南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 07:57 投稿番号: [38400 / 41162]
一一四師作命甲第五十八号
   第百十四師団命令   十二月十日下前五時二十五分

一.前面の敵は退却せるものの如く

二.師団は南京に向かい敵を追撃線とす

三.秋山旅団は先ず&#34100;田に向かい本道方向より敵を追撃すべし

四.爾余の諸隊は概ね左の順序に本道上より敵を追撃すべし
   稲垣大隊の一中隊、師団司令部一班、稲垣大隊主力、工兵連隊、奥旅団の主力

五.騎兵、師団司令部二班、野砲兵、野戦重砲兵、師団通信隊、衛生隊、野戦病院、給水班は概ね列記の順序に払暁後師団主力に追及すべし
   直接掩護の為奥旅団より歩兵一中隊を配属す

       師団長   末松中将
   下達法   命令受領者を集め口達筆記せしむ

第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 02:58 投稿番号: [38399 / 41162]
百十四師作命甲第五十七号
   第百十四師団命令   十二月八日午後八時
            於湾里

一.菓■村△48.2高知以北は各要線を点々占領せる縦深ある陣地なるものの如し
   第六師団との作戦地境は西湾村−安徳門東方十字路−南京南門線とす

二.師団は当面の敵を突破し速やかに南京に肉迫せんとす

三.歩兵第百二十七旅団(歩兵第六十六連隊及び歩兵第百二連隊の二中隊欠)は司徒村付近に展開し明払暁より当面の敵を攻撃すべし

四.軽装甲車隊は秋山旅団に攻撃に協力すべし

五.野砲第百二十連隊は湾里付近に陣地を占領し明払暁よりする秋山旅団の攻撃に協力すべし

六.歩兵第六十六連隊及び同第百十五連隊大三中隊は速やかに湾里付近に集結し余の直轄たるべし

七.工兵第百十四連隊は第一線の前身に伴い逐次湾里−陳墟橋−&#34100;田橋−南京道を野砲通過の目的を以て改修すべし

八.余は湾里に在り

    師団長   末松中将
  下達法
    命令受領者を集め口達筆記せしむ

第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 02:30 投稿番号: [38398 / 41162]
一一四作命甲第五十六号
   第百十四師団命令十二月八日午前十一時半
           於高家庄

一.敵状別紙要図の如し
   左追撃隊は将軍山南側高地を占領し続いて将軍山の敵を攻撃中にして其の一部は遠く本道方向にありて北方に進出しあり
   軽装甲車は北方面の追撃に協力中なり
   第六師団の先頭部隊は午前十時頃高家庄を通過し水口方向に前進せり

二.師団は依然南京に向かう追撃を続行せんとす

三.秋山旅団は現暗山の敵を其の右側背より攻撃し本道上&#34100;田村方向に進出すべし

四.余は高家庄に在り後&#34100;田村に向かい前進す

    師団長   末松中将

   下達法
     筆記せしものを電令を以て交付す
   備考   地名は十万分の一地図による

第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 02:00 投稿番号: [38397 / 41162]
一一四師作命甲第五十五号
   第百十四師団命令十二月八日午前九時半
           於高家庄

一.当面の敵続々退却中にして将軍山には敵収容陣地あり

二.師団は依然南京に向かう追撃を続行せんとす

三.右追撃隊は依然香■樹付近に向かい敵を追撃すべし

四.左追撃部隊は一部を以て夜暗に乗じて花神■に突進せしめ主力は蒋軍山の敵を東方より攻撃したる後花神■に対する追撃を続行すべし
   第二大隊を其の指揮に復帰せしめ工兵一小隊を配属す

五.秋山旅団長は歩兵第百二連隊(一大隊欠)を指揮し本払暁より将軍山の敵を其の右翼を包囲する如く攻撃し爾後花神■に向かい追撃すべし

六.疲弊大隊は高家庄−水口−安徳門道方向より敵の退路を遮断すべし

七.奥旅団は速やかに南京南側雨花台東方地区に前進し師団主力の戦闘に参加すべし

八.軽装甲車隊は藤田少佐の指揮に依り一部を以て将軍山の攻撃に主力ヲ以て師団の追撃に協力すべし

九.工兵第一中隊(二小隊欠)は自今余の直轄す

十.歩兵第百二連隊第三大隊(第九代十中隊欠)第百五十連隊第二大隊(代議中隊欠)第百十五連隊大三中隊は予備隊となり高家庄に位置すべし

十一.余は高家庄に在り
   後花神■に向かい前進す

     師団長   末松中将

   下達法
     七日夕以来格別に命令し総合したるものを命令受領者を集め口達筆記せしむ

第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 01:40 投稿番号: [38396 / 41162]
百十四師作命甲第五十二号

  第百十四師団命令十二月五日午後七時
          於楊塘村

一.状況別紙情報記録第三十,第三十一号の如し

二.師団は神速に南京占領する目的を以て明六日先ず秣陵關に向かい前進せんとす

三.奥支隊は漂水−秣陵關−南京道方向よりする師団主力の攻撃を容易ならしむる目的を以て速やかに南京に近く地歩を確得し当面の敵情地形を捜索すべし

四.余は楊塘村に在り
   本夜半出発漂水を経て秣陵關に向かい前進す

      師団長   末松中将

  下達法
   命令受領者に口達筆記せしむ

百十四師作命甲第五十三号
   第百十四師団命令   十二月六日午前九時半
            於漂水

一.師団主力は先ず秣陵關の北方高地の線に進出し続いて本道に沿う地区より南京を攻略す

二.奥支隊は湖熱鎮を経て前進し師団所力の攻撃を容易ならしむべし
   町陵關に派遣せし歩兵及び工兵第一中隊の主力は自今余直轄とす

        師団長   末松中将
   下達法
     参謀より伝達せしむ

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/01/23 01:20 投稿番号: [38395 / 41162]
>平時における死者数は身元確認でほぼ特定できるが、戦時の混乱した状態で
どうやって正確な死者数を確認するのさ!(笑)

それが何か?

