると、兵士は圧倒的に下層階級出身者が多かった。彼らは兵士も職業の一つと見なしていた。給料は月に2,3ドルに過ぎず、生計を保つのは難しく、金持ちになるためには戦利品を略奪するのが一番簡単であった。上流社会の中国人は一般に兵士を見下し、自ら軍隊に入ろうとはしなかった。古くからの考えによれば、軍隊に入るのは恥ずかしいことであった。』※2
『それでは実績のある軍に入ったらどんな良い目ができるだろうか。殺し文句はこうである。「一つ町を手に入れたら略奪は思いのまま、女も思いのまま」これが中国人が考える「ロメオとジュリエット」である。これを目当てに新兵さんは鉄砲を担ぐ。鉄砲が「食券」だ。さらに、遅れ気味ではあっても、寝返り防止に数ドルお手当ももらえる。大義名分まであるから言うこと無し。ただし、中身は学生のスローガンと何ら変わらない。お題目は立派でも悪事を働くのには変わりない。』※3
『唐生智は11月28日、外国人記者会見で、中国兵は訓練も足りず規律も良くないので不祥事が起こるかもしれない、無用の外人は退去されたいと警告している。
一方、日本軍は「南京城の攻略及び入城に関する注意事項」を南京城攻略にあたり全軍に示達した。

◆まさに心の病 恥知らずな虐殺肯定者②

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/29 19:28 投稿番号: [28959 / 29399]
2.蒋介石・唐生智は卑劣な戦法を使った。「堅壁清野作戦」「督戦隊」「便衣兵」

『蒋介石は城外の同国人の財産・家屋を焼き尽くして敵に一物も与えないという中国伝統の「堅壁清野作戦」を命令、中国軍は南京城近郊の建物や民家が日本軍に利用されないように、これを徹底的に破壞・焼却した。』※1
さらに中国兵は「便衣兵」となって国際安全区に進入し南京市民に紛れ込んだのです。便衣兵の処刑には裁判が必要だと主張するサヨクが時々居ますが、ハーグ陸戦法規によると便衣兵は交戦資格をもたず、さらに部下の責任を負う指揮官が存在しなかった南京では中国側は誰も交戦資格を持っていなかったので、捕虜としての処遇を受ける資格を持つ兵はいませんでした。停戦交渉をすることも出来なかったので戦闘は継続していたとみなせるのです。第一、安全区に居た20万もの一般市民に紛れ込んだ何千人もの便衣兵を一人一人裁判にかけるのはどれだけの時間と労力がかかるか想像したことがあるのでしょうか?日本側は一般市民を巻き添えにしないように良民証を発行するなどできる限りのことをしていたのです。
『交戦資格を有しないものが軍事行動に従事する場合には、敵に捕らえられた際、捕虜としての待遇は与えられず、戦時重犯罪人としての処罰を受けなければいけない』(田畑茂二郎著「新訂国際法」(下)203ページより)。
便衣兵の処刑に裁判は必要ない
南京督戦隊の跡が見れる動画です。
中国側は「督戦隊」という敵軍から逃げようとする味方を銃殺する非人道的な戦法を使っているにもかかわらず、「日本軍が戦意を喪失した敗残兵を銃殺したのは虐殺だ」と責めることは、果たして中立的な立場からの発言といえるのでしょうか?
兵器を捨てて降伏する者の殺傷は絶対的な禁止事項か?

◆まさに心の病 恥知らずな虐殺肯定者①

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/29 19:27 投稿番号: [28958 / 29399]
南京大虐殺、南京事件について、肯定派は、最低限、何月何日どこで(安全区?城内?城外?)誰が(民間人?中国兵?)誰に(中国兵?日本兵?)何人殺されたのか?
せめてこれくらいは明確にしてほしいものです。
この程度も確定できないのに、何があったと言えるのでしょうか?


『南京大虐殺(南京事件1937年)』とは、日本がシナ(中国)から度重なる挑発を受け、やむをえず宣戦布告の無い戦争をするに至り、当時のシナの首都南京で起きたとされる事件のことです。

いまだに政治カードとしてこの事件を利用している中国共産党は本来刑事訴訟に準ずる立証責任を背負わなければいけませんが、具体的事実(時間や場所、被害者や殺害状況)については全く曖昧なままです。へたに具体的事実を明示してしまうと嘘であることがばれてしまうので曖昧なままにしておいた方が良いのです。曖昧なままでも日本政府は謝罪するのですから。

以下の13のポイントを踏まえて、当時の南京で何があったのか、あなたなりの想像をしてみてください。

1.南京を戦場にしたのは蒋介石、日本軍は降伏勧告をしたが、司令長官の唐生智は勧告を無視して中国兵を置き去りにして逃亡した
『十一月十四・十五日、国民政府は作戦会議を開き、この南京で日本軍と戦うか、それとも南京を放棄して他の場所で戦うかを論議した。席上"南京放棄論"が多数を占めた。同席したドイツ軍事顧問団団長のファルケンハウゼン将軍もこれに賛成したが、蒋介石はあくまでも南京を固守するという防衛方針を決定した。蒋介石は唐生智を南京衞戍司令長官に任命した。トラウトマンによる和平交渉が実らず、停戦合意が成らなかったため、奇しくも安全区委員会が申し入れを行った同じ日である十二月一日、日本軍は南京を攻略することに決定、九日には国際法学者とも協議して作成した「攻略要領」に基づき、「和平開城の勧告文」を飛行機で城内に散布した。国際法に則って“無防備都市”つまり「防守都市に非ず」と宣言して開城すれば攻撃しないと中国側に通告したのである(第二次大戦におけるパリがその例で、これによってパリは破壊を免れた)。しかし、翌十日午後一時の回答期限に至っても何の回答もなかったので、日本軍は総攻撃に踏み切った。南京城外に中国軍が設けた主要な抵抗陣地で激戦が展開され、日本軍は十二日までに郊外の要衝(紫金山・雨花台・工兵学校など)を占領、その日の午後八時には唐司令官は麾下の軍に退却命令を出すとともに、自らも幕僚とともに脱出した(蒋介石は十二月七日早朝、南京を脱出している)。』

バカウヨは心の病気?

