南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/27 22:46 投稿番号: [26649 / 29399]
>日本軍にジープがあったのかい、初耳というより驚くばかりだよね、嘘吐く君。

わしもあまり知らんが、軍用車のことをジープと呼んでいたのかもしれませんな。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/27 22:42 投稿番号: [26648 / 29399]
>看護婦に直ぐ成れないことは、台湾女性は百も承知だよ、何故なら日本人の教育を受けていたからね、

そういうことを知らん女子生徒もおられたかもしれませんぞ。

当時の日本は貧しかったですから。

わしも家の手伝いばかりさせられて、ろくに学校にも通わせてもらえませんでしたな。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/27 16:29 投稿番号: [26647 / 29399]
日本軍にジープがあったのかい、初耳というより驚くばかりだよね、嘘吐く君。


日本語で証言した鄭陳桃さん(84)。一九四二年六月四日、高等女学校への通学途中、いつものように派出所の前を通ると、日本人の警察に呼び止められました。「ジープで学校に送ってやる」。警察を恐れていた鄭さんは断ることもできずに乗りました。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/27 16:22 投稿番号: [26646 / 29399]
看護婦に直ぐ成れないことは、台湾女性は百も承知だよ、何故なら日本人の教育を受けていたからね、内地と同じように、可なりの高等教育だよ小学校もね、嘘吐きが好きなんだね同類だから、嘘吐く君。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/27 16:20 投稿番号: [26645 / 29399]
兵隊にご飯を作ったり、裁縫をして遣る様なお仕事は無いことは、台湾の女性も百も承知だよ、何故なら台湾人の兵がチャンと居るんのだからね、嘘吐きばかりだね。

Re: 台湾人慰安婦の証言

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/27 14:47 投稿番号: [26644 / 29399]
- QUOTE -

戦前、日本の植民地下にあった台湾から阿媽(あま=おばあさん)六人が来日し、(2007年)六月二十八日、東京都内で証言しました。

養母と茶摘みをして生計を立てていた盧満妹さん(80)は、「十七歳のとき、看護婦にならないかとだまされて中国の海南島へ連れて行かれた」。台湾より給料がいいともいわれました。

盧さんは日本兵の相手をさせられ、妊娠。八カ月の身重になるまで解放されませんでした。台湾に帰り、男の子を出産しましたが、マラリアにかかり、三十八日目に子どもは亡くなりました。

「十七歳だった私が本当に自分の意思で行ったのでしょうか」と盧さんは訴えます。

日本語で証言した鄭陳桃さん(84)。一九四二年六月四日、高等女学校への通学途中、いつものように派出所の前を通ると、日本人の警察に呼び止められました。「ジープで学校に送ってやる」。警察を恐れていた鄭さんは断ることもできずに乗りました。

ジープは学校の前を通り抜けました。着いた先は小さな旅館。「魏」という姓の夫婦に引き渡されました。ほかに二十余人の若い女性がいました。

翌日、高雄のふ頭から「アサヒマル」という軍艦でインド洋のアンダマン島へ。一年二カ月後には、サイパン島へ連行されました。鄭さんも妊娠しました。

陳樺さん(82)はフィリピンで看護助手を募集しているといわれました。「ナカムラ」という日本人が養父に出国の同意を執拗(しつよう)に迫りました。養父が断ると、「多くの看護婦が死を恐れずに戦地に赴いた。陳家も国のため、兵士のため、何かすべきだ」と繰り返しました。養父は同意せざるを得なくなりました。

フィリピンのセブ島に着き、「慰安婦」として来たことを初めて聞きました。「(連行された大きな建物が)慰安所とわかり、一緒に来た子たちと泣いた」といいます。

黄呉秀妹さん(89)は四〇年から約一年、中国広東省で被害を受けました。「具合が悪くても拒否すれば刀を取り出し、脅迫した。私は子どもを産めない体になった。いまも体がボロボロです。安倍首相は私たちの悲劇をご存じでしょうか。日本政府に謝罪してほしい」

- UNQUUOTE -

台湾人慰安婦の証言

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/27 14:38 投稿番号: [26643 / 29399]
- QUOTE -

そのとき、わたしの婚約者は日本の兵隊にとられて、南方へ行っていました。わたしは家でお父さんの仕事を手伝っていました。そうしたら日本人の警察が呼びに来て、仕事があるから来なさいって言いました。

兵隊にご飯をつくったり、破れた着物を縫ったりする仕事だと。行きたくないと思ったけれど、警察の人が、いまは戦争で男も女も国家総動員法だから来なくてはいけないと言うので、働きに行くことにしました。

日本兵がたくさんいました。わたしのほかに女の人も何名かいました。わたしたちは朝起きたら顔を洗って、ご飯をつくって兵隊に食べさせ、それから洗濯して、破れた着物を縫いました。そうしたら、夜になって呼ばれて、部屋に入れられて…、悪い仕事でした。

泣いてばかり。昼間は着物を縫って、洗濯して、この仕事は楽でした。でも夜は死んだ。死んでるんです、死んでいる気なんです。逃げたいけれど道がわからない。それに門のところに兵隊が立っているから、逃げたら鉄砲で撃たれるでしょう。

子どもだったんですよ、なにもわからなかった。妊娠したこともわからない。食べ物を食べても吐くから、一緒にいた女の人に妊娠しているよと言われました。二ヶ月で流産しました。今でも涙が出ますよ。あぁ…あんたにこんな悪い話を聞かせて、すみませんね。

婚約者はもう死んだと思っていたけれど、戦争のあと長い間して突然帰ってきました。それから結婚しました。でも主人にもずっと言わなかった。誰にも何も言わなかった。言えないですよ。

50年たってから、ほかにもわたしと同じ人がいることがわかって、わたしも黙っておれなくなって、がまんできなくなって、主人に話しました。許してくださいといって頭を下げた。

主人はびっくりして、自分も戦争で苦しかった、あんたも苦しい目に遭っていたんだねと言いました。でもしようがない、これは戦争だからといって許してくれました。

それまでずっと、主人がこれを聞いたら、わかったらどうするかと思うと、心が怖かった。そのことばかり考えていました。でも主人に話して、気持ちが明らかになりました。

いまは主人とふたりで暮らしています。ひざや体が痛くて畑の仕事もうできないから、野菜を少しつくって、こうして束にして売りに行っています。年寄りだから米も少ししか食べないから、それで足りるでしょ。お金ないから、生活はとても苦しい。

- UNQUOTE -

破綻しているのは

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/26 01:02 投稿番号: [26642 / 29399]
言語能力か読解能力だと思うのだがな。

>それは左記のように

日韓請求権並びに経済協力協定
第二条
1   両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。 」

その人は条約文をちゃんと読んでいないだけでしょうな。

仮にこれが違うと言い張ってもこう言うのもあるのだがな

財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律
http://www.ron.gr.jp/law/law/daikan_2.htm

ちなみに散々日本を非難し、賠償よこせと言ってきた韓国人でさえ日韓基本条約が公開された内容を読んだら「自分らが間違いだった」と認めているものを…

>クマラスワミ報告書

そしてその評価内容は「留意」=「もっとよく頑張りましょう」で日本に対しても「まぁ、適当に頑張れ」程度の勧告内容なんだが。

>マクドゥーガル報告書

遡及法やっている上に何故か西洋諸国はだけはそれから逃れられるとかいうおもしろ報告書ですな。

しかも慰安婦問題に関してはその支持者からも「政府調査に基づく内容とか言っている癖に実際には一つもない」とし、しかもわざわざ忠告までしたのに「無視された」とか言うものですが。

>国家が個人被害者の補償請求権を放棄することは

それはその個人が所属する国家などがない、または請求できない場合であって日韓のようにちゃんと条約で解決している場合はそれには当てはまりませんけど。

慰安婦問題

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/25 23:57 投稿番号: [26641 / 29399]
朝鮮人が言うことは「もっと金をくれ」である。

いわゆる慰安婦は朝鮮人の捏造だ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/25 23:49 投稿番号: [26640 / 29399]
台湾から慰安婦が一人も出なくて、朝鮮から慰安婦が何万も出たのはなぜ
か。日本から金を貰うことが朝鮮人の習癖だから、捏造したのだ。日本は朝
鮮慰安婦なる物乞いどもを無視せよ。彼等は世界の安寧を撹乱し、世界から
憎まれている。

一顧だにされなかった右翼のプロパガンダ

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2011/12/25 20:34 投稿番号: [26639 / 29399]
自分(自国)を客観視できないのはレイシストの特徴
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20111218/1324213838

(前略)
決定的なのは、韓国の憲法裁判所が慰安婦問題解決に尽力しないのは違憲だと判断したことです(2011年8月)。この状況で来日して首脳会談を行う以上、李明博大統領はこの件に触れざるを得ません。

慰安婦問題支援団体が日本大使館前に慰安婦像を設置したのは、タイミング的にも効果的だったと言えます。

一方の日本ですが、1993年の河野談話以降の一時期、慰安婦問題解決に向けた努力をしたことはありましたが、国内右派の執拗な反対と自民党政権の復活により慰安婦問題を事実上無視しているに等しい状況に陥っています。