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: haru2101n 投稿日時: 2012/01/22 22:58 投稿番号: [38394 / 41162]
>たとえば阪神大震災で6000人の死体を見なかったという証言に
ついて、実際には6000人亡くなったからその証言が嘘だと思う
ことなどないわけだ。単にひとりの人間がすべてを見ることは
不可能だというだけのことだ。

横から失礼!
平時における自然災害の死者数と、戦時における死者数を同列に扱う事自体間違いじゃないの?(失笑)

平時における死者数は身元確認でほぼ特定できるが、戦時の混乱した状態でどうやって正確な死者数を確認するのさ!(笑)まさか裏付けのない証言だけで鵜呑みにする訳じゃないよね?〜そんな常識さえ知らず、両者を比較するとは失笑ものだよ。

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 20:58 投稿番号: [38393 / 41162]
>まさかとは思うが、おまえ東中野の本を歴史資料だと思ってないよね?(藁


ん?

これへのレスはまだか?

Re: 中国へ行って来い wadatumi_voice21

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 20:56 投稿番号: [38392 / 41162]
>自分で中国を車両で移動してみて来い。

おまえ、やったことあるの?

Re: 疑惑の資料

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 20:55 投稿番号: [38391 / 41162]
>掲示板に投降して、我儘言うもんじゃありません。

おまえの投稿もずいぶんわがままに見えるぞ   ははは。

Re: 客観的とは

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 20:53 投稿番号: [38390 / 41162]
訂正

議論のしようがもない。

議論のしようもない。


やれやれ 世話をやかせるやつ   ┐(´-`)┌

Re: 客観的とは

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 20:48 投稿番号: [38389 / 41162]
>解らないのに、無理してレスしなくてもいいんだよ。(笑)


わけもわからんのに俺にレスしたのはお前じゃないの?

わかるわからん以前の問題、相対性のある言語に絶対的価値などないということ。

「客観」という言葉でさえも、20世紀になってからでさえ論理学はつねに新しい解釈を出しているんだね。

だから俺はwadatumi氏もsuteffy氏のどちらもまちがっていると絶対的に断言はできないというわけ。

ま、お互い共通認識のないところでは議論のしようがもない。


やれやれ ┐(´-`)┌

中国へ行って来い wadatumi_voice21

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 20:25 投稿番号: [38388 / 41162]
<wadatumi_voice21>
太平洋の孤島や南方の密林とは違い、人口稠密で物資豊富な
中国戦線では、餓死者など   生じなかった   と思われやすい。


こらこら、&#22099;を吐くな wadatumi_voice21。
中国戦線で、人口が稠密な地帯など極僅かだ。
殆どは太平洋の孤島より広く南方の密林ほど広い荒野や険しい山岳地帯の間を抜ける人口過疎地帯だったんだよ。

市街戦になって始めて人口稠密で物資も豊富であった地域が戦場になるわけだが、戦場となる時点では住民も跳散して物資は軍閥軍に没収されていたわけだがね。

自分で中国を車両で移動してみて来い。
人口14億に届こうかという現在でも都市と都市の間は、人口稠密地帯とはとても言い難いぞ。

Re: 疑惑の資料

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 20:09 投稿番号: [38387 / 41162]
<nidanidao>
maximirion君さあ、

nyankotyandamon氏に質問してるんだから、彼が答えてから横レスしてくれよ。


掲示板に投降して、我儘言うもんじゃありません。

Re: 客観的とは

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 20:07 投稿番号: [38386 / 41162]
<nidanidao>
>”確証された”とは、「確かな証明がされた」ことを言い、”確証”とは「確かな証」のことを言う。

ということが正しいとも言えないのだよ。


解らないのに、無理してレスしなくてもいいんだよ。(笑)

大量餓死を招いた軍の体質と南京虐殺(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/22 19:20 投稿番号: [38385 / 41162]
中国大陸に武力侵攻した日本軍が、南京などで   捕虜にした
多数の中国軍兵士を   組織的に殺害した   事件の背景には、
補給線確保の軽視という   日本軍の   特質があった。
自軍の食料さえ確保困難な状況のうえに、予想以上に大量の
捕虜が発生し、給養に窮したことが   殺害の引き金となった。
日本軍の補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地で   略奪行為などが多発する原因ともなった。

長尾五一軍医中佐の遺著などが、その事実を   裏付けている。
中国戦線で   最後の作戦となった第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月〜6月の   3カ月間の死者数は   戦死が695人、
戦傷死322人、戦病死2184人、計3201人にのぼり、
「第二十軍の統帥発動以来終戦までの各種比率」については
「戦死、戦傷、戦病死   おおむね   4対5対9」   である。
(第二十軍軍医部の戦死・戦病死者別一覧表の注)