投稿者: shoojouji 投稿日時: 2012/12/29 19:19 投稿番号: [28957 / 29399]
現実と妄想の区別がつかなくなってるらしい

南京虐殺記念館や慰安婦記念館に犯罪の証拠が陳列されてる
ちゃんと30万人とか書いてある

まさかこれらが捏造だとでもいうのだろうか?
20万人の慰安婦強制の目撃証言や慰安婦当人の証言がウソだとでも?
ばかばかしい。

僕は日本人であることが恥ずかしい

投稿者: shoojouji 投稿日時: 2012/12/29 19:12 投稿番号: [28956 / 29399]
30万人超の南京虐殺、50万人の慰安婦。
これだけの戦争犯罪したくにはない
しかもその事実を隠蔽する

日本人なんかに生まれたくなかった
あ〜あ。僕は韓国人に生まれたかった。
韓国、中国をはじめ世界中から嫌われてる日本人なんかに生まれたくなかった

Re: 難問 ワダツミと仁多はどっちがバカか

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/29 13:52 投稿番号: [28955 / 29399]
>南京の冬は厳しい。
野外で寒さをしのぐにも限度があるぞ。

そんな寒空で無駄に虐殺なんかする奴もいないということですな。

Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/29 13:51 投稿番号: [28954 / 29399]
>わしの言ってることはキリスト教の基本中の基本のことですな。

で、その手の宗教、特に一神教の基本中の基本中の基本である「自宗教および自宗派意外は埒の外」であることを御理解されていないと。

だからキリストは磔にされたし、その教えを受け継いだとされる連中は世界各地で他宗教他宗派相手に殺し合い弾圧しまくっているし、そのキリスト教を国教またはそれに準ずる国々ではつい最近まで合法的に人種差別をしているのだが。

>そりゃ分派に分かれたり、異教と混ざり合って変化もあるでしょう。

それを嫌って異教どころか異端まで滅ぼしまくったのがキリスト教ですが。

>ユダヤ教において神が人種差別していたことに反発してイエスはキリスト教をつくった。

つまりは民族宗教であるユダヤ教からローマの混乱期のどさくさにまぎれて地域や国家規模の宗教であるキリスト教に衣替えしただけ。

そして根底のところである一神教の最大の問題点である「自宗教および自宗派意外は埒の外」からは逃れらねないのがキリスト教であり、それは近代前の欧州史や十字軍などを見れば極めて常識的な話であるということですな。

>キリスト教の普遍主義は、使徒言行録10章34節のペテロの言葉に典型的に表現されているといわれる。

「神は人を分け隔てなさらない」=「神の教えを理解しないやつは人ではない」というわけですな。
それが十字軍であり魔女狩りであり、キリスト教諸国による人種差別法案ですね。大変よくわかりました。

>初詣は靖国参拝されますのかな?

実家に帰っているので初詣は地元の神社ですませますけど

Re: ■ 資 料 改 竄 疑 惑

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/29 13:50 投稿番号: [28953 / 29399]
昭和十九年 定期叙位 巻六十八 三月一 一、中央航空研究所研究官森田武夫外八名叙位の件 三、一 一 一、内閣統計局統計官補高梨戌外三百十三名叙位の件 陸軍技手福本一郎外一名 海軍監獄看守長大盛利男 裁判所書記上野与助外十五名 東京外国語学校生徒主事補小鹿原新平外二名

↑外国語学校生徒主事が補が受勲を受けて居るよ、君は余程の馬鹿なんだね。

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/29 11:50 投稿番号: [28952 / 29399]
>やっぱり、補給されたのは携帯口糧だったのね。これだけでは何十万人もの兵隊が何ヶ月も戦えなかったわけだね。
食料がなくなれば、やっぱり掠奪、強盗しか方法は無かったという証拠だね。
証明してくれてありがとうね(大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑・・・・・・

↑内容を知らんと君のようなことになる、嘲笑。

もっと勉強して、算数が出来るようになって出直しなさい。

侮蔑しかないね、君には。

Re: ■ 資 料 改 竄 疑 惑

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/29 09:13 投稿番号: [28951 / 29399]
>日中戦争から太平洋戦争にかけて英語は原則禁止された。