(中略)
少なくともこの10年間、日本政府は慰安婦問題の存在を事実上無視し続け、国内での慰安婦否定論や元慰安婦を誹謗中傷する発言を野放しにした挙句、安倍内閣に至っては議員らがそれらの否定論に与するという恥知らずな行為を行ってきています。

こういった環境が10年続き、ネット民の認識もまた歪んでいます。

(中略)
ネトウヨでなくともこのような認識を持っている人はネット上では少なくありません。

慰安婦問題について韓国が声を上げれば上げるほど、「彼国の偏執性が視覚化される」という認識です。

しかし、第三国から見れば、現在日本のこの状況は、”レイプ魔が居直っている”ようにしか見えないでしょう。

だからこそ、韓国のみならず、欧米・アジアの多くの国で慰安婦問題の解決を求める決議が相次ぎ、日本右翼の「The FACT」なるプロパガンダは一顧だにされなかったのです。

「賠償は日韓条約で解決済み」論の破綻

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2011/12/25 20:26 投稿番号: [26638 / 29399]
日本政府の「元慰安婦への賠償は日韓条約で解決済み」論の誤り
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-3067.html より

●Afternoon   Cafe
日本政府の「元慰安婦への賠償は日韓条約で解決済み」論は破たんしていることを示す論文のご紹介
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-775.html

第一   国連における議論

一   日本政府は、国連において日本の戦後補償問題が討議されるたびに、「日韓協定により解決済」論を主張してきた。
  しかし、それは左記のように、「日韓協定は経済協力問題を扱ったものであり、被害者の人権に関する条約ではない」「日韓会談において『慰安婦』問題が討議されたことはない」などの理由で一蹴されてきた。

二   国連人権委員会クマラスワミ報告書(1996年)
「特別報告者の見解によれば、サンフランシスコ講和条約も二国間条約も、人権侵害一般に関するものでないばかりか、とくに軍事的性奴隷制に関するものでもない。当事国の『意図』は『慰安婦』による特定の請求を含んではいなかったし、かつ同条約は日本による戦争行為の期間中の女性の人権侵害に関するものでもなかった。したがって、特別報告者の結論として、同条約は、元軍事的性奴隷だった者によって提起された請求を含まないし、かつ日本政府には未だに国際人道法の引き続く違反による法的責任がある。」

三   マクドゥーガル報告書(1998年)
「…この条約が当事国間の『財産』請求問題の解決を目指した経済条約であり、人権問題に取り組んだものでないことは明白である。…韓国側代表が日本に示した請求の概要を見れば明らかなとおり、この交渉には、戦争犯罪や、人道に対する罪、奴隷条約の違反、女性売買禁止条約の違反、さらに国際法の慣習的規範の違反に起因する個人の権利侵害に関する部分は全くない…したがって、日韓協定第二条で使用される『請求権』という用語は、このような事実が背景にあるという文脈で解釈しなくてはならない。日韓協定に基づいて日本が提供した資金は、明らかに経済復興を目的としたものであり、日本による残虐行為の個々の被害者に対する損害賠償のためのものではない。1965年の協定はすべてを包含するような文言を使用しているが、このように、二国間の経済請求権と財産請求権のみを消滅させたものであり、個人の請求権は消滅していない。したがって日本は、自己の行為に現在でも責任を追わねばならない。」
四   このように、「経済協力により戦後補償問題が完全に解決した」との日本政府の主張は、国際社会に全く受け入れられていないのである。

(中略)


なお、戸塚悦朗教授が、国家が個人被害者の補償請求権を放棄することはジュネーブ第4条約7条違反であり許されない事を指摘されており、「日韓条約で解決済み」論は破たんしていることを補強する法理論だと思います。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/bib-art.htm

戸塚悦朗   『禁止されていた重大違反行為被害者の個人請求権放棄』

日本政府が、元「従軍慰安婦」(日本軍性奴隷被害者)をはじめとする、あらゆる被害者に対する謝罪・補償を拒んできた論理の根幹は、「条約の抗弁」(すべての補償問題は、サンフランシスコ平和条約および二国間条約によって解決済み、という主張)である。従来、この「条約の抗弁」に対しては、サンフランシスコ平和条約や二国間条約では性奴隷被害者問題は一切論議されていないこと、日本軍性奴隷のような国際人道法への重大違反行為はユスコーゲンス(強行規範)違反であり、条約による補償請求権の放棄は無効であること、などを理由とした厳しい批判が行われて来たが、この戸塚論文は、1949年のジュネーブ第4条約に着目し、この条約中の重大違反行為に由来する個人被害者の権利放棄を禁じた条項の存在により、「条約の抗弁」は成立し得ないことを従来以上に明快に示した点で、極めて重要なものである。
その論理を簡単に紹介すると次のようになる。
(以下略)

「誠実で真摯な解決」を求められている日本

投稿者: nukabosi 投稿日時: 2011/12/25 20:18 投稿番号: [26637 / 29399]
水曜集会は2011年12月21日で1001回目の開催に
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-975.html

  2011年12月14日のこと、ソウル鍾路区(チョンノグ)中学洞(チュンハクトン)にある駐韓日本大使館前で「日本軍慰安婦」被害者とその支援者の皆様が日本政府の公式謝罪を求めて行っている水曜デモが、1992年1月8日の第一回から、ついに第1000回目を数えてしまった。
  昨日の21日だと1001回目だ。
(略)水曜集会は2001年3月13日の水曜日で500回目を数え、この時点で既にギネスブック入り、以来、ギネス記録更新現在進行形である。

(中略)
  今回、アメリカ下院議会の日本政府への謝罪要求決議以来ではないかと思えるほどに、「慰安婦」関連の話題が盛り上がっている。そして、日本でこの話題に関心を持ってこなかった人にとっては降って湧いたような難癖を付けられてるような気分になってそうにも見える。

  だがしかし、2007年7月にアメリカ下院で「慰安婦」公式謝罪要求決議が採択、2007年11月にオランダ下院で「慰安婦謝罪要求動議」とカナダ下院「慰安婦」謝罪要求動議が採択、2007年12月にEU議会が「慰安婦」公式謝罪要求決議を採択、2008年10月に韓国議会で「慰安婦」名誉回復決議案採択、2008年11月に台湾立法院で「慰安婦」謝罪要求決議採択されている。

  国連の人権関連委員会では、2007年に拷問禁止委員会、2008年に自由権規約委員会、2009年に女性差別撤廃委員会から解決を勧告されているし、2008年には、国連人権理事会の普遍的定期審査では、日本政府に「慰安婦」問題の解決を促す各国の声を入れた報告書が正式に採択されている。ちなみに、国際労働機関(ILO)からだって何度も解決を勧告されているのだ。

  また、2009年には、アメリカ下院外交委員会のアジア、太平洋及び世界的環境小委員会委員長であるファレオマヴァエガ議員も「慰安婦」問題国連上程の方針を発言している。

  決して降って湧いた難癖ではないのだ。それを多くの「日本国民」が知らないこと自体、批判の正当性を示している様なもの。

  しかも日本は国連人権理事会の理事国なのだ。誠実で真摯な解決を求められて当然だろう。

Re: 南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(1

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/25 09:07 投稿番号: [26636 / 29399]
南京大虐殺は無かったと言うことが、世界中の認識。

兵士の携帯弾約数では物理的に無理。

当時の南京城内警備兵の数では無理。

司令部が南京城内に有ったにも拘わらず、司令部では虐殺を誰も知らなかったという事実。

国際安全員会が便衣兵摘発に協力しているが、殺されたという報告又は抗議は無く、継続して日本軍と便衣兵摘発を行ってたという事実。

便衣兵摘発には国際安全員会が積極的に協力し、一般中国市民を守っていたという事実。

南京の人口は増えはしても減ったという報告は何処にも無いという事実。

南京は南北に分けて、上海派遣軍北支派遣軍が夫々警備していたが、警備区域を越えて俘虜の移動は出来ないにも拘わらず、南京の南部から北部に連れて行って殺したという様な証言が有るが、事実に反する虚偽の証言である。

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/25 08:46 投稿番号: [26635 / 29399]
日本で発刊されている主な辞書事典類、歴史専門書などで
南京虐殺事件自体を否定している記述のものは、おそらく
ひとつもないだろう。   いずれも   学術的な書籍だからだ。
純粋な学問とは次元の異なる   イデオロギー、政治思想が
絡んできて、はじめて   「虐殺はウソ」「捏造」   という
否定論が持ち出される隙間が生じてしまう   ということだ。

否定論には、「中国の情報戦略」だとか、反日左翼の策謀
だとか、プロパガンダ   などという、学問とは別な次元の
思想差別や   論者への人格攻撃が   必ず付きまとっている。
しかし、歴史辞典や歴史教科書、公文書類は、特定思想や
政治宣伝に関係して編集されるものではない。したがって
それらの記述は、すべて   南京での虐殺は事実と記される。

日本で採用されている歴史教科書は、すべて   南京事件を
記載しており、あの「作る会」編集の歴史教科書でさえも
例外ではない。   ただし、「作る会」教科書は   「日本軍
によって民衆にも多数の死傷者がでた」という程度でしか
記述していない。   これでは、まるで偶発的に   民間人が
戦闘にまきこまれて   犠牲になった   という印象をうける。