中国戦線でも、戦死・戦傷よりも   「戦病死」   が圧倒的だ。
負傷した後に、包帯所や   野戦病院で   死亡する者も多かった。
これは、患者の給養がきわめて悪かったことを   裏付けている。
大部分が   長期間の給養不足、栄養失調状態にあって
病気に対する抵抗力を失っていたため、戦病死に至ったものだ。
栄養学でいえば、広い意味で   餓死の分類に入る。

中国戦線での   45万の戦没者の過半数が   戦病死、
しかも   それは   広い意昧での餓死だったというのが事実だ。
日本軍が、補給らしい補給もなしに   現地調達する方針は、
明治以来   一貫していた。   日清戦争でも朝鮮出兵軍からの
補給困難の訴えに対し、参謀本部は次のように訓令している。

「古昔、兵家の格言に因糧於敵(糧を敵に因る)の一句あり。
爾来   内外の用兵にこれを奉じて原則となすゆえんのものは
この理由に外ならず。…糧食すらなお且つ敵地に所弁すべし、
いわんやこれを運搬する人夫においてをや…」
(明治27年6月29日、参謀総長熾仁親王から混成旅団長
大島義昌あての訓令)

必要なものは   すべて   敵国から   奪いとる――
「因糧於敵」、これが侵略軍としての行為の   根本にあった。
日本軍兵士の   戦地栄養失調症を含む広い意味での餓死者は、
合計で127万6240名に達し、全体の戦没者212万の
約60%   という割合になる。   靖国神社が「英霊」として
誉め讃える戦死者のうちの半数以上が、華々しい戦いの中で
散ったのではなく、飢餓と衰弱死に   追いやられたのだ。

大量餓死を招いた軍の体質と南京虐殺(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/22 19:17 投稿番号: [38384 / 41162]
大量餓死によって、大量の「英霊」   が増産された。
その原因の第3は、日本軍隊の   特質にあった   と言える。
ひとつは、日露戦争後の   日本軍の   軍事思想の中心に、
精神主義への過信があった   という点にある。

日本軍は、天皇への忠誠と死を恐れぬ勇気を兵士に要求した。
それは   忠義を第一とする   武士道精神だった。
命を惜しまず   名を惜しめ、生き恥をさらすより   死を選べ、
という精神論に基づく教育が   皇軍兵士に徹底的に施された。
国民の権益を守るため国民自らが組織することを基本とする
欧米の近代軍とは異なり、前近代的な忠君報恩を基本とする
「皇軍」   が、近代においても   存在してしまった。

武士道精神は、近代戦争においては   役に立たない。
この事実は、陸軍の父・大村益次郎が   実証したはずだった
にもかかわらず、日本軍の規範には「武士道」がすえられた。
武士道を基調とする精神主義は   兵士を組織に絶対服従させ、
個人個人の自発性をも失わせた。

天皇への忠誠を柱とする精神主義の強調は軍人勅諭に表され、
日本軍兵士の行動を   縦横に縛り付けていた。
日露戦争での勝利も、日本軍に   欧米の模倣から脱却して
独自の軍事思想を   確立させる機会となった。   すなわち、
物量よりも精神力を重視し、歩兵の銃剣による白兵突撃戦が
最後の勝敗を決するものだという   白兵主義に   つながった。

日露戦争では、砲兵火力で勝るロシア軍に対して、日本軍は
銃剣突撃をもって   旅順、遼陽、奉天などで   勝利を収めた。
この経験から、日本軍部には   兵力の多寡や装備の優劣よりも
精神力の差が   勝敗を分ける   という軍事思想が   根づいた。
こうした精神主義は、補給の軽視を生み出す   要因となった。

火力軽視・白兵主義は、火力装備の発達した近代軍に対しては、
まったく   通用しなかったのだ。
日露戦争において   旅順要塞に対し   白兵突撃を繰り返して、
屍体の山を築いた   教訓は、少しも   生かされなかった。
速射砲や機関銃の弾幕、十字砲火の中に   白兵で突入する、
そんな作戦を   繰り返し、無駄な犠牲が出ても、第一線の
実情さえ知らない参謀や高級指揮官は、突撃を命じ続けた。

ガダルカナルでの失敗も   生かされず、ソロモン諸島でも、
ニューギニアでも、フィリピンでも、ビルマでも、皇軍は
白兵主義を盲信して   米軍の火力の前に死体の山を築いた。
こうした   無能な作戦を強行した   軍上層部連中と一緒に、
十把一絡げにして、悲惨な餓死を強いられた犠牲者たちを
「護国の英霊」だ   などとして   祀りあげることは、
戦争犠牲者への冒涜であり、厚顔無恥も   はなはだしい。

大量餓死を招いた軍の体質と南京虐殺(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/22 19:16 投稿番号: [38383 / 41162]
日本軍戦没者“英霊”の過半数が、広い意味で   餓死だった。
戦闘で   華々しく戦って   玉のごとく砕け散ったのではなく、
飢餓と   病気に苛まれ、やせ衰えて   次々と   死んだのだ。
こうした   悲惨な結果をもたらした原因はどこにあったのか。

まず   第1に、補給無視の計画が   あげられる。
軍隊が行動し戦闘するためには   兵員と軍需品の輸送手段と、
弾薬、資材、食糧などの軍需品を供給する補給が欠かせない。
ところが、日本軍は、補給を   きわめて   軽視していた。
作戦目的ばかりを重視して補給を無視した無謀な作戦ばかりが
各地で実行され、結果として   多数の将兵を餓死に追いやった。