↑トンデモナイ、軍の試験には英語、ドイツ語、中国語の試験があったんだよ。

会話が出来て通訳が出来れば、より俸給が多くなった。

試験科目を読んで頂戴ね。

陸軍砲工學校員外學生候補者初審試驗開始日時竝試驗課目ノ件達 昭和12年度陸軍砲工學校員外學生候補者初審試驗ハ昭和12年6月1日ヨリ開始シ其試驗課目ハ別紙ノ通定ム 昭和12年度陸軍砲工學校員外學生候補者初審試驗課目表 歩騎航空輜重兵科尉官 兵器學及射撃學 概ネ陸軍士官學校卒業程度ニ依ル 築城學及測圖學 概ネ陸軍士官學校卒業程度ニ依ル 航空學及交通學 概ネ陸軍士官學校卒業程度ニ依ル 數學 代數、平面三角、平面解析幾何、初等微分積分 概ネ陸軍士官學校卒業程度ニ依ル 物理學 概ネ陸軍士官學校卒業程度ニ依ル 化學 概ネ陸軍士官學校卒業程度ニ依ル 外國語學 概ネ陸軍士官學校卒業程度ニ依ル

Re: 南京への道の兵站4

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/29 09:02 投稿番号: [28950 / 29399]
>携帯食料しかなかったことを証明しているね。
せいぜい、一個連隊が3ヶ月も待たずに消費する糧秣だよね。師団全体なら数週間で食い尽くしてしまう、わずかな量だよね。
馬鹿ウヨは、南京攻略には日本軍が何個連隊が参加したのか、知らないんだね(^O^)

↑計算し頂戴ね、それとも計算を習ったことがないの?

>南京攻撃には20万人もの兵力が投入されたのよ。しかも、上海占領部隊は別にいたのだからね。   これでは、食料は、ぜ〜んぜん足りていなかったってことだね。馬鹿ウヨは、それを証明しただけですわな(笑

↑人数を誤魔化しては駄目だよ、二〇万人は嘘。

南京攻撃は12万人だね。

不足だという計算の根拠を教えて頂戴ね。

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/29 08:27 投稿番号: [28949 / 29399]
>手榴弾・重擲弾・歩兵砲弾・・・・・
食料のことは、どこにも、ひとことも、言ってないわね。だけど、中国人捕虜を大量に虐殺するには十分な弾薬が補充されたことは、ちゃんと証明しているね。
虐殺可能の証拠提示してkれてありがとう、馬鹿ウヨくん   (爆爆爆WWW

↑もう少し資料を読み込むことだね。

所で食糧が無いと虐殺が起こるんだい、其の理由を教えて頂戴ね。

嘲笑

■ 資 料 改 竄 疑 惑

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/28 22:01 投稿番号: [28948 / 29399]
>グリンピース    6.007トン


日中戦争から太平洋戦争にかけて英語は原則禁止された。

「えんどうまめ」という立派な日本語があるにもかかわらず、しかも軍関係の資料に「グリンピース」というのは変だな。

その資料も改竄の疑いあり。



(戦時中、英語から日本語への言い換えの例)

「サイダー」→「噴出水」(ふんしゅっすい)
「フライ」→「洋天」(ようてん)
「キャラメル」→「軍粮精」(ぐんろうせい)
「コロッケ」→「油揚げ肉饅頭」(あぶらあげにくまんじゅう)
「カレーライス」→「辛味入汁掛飯」(からみいりしるかけめし)

Re: 難問 ワダツミと仁多はどっちがバカか

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/28 21:10 投稿番号: [28947 / 29399]
>焼き打ちや堤防を決壊させて中国人民に迷惑をかける中国軍を掃討するまでの一時的な避難なら可能ですな。


一時的にせよ、5万人分のテントや仮設住宅の設置は容易ではあるまい。

南京の冬は厳しい。

野外で寒さをしのぐにも限度があるぞ。

で、一時的とはどのくらいの期間ですかな?

Re: 未だに南京大虐殺を信じている低脳がい

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/28 21:06 投稿番号: [28946 / 29399]
>神父の仕事の一つには異教徒や異端者の改宗もあるのだが。
そもそも欧州以外の地域での布教活動の目的はザビエル神父のような一部例外を除けばスポンサーであるスペインやポルトガルの為に交易(=略奪)と植民地を作るための尖兵ですけど。


わしの言ってることはキリスト教の基本中の基本のことですな。

話をずらしたらいけませんな。

そりゃ分派に分かれたり、異教と混ざり合って変化もあるでしょう。

ユダヤ教において神が人種差別していたことに反発してイエスはキリスト教をつくった。

キリスト教の普遍主義は、使徒言行録10章34節のペテロの言葉に典型的に表現されているといわれる。

ところでルガルガ君は、

初詣は靖国参拝されますのかな?

資料改竄の疑い

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/28 20:26 投稿番号: [28945 / 29399]
>グリンピース    6.007トン


日中戦争から太平洋戦争にかけて英語は原則禁止された。

「えんどうまめ」という立派な日本語があるにもかかわらず、しかも軍関係の資料に「グリンピース」というのは変だな。

その資料も改竄の疑いあり。



(英語から日本語への言い換えの例)

「サイダー」→「噴出水」(ふんしゅっすい)
「フライ」→「洋天」(ようてん)
「キャラメル」→「軍粮精」(ぐんろうせい)
「コロッケ」→「油揚げ肉饅頭」(あぶらあげにくまんじゅう)
「カレーライス」→「辛味入汁掛飯」(からみいりしるかけめし)

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2012/12/28 20:25 投稿番号: [28944 / 29399]
>携帯口糧甲と乙があるんだよ、脳死君。

やっぱり、補給されたのは携帯口糧だったのね。これだけでは何十万人もの兵隊が何ヶ月も戦えなかったわけだね。
食料がなくなれば、やっぱり掠奪、強盗しか方法は無かったという証拠だね。
証明してくれてありがとうね(大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑   大爆笑・・・・・・