こうした表現は、じつに   不正確なものだ。
「民衆にも多数の死傷者がでた」というのは、南京だけに
限ったことではなく、中国大陸各地で   日本軍が行動した
ほとんど   あらゆる戦場で起こったことで、これだけでは
なぜ「南京事件」が   世界的な非難の的に   なったのかが
理解できないだろう。

南京事件が   なぜ特別の注目を集めるかといえば、それは
戦闘中だけでなく、とくに   戦闘終了後も、捕虜や一般の
市民に対する   殺戮行為が   大規模に、しかも   組織的に
行われた点   なのであり、その肝心の事実を   抜きにして
「民衆にも多数の死傷者がでた」   というだけの叙述では
とても   この事件の本質を   知ることはできない。

完璧な人間など、どこにも   存在しない。
ましてや   成長過程では、誰しもが   失敗を経験する。
若気の至りで他人に迷惑をかけたり   試行錯誤を経て
世間に尊敬されるような人格者に   成長していく。
同様に   はじめから   「完璧な国家」   も存在しない。

あらゆる国家は過去において必ず   間違いを起こした。
悲しいことだが、高度な民主主義社会に到る過程では
避けられない運命であった。   しかし、ここから先が
その国民の   質と未来を   決定する。
過去の過ちを   ひた隠そうとする人間は   品性下劣だ。
その程度は低く、他人(他国民)から   信頼されない。

けれども、自分の過ちに気づき、その間違いを自力で
乗り越えるとき、その人間(国家)には   未来がある。
自己の行為を厳しく点検・反省する一連の苦行により
人間(国家)の質が   高められるばかりか、自浄作業
そのものが、他人(他国)の信頼を   かちとるからだ。

自分の犯した間違いを認めようとせず、自画自賛だけ
繰り返す者は、一見、愛国者に見えて、じつは国民の
質を貶め、日本国の名誉を汚し、国際社会から永遠に
この国を隔離しようとする   売国奴である   と思う。

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/25 08:45 投稿番号: [26634 / 29399]
辞書や百科事典類は、当然   素人が執筆するものではない。
少なくとも   日本で発行されている辞書・事典については
専門知識を有すると社会的に公認される   各分野の権威が
相当の研究成果と学術的根拠に基づいて編纂されるものだ。
たとえば、いま   手元にある『日本の歴史』(中央公論社)
第25巻『太平洋戦争』   の執筆者は、歴史学者の林茂氏だ。

歴史学に   少しでも   縁のある人間ならば、林茂という名は
おそらく   一度ならず   聞いたことはあるはずだが、多分
南京事件否定派の諸氏では   知らない者も多いと思うので
念のため説明すると、林氏(1912年〜1987年)は、
戦前は   東京帝国大を卒業後、京城帝国大助教授、戦後は
東京大学教授などを歴任した   日本を代表する歴史学者だ。

その林氏が執筆した   「南京占領と虐殺事件」   の解説を、
以下に   引用しておこう。
まず   南京事件の前史について   次のように   語っている。

   「上海の防禦陣地を破られたあとは、南京までのあいだには
   中国の防禦線はなく、日本軍は日に六、七里というスピード
   で進撃を続けた。この間、『軍補給点の推進は   師団の追撃
   前進に追随するを得ずして、上海付近より南京に至る約百里
   の間、殆んど糧秣の補給を受くることなく、殆んど現地物資
   のみに依り、追撃を敢行せり』(『第九師団作戦の概要』)
   という状態であり、徴発を名とした掠奪が行われた。同時に
   『敗残兵狩り』   という名目で、一般民衆にたいする   虐殺・
   暴行がくりひろげられ、それはやがて、世界を驚かせた南京
   虐殺事件の前史をなしている」

短い文章だが、この作戦に加わった第9師団の作戦記録で
証拠づけをしながら、記述を   すすめているところなどは、
さすがに   歴史学者の筆だ   と思う。
続けて、南京事件の本史について述べた文章を引用しよう。

   「南京城に対する攻撃は、十二月十日から開始され、十三
   日には日本軍の手中におちた。   国民党政府は漢口に逃げ
   のびていた。   そしてその日から、日本兵は捕虜の虐殺を
   はじめた。」

このあと、林氏は   当時の旅団長として   攻撃を指揮した
佐々木到一中将の記述を引用しながら敗残兵虐殺の事実を
記述している。   どうやら、南京事件否定派の   定義では、
林氏も   捏造をたれ流す“反日サヨク”の筆頭になりそうだ。
もちろん   同氏は、学者として   事実を記したにすぎない。
記述は、事件の国際的反響をも含め   次のように続いている。

   「その後も、みさかいもなく   一般民衆にたいする虐殺が
   つづくのであり、十五日の夜だけで   二万人が殺されたと
   いわれる。(中略)   このニュースは世界に大々的に報道
   されたが、日本人は、戦後の東京裁判で   追求されるまで、
   この事件を知らないでいた」(『太平洋戦争』64頁)

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/25 08:44 投稿番号: [26633 / 29399]
平凡社『日本史大事典』第5巻に記述されている南京事件の
項目は、詳細で   かつ   かなり正確な解説なので、抜粋して
以下に   引用しておこう。

  【南京虐殺】
   「日中戦争で南京占領に際し   日本軍によって   中国軍民に
   加えられた大規模な残虐行為。」

   「一九三七年(昭和十二)八月、日中戦争は華北から華中に
   拡大、日本軍は上海で   中国軍の激しい抗戦に   直面し、
   大きな損害を被った。   十一月上旬   ようやく   中国軍を
   退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
   指揮下の   上海派遣軍(軍司令官   朝香宮鳩彦王中将)と
   第一〇軍(軍司令官   柳川平助中将)を、与えられていた
   任務を逸脱して   国民政府の   首都南京に向かって急進撃
   させた。」

   「上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏切られた   日本軍兵士は
   自暴自棄となり、補給がともなわず   現地徴発に頼ったこと、
   中国侮蔑感情や戦友の仇を討つという郷党意識にとらわれて
   いたことなども加わって、南京への進撃途上で   すでに掠奪・
   強姦・虐殺・放火などの非行が   常態化する状況となった。」

   「十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の入場式に備え、
   徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで   大量に
   処刑し、多数の一般市民を   その巻き添えにし、略奪・強姦・
   放火を重ねた。   さらに   十二月二十二日、佐々木到一少将が
   城内粛清委員長に就任、中国兵の狩出しと   処刑を続け、
   三十八年二月初めに及んだ。」

   「犠牲者数については   中国側の公式見解は三十万人とするが、
   戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ   進撃途中から
   三十八年二月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人
   前後に達するとみられる。(以下、省略)」

以上、平凡社版『日本史大事典』からの引用だが、南京虐殺を
事実という者に対し、「腐れサヨク」や   「反日・親中国」、
あるいは   「共産主義者の回し者」の類だ、と   悪罵を吐く
ウヨにかかれば、平凡社さえも   その類に   されてしまうだろう。

だが、同社が   中国共産党の手先だとか、反日勢力に加担する
サヨク集団である   とは   到底、思えない。
平凡社にかぎらず、日本国内の   主要な出版社が   発行する
歴史辞典・百科事典の類は、いずれも   学術的に   証明され、
信用に足る   記録と情報に基づいて   編纂されているのだ。

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/25 08:44 投稿番号: [26632 / 29399]
日本の歴史事典や百科辞典類で、南京大虐殺事件を否定   または
存疑として   記述しているものは、なかなか   見つけられない。
国内の歴史教科書にも   事件自体に疑いを差し挟んでいるものは
例の「作る会」教科書も含め、おそらく   一つもないと思われる。
南京大虐殺否定論は、右翼たちが、学術的には見向きもされない
根拠のない主張を   勝手に言い立てているだけ   にすぎない。

日本でも   公の場では全く認められていない、アングラ的言説に
過ぎないのだが、このアングラ説に   とびついた漫画(ゴー宣)や
いわゆる「トンデモ本」   とよばれる   カルト本などのせいで、
そういうものしか読まないような者は、こちらが   真説なのだと
思い込んでしまう傾向があるらしい。   何とも仕方のないことだ。

そんなレベルの人間でも理解しやすい   子供向け学習事典もある。
たとえば、ネットで検索する百科事典の解説を   引用してみよう。
以下、『学研の学習百科事典   学研キッズネット』   の解説文だ。

  ナンキンぎゃくさつじけん【南京虐殺事件】
  「日中戦争(せんそう)中の1937(昭和12)年12月、中華民国
  (ちゅうかみんこく)の首都   南京占領   (ナンキンせんりょう)
  前後に日本軍(ぐん)がひきおこした   投降兵(とうこうへい)・
  一般住民(いっぱんじゅうみん)を   殺害(さつがい)した事件。
  南京大虐殺   (ナンキンだいぎゃくさつ)ともいう。」

  「日本軍が   殺害(さつがい)した   中国人の   人数については
  数万から30万までの諸説(しょせつ)があるが、この事件は
  中国民衆(みんしゅう)の   怒(いか)りを   高め、国民政府
  (こくみんせいふ)は   武漢(ウーハン)に   うつって   抗戦
  (こうせん)を   つづけた。」