ガ島敗戦の際、第八方面軍司令官が   第十七軍司令官を慰めて、
敗戦は「饑餓の自滅」であり、「全く軍部中央部の過誤による」
もので、これは   「補給と関連なしに、戦略戦術だけを研究し
教育していた陸軍多年の弊風が累をなし」たものだ   と語った。
まさに、至言である   と思う。

第2に、兵站軽視の作戦指導にあった。
日本陸軍は、伝統的に   対露(ロシア革命後は対ソ連)戦争を
第一の目標として   編成され、訓練を続けてきた   経緯がある。
したがって、その予想戦場は   北満州やシベリアの広野だった。
軍需品や食糧の補給を担うのは   後方部隊の輜重部隊であり、
その部隊は、戦時に特設する馬を   主な輸送力としていた。

陸軍は   農林省と共同して   全国の農家に馬の飼育を奨励し、
戦時には   この馬を徴発する計画を立てていた。
41年7月、日本軍部は   独ソ戦の推移いかんによっては
対ソ戦を始めようとし、陸軍は   大規模な動員を行なった。
これが   いわゆる関東軍特殊演習(関特演)だった。

こうした満州への大動員を行なっておきながら、南方攻略へと
大きく国策が転換されたが、後方軽視という状況が現れた。
南方作戦を具体化にあたり、大本営の兵站に関する基本構想は
「原則として満州の集積軍需品は抽出せず、中国大陸に対する
補給は最大限に削減して余裕を作り、必要な場合は中国方面から
さらに引き抜いて   南方用作戦資材を充足する」だった。
(参考:防衛研究所所蔵『戦史叢書・マレー侵攻作戦』)

つまり、満州に動員して大量蓄積した軍需物資は、対ソ戦に備え
そのままとし、支那派遣軍から一部を引き抜いて間に合わせよう
という   甘い考えしか   持っていなかったのだ。
「極力内地ノ負担及船舶輸送力ノ軽減ヲ図リ、最小ノ軍需資材ヲ
最有効ニ活用シ現地ニ於テ創意自製自活シ得ルモノハ原則トシテ
之ニ據ルヲ旨トセリ」(南方軍参謀作戦資料)   という具合だ。

しかし、この方針には   大きな欠点があった。
兵要地誌の調査不足による   現地自活主義の破綻は、
やがて明らかになり、大本営の見通しの甘さが   露呈する。
気の毒なのは   第一線の   兵隊たちだった。
彼らは、情報収集力のない軍の失敗による   犠牲者だった。

大量餓死を招いた軍の体質と南京虐殺(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/22 19:15 投稿番号: [38382 / 41162]
太平洋の孤島や南方の密林とは違い、人口稠密で物資豊富な
中国戦線では、餓死者など   生じなかった   と思われやすい。
しかし、敗戦前2年間の   中国戦線では   戦死者数よりも
病死者数が上回っており、その死因は   栄養失調、もしくは
栄養失調と不可分の   マラリア、赤痢、脚気など   だった。

補給困難による飢餓と   栄養失調による体力消耗によって、
中国戦線でも病気が重症化し、多数の「英霊」を発生させて
いったのだ。   ある軍医の記録には、   「酷熱多湿なるうえ
敵機の跳梁、道路の破壊等により補給は予定の如く行なわれず
敵味方の大軍により   現地物資は消費し尽され、将兵の疲労
言語に絶するものがあった」   と記されている。
(長尾五一著『戦争と栄養』、西田書店1994年より抜粋)

中国戦線で   「英霊」の増加が   もっとも集中したのは
最後の2年間であり、その多くが   戦死ではなく   病死だった。
その状況は、1945年に入って   さらに   深刻になっていた。
中国戦線で   最後の作戦となった   第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月から6月の3ヶ月間の死者の内訳は   次のとおりだ。

   戦   死      695人(22%)
   戦傷死      322人(10%)
   戦病死    2,184人(68%)
   合   計    3,201人(100%)

圧倒的に多い戦病死者の詳細な内訳は不明だが、その大部分が
長期間の不十分な給養で、栄養失調状態から病気への抵抗力を
失い、病死にいたったことは、軍医の記録から   判明している。
中国大陸では、45万の   戦没者が発生した。
その過半数が   戦病死、それも   給養不足による   栄養失調や、
それが原因での体力消耗による   広い意味での餓死だったのだ。

戦死者よりも餓死者が多い   というのが、日本軍の   特徴だ。
中国大陸でも   太平洋の島々でも、その事態は   変わらない。
このような「近代軍」が   20世紀にも   存在したのだ。
しかし、その悲惨な実態は   「玉砕」や   「散華」という
大本営が創作した   美しく勇ましい言葉で   覆い隠された。

第二次大戦における   日本軍の戦没者の総数、その中での
戦死・戦病死者などの   正確な割合は、残念ながら判らない。
日本軍の敗北に終わったこともあって、正確に数えることは
きわめて困難であり、多くの部隊が「玉砕」、つまり全滅し、
生存者の証言や記録が失われていることも   原因の一つだ。

また、降伏の直後に、戦争犯罪の追及を恐れて、組織的に
関連資料の大量焼却が実行され、陸海軍の各部隊、さらには
市町村役場の   兵事関係書類までが   焼かれてしまったのだ。
このため、戦後も   日が経つにつれて   調査がすすみ
戦没者の数が   どんどん増えていく   という状況だった。
この点からみても、旧軍部の体質を窺い知ることができる。