Re: 南京への道の兵站4

投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2012/12/28 20:18 投稿番号: [28943 / 29399]
携帯食料しかなかったことを証明しているね。
せいぜい、一個連隊が3ヶ月も待たずに消費する糧秣だよね。師団全体なら数週間で食い尽くしてしまう、わずかな量だよね。
馬鹿ウヨは、南京攻略には日本軍が何個連隊が参加したのか、知らないんだね(^O^)
南京攻撃には20万人もの兵力が投入されたのよ。しかも、上海占領部隊は別にいたのだからね。   これでは、食料は、ぜ〜んぜん足りていなかったってことだね。馬鹿ウヨは、それを証明しただけですわな(笑

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2012/12/28 20:00 投稿番号: [28942 / 29399]
>手榴弾二萬七千、重擲弾二千七百、九二式歩兵砲弾五千八百、野砲榴弾七千、十加榴弾六百十五加榴弾二千八百なるも差し当たり不足を感ずるものなし

手榴弾・重擲弾・歩兵砲弾・・・・・
食料のことは、どこにも、ひとことも、言ってないわね。だけど、中国人捕虜を大量に虐殺するには十分な弾薬が補充されたことは、ちゃんと証明しているね。
虐殺可能の証拠提示してkれてありがとう、馬鹿ウヨくん   (爆爆爆WWW

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/28 13:33 投稿番号: [28941 / 29399]
揚陸された食糧で何人が何日喰えたかの計算は出来るでしょ、脳死君。

出来なかったら過不足のお話しは出来ないんじゃないの、脳死君。

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/28 13:31 投稿番号: [28940 / 29399]
昭和十二年十一月二十三日

補給軍需品船舶輸送概見表

糧食品(新年用)   220噸   搭載日   12/1日   搭載地   大阪   陸揚   12月6〜9日   揚陸地   上海松井集団の指示する地   受領部隊   丁集団野戦衣糧廠

↑チャンと食糧は届いているよね、脳死君。

丁集団の隷下部隊には以下のものがあるが、食糧が不足したという記録は無い、脳死君。

第6師団
第18師団
第114師団 - 2月10日に北支那方面軍に転出
国崎支隊 - 第5師団歩兵第9旅団(旅団長国崎登少将)で構成 歩兵第41連隊
独立山砲兵第3連隊

野戦重砲兵第6旅団

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/12/28 13:10 投稿番号: [28939 / 29399]
だから、陸揚げされた食糧で全兵士が何日食えたんだいと聞いている。

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/28 12:51 投稿番号: [28938 / 29399]
糧食量を知らんないんだね、脳死君。

チャンと御勉強しなさい、携帯口糧甲と乙があるんだよ、脳死君。

量もチャンと決まっているんだよ、脳死君。

不勉強で口出すな、脳死君。

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/12/28 11:10 投稿番号: [28937 / 29399]
おまえさあ、食糧が何百トンとか書いてあっても、その何百トンとかで兵士全員が
何日間食っていけるのかが書いてなければ意味ねえだろ。北朝鮮の報告書に穀物の
収穫が何万トンとか書いてあっても、それだけじゃ国民が飢えているのかどうかの
判断材料にならんのと同じでね(藁

あと、上海に陸揚げされた食糧は上海戦だけを想定したもので、その後に松井大将らが
勝手に南京追撃を開始した後のことは全然想定していないわけだな。つーか、太平洋の
島と違って、中国大陸では最初から食糧の略奪を前提としてやってるわけだ。

第十軍が陸軍次官宛に送付した一九三八年一一月一八日付「丁集団総合報告」。
「丁集団作戦地域は地方物資特に米、野菜、肉類は全く糧を敵に依るを得たり」
上海派遣軍の第九師団参謀部「第九師団作戦経過の概要」。
「軍補給点の推進は師団の追撃前進に追随するを得ずして、上海付近より南京に至る
約百里の間、殆ど糧秣の補給を受くることなく殆ど現地物資のみに依り追撃を敢行」

味方の兵士も略奪せねば食えないんだから、当然敵の捕虜に食わせる食糧なんぞないわな(藁

ところで、弾薬は十分だったとおまえは言うのだから、当然捕虜を殺すに十分な弾薬が
あったということでいいんだな(藁

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/28 09:21 投稿番号: [28936 / 29399]
序でに弾薬の件だけどね。

昭和十二年十一月二十八日

次官兵站総監宛     上海派遣軍参謀

一.陸支密第一七〇〇号及び第一七七七号臨命第五九三号に依る第三次補給弾薬は少数のものを除くの外到着済逐次揚陸中なり未到着分は本日の調査に依れば手榴弾二萬七千、重擲弾二千七百、九二式歩兵砲弾五千八百、野砲榴弾七千、十加榴弾六百十五加榴弾二千八百なるも差し当たり不足を感ずるものなし

以下省略

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/28 09:15 投稿番号: [28935 / 29399]
俘虜の食糧のことを考えるんだね、君は。

優しいことだね。

中国兵は、戦闘用の食糧を持って居なかったのかい?

それとも中国兵は日本軍の食糧欲しさに俘虜になったのかい?