ひら仮名がふってあるので、否定派諸氏でも   読めるだろう。
否定派諸氏なら、学研は反日サヨクが牛耳っている出版社だと
言い出すかもしれないが、おそらく   そうではなく、学問的に
すでに定説となっている事実を   書いているだけであると思う。
図書館などに足を運ばない諸氏には、電子書籍もお奨めしたい。
マイクロソフト社の電子百科事典『エンカルタ百科事典』では
以下のように   解説している。

  南京大虐殺   ナンキンだいぎゃくさつ
  「日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の
  大量虐殺事件。(中略)軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された
  中国人は   数万人とする説から   43万人とする説まであるが、
  少なくとも20万人以上であったと推定されている。」
 
  「12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。
  その後数週間にわたって、南京城内外で敗 残兵狩りや、一般市民
  に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。 この日本軍に
  よる蛮行は   アメリカなど世界中で   報道されたが、日本国民には
  知らされず、第2次世界大戦後の   東京裁判(極東国際軍事裁判)で
  はじめて明らかにされた。(以下、略)」

南京虐殺に関する歴史辞典等の記述(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/25 08:43 投稿番号: [26631 / 29399]
“Nanking Atrocities”(南京大虐殺)は、国際社会では
否定できない   「歴史的事実」   として   共通認識されているが、
日本国内の   一部では、70年代後半頃から   中国側の捏造だとか、
あるいは   投降兵の殺害行為は   正当な行為であった   などという
主張を、否定派や正当化論者が   繰り返し、教科書記載問題などを
めぐり、しばしば   社会的に   注目を浴びている。

国内の書店にも   「南京大虐殺はなかった」、「外国人の捏造」、
「情報戦による謀略」、「反日プロパガンダ」、「自虐史観」など
政治的文言を書き連ねて   事件否定論を流布する   “トンデモ本”が
並んでいる。   来日した外国人   留学生などが   心底から驚き、
これが日本社会の共通認識なのか   と疑いを持つのも当然だろう。

実際には、大虐殺否定論は   一般に   受け入れられてはいない。
少なくとも   日本で刊行される辞書・事典などには、否定論や
正当化論に基づく   解説などは、まったく   見当たらず、当然
政府や   自治体の公的文書、刊行物にも取り上げられていない。
学術・学問的には、歯牙にもかけられていない   ということだ。

『山川   世界史小辞典(改訂新版)』(04年   山川出版社)は、
230名の専門家が   最新の研究成果を取り入れて   執筆した
約9,400項目を収録し、世界史を学習するうえで   必携書
といえる   権威ある歴史辞典の一つだが、その497ページに
掲載されている「南京事件」の項目は、次のように記している。

   「①1927年3月24日、南京で起きた   暴動に端を発した
   国際的事件(省略)」
   「②〔1937〕   南京大虐殺   ともいう。   日中戦争初期に
   中国国民政府の首都   南京を攻略した   日本軍が、
   中国軍民に対して   大規模な   残虐行為を行った事件。」

   「1937年   12月13日に   南京を占領した   日本軍は、
   住民を   巻き込んだ   包囲殲滅戦、残敵掃蕩戦を   展開した。
   この時、すでに   戦闘部隊の体をなさず、戦意を   喪失した
   膨大な数の投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に
   違反して   処刑、殺害した。」

   「日本軍の軍事占領は翌3月まで続き、この間に   敗残兵狩り、
   便衣兵(私服になった兵士)狩りを行い、兵士の嫌疑をかけた
   成年男子市民も   殺害した。」
   「中国女性の強姦、食物や物資の略奪、人家の放火・破壊など
   軍紀の乱れによる   不法行為も多発した。」
   「南京城内とその周辺   さらに付近の農村を含めて   十数万の
   中国軍民が   犠牲になった   と推測されている。」

以上が、『山川   世界史小辞典(改訂新版)』からの引用文だが
どこを   見ても、「〜というウソ」、「これは中国人の作り話」、
「共産主義者のプロパガンダ」   などといった解説は   ひと言も
付記されてはいない。   否定論者諸氏は、この辞典を執筆した
学者先生は反日サヨクに違いない   という妄言を   吐くしかない。

反日論者の努力は徒労に終わるだけ

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/25 00:45 投稿番号: [26630 / 29399]
欧米では二次大戦終結前後、勝者による敗者の虐殺強姦の話は、勝者も敗者
も熟知しており、親から子へ、子から孫へ語り継がれている。また二次大戦後
アフリカなどで何回も発生した大虐殺事件も、確実な報道があったのと、アフリ
カは欧米に近いため、欧米人の脳の中へ明瞭に写し込まれている。

それに比べると二次大戦前極東で起こったとされる事件は、霧の中のおぼろ
げな映像にしかならない。日本が世界史上の大悪党だと思わせたい反日主
義者の熱心な努力も、徒労に終わるだけだ。

Re: 虐殺事件を否定しない日本の辞典(1)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 08:11 投稿番号: [26629 / 29399]
留学生などの外国人が日本語を理解出来ると言う事は無い、殆どが読めない。

Re: 日本人が最も反日

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 08:09 投稿番号: [26628 / 29399]
和田罪は自分の言葉が日本を誹謗中傷していることに気付かない。

日本の一部の人間が嘘、捏造など言って居るのではない、殆どの人間が言っているのだよ。

Re: 日本人が最も反日

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/24 02:44 投稿番号: [26627 / 29399]
>さしずめ、最も反日なのは日本政府ということになりますな(藁

↑貴殿が引用した日本政府の談話は反日ということはいが、このトピの反日
投稿者は今日も倦まず弛まず反日投稿にに精出している。日本以外の軍隊は
もっと悪質だと知っているから、外国軍隊のことはおくびにも出さないよう
に注意に注意をかさねている。まさに反日の鬼である。

虐殺事件を否定しない日本の辞典(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 21:06 投稿番号: [26626 / 29399]
『歴史学事典7   戦争と外交』(平成11年初版   弘文堂)には、
かなり詳しく   解説されている。   その一部を   抜粋してみよう。

【南京事件   なんきんじけん】
「日中戦争初期、当時の中国の首都南京を   日本軍が攻略・占領
した際に   中国軍民にたいしておこなった、虐殺、強姦、掠奪、
放火、拉致、連行などの   戦時国際法と   国際人道法に反した
大規模な残虐行為の総体。南京大虐殺事件、略称として南京事件
という。単に南京大虐殺ともいう。」

「激戦3カ月におよび甚大な損害を出した(中略)上海派遣軍は
疲弊して   軍紀も弛緩していたうえに、休養も与えられず、補給
体制も不十分なままに難行軍を強いられたため中国軍民に対する
むきだしの敵愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火
などの残虐行為を重ねながら   南京に進撃していった。」

「12月4日前後に   中支那方面軍は、中国軍の   南京防衛陣地
(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京の県城・農村地域から
日本軍の残虐行為が開始された。   南京城区には40〜50万人
(南京攻略戦以前の人口は100万人以上)、近郊の6つの県には
100万人前後(同じく150万人以上)の市民が残留していたが
日本軍は   これらの膨大な中国民衆を   巻き込んで、南京防衛軍に
対する   徹底した包囲殲滅(皆殺し)作戦を   実施した。」

「同作戦は、戦時国際法に違反して、自ら武装解除した投降兵・
敗残兵あるいは武装解除された捕虜までもすべて殺害することに
なった。   一般民衆も   敵対行為、不審行動をする『敵国民』と
判断された場合は   殺害された。   日本軍は、12月13日
南京城を占領した後、17日の南京入城式に備え、徹底した
残敵掃蕩作戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量
処刑を行った。」

「武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても中国兵であった者、中国兵
と思われた者は   すべて   殺害したので、多くの市民、難民が
巻き添えにされて犠牲になった。   さらに、日本軍には戦勝の
『慰労』として10日間前後の『休養』が与えられ、総勢7万
以上の日本軍が   南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」
として強姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない
南京事件は頂点に達した。   その後、第16師団が   駐屯して
軍事占領を続け、38年3月28日に   中華民国維新政府が
成立するまで、日本軍の残虐行為は続いた。」

以上、引用した   弘文堂編纂の歴史学事典の解説は、これまで
引用した辞書・辞典の中でも   南京事件の実相をかなり正確に
述べている。   たとえば、日本軍が   南京に進撃する途上から
残虐行為を開始していたこと、南京城占領後の不法行為の事実、
また   その原因と   経過についても   あきらかにしている。
なお   この事典には   さらに   次のように付記されている。

「70年代から80年代末にわたり、歴史事実か   『虚構』
『まぼろし」かをめぐって   いわゆる『南京大虐殺論争』が
展開され、家永教科書裁判の   争点にもなったが、いずれも
否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の
日本側の研究では、十数万から20万人の   中国軍民が
犠牲になったと推定する説が   有力である。」

日本国内で発行されている学術的書籍は、どれをみても
日本人にだけ悪人がいて、日本以外の国には悪人はいない
などというバカげた視点で書かれているのではないし、
また、「反日」思想を宣伝する意図で書かれたものではない。
歴史の事実を未来に伝えるという責任のもとに書かれている。
事実を歪曲しようとする愚かな人間には理解できないだけだ。

虐殺事件を否定しない日本の辞典(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 20:50 投稿番号: [26625 / 29399]
『グローバルライブラリーシリーズⅡ   アジア・アフリカ事典』
(97年第1刷発行   教育出版センター)P.716の記述を見よう。
この事典では、南京虐殺事件に関して、次のように説明している。