大量餓死を招いた軍の体質と南京虐殺(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/22 19:15 投稿番号: [38381 / 41162]
兵士の給養は、敵国から奪い取って   確保する――
日本軍には   元来、「因糧於敵」   という方針があった。
中国に武力侵攻した日本軍が、多数の捕虜を殺害した事件の
背景には、食糧補給を軽視する   この軍の   体質があった。
自軍の食料さえも確保困難な状況で、大量の捕虜が   発生し、
殺害に及んだ   という証言記録が、それを   裏付けている。

日本軍の補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地において   略奪行為などが   多発する事態をも招いた。
さらに、大戦の全般を通じて   日本軍兵士の   戦死者のうち
直接の戦闘での死亡者数よりも   餓死者の数が上回るという
近代軍にあるまじき惨状を   招くものとなった。

第二次世界大戦における   日本人の戦没者は   約310万人。
そのうち、軍人軍属の   死者数は   230万人とされている。
特徴的なことは、その過半数が、餓死や病死であった事実だ。
「英霊」   の多くが、華々しく   戦いに散った   のではなく、
飢餓地獄の中での   惨めな野たれ死に   だったのだ。

栄養学でいえば、飢餓には   食物を   一切摂取しないで起る
完全飢餓と、栄養不足または失調による   不完全飢餓がある。
日本軍の   戦闘状況の特徴は、補給の途絶によって、膨大な
不完全飢餓を発生させ、その結果、完全な餓死だけではなく、
栄養失調のために   病気に対する抵抗力をなくし、マラリア、
アメーバ赤痢、デング熱等よる多数の病死者を出したことだ。

戦死よりも   餓死や   病死者の方が多い――
それが一局面の特徴的な状況ではなく、戦場の全体にわたり
発生したことに、旧日本軍の   特質を   みることができる。
補給もせずに、占領地の死守を命じ、退却も   降伏も許さず、
自軍を次々と   全滅させた大本営は、それを「玉砕」と称し、
美しく粉飾した挙句、餓死者たちを「英霊」   と誉め讃えた。

近代国家間の戦争で、これほど   悲惨な結果を招いたうえに
反省も改革も怠り、自画自賛ばかりを   最後まで繰り返した
軍隊が、はたしてあるだろうか。
近代戦において、補給途絶は   それだけで   敗北を意味する。
大和魂だけで勝てるはずがない。   惨めな敗戦は当然だろう。

大儀なき侵略戦争に駆り出され、無謀な作戦に投入され、
悲惨な死を   強いられた   若者たちの   無念さを思い、
大量餓死や   無謀な玉砕戦法をもたらした   日本軍の責任と
特質を明らかにして、それを   歴史に残す必要がある。

大量の餓死や「玉砕」と称する全滅は、人為的なものであり、
その責任を、死者に代わって   告発しなければならない。
それによって、二度と再び   あの悲劇を繰り返さないように
未来へ伝える「歴史の教訓」   とすることこそが、
先人たちの犠牲を   無駄にしない   唯一の道だろうと思う。

第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/22 18:44 投稿番号: [38380 / 41162]
百十四師作命第四九号
   第百十四師団命令十二月二日午後七時
           於宜興

一.奥支隊は昨一日漂陽を占領し其の一部は本日二日南渡鎮に向かい前進せり
   中支方面軍は南京を攻略す
   上海派遣軍は十二月五日頃主力の行動を開始し重点を丹陽−勾容道方面に保持し麿盤山山系西方地区に進出し其の一部を揚子江左岸に派遣す集団は南京に向かい追撃を続行す
   上海派遣軍との作戦地境は巴山亭橋−黄金山鎮−天王寺十字路−赤山の線とす
   第六師団は長興−廣徳−定埠−洪藍埠道を漂水西方地区に進出し爾後横■橋鎮−南京路方面より南京に向かう追撃を準備す
   第十八師団は廣徳−十字輔−建平−洪藍埠道を先ず小船陽鎮付近に進出し爾後太平府−南京同方向より南京に向かい追撃を準備す
   岡崎支隊は廣徳−建平−水陽鎮−太平府同方向より揚子江左岸に進出す

二.師団は魁けて南京城頭高く日章旗を掲げる目的を以て一地追撃を行し先ず漂水北方地区に向かい驀進せんとす
   新たに左に部隊を配属せらる
   独立機関銃第二大隊
   戦車第五大隊

三.奥支隊は先ず漂水北方地区に向かい敵を追撃し漂水−南京道方向よりする師団主力の追撃を容易ならしむるべし
   野砲兵第三大隊の配属を解く

四.秋山旅団は明三日漂陽に向かい前進すべし
   第三第四野戦病院の前進竝に宿営給養を区署すべし

五.野砲第百二十連隊(未到着部隊欠)及び野戦重砲兵第十四連隊(第一大隊及び連隊段列半分欠)は逐次漂陽に向かい前進すべし

六.歩兵第六十六連隊第五中隊は宜興に在りて同地の守備に任ずべし

七.左記部隊は明三日午前八時宜興出発左の行軍序列を以て歩兵第百五十連隊第一大隊長の区署により徐舎鎮に向かい前進すべし
   歩兵第百五十連隊第一大隊(第二第三第四中隊及び機関銃一小隊を欠き歩兵砲中隊を属す)
   師団司令部
   師団通信隊
   歩兵第百二連隊第三大隊(第十中隊欠)
   衛生隊(三分の一欠)
   本二日夜宜興に於ける露営司令官は歩兵第百五十連隊第一大隊長とす

八.夜は宜興に在り
   明三日自動車を以て徐舎鎮に至る

    新団長   末松中将

Re: 疑惑の資料

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 18:13 投稿番号: [38379 / 41162]
>アノね、君は防疫給水部隊の活動を知らずに日本軍のこととを御話ししているの?