脳味噌は生きている内に使うことだよ。

Re: 南京への道の兵站4

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/28 09:02 投稿番号: [28934 / 29399]
>兵站っていうのは食糧だけのことじゃないのよ(嘲笑)
食糧が十分足りていた照明にはならないね(爆笑))

↑食糧がなっかた証明が出来なよね、君には。食糧は略毎日追送されているよね。

次官兵站総監宛    上海派遣軍参謀長   昭和十二年十一月二十八日

陸支密第一七〇〇号及び一七七七号命令第五九三号に依る第三次補給弾薬は少数のものを除くの外到着済逐次揚陸中なり

昭和十二年十一月二十七日

第十六時追加糧秣第二回分

精米       368.280トン
精麦       120.000トン
鰹味付け缶詰    27.014トン
携帯食塩       7.000トン
楼海老野菜煮缶詰10.416トン
同         15.120トン
魚園野菜煮缶詰   17.744トン
昆布海苔缶詰    22.266トン
雑魚野菜煮缶詰   22.552トン
鯨角煮缶詰     38.400トン
醤油エキス      5.508トン

二回分   十一月二十八日

乾麺麭      69.000トン
携帯缶詰肉    10.500トン
携帯食塩      1.404トン
精米      200.000トン
精麦       28.000トン
牛肉味付缶詰   10.080トン
鯨大和煮缶詰    5.011トン
貝柱味付缶詰    7.040トン
味の花      10.000トン
鰯味付缶詰     3.499トン
醤油エキス     1.309トン
醤油       16.000トン
味噌        7.504トン
乾物↓
昆布巻       2.000トン
グリンピース    6.007トン
焼松茸缶詰     3.024トン
生野菜↓
蓮根        4.000トン
馬鈴薯      12.000トン
玉葱       20.000トン
甘藷       10.000トン
漬物↓
福神漬缶詰     7.840トン

味の母       6.688トン
茶         1.008トン

Re: 南京への道の兵站3

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/28 08:35 投稿番号: [28933 / 29399]
>上陸した時はたった5日分しか携帯していなかったのねw
これで何ヶ月も戦うのは無理だわな。

↑兵隊が携行出来る量を知っているの、馬鹿だね君は。

君などは、一年分とか携行するんだろうね。

Re: 南京への道の兵站5

投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2012/12/28 07:24 投稿番号: [28932 / 29399]
>十二月十二〜十三日頃食糧も弾薬も十分にあったんだね、師団(第十三師団)には。

どこをどう見ても『十分あった』とは書いてないね。補給量が何人分かとか、何日分かも書いてないよね。
それに、敵の捕虜の食料確保については、まったく触れらていないよね。これでは、食料が足りてたってのはぜんぜん証明にならないわ(大笑)

Re: 南京への道の兵站4

投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2012/12/28 07:09 投稿番号: [28931 / 29399]
>↑兵站は順調に行われていたんだね、これを知らんのは中国軍くらいなものだろうね

兵站っていうのは食糧だけのことじゃないのよ(嘲笑)
食糧が十分足りていた照明にはならないね(爆笑))

Re: 南京への道の兵站3

投稿者: tyankonabejp 投稿日時: 2012/12/28 07:07 投稿番号: [28930 / 29399]
>糧秣   上陸部隊には五日分の糧秣を携行上陸せしむ

上陸した時はたった5日分しか携帯していなかったのねw
これで何ヶ月も戦うのは無理だわな。

◆世界一厳正だった日本軍の軍紀

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/28 03:37 投稿番号: [28928 / 29399]
日本軍の軍紀に就いては、北清事変(義和団事件)当時にも欧米列強から賞賛され、各国軍隊の模範とされたことがあるが、かつて我々が中国戦線を征ったとき、その先々で中国民衆から熱烈歓迎を受けたのも、それは故なきことではない。

そんなことを知ってか知らずか、いわゆる戦後の進歩的文化人と称する売国奴どもは、日本軍の残虐行為なるものを捏造して、繰り返し繰り返し己の母国を罵倒しつづけているが、外国人(台湾)の評論家黄文雄氏は、次のように正鵠を射た卓見を述べている。

黄文雄氏の言によれば、事実は全く正反対で、日本軍はいつでもどこでも軍律厳しく、しかも人間性豊かであった。それに対して中国軍は残忍極まりない武装集団で、今なお彼らは自国民に対する飽くなき収奪と虐殺を繰り返している。それは中国四千年の動乱の歴史の連続であり、伝統ともいうべき不幸な現実である。

日本軍は日清戦争(1904〜1905)以来大東亜戦争(1941〜1945)に至るまで、変わることなく軍紀厳正であった。中国民衆にとって、いつ襲って来るかわからない自国の暴徒の如き武装集団に比べ、軍紀厳正な日本軍を信じ熱烈歓迎するのは当然のことで、決して日本軍に阿(おも)ねたり恐れてのことではなかったのである。

フランスの国際法学者フォーシーユは、日本軍を賛えて次のように語っている。「日中戦争で日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り、日本軍人であることに誇りを持っていた。中国兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で、例えば中国軍の捕虜になると、四肢を斬り分けられ、生きながらに火炙(あぶ)りにされたり、磔(はりつけ)にされたりしたのである。更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている。即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、或は男根を切り落し、胸部を切り開いて石を詰め込み、首は両耳を穿って紐や針金を通し、さながら魚を串刺しにしたように口から喉に紐を通して持ち運びする等々、それが中国軍の戦争様式であり、日本軍には絶対に見ることのできない支那の戦争文化である」と。