なんきんぎゃくさつじけん   南京虐殺事件
「日華事変(日中戦争)中の1937年12月13日〜15日に、
南京を占領した   日本軍が引き起こした   虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した   近衛内閣は、『国内相剋の解消』   を
侵略戦争によって   解決しようと   はかった。」

「こうして   政府および軍部は、中国大陸への侵略を本格化した。
日本軍は当初、長期戦争を   予期してはおらず,当時国民政府の
あった南京を占領すれば、中国は抗戦を断念するであろうと判断
していた。   しかし中国は、共産党の働きかけによる国共合作を
成立させ、持久戦にもちこんだ」

「その結果、日本軍は三光作戦を展開し、中国全土で強姦、虐殺、
略奪を   ほしいままにした。   その典型が   南京事件である。」
「エドガー=スノーの『アジアの戦争』   によれば、南京だけで
4万2千人以上、南京への進撃途上で30万人以上が、殺された。
そのうちの   ほとんどは、『無抵抗』の   婦人・子供であった。」

上記の事典の記述でも、先に引用した『現代アジア社会事典』の
解説と同様に、虐殺事件の期間を   12月13日〜15日だけに
限定するかのような表現がある。
ただし、一方で   南京に至る侵略戦争の経緯、さらに、南京への
進撃途上でも   婦人や子どもを含む多くの非戦闘員が殺害された
という事実を述べている点では、より正確な内容となっている。

もう一冊、別の歴史辞典も   開いてみよう。
『角川   世界史辞典』(01年初版発行   角川書店)P.687-688
【南京事件】についての   説明は、以下のとおりだ。

「①1927年に南京で発生した国際事件(略)」
「②1937年12月、日本軍が南京の中国軍民に加えた大規模な
残虐事件。南京大虐殺といわれる。(略)日本は12月13日に
中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅
作戦を実施、すでに戦闘を放棄した膨大な数の敗残兵、投降兵、
捕虜、負傷兵を集団で殺害した。」

「さらに残敵掃討作戦を実施し、敗残兵狩り、
便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って   成年男子市民を
集団虐殺した。   軍紀の乱れから   中国女性を強姦する
婦女凌辱行為や食料・物資の略奪、人家を放火・破壊する不法
行為も多発した。   南京城内とその周辺の農村を含め20万人
前後の中国軍民が犠牲になったと   推測されている」

角川世界史事典の説明でも、期間については   12月13日の
占領直後から掃討作戦が行われていた間に限定しているように
読み取れるが、一方で、南京城内に加えて   周辺農村も含めて
軍民、つまり   兵士と民間人ともに   多くの犠牲が出たことや、
その原因に日本軍の軍紀の乱れがあった事実にも   触れている。
どの辞典でも、おおむね正確に事件概要を記述しているようだ。

虐殺事件を否定しない日本の辞典(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 20:49 投稿番号: [26624 / 29399]
『現代アジア社会事典』(75年第1版第1刷   大和学芸図書)
P.315「南京虐殺事件」の項には   次のように記述されている。
【南京虐殺事件】   「1937年12月の南京占領にさいし、
日本軍が   中国軍の兵士および一般市民多数を虐殺した事件」

「軍命令による   中国軍民の大虐殺が行われたのは、日本軍が
同市を占領した   37年12月13日から、中支那方面軍松井
石根大将を迎えて入城式があげられた   同17日の前夜までの
4日間であった。   だがその後も   『敗残兵狩り』   と称して
虐殺は続けられた。   また市内全域は2か月にわたり、個々の
日本兵によって、いわれのない虐殺・略奪・放火が   行われた」

「この事件は、日本敗戦後、極東軍事裁判でもとりあげられ、
判決では   この事件の中国人犠牲者の総数を   20万人前後と
いっている。   このほか、極東軍事裁判では   とりあげられな
かったが、南京付近の   長江(揚子江)一帯では   13万人の
避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ、川の水は
鮮血でまっかになっていたといわれている。」

「この事件は、当時南京にいた   外国人記者   3人によって
詳しく報道され、たちまち全世界に知れわたったが、日本では
敗戦の日まで   その事実が   ひたかくしに   かくされていた」

上記の   『現代アジア社会事典』の解説の中で   気になる点は、
大虐殺が行われた期間が、12月13日から始まり2ヶ月間に
わたり行われた、としている部分だ。
実際には、南京市攻略戦は   12月初めから   開始されており、
5日には   第十六師団が句容を陥れ、第九師団は   南京防衛の  
第一線陣地である淳化鎮を占領した。   第十軍の   第六師団と
第百十四師団も並行して   南京に向かって   急進撃していた。

第一線部隊は   先を争うように   南京に向かって殺到したため
それでなくとも滞りがちな兵站の補給が   追い付けなくなった。
各部隊は、現地徴発という名の略奪で   急場をしのぐほかなく、
当然、防衛線の攻防戦の際に   捕虜とした中国軍兵士の給養を
確保する手段もなかった。   投降した敵兵や逃げ遅れた住民は
過酷な運命に   さらされたことは、言うまでもない。

南京大虐殺事件の期間を   日本軍入場後の   13日から始まり
その後の敗残兵狩りの期間だけに限定するのは   至当ではない。
また、事件の範囲を南京城内だけに限定するのも   正しくない。
南京陥落前は戦闘中だから敵の殺害はしかたないという反論も
あるかも知れないが、戦闘中であっても、捕虜の殺害は違法で
あるし、ましてや   非戦闘員に対する略奪や暴行は許されない。

虐殺事件を否定しない日本の辞典(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 20:49 投稿番号: [26623 / 29399]
たとえば   日本大百科全書(小学館)も、南京大虐殺について
客観的な事実であることを前提に、以下のように解説している。

「占領当日から翌日にかけての南京城内外における掃蕩戦では、
戦意を失った多数の中国兵を   掃射によって虐殺し、また以後
1週間ばかりの間に、捕虜や、民間人の間に   身を潜めていて
狩り出された敗残兵(便衣兵)の大部分が集団虐殺された。」

「戦死者を含めて中国軍の犠牲者は   10万を下らなかったと
推測される。これら将兵のほか、掃蕩戦で犠牲になった市民や
城外からの避難民、また敗残兵狩りの巻き添えで殺された市民も、
少ない数ではなかった。中国軍将兵に対する集団虐殺は明らかに
軍命令によるものであった」
さらに、被害の状況については、以下のように記述している。

「城内家屋の被害は軍事行動によるもの1.8%、放火13%
(主要実業街は平均32.66%)、略奪63%に及び、中国人
は南京に処女1人もなしと称した」
「日本軍は   遺棄死体   8万4000   と発表したが、現地の
慈善団体が組織した二つの埋葬隊の記録によれば、その埋葬数は
あわせて15万5337体   に上り、揚子江(ようすこう)岸で
集団虐殺されて   同江に投棄されたもの   その他を加えれば、
中国軍民の犠牲者は20万を下らなかったものと推測される」

上記百科事典は   各学術分野の研究成果に基づき、科学的視点で
まとめられており、相当の   準備期間と   綿密な編纂作業を経て
世に出されている書籍だ。   擬似科学や   オカルトを   主張する
トンデモ本とでは、情報の質・量とも   まったく比較にならない。
後者が垂れ流す情報ばかりを妄信して、世界に通用しない論説を
吹聴する一部の論者は、カルト教団の信者に   等しいものだ。

ちなみに、「トンデモ本」   に関係して言えば、「と学会」では
「トンデモ本の世界R」で、虐殺否定派の論客として知られる
東中野亜細亜大学教授の著書について   次のように評している。

「東中野教授がどんなデタラメな手法を用いているかが分かる。
些細な矛盾点を針小棒大に取り上げて証言全体を否定しようと
したり、文章を引用する際、歪曲して   正反対の意味にして
しまったり、都合の悪い記述は   無視する一方、信憑性の低い
資料を重視したり、まさに『好き勝手』   としか、いいようが
ないのだ。   南京大虐殺の   犠牲者数については、『三〇万人』
と『ゼロ』という   両極端のトンデモ説が   火花を   散らして
いるが、東中野教授の著書はその中でも特にインチキだらけの
ひどい代物   なのである」

たしかに   くだんの著書は、読んでみると   客観性に乏しく、
検証手法も   お粗末で、幼稚な内容と感じるものではあるが、
インチキだらけの   ひどいシロモノ   とは、ずいぶんとまた
手きびしい   酷評だ。   すくなくとも、東中野先生も   虐殺や
略奪の事実は認めている。   それを   合法化しようとして
さまざまな詭弁を   こねくりまわしているにすぎないのだ。

虐殺事件を否定しない日本の辞典(1) 

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 20:48 投稿番号: [26622 / 29399]
留学生などの外国人が   日本に滞在していて驚くことのひとつが
大きな書店などに行くと   南京虐殺を「ウソ」「虚構」「マボロシ」
とする本が、店頭に   平積みされていること   だという。
また、テレビの番組で一部の評論家が、「南京大虐殺はなかった」
「外国人の捏造」   などと発言していることも   不思議だという。