まったく困ったもんだよな。
ああいう横レスされると、話がつづかなくなる。



~(=^ -- ^) ぁ ゃι ぃ ニ ャ!

Re: 客観的とは

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 18:09 投稿番号: [38378 / 41162]
>”確証された”とは、「確かな証明がされた」ことを言い、”確証”とは「確かな証」のことを言う。

ということが正しいとも言えないのだよ。

Re: 疑惑の資料

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/22 18:07 投稿番号: [38377 / 41162]
アノね、君は防疫給水部隊の活動を知らずに日本軍のこととを御話ししているの?

中国や東南アジアの河川の水は飲むことは出来ません。

若し嘘だと思ったら、自分で体験して頂戴ね。

白痴のmaximirion

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/01/22 18:06 投稿番号: [38376 / 41162]
当事者によるリアルタイムの証言は、都合が悪かろうが良かろうが
重要な歴史資料であるという点でおまえは文句ないかな?
私が特定の歴史資料そのものが嘘だと言いはることはまずないね。
ほかの資料と矛盾するから採用できないと言う場合はあるがね。

たとえば阪神大震災で6000人の死体を見なかったという証言に
ついて、実際には6000人亡くなったからその証言が嘘だと思う
ことなどないわけだ。単にひとりの人間がすべてを見ることは
不可能だというだけのことだ。

ところでおまえ、東中野が嘘吐きだと私が言ったことが不満
なんかな?まさかとは思うが、おまえ東中野の本を歴史資料だ
と思ってないよね?(藁

Re: 疑惑の資料

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 17:56 投稿番号: [38375 / 41162]
maximirion君さあ、

nyankotyandamon氏に質問してるんだから、彼が答えてから横レスしてくれよ。

Re: 客観的とは

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 17:55 投稿番号: [38374 / 41162]
<nidanidao>
客観的とは確証されたことであり、数学のように証明されたことではない。

確証は事実らしきものを積み上げた命題を、そこから反証される事例を考慮にいれて新たに命題を定義し直し、その繰り返しにおいてある程度の確からしさを求めるだけのもの。



”確証された”とは、「確かな証明がされた」ことを言い、”確証”とは「確かな証」のことを言う。

よって、nidanidao の定義付けの根幹が、既に間違いだな。

”客観的”とは、証明されたと確証があるかが先ずあるのではない。

先ず、対義としての主観と客観がある。
そのうえで、主体として個人あるいは集団の観点での事物の観念に依拠することを”主観的”と評し、客体として収集可能な資料や証言や観測観察による論理的概念を”客観的”と評す。

”客観”であるためには、その判断に論理性がある必要性があり、論理性の帰結として”確証”若しくは”実証”とそれに基づく”論証”が求められる。

”客観的”であるためには、最低限”論証”がなされていれば、個とは足りるが、客観的であるだけでは、事実を推察するには足りるが確定には至らない。
確定するには、論証と整合するし裏付ける確証か実証の何れかが最低限必要となる。

因みに”論証”とは、「論理的証明」のことを言う。

Re: 疑惑の資料

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 17:27 投稿番号: [38373 / 41162]
基本的には、現地井戸や湧き水を探して調達し、飲用に適するかどうかを調べて飲用に適する水とそうでない水に分類して使う。

必要に応じて除菌やろ過をして飲料水を確保する。
飲用以外の水も用途に合わせたろ過を必要に応じてする。

ため池の水は、基本的に飲用にしない。
河川の水は、飲用に適する水はろ過して飲料水を確保する。

河川や池の類がないときは、井戸を掘ってでも確保する。
井戸掘り職人も従軍していたのだよ。

shoujouji は、己に照らして考えた

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 17:15 投稿番号: [38372 / 41162]
<shoujouji>
外国人の証言に20万人という数字が出ていれば大喜びで引用し、
同じ外国人の証言に日本軍の虐殺が出ていればそれはウソだと
して引用しないわけだ(藁


shoujouji が、自分に都合の良い証言や文献を大喜びで引用し、都合の悪い証言や文献を嘘だと言い張るからといって、他人もそうに違いないと言う思い込みは、自慰でしかない。

白痴には、自覚すらないということがよく分かる。

Re: 客観的とは

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 17:08 投稿番号: [38371 / 41162]
<mokneybrain123>
要するにこのワダツミという御仁はめちゃくちゃ投稿しているうちに前言を忘れて自己矛盾してしまうという人間だ。


いいえ、彼は字面を眺めて自分に都合のよさそうな記述を拾い集めて継ぎ接ぎし、一つの論説に見えるように文章の体裁を整えてるだけの共産党シンパでしかありません。

拾い集めた記述も理解できている頻度は少なく、彼自身の著述でないものをシリーズ化して投降しているので、其処にある矛盾などに自ら気付くことが出来ないのであって、忘れる忘れない以前の話です。

稀にしか、他者からの疑義や指摘に返答しないのも、自身の投降の中で論説されている記述内容を殆ど理解出来ていないことに由来します。

他者の記述した文面や文章構成などの体裁を整えるが精々でありますから、稀に彼自身が著述した投降部分の文や文章は、日本語の体を成しません。

Re: 脳内のrugaruga12さん

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 16:47 投稿番号: [38370 / 41162]
<konoyo_anoyo>
追い軍売春婦が日本軍に憑いて商売していた。