フランスのフィガロ紙の従軍記者カレスコート・イリュスト、ラシオン紙の記者ラロ、両氏の『日本軍戦闘観戦記』によれば、

「日本軍隊は世界に対して誇るに足る名誉を有する。吾らは日本軍の如き慈愛心の富める軍隊を、この地球上広大なりといえども他に発見し得るか怪しむものなり」

と絶賛し、中国軍の暴虐蛮行については次のように記している。

「ひるがえって中国軍を見よ。日本兵のひとたび彼らの手に落つるや、あらゆる残虐の刑罰をもってこれを苦しむるなり。その残虐非情なる行為は、正に野蛮人にあらざれば為し得ざるものなり。然るに日本軍は、これあるにもかかわらず、暴に報ゆるに徳をもってす。さすがに東洋の君主国に愧じずというべし。」

北清事変(義和団事件)において、当時従軍した日本軍の軍紀が欧米列強の評判となり、賞賛されたことは冒頭に述べたが、その事実の証として次のような事があった。

天津落城の際天津市民は、「大日本順民」と書いて日章旗を掲げて日本軍に感謝の意を表明した。

また北京落城後、列強連合軍は北京市内を国別に分割管理したのであるが、その時ロシア軍管区では、軍紀が乱れてロシア兵が暴徒と化し、虐殺、放火、強姦など暴行の限りを尽し、そのため市民は難を逃れて日本軍管区へ洪水の如くに押し寄せた。たまりかねた北京市長は、その暴状を英国公使マクドナルドに訴え、ロシア管区を日本管区に替えるよう嘆願したという。

これらの事実は、ウッドハウス・映子の『北京燃ゆ』やジョージ・リンチの『文明の戦争』等に記述されている。およそ戦争の形態とか様式などというものは、その国々の文化様式でもある。武士道社会の伝統を受け継いだ日本軍は、近代戦の戦場に於ても武士道精神を発揮し、軍律厳しく整然と戦ったのである。

そして日本政府は、在日中国人に対しては戦時中と雖も国際法を守り、彼らの生命財産を守ったのであるが、在中国の日本人居留民は、日中間に紛争が起こるたびに虐殺、掠奪、暴行を受けつづけたことは、日清戦争以来枚挙にいとまがない事実である。

さて、これらの事例は、外国人の見聞記であるところに大きな意味と価値がある。日本人の自画自賛では決してないのである。日清戦争から大東亜戦争に至る聖なる戦いを、日本人でありながら臆面もなく、総て侵略戦争なりと言い切る「似て非なる日本人」よ、もって如何となすや。

◆中国軍による残虐行為多発の背景③

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/28 02:01 投稿番号: [28927 / 29399]
南京攻略した日本軍の先兵の記述によると、国民党軍は戦闘を放棄し、南京市内で略奪の限りを尽くす中国兵士たち。

当時の中国軍には、「占領されるくらいなら何もかも破壊してしまえ」との考えがあったそうで、南京以外にも日本軍が攻め込む前に村ごと焼き払って敗走した事が何度もあった。

南京市民から略奪した後は、国民党軍の殆どが敗走し、一部が奪い取った衣服を身にまとい国際法に抵触する便衣兵となって、日本軍が占領したあとも散発的なゲリラ行為を続けてたそうです。

こうして、便衣兵を処分したのですが、それも武装解除してから市街追放する程度で、当時の「処分」=「処刑」とは違うわけです。

勿論抵抗した便衣兵やそれに疑われた人物がその場で射殺されたこともあるでしょうが、南京での死亡者の殆どがこの類であり、その数は決して多くはなかったのです。(抵抗する捕虜や便衣兵の殺害は戦場においては正当なる行為です)

当時の記録でも日本軍が南京を占領してから数万単位で人口が増加してる事実。

非常に危険だった中国大陸においては、国民党軍が治めてる地域よりも日本軍が治めている南京の方が安全と判断したからこその人口増なんですよね。


  追記

日本軍が攻めてくるというのに、これから攻められる南京城に逃げ込む馬鹿がどこにいるというのでしょうか。

安全な山や草の生い茂った野原に逃げ込んで身を隠すに決まっているでしょう。

国民党軍にしても共産軍にしてもゲリラ戦術を取っていたんですから真正面から戦闘を挑んでくる訳がないのです。

南京市の人口20万人の中の中国軍のほとんどが我さきに逃げ出して、南京城はほとんど空っぽだったと考えるのが当然だし、それが歴史の真実だったでしょう。

石井松根大将らの南京入場の映像からもそれは伺い知ることが出来るのです。

そして日本軍が撤退した3ヶ月後に、人口が25万人へと5万人も増えたのは周辺の町から南京城へ避難した人たちによって膨らんだからに違いないのです。

何故ならば、安全区以外にいる一般中国市民は、日本のスパイとみなされて共産軍によって虐殺されるかもしれないからです。

◆中国軍による残虐行為多発の背景②

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/28 02:00 投稿番号: [28926 / 29399]
南京が日本軍によって陥落したとき、日本軍兵士たちとともに、多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入りました。その総勢は100人以上。また日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど、欧米の記者たちもいました。しかし、その中の誰一人として「30万人の大虐殺」を報じていません。
  アメリカのパラマウント・ニュースも、南京占領の記録映画をつくっていますが、その中に「30万人大虐殺」は報じられていません。また当時、中国で「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」というイギリス系の英字新聞が発行されていましたが、たとえば1937年12月24日(南京陥落の11日後)の紙面をみると、日本軍が南京市民に食糧などを配って市民が喜んでいる光景が、写真入りで報道されています。
南京占領後、安全区のリーダーであったドイツ人、ジョン・ラーベは、「日本軍が安全区を攻撃しなかったことを深く感謝いたします」との感謝状を松井大将に手渡しています。