さらに、電車の中吊り公告で目にする   週刊雑誌などの目次には
南京虐殺に関連して、「米中の情報戦による謀略」だとか、「反日
プロパガンダ」「自虐史観」「左翼・マルクス主義史観」   などの
文字が躍っているのを目にする。   そこで留学生たちは、日本の
社会では、南京虐殺否定論が   圧倒的なのだ   と考えてしまう。
しかし   実際には   そうではない。

少なくとも   日本政府の公式見解は、犠牲者数は認定できないが
日本軍により   多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは、
否定できない事実であるということで一貫して変わっていない。
また   出版物については、いわゆる「トンデモ本」   とよばれる
一部の自称研究家の著書を除けば、辞書・辞典類をはじめとして
歴史書、教科書、公式文書類は大虐殺を事実として記述している。

たとえば、日本で広く使用されている国語辞典『広辞苑』第四版
を開くと、【南京】の項目には   「南京大虐殺」   の小項目があり
「日中戦争で南京が占領された37年12月前後に南京城内外で
日本軍が   中国軍の投降兵・捕虜および一般市民を大量に虐殺し、
あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件」   とある。

『大辞泉』では   【南京大虐殺】の解説として、「日中戦争初期の
昭和12年、南京を占領した日本軍による中国軍捕虜や一般市民
に対する大規模な略奪・暴行・虐殺事件」   としている。
『大辞林』も   同項目で、「日中戦争さなかの 1937 年12月
から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対して
行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。   このとき殺された中国人の
数は、極東軍事裁判では   二〇万人以上、中国側の発表では三〇〜
四〇万人とされる。」   と説明している。

また、「詳解   日本史用語事典」(三省堂03年発行)   を開くと、
【南京大虐殺】   の項目には、次のように   記述されている。
「1937年12月、日本軍は   国民政府の首都   南京への攻略戦で
十数万人から20万人の   中国兵捕虜や民間人を虐殺し、略奪・
暴行・放火・強姦などの   残虐行為を行った。」
「欧米では   『南京アトロシティー(大虐殺)』   と報道され  
国際的非難を浴びたが、日本国民には   知らされなかった。」

これらの辞書は、あくまでも言葉の意味を説明しているのであり
虐殺の内容や規模について解説しているものではない。   しかし
いずれも「〜という説である」   「あった可能性もある」という
表現ではなく、事実を指している言葉として   説明されている。
当然、「外国人によるウソ」   「反日勢力の用語」   などという
解説文は、どの辞書・辞典を探しても   見出すことはできない。

Re: 日本人が最も反日

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 20:46 投稿番号: [26621 / 29399]
>日本人にだけ悪人がいて、日本以外の国の国民には悪人はいないと
>いうことにしたいので、外国人には触れずに

こういう事実に反する歪曲を前提にして   「反日」などという
誹謗中傷ばかりを繰り返すことに   何の意味があるというのか。

世界に広く知られている南京大虐殺に関して、日本の   一部に
限って、ウソだ、捏造だ、という主張が   執拗に繰り返される。
このことが、国際社会からの   批判と   不信を招いている。
これは、「外国に悪人はいない」   などという   議論ではない。
また、「日本人だけが悪人」だから   南京虐殺が起きたという
話でもない。
南京事件が起きた背景・原因を   客観的に明らかにし、それが  
日本民族に限った   歴史的資質や   国民性とは   別のところに
原因があった事実を   解明することにより、日本人のみらなず
世界人類共通の   歴史的教訓として、未来に伝えるべきなのだ。


日本で発刊されている主な辞書事典類、歴史専門書などで
南京虐殺事件自体を否定している記述のものは、おそらく
ひとつもないだろう。   いずれも   学術的な書籍だからだ。
純粋な学問とは次元の異なる   イデオロギー、政治思想が
絡んできて、はじめて   「虐殺はウソ」「捏造」   という
否定論が持ち出される余地が生じてしまう   ということだ。

否定論には、「中国の情報戦略」だとか、反日左翼の策謀
だとか、プロパガンダ   などという、学問とは別な次元の
思想差別や   論者への人格攻撃が   必ず付きまとっている。
しかし、歴史辞典や歴史教科書、公文書類は、特定思想や
政治宣伝に関係して編集されるものではない。したがって
それらの記述は、すべて   南京での虐殺は   事実と記される。

偏狭な民族主義や   イデオロギーにばかり囚われて  
歴史的事実から目を背けるのは、もう   やめるべきだ。

完璧な人間など、どこにも   存在しない。
ましてや   成長過程では、誰しもが   失敗を経験する。
若気の至りで他人に迷惑をかけたり   試行錯誤を経て
世間に尊敬されるような人格者に   成長していく。
同様に   はじめから   「完璧な国家」   も存在しない。

あらゆる国家は過去において必ず   間違いを起こした。
悲しいことだが、高度な民主主義社会に到る過程では
避けられない運命であった。   しかし、ここから先が
その国民の   質と未来を   決定する。
過去の過ちを   ひた隠そうとする人間は   品性下劣だ。
その程度は低く、他人(他国民)から   信頼されない。

けれども、自分の過ちに気づき、その間違いを自力で
乗り越えるとき、その人間(国家)には   未来がある。
自己の行為を厳しく点検・反省する一連の苦行により
人間(国家)の質が   高められるばかりか、自浄作業
そのものが、他人(他国)の信頼を   かちとるからだ。

自分の犯した間違いを認めようとせず、自画自賛だけ
繰り返す者は、一見、愛国者に見えて、じつは国民の
質を貶め、日本国の名誉を汚し、国際社会から永遠に
この国を隔離しようとする   売国奴である   と思う。

Re: 日本人が最も反日

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/23 17:35 投稿番号: [26620 / 29399]
さしずめ、最も反日なのは日本政府ということになりますな(藁

歴史問題Q and A

問5.「従軍慰安婦問題」に対して、日本政府はどのように考えていますか。

1. 日本政府としては、慰安婦問題が多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題で
あると認識しています。政府は、これまで官房長官談話や総理の手紙の発出等で、
慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた
すべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを申し上げてきました。

問6「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。

1. 日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や
略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
2. しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが
正しい数かを認定することは困難であると考えています。
3. 日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア
諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と
心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家
としての道を歩んでいく決意です。

日本人が最も反日

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/23 15:04 投稿番号: [26619 / 29399]
ヤフー掲示板の別のカテで「日本人が最も反日」という投稿を見た。なるほ
ど、その通りである。

日本に帰化した半島人も100%反日である。反日でありながら祖国へ帰ろうと
もせず、日本の土地にしがみついている。

このトピにも反日日本人(帰化人かもしれない)がせっせと反日投稿に励ん
でいる。日本人にだけ悪人がいて、日本以外の国の国民には悪人はいないと
いうことにしたいので、外国人には触れずに、毎日毎日大量に反日投稿をし
て、自己満足に陶酔している。

Re: 南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(1

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/23 09:45 投稿番号: [26618 / 29399]
昭和

事変の收局に付いて
事変の收局に付いては君の提案の如く蒋介石相手の和平より外なかるべしと思う。自分も大臣就任のとき近衛首相に対し一月十六日の声明は場合により乗り切ることとの了解を得て居るのだ、只急に蒋相手の和平を提案しては騒がれるばかりだから潮時を見て居ったのだが最近の情勢から見て最早其の工作に取り掛かって然るべき時と思う、出来るならば漢口攻略前に蒋と話しを付けたしと考う。国内の情勢を見るに、昨日来訪の多田次長は何とかして一日も早く時局を収拾して戴き度いと切に言って居った、そこで蒋相手の和平は陸軍はどうかととい尋ねたるに最早今日では一月十六日声明にこだわらぬがよろしいと思いますとの返事であった。然らば陸軍はそれで纏めて行けるかと反問したるに多田は陸軍全体としては云い兼ねるが軍令系統の方は纏め得ますと云い居りたり。聞く所によると先日閑院宮(かんいんみや)様が参内せられたとき陛下より陸軍にては蒋介石相手はまだいかんかと御下問あり之に対し宮様は即答申し上げず翌日再び参内し蒋相手も已むを得ませぬとの趣旨を御答申し上げた由なり。問題は陸軍の一部にあるであろう所の強硬論者だが、板垣も此の頃は大分蒋介石を相手しせずと言うことの解釈の間口を広くして来たようであるがまだ煮え切らぬ点がある、夫れと言うは板垣は坂西等の謀略がうまく行って相当な中央政権が出来、夫れに漢口政府内部の一部を参画せしめ得るかも知れないという所に望みを繋いで居る様だ。何れ今月中旬坂西が帰京すれば其の辺のことが少し明らかとなるであろう、此の工作は君の意見によれば下策なりとあり、自分もしか思うも今の所蒋は相手にせずと言うことが前提となって居る故告ぐ直ぐ切る訳には行かぬ。此の五相の中では池田蔵相とはよく話し合って居り、米内海相も結局蒋相手の和平に異存なきもせめて和平成立後蒋が下野することにして貰いたいとの意見じゃ。民間方面にては朝日の緒方や同盟の岩永などの来ての話しによるも一般に一日も早く戦争をやめて貰いたいとの気分故蒋を相手にせずなど言う事は問題にせざるべしとの事なり。残るところは右翼なるも之も何とかなるべし。

Re: 南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(1

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/23 08:04 投稿番号: [26617 / 29399]
多くの証言者によると、中国兵は督戦隊の銃撃や、銃殺によって殺されたとある。