従軍慰安婦なんてのはなかったが、追い軍売春婦なんてのもなかった。
売春婦が日本軍に憑いて商売することなんぞ不可能だった。

性的慰安所は、性的慰安婦が就業する軍用及び軍専用の施設だが、慰安所の中でも特殊な部類であって、登録制で許認可を受けた民間営業だ。

その施設で性的慰安婦のサービスの提供を受けるには、隊長が隊員の性的慰安所利用の実施表を作成して事前に軍政に届け出て、慰安所施設まで隊毎に行軍し、兵站部から実施表に従って支給された花券で利用しなければならなかった。

軍用、軍専用の性的慰安所以外の性交や軍の許可なく性的慰安所を利用すれば、官憲に取り締まられて処罰された。

故に、従軍慰安婦もいなければ、日本軍に憑いてまわった娼婦の類がいて商売が成り立つこともなかった。

Re: 疑惑の資料

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 16:33 投稿番号: [38369 / 41162]
>水を供給するのが防疫給水隊の役目。

防疫給水隊はどこから水を調達するの?

中国や東南アジアの川やため池の水は飲んでも大丈夫なのかなあ。

~(=^ -- ^) ぁ ゃι ぃ ニ ャ!

Re: 客観的とは

投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/22 16:33 投稿番号: [38368 / 41162]
●>ま、wadatumi氏とお互い仲良くやりなさいね^^

はいはい。



your Steffi

Re: 客観的とは

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 16:28 投稿番号: [38367 / 41162]
>ならば、いわゆる“南京大虐殺”など存在しなかったという立場にも「ある程度の確からしさ」はじゅうぶんに認められるはずですよ。何しろ“事実らしき”史料や証言は山のように積みあがっているわけですから。

もちろんそうだな。
あんたの言うことも間違いじゃない。
だからといって、wadatumi氏に客観性がないとも断言はできんし、「随筆」」はブログでやってくれというのはいい過ぎだろ。
このへんは掲示板の限界だから、それ以上のことは直接会ってお互いの証拠を見せ合うしかない。
ま、wadatumi氏とお互い仲良くやりなさいね^^

Re: 南京大虐殺映画「金陵十三釵」が大ヒッ

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/01/22 16:05 投稿番号: [38366 / 41162]
外国人の証言に20万人という数字が出ていれば大喜びで引用し、
同じ外国人の証言に日本軍の虐殺が出ていればそれはウソだと
して引用しないわけだ(藁

Re: 客観的とは (mokneybrain123さん)

投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/22 15:59 投稿番号: [38365 / 41162]
●>だからほとんど絶対相手の反論に対して答えない。

文章が他人のフレーズの切り貼り(ひどいときには著作権侵害の無断盗用)だらけで、ご自身の言語で語っていらっしゃらないから、あらかじめ用意したスクリプトから外れた議論には対応できないのでしょうね。



your Steffi

南京陥落後の第十六師団

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/22 15:59 投稿番号: [38364 / 41162]
其の一   警備

一.地区の区分及び配備
   於南京城内の配備は一大師作命甲一八八号の如く

一.軍内の軍旗風紀を厳正にせんが為には警備司令官の区署権を厳格に行使し方面軍各軍直轄部隊の優越感を打破すると共に通過軍隊の行動を監視すること必要なり

一.地区内一般の状況は平穏なるも十日ばかり前江寧陳東方に於いて百名近くの敗残兵我連絡兵ヲ襲撃したる事件在り
   概して糧秣關漂水方面我配備突端地方に注意の要ある

一.南京市内は漸く平民の分離し概して(後説の如く全部と言い得ず)民のみとなれり
   将来更に戸口調査を完了し武器の捜索押収と共に出入り者の監視を厳格ならしむれば心配なきに至るべし−此の件逐次実行を望む

一.首都を占領したるを以て重要文書を押収することに着意し目に付く様の個所に在りしものは既に提出済なりも将来は要人私宅を更に捜索する要在るべし但しすれば捜索の意を小時間では駄目なるを以て将校等居住し順々に提出スルを可とせん−逐次実施せらんことを希望す
要人宅調査別冊の如し

其の二   敗残兵の掃蕩

一.各守備隊は数日に亘り担任区内の掃蕩を実施し殆ど其の影見ざるも時々三々五々の敗残兵を捕獲しつつあり
   示威、徴発、行軍等の目的を兼ね不断実行せらるるを可とす

一.南京市内の敗残兵は避難民中に混淆し占領当初大いに手を尽くして分離を行い概ね之を終わりたるも尚完全と言い難し
   今後は密偵を使用して摘発するを可とす
   先日も88Dの大隊長を捕縛せり

一.特に注意すべきは各国外交機関内に隠匿しある相当階級の人物なることなりとす右88Dの大隊長の自白に依れば米大使館内に団長及び営長尚隠れ在り連れ出して逮捕を要す


Re: 客観的とは

投稿者: steffi_10121976 投稿日時: 2012/01/22 15:50 投稿番号: [38363 / 41162]
●>確証は事実らしきものを積み上げた命題を、そこから反証される事例を考慮にいれて新たに命題を定義し直し、その繰り返しにおいてある程度の確からしさを求めるだけのもの。