南京に便衣兵は居た
南京の城壁内で、ニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者は、「軍服を一斉に脱ぎ捨てる中国兵たち」に出くわしています。
  「私は一部隊全員が軍服を脱ぐのを目撃したが、それは滑稽といってよいほどの光景であった。多くの兵士は下関へ向かって進む途中で軍服を脱いだ。小路に走りこんで便衣(民間人の普通の服)に着替えてくる者もあった。中には素っ裸になって一般市民の衣服をはぎ取っている兵士もいた」(ニューヨーク・タイムズ   1937年12月22日付)
また南京陥落後、南京城壁内へ入った日本兵たちもみな、この「脱ぎ捨てられた中国兵の軍服」が街路の至るところに散乱しているのを目撃しています。彼ら中国兵は、民間人になりすますために、軍服を脱ぎ捨て、民間人の服に着替えたのです。民間人の服を盗む者もいれば、民間人を撃ち殺して衣服をはぎ取る者も多くいました(南京のジェームズ・エスピー副領事の報告)。

中国軍が自ら村や農村に火をつけた
アメリカのティルマン・ダーディン記者は、南京で日本軍を迎え撃つ中国軍の様子を、こう書いています。「中国軍による焼き払いの狂宴(12月7日以降)…南京へ向けて15マイルにわたる農村地区では、ほとんどすべての建物に火がつけられた。村ぐるみ焼き払われたのである。中山陵園内の兵舎・邸宅や、近代化学戦学校、農業研究実験室、警察学校、その他多数の施設が灰塵に帰した。…この中国軍による焼き払いによる物質的損害を計算すれば、優に2000万ドルから3000万ドルにのぼった。これは、南京攻略に先立って何ヶ月間も行われた日本軍の空襲による損害よりも大きい」(ニューヨークタイムズ)。

◆中国軍による残虐行為多発の背景①

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/28 01:59 投稿番号: [28925 / 29399]
実は日本軍が南京に入る前から市内には多数の死体が存在していた。十一月二十九日の様子を、ドイツのリリー・アベック記者はこう記している。

「もはやどこに行っても、規律の解体と無秩序が支配していた。南京駅に二千人の負傷者を乗せた汽車が到着したが、誰も見向きもしなかった。看護兵も付き添っていなかった。負傷兵たちは二日間も放置された後、その二日間に死んだ者と一緒に降ろされ、駅のホームに並べられた。死骸が空気を汚染し、悪臭を放った」

十二月七日、中国軍は南京周辺を徹底的に焼き払い、焼け出された市民が難民となって城内に流入、商品流通が麻痺し食料難が加速、一部では暴動が起こった。中国軍は治安維持のため少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺した。
十日頃には完全な無政府状能心に陥り、統制を失った中国兵たちによる掠奪が横行した。在南京アメリカ大使館のエスピー副領事は、陥落直前の南京の様子を漢口のアメリカ大使館にこう報告している。

「日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって市民と財産に村する侵犯が行われたのであった。気も狂わんばかりになった中国兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件をたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った」

南京にはたくさんの死体があった。それも平服の死体があった。

◆反対尋問に耐えられない証言ばかり

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/28 01:57 投稿番号: [28924 / 29399]
中国政府は、中国国民党が戦後、多大の苦労をしてようやく集めた十一件
の証言によって「十九万人が集団殺戮された」と主張している。

  しかし、その計算の仕方は杜撰極まりない。どこそこでAという中国人
が、日本軍が何万もの中国人を集団殺害しているのを目撃したというよう
な《十一件》の証言の犠牲者数を単純に合計して十九万人という数字を主
張しているに過ぎないのである。

  しかも、この十九万に関して『資料選輯』は「集団殺戮に会い、死体を焼
かれて痕跡をとどめなかった者は十九万以上に達」したと主張し、死体なき
殺人事件だと言い張るのである。
数名ならともかく、十九万人もの死体が跡形もなく消えたと言われて、誰が
信じることができるだろうか。

  実はこれら十一件の証言は、事件から八年も経った後に集められたもので
あり、反対尋問も受けていない。その内容も合理性を著しく欠く。
何故なら、これらの証言を信じれば、陥落直後の十二月十四日から十八日ま
でのたった五日間に、一日平均三万八千人もの中国人が、約千六百人の日本
軍歩兵第七連帯第一、第二大隊(その多くは治安維持や警備を担当していた)
の手によって安全区及びその付近において殺害され、十九万もの死体はすべ
て石油などで焼かれて痕跡をとどめなかったことになるからである。

  大量殺害施設として名高いナチスのアウシュヴィッツでさえ、殺害数は一
日平均約七百十人であった。一日平均三万八千人も殺害するためには、アウ
シュヴィッツ並の施設が五十三箇所も必要となる。もちろんそんな施設はな
かった。

  では十一件の証言はどのようなものか。〈起訴状〉にその内の一件、「魯
甦」の証言に基づいて次のように書かれている。

  日本軍は十二月十八日、南京城北の草鞋狭で捕虜と老若男女の避難民を含
めた五万七千余人を一ヵ所に集めて、まず機関銃で掃射し、さらに生きてい
る人を銃剣で刺殺し、その上にガソリンをまいて焼いた。おなじような大規
模な虐殺は南京陥落後の一週間のうち数件おこなわれた。