日本軍が南京入城後には、銃声は無かったと、極東軍事裁判での陳述調書が残っている。

俘虜殺害には陸軍大臣の命令書が必要であるが、命令書が発行されたという事実は無い、三〇萬人分の。

南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 00:12 投稿番号: [26616 / 29399]
前述の   最後の部分で触れた   村瀬守保氏の記録についても
引用しておきたい。   村瀬氏は、給部隊として   南京戦の後を
辿りながら、貴重な戦場の   記録写真を多数   撮影した。
その中には、揚子江岸における   大虐殺を証明するうえで
貴重な現場を   撮影した写真も   含まれている。
以下、『村瀬守保写真集   私の従軍中国戦線』から引用する。

  (16) 南京制圧  
   第一線に近づくにつれて、部落を通過するたびに虐殺死体が
   目立ち始めました。   (略)土間にひく   アンペラを探して
   穴蔵のようになっている奥の部屋に踏み込むと、下半身裸の
   婦人が、下腹部を切り裂かれて、死んでいます。
   少し奥には、五〜六歳の子供が、うつぶせに死んでいました。
   プーンと、血生臭いにおいが、立ちこめています。 (略)
   このような虐殺死体は、随所に見られました。 婦人に暴行を
   加えて虐殺し、女性の性器に棒を差し込んでおくような、
   残虐な事例も何回か目にしました。

   南京の攻略が大幅に遅れたので、第一線部隊の兵隊は、
   厳しい命令を受けて、目が血走っていました。
   小休止で一緒に休んだ時の話をきくと、「南京一番乗りは
   師団の至上命令だ。南京へいけば、女はいくらでもいるし、
   酒もある。速くいったものは、やりたいほうだい、何でも
   やれるぞ」   と上官からハッパをかけられているのです。
   (略)
  (17)大虐殺のうわさが…
   ようやく足止めが解除されて、ある日荷物受領に揚子江岸の
   下関埠頭へ行きました。   すると、広い河岸が一杯に死体で
   うまっているのです。   岸辺の泥に埋まって、幅十メートル
   位はあろうか、と思われる   死体の山でした。
   揚子江岸で大虐殺が行われたという   その現場でしょうか、
   軍服を着た者はほとんどなく、大部分が平服の、民間人で、
   婦人や子供も交じっているようでした。
   死体に油をかけて、焼こうとしたため黒焦げになった死体も、
   数多くありました。   死臭で息もつけない中を、工兵部隊が
   死体を沖に運んで   流す作業を   やっていましたが、
   こんなやり方では、一〜二ヵ月はかかりそうでした。
  (写真キャプション)   虐殺されたのち   薪を積んで、
   油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが平服の民間人
   でした。
  (写真キャプション)   揚子江岸には、おびただしい
   死体が埋められていました。   虐殺した後、河岸へ
   運んだのでしょうか、それとも河岸へ連行してから
   虐殺したのでしょうか。

おそらく   南京虐殺否定派は、村瀬氏を   ウソつき、または
妄想家の類と、例によって   根拠もなく   決めつけるだろう。
あるいは、村瀬氏が見たのは   兵士の死体であり、民間人と
いうのは間違いだと   主張するものも   出てくるに違いない。
参考として、第十六師団歩兵三十三連隊第二大隊に所属した
兵士の証言を   以下に   付記しておこう。

   うちの中隊で警備に出るとき、揚子江の水際で死体を
   ぎょうさん見ました。   兵隊やのうて住民みたいでした。
   河べり一面に   死体が   寝ころんでるように   ぎっしり
   つまっていました。   かわいそうとは思うたが、戦争や
   から   やむを得ないわな。   上の人の命令やから・・・

南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 00:11 投稿番号: [26615 / 29399]
南京虐殺否定派による   曲解の一例として、亜細亜大学教授の
東中野修道が、著書   『南京「虐殺」の徹底検証』   に記した
第16師団長の日記に対する   不自然な解釈について論じたが、
以前、南京大虐殺の生存者の一人が、この著者と出版社により
名誉を傷つけられたとして賠償を求めた訴訟があり注目された。

この訴訟では、最高裁が   被告の上告を   退ける決定をくだし、
著者の東中野修道と   出版社に賠償金支払いを命じた   一審と
二審の判決が   確定し、原告側の   全面勝訴に終わった。
日本軍による   南京大虐殺の際、アメリカ人の   マギー牧師が
南京の2家族11人が   殺害された様子を   フィルムに撮影し、
この事件の   生存者の1人が   当時8歳の原告だった。

東中野教授は   『南京「虐殺」の徹底検証』   の中で、
フィルムの中の少女は   別人であり、証言は捏造されたものだ
と主張していたが、それは   じつに   お粗末な、初歩的ミスで
著者が   事実を誤認したものだったことが、判明したのだ。
虐殺否定派が   まともな検証作業もせずに、証言を「ウソ」と
決めつけることが前提になっていることの   証明となった。

証言者に「ニセ者」「ウソつき」   のレッテルを   貼ることで、
事件そのものを   否定しようという意図が   根本にあったが、
東京地裁の   判決が、被告による   資料の解釈について
「学問研究の   成果というに値しないと言って過言ではない」
と断じたほど、稚拙で低レベルの「研究成果」   によって
「南京虐殺はなかった」という主張が   垂れ流されているのだ。

このような   曲解や捏造が、彼等の中では   まかり通っている。
ちなみに、東中野教授は   「日本『南京』学会」   と称する
虐殺事件否定派の「研究者」を中心とする組織の代表を務める。
学会と称しているが、もちろん、日本学術会議の協力学術研究
団体には   加入していないし、学者間では評価もされていない。

実際、東中野教授の著書を   通読してみると、虐殺否定派が
どんなデタラメな手法を用いているかが、じつに   よく分かる。
些細な矛盾点を   針小棒大に取り上げて   証言全体を否定しようと
したり、文章を   引用する際、歪曲して   正反対の   意味にしたり、
都合の悪い記述は無視する一方、信憑性の低い資料を重視したり、
まさに   「好き勝手」としか、いいようがないものだ。

南京虐殺の犠牲者数については、「30万人」と「ゼロ」   という
両極端の説が   火花を散らしているが、東中野教授の   著書は、
その中でも   特にインチキだらけの   ひどい   シロモノなのだ。
彼が得意とする「南京事件証拠写真を検証する」   についても、
はじめから   南京事件の証拠ではない写真を持ち出し、検証して
「証拠とならない」   と言ってみせることで、事件の証拠はない
と思わせるトリックを   使っているにすぎない。

たとえば、目黒輜重連隊兵站自動車第17中隊に所属していた
村瀬守保氏が   撮影した写真などは   日時、場所、状況などが
はっきりしている。   しかし、東中野教授は、それらの写真には
触れていない。   信憑性の高い写真を   初めから   除いたうえで
「検証した」   というのは、まさに   トリックだろう。

南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 00:10 投稿番号: [26614 / 29399]
先に、第16師団長   中島中将の日記を   引用した。
否定派は、「片端より片付くる」は、捕虜を釈放する意味だという。
それでは、現実に   第十六師団の   現場指揮官たちが   どのような
命令を受けていたのかを、当事者の証言によって   確認してみよう。

  (歩兵第三十八連隊副官の述懐古)   
   聯隊の第一線が京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り
   乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として
   「支那兵の降伏を受け入れるな、処置せよ」と電話で伝えらた。
   (中略)
   部隊としては   実に驚き、困却しましたが   命令やむを得ず、
   各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告は
   ありませんでした。
   激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。

  (独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊、観測班長の証言)
   第一中隊(十五センチ加農砲)の任務は   太平門に突進する
   佐々木支隊に   協力することであったが、南京が   陥落した
   12月13日、仙鶴門鎮付近で首都防衛決死隊の夜襲をうけ、
   かつ   多数の投降捕虜を得たので、その状況を   略述します。
   (中略)
   その行動は   極めて整然としたもので、既に戦意は全くなく、
   取りあえず道路の下の田圃に集結させて、武装解除しました。
   (中略)
   俘虜の数は約一万(戦場のことですから、正確に数えており
   ませんが、約八千以上おったと記憶します)でしたが、早速
   軍司令部に報告したところ、「直ちに銃殺せよ」と言って
   きましたので拒否しましたら、「では中山門まで連れて来い」
   と命令されました。
  
  (歩兵第十六師団司令部副官の遺稿)   
   私は   その時、“一万の捕虜をどのように収容するか”   を
   考えなければ   ならなかった。
   南京城内には刑務所があるだろうから、そこに入れるとしても
   食わせるものが   ない。   我々自身が   イカモノを食いつつ、
   その日を   過ごしているのに   如何とも   なし難い。
   しかし、人間は水さえ飲んでいれば十日や二十日は保つと
   いうから、食飼のことは   何とかなるだろう。
   参謀長に   指示をうけようとしたが、参謀長は   即座に
   「捕虜はつくらん」   と言われたので、後方参謀に話した。
  
いずれの事例でも、捕虜もしくは投降兵について、軍司令部なり
師団なり   参謀なりが、明確に「殺せ」という指示を出している。
この方針については、早くも1938年、石川達三氏が   中島師団長
麾下の   第十六師団に取材して書いた小説、「生きている兵隊」に
登場している。
  