ならば、いわゆる“南京大虐殺”など存在しなかったという立場にも「ある程度の確からしさ」はじゅうぶんに認められるはずですよ。
何しろ“事実らしき”史料や証言は山のように積みあがっているわけですから。
だからこそ、いまだに論争が決着していないのでしょう。

論争が継続中であるということは、存在説の完璧な立証が、現時点においてもなお達成されていないということにほかなりません。
wadatumi_voice21さんもそれを認識されていらっしゃることは、「断片的な資料から事件の実相に迫るしか手段がない」(38245)、「限られた断片的な記録や証言などから全容解明に至るのは難しい」(38325)等々のご発言からも明らかです。
つまり、wadatumi_voice21さんご自身、その“確証”が存在しないことを自らお認めになっていらっしゃるわけです。

にも拘わらず、一方で「個人的な思い込みや憶測に基づく主観論ではなく、丹念に収集された当事者たちの証言、詳細な記録資料などに基づいて検証された、客観的な事実を述べているのだ」(38146)と決めつけていらっしゃいます。

ご自分で“確証”が存在しないと認識されていることを“客観的事実”とおっしゃるその論旨が矛盾している、つまりwadatumi_voice21さんご自身のご主張の内部で論理の齟齬を来たしているということを指摘しているのであって、論理学上の一般論を申しあげているわけではございません。



your Steffi

Re: 南京大虐殺映画「金陵十三釵」が大ヒッ

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2012/01/22 15:40 投稿番号: [38362 / 41162]
>これは驚いたな。   日本軍が南京を攻め落としたときに、なんと20万人もの南京市民が残っていたとは!
>しかもそれほどの大勢の人間が安全区にいたかどうかなんか確認のしようがない。


全員、安全区にいたことは確認されているよ。

京で戦闘が始まった1937年12月12日の夜、南京に残った約20万人の善良な市民は全て安全区に避難した。


12月1日、南京市長が全市民に安全地区に移るように命令
12月8日、支那軍司令長官唐生智が非戦闘員は全て安全地区に移るように命令

南京市長や支那軍司令長官の命令に逆らって一般市民が危険な場所に残っていた筈がない。


12月7日
何千という人々が南門から安全区に入ってきた。彼らの話によれば、5時までに立ち退くよう警察から命令されており、それに従わなければ家は焼き払われ、スパイとみなされる、というのだ。
(南京事件の日々P39)

12月7日
門の近くにある家は城壁の内側であっても焼き払われるという噂が広まり、中華門の近くに住む住民はパニックに陥っている。何百という家族が安全区に押し寄せてはいるが、こんなに暗くてはもう泊まるところがみつからない。
(ラーベの日記P100)

12月8日
南京防衛軍の司令官唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての非戦闘員は国際管理下の安全地帯に終結しなければならない」と、布告した。市内他地区での移動は、黄色の腕章に特別の印で示される特別許可証所有者を除いて禁じられる。
NYタイムズ12/8(アメリカ資料編P390)

12月8日
把江門を通って江岸に出て行くのは今でも容易であるが、 中国人はそこから城内に入る事を許されていない。昨夜警察官が、城壁外部の下関地区の家々を一軒一軒回って、長江を渡って浦口へ行くように警告して歩いた。
米大使館報告(アメリカ資料編P95)

12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
(南京事件の日々P40)

12月9日
今夜は南京市の南西隅の空全体を火炎が照らしている。(略)AP特派員のマクダニエルは、中国兵が灯油をかけて家に火をつけているところを目撃したと言っている。
(南京事件の日々P41)

12月10日
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。安全区の道路は、避難する人たちでごったがえしている。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107)

12月11日
警察官が川岸で渡江して避難する準備をしているのを見た。その後、数百人の警察官が同じ目的で下関区へなだれ込むのを目撃したから、もはや市内に警察官はいないのではないかと思われる。
(アメリカ資料編P101〜102)

12月12日
今夜の記者会見で聞いたところによれば、防衛司令官の唐生智には、旗下の部隊に対する統率力が不足ために、城内のほとんどの場所で略奪が行われているそうだ。
(南京事件の日々P47)

12月13日
言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。(略)もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。
(安全委員会公文書T-6)

12月13日
ラーベを委員長とする安全委員会は12月17日の日本大使館宛の文書で、「13日に日本軍が入城した時には一般市民の殆ど全体を安全地区に集めていた」とある。
  こうして安全区を別とすれば、南京市は人気(ひとけ)が無くなり、我々委員会のメンバー、わずかのアメリカ人新聞記者、取り残されたヨーロッパ人が2〜3人いるだけになりました。中国側によれば、まだ中国人が大勢安全区の外に隠れていると言う話でしたが、これは確かめることができませんでした。
『南京の真実』P344   1938年6月8日付け「ヒットラー宛の上申書」

歩兵第三十八連隊戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/22 15:21 投稿番号: [38361 / 41162]
五.戦闘後に於ける彼我形勢の概要
   敵は全く殲滅せしを以て我は統等御再び下関に至り露営せり

六.齟齬過失其の他招来の参考となるべき事項
   旅団の掃蕩区域内の掃蕩を実施せしにすでに歩兵第二十連隊の一部を以て掃蕩を終われる区域在りたり
   本掃蕩間功績顕著なるもの無し

七.本掃蕩に於いて南京鉄道部内に在りし敵の第五十二師参謀長孟化一の作戦室に於いて欧州背指摘の防御陣地配備要図地図縮小複製したるものと別紙の通添付す

南京城内俘虜

将校   70人

准士官下士官兵   7130人
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