  東京裁判にも証言を提出した「魯甦」によると、日本軍は、近郊の村に包
囲・拘禁していた五万七千四百十八名もの難民と兵士を十二月十六日夜、ワ
イヤーロープで二人ずつ括り、四列に並べて下関・草鞋峡まで追い立て、機
関銃で掃射しつくした後、さらに銃剣でやたらめったら突き刺し、最後に石
油をかけ、火をつけて焼き、残った人骨をことごとく揚子江の中に投げ入れ
た。この一部始終を、南京城内の「市街戦」に際して「砲弾」を受け「腿」
に負傷し上元門大芽洞に避難した証言者が「目の前で」目撃したという。

  この〈証人〉が法廷に出廷していたならば当然、次のような〈反対尋問〉
を受けただろう。
 
  一、証人は闇夜の中でいったいどうやって五万七千四百十八名もの犠牲者
を一桁まで正確に数えることができたのか。
 
  二、日本兵が要所を固めている城内から城外の下関までの道を、証人はど
のようにして通って、殺害現場を目撃できる場所に行けたのか。

  三、六万人近い中国人をワイヤーロープで縛り上げるのに日本兵は何人く
らいおり、どれくらいの時間を要したか。中国人はおとなしく縛られたの
か。
 
  四、六万人もの中国人を殺害現場まで押送するのに、警護の日本兵は何人いたのか。
 
  五、六万体もの死体が骨になるまでにどのくらいの時間がかかったのか。
また六万体もの人骨を揚子江に流すために、どのくらいの日本兵がどのくら
いの時間をかけたのか。
 
  更に、数時間にわたる機銃掃射の音が夜間に下関で鳴り響けば、安全区に
いた安全区委員会のメンバーなど誰かが気づいたはずだが、他に傍証は存在
するのか。
この疑問に、本〈証人〉を採用した告発側は、答えねばならない(安全区委員
会の記録には、この時期に日本軍によって殺された中国人の数は十四人と記
録されている)。

  こうした〈反対尋問〉を想定すれば、この証言に証拠としての立証能力を
認めるのはほとんど不可能だ。中国側が懸命に集めて、ようやく採用した証
言でさえ、かくもいい加減なのである。ほかも推して知るべしであろう。
「十九万人殺害」の根拠たる中国側証言に〈証明力〉はもとより〈証拠能
力〉すらない。

◆集まらなかった中国側証言

投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/28 01:56 投稿番号: [28923 / 29399]
東京裁判に提出された「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」によ
れば、第二次大戦後、日本の「戦争犯罪」を裁くため連合国が開廷し
た「東京裁判」に備え、中国国民政府は一九四五年十一月七日「南京敵
人罪行調査委員会」を設置し、中国人に南京における日本軍の犯罪を
申告するよう呼びかけた。   ところが、日本軍の残虐行為を申告する
者が「甚だ少なき」ばかりか、聞き取り調査を行うと唖然として「口
を噤みて語らざる者」や虐殺を「否認する者」までいたという。やむ
なく中国政府は暫定的な報告を一九四六年一月二十日、東京裁判に提
出したが、「日本軍による大量虐殺」の証拠は埋葬記録を除けば、魯甦
という人物の「目撃証言」ただ一件であった。

  その後も調査を進め、ようやく「五百件の調査事実」を発掘したが、
「資料を獲得する毎々一々これを審査」した結果、新規に採用できたの
は僅か四件であった。ともかく「魯甦」証言と、慈善団体である「崇善堂」
と「紅卍字会」の二つの埋葬表と新規四件の証拠、計七件の証拠に基づい
て「被殺害者確数三十四万人」という結論を出し、一九四六年二月に東京
裁判所へ提出した(速記録第五十八号)。しかし《七件》の犠牲者数を
単純に積算しても《二十二万八千人》にしかならず、結論の《三十四万》
と大きく食い違っている。

  その食い違いを東京裁判の国際検察局から指摘されたのだろう。
『資料選輯』によれば、中国国民政府は「極東法廷証拠法の要求するとこ
ろに合致させるため」、東京裁判開廷から二ヶ月後の一九四六年七月一日
から十一月十一日まで約五ヵ月間にわたって再調査を実施した。
その結果、「確かな証拠にもとづいて出廷し証言した者は二千七百八十四
件分、その中でも被害状況が重い被害者で出廷し証言し得た者は十一
件分」あったという(この内、三件は東京裁判に提出済み)。ともかく二つ
の埋葬表と、この十一の証言とによって、ようやく犠牲者数は三十四万と
なった。

  以上のような経緯から、次の二つの真相が浮かび上がってくる。

一、八年前のこととはいえ、南京には当時、二十万人以上の中国人が住んでいた。
にもかかわらず、当時の中国人は、敗戦国となった日本軍の犯罪を告発する
のに消極的であったり否定的であり、かつ信憑性のある証言をする者もほと
んどいなかった。
 
二、東京裁判に提出した証拠だけでは「犠牲者三十四万人」を立証できな
かったため、東京裁判中も中国側は証言集めに奔走した。言い換えれば、
中国側は証拠も揃わない内から予め犠牲者を「三十四万」以上と決めてい
たとの疑念を生じるのを禁じ得ない。
 
  「大漢和辞典」によれば、中国では「白髪三千丈」などというように、
「三千」には「大変多い」という意味がある。南京ではその百倍もの犠牲
者が出たとする中国側の一方的な発想によって、あくまで政治的に決定し
た数字だったのではないか。
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