  (石川達三著「生きている兵隊」より)
   こういう追撃戦ではどの部隊でも捕虜の始末に困るのであった。
   自分たちが   これから   必死な戦闘にかかるというのに  
   警備をしながら   捕虜を連れて歩くわけには   いかない。  
   最も簡単に   処置をつける方法は   殺すことである。
   しかし   一旦つれて来ると   殺すのにも気骨が折れてならない。
   「捕虜は捕えたらその場で殺せ」   それは特に命令というわけ
   ではなかったが、大体   そういう方針が   上部から示された。
   笠原伍長は   こういう場合にあって、勇敢に   それを実行した。
   彼は数珠つなぎにした十三人を片ぱしから順々に斬って行った。

捕虜を虐殺したという証言は、ほかならぬ   日本軍兵士たちの告白や
膨大な数の記録資料に   はっきりと   残されている事実なのだ。  
南京事件を必死で否定し、その実態を隠そうと血眼になる連中は、
捕虜にしないとは   「釈放する」   という意味だ、壕を掘るのは
「収容監視する」   ためだ、などと   大マジメに   主張する。
勝手な憶測を前提に、捕虜の殺害はなかったと   主張してみせるが、
それは、まったく   説得力がない。   ただ   見苦しいだけなのだ。

南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 00:07 投稿番号: [26613 / 29399]
「捕虜はせぬ方針なれば   片端より之を片付くる」ことにしたが
「これを片付けるには   相当大なる壕を」   必要とした   という
記述を、先入観なく   素直に解釈すれば、「殺害方針」と見る方が
妥当である   と思える。
これに対し、東中野教授は苦し紛れに   以下の解釈を打ち出した。

   「処理」というのを、「銃殺」   のような響きで解釈するのも
   ちょっとおかしい。   参謀将校の話によると、あのあたりでは
   土を掘った壕があったので、   「処理」というのは、その壕に
   捕虜を入れて監視保護するというニュアンスだったとのこと
   (『諸君!』2001年2月号   P140)

ニュアンスだった   というが、しかし、実際に   現場の兵士たちが、
「壕に捕虜を入れて監視保護」したなどという記録は   存在しない。
この   東中野教授の強引な解釈は、到底   説得力を   持ちえない。
むしろ、「壕」が   「死体処理」の場であったことを示す   資料が、
多数   存在しているのだ。   その一例を   以下に紹介しよう。
   
  (第二野戦高射砲兵司令部副官の証言)
   「二千の虐殺死体」とかいわれておりますが、門の外側で
   見ましたのは千にも足らなかったと思います。一部の死体は
   人に踏みつけられ、気の毒な状態でしたが、この人たちは、
   紫金山の戦闘に敗れて城内に逃げ込まうとしたか、あるいは、
   城内から脱出しようとしたかは判らないが、太平門まで来て
   やられたのではありますまいか。
   ここには門外に深い大きな壕があり、この壕の中に死体が
   入れられて、土で覆われていました。  
   門の正面で   城壁の曲折部の下方には、一〇〇近い死体が
   土もかけずにありましたが、これは爆弾を投げられたよう
   でした。
  
  (歩兵第九連隊中隊長の証言)
   十三日右側支隊の紛戦救援のため急派され翌十四日歩九に
   復帰する途中   太平門外を南進するとき地隙内に   かなり
   多くの中国兵の死体が集められていたのを見た。

  (歩兵第三十旅団長の手記)
   守将が逃げた後にのこされた支那兵ほど   みじめな存在はない
   のである。彼らに戦意の程がありや無しやは自明の理であるが、
   彼らにはもはや退路がなかったので死にもの狂いに抵抗したの
   である。
   敗残兵といえども尚部落山間に潜伏して狙撃をつづけるものが
   いた。   したがって抵抗するもの、従順の態度を失するものは
   容赦なく即座に殺戮した。   終日各所に銃声がきこえた。
   太平門外の   大きな外壕が   死骸でうずめられてゆく。
 
以上の証言から、「大なる壕」は、そのまま   死体処理の場と考えて
何の不審もない。東中野解釈は、あまりにも不自然で強引に過ぎる。
都合のよい推論ばかりが元になって展開される   南京虐殺否定論は、
ほとんど   読解力不足か   意図的な得歪曲   といって過言ではない。

南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/23 00:06 投稿番号: [26612 / 29399]
数多くの   日本軍兵士、国際機関の関係者、そして被害者たちの
証言や記録資料によって、残虐行為が   組織的に行われた事実を
伝えている。   そのすべてを信用しなくとも、少なくとも南京で
捕虜の大量殺害や   民間人に対する違法行為が   多発した事実を
うかがい知ることができ、軍の公式文書とも   整合性が取れる。
いずれも、現地における   体験に基づいて「あった」   「見た」
「体験した」   という、客観的で   具体的なものだ。

一方、南京事件を   必死で否定しようとする者の   論拠は、
「なかったはずだ」   「疑わしい」   「あるとは思えない」
といった類の、一部の論者が振り回す主観論に依拠している。
中には、自称体験者による   「なかった」   「見なかった」
という、数少ない証言を持ち出す場合もあるが、圧倒的多数の
記録を   怪しい、疑わしい、ウソ、捏造   と決め付けておいて
都合のよい証言だけを真実だと言い張るのは   厚顔無恥な話だ。

否定派には、記録資料に対する無理な   曲解が多い。   例えば
亜細亜大教授の東中野修道は著書『南京「虐殺」の徹底検証』で
第16師団長   中島今朝吾中将の日記に関して   言及している。
これは、捕虜の大量殺害を   記録している資料として有名だが
著者は、独自の解釈を加えて、虐殺はなかったと主張している。
中島中将の   12月13日付の記述は、以下のようなものだ。
 
   「大体捕虜はせぬ方針なれば   片端より之を片付くることと
   なしたる共千五千一万の群集となれば   之が武装を解除する
   ことすら出来ず   唯彼等が全く戦意を失ひ   ぞろぞろついて
   来るから安全なるものの   之が一端掻擾せば始末に困るので
   部隊をトラツクにて増派して監視と誘導に任じ   十三日夕は
   トラツクの大活動を要したりし   乍併戦勝直後のことなれば
   中々実行は敏速に出来ず斯る処置は当初より予想だにせざり
   し処なれば参謀部は大多忙を極めたり」

普通に考えれば、「捕虜にせぬ方針」で、「片端から片付け」る、
というのは、捕虜にしないで   殺してしまう、という   意味に
とるのが常識的解釈だろう。   ところが、南京否定派にかかると
「捕虜はせぬ方針」とは、「投降兵は   武装解除後に追放して
捕虜にしない方針」である   という意味に   解釈するらしい。

田中正明著   『南京事件の総括』   でも、
「この中島中将の『捕虜ハセヌ方針』というのを一般に誤解して、
南京の捕虜は   かたっぱしから殺害したかのごとく   主張するが、
決してそうではない。」   として、銃を取りあげ   釈放するという
意味だ、などと   主張している。
しかし、東中野などの   否定派は、「中島日記」   を引用する時、
意図的か否かは分からないが、次の部分を   完全に無視している。
   
   「此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々
   見当らず   一案としては百二百に分割したる後適当の処に
   誘きて   処理する予定」

捕虜を   追放するのに、なぜ   「大なる壕」   などが必要なのか。  
また、100人単位に分け   適当な所に誘導する必要があるのか。
否定派は   まったく説明できずに、この部分に触れようとしない。
卑劣であり、典型的な   ご都合主義   というほかない。

Re: ヌカボシ=強姦魔が成立するな。

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/21 05:48 投稿番号: [26611 / 29399]
皇軍が人身売買された未成年者を含めた女性を直接、間接的に集めて、軍専用の買春宿に入れ長期間拘束していたこと、さらにそれを国家が政策として推進していたということは十分に問題があると思うのですが、そういったことにはぜったいに触れることはありません。

(そもそもこの「証拠がない」というのは性暴力を犯した側の常套句ですし、通常は「文書による強制連行の証拠」なんて残さないことは歴史研究者が指摘済みのことなのですがね。)


↑暴力的に集めたので無く、自発的に参加した証拠は五万と在る。

暴力的に集めた証拠は皆無。

Re: 日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/21 05:46 投稿番号: [26610 / 29399]
南京を占領したのは、陸軍と海軍陸戦隊だったが、海軍陸戦隊は南京での虐殺の証言をする者は居ない。

上海派遣軍を上海に派遣す

上海派遣軍司令官は海軍と協力して上海付近の敵を撃滅し上海並び其の北方地区の要線を占領し帝国臣民を保護すべし

大本営は一般情勢上遂に南京攻略を決意し十二月一日中支那方面軍司令官に対し「海軍と共同して南京を攻略すべき」を命ずると共に其の任務達成の為揚子江左岸要地に一部の作戦を実施し得ることを指示す

大本営は十二月七日方面軍司令官に対し「南京攻略後海軍と共同して概ね杭州宜城蕪湖を含む以北揚子江右岸地城内緒要地の確保安定に任ずると共に航空部隊を以て右地域外敵国内要地の攻撃を続行し上京の進捗に従い逐次兵力を終結控置し大本営の使用に便ならしむ」
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