南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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南京攻略命令

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 15:27 投稿番号: [37961 / 41162]
        中支方面軍司令官

軍司令官宛

中方参電第二六九号其一−−其二−−其三

中方作命第二五号十二月一日午後七時

一.中支方面軍は支那方面艦隊と協力し南京を攻略せんとす

二.上海派遣軍は十二月五日頃主力の行動を開始して重点を丹陽句容方面に保持し当面の敵を撃破して麿盤山山系西方地区に進出すべし
   一部は揚子江左岸地区より敵の背後を攻撃すると共に津浦鉄道及び江北大運河を遮断せしむべし

三.第十軍は十二月三日頃主力の行動を起こし一部を以て蕪湖方面より南京の背後に進出せしめ主力を以て当面の敵を撃破し漂水付近に進出すべし
   特に杭州方面に対し警戒すべし

四.両軍の作戦地境を左の如く延進す
   黄金山鎮−−天王寺十字路−−赤山

五.余は上海に在り   方面軍司令部は十二月七日蘇州に移る予定なり

            方面軍司令官

南京攻略の真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 14:41 投稿番号: [37960 / 41162]
十二月十二日午後六時

一.第六、第百四師団は本日正午過ぎ南京城壁を占領し引き続き城内を掃蕩中なり
   国東支隊は十二日午後四時石佛時を占領し浦口に向かい進撃中

二.集団は一部を南京蕪湖付近に残置し主力を以て将に杭州攻略を準備せんとす

三.国崎支隊は主力を以て浦口付近を占領し残敵を補足撃滅すべし

四.第六師団は南京占領後旅団長の指揮する歩兵第一連隊野砲兵一大隊を基幹とする部隊を以て蕪湖を主に以て南京の警備に任ずべし
   南京の警備区域は共和門−−公園路−−中正門−−中正路の線(含む)以南とし以北は上海派遣軍の担任とす
   丁集作命甲第三十六號に基く無線電信第五十七小隊を除く軍直部隊は成るべく速やかに第百十四師団長の区処を以て長興に前進せしむべし

五.第百十四師団は南京占領後師団司令部及び歩兵約一連隊を南京に残置し主力は成る可く速やかに行動を起こし宣興及び長興に漸進すべし
   南京残置部隊は十七日南京出発主力に合せしむ予定なり

六.第十八師団(独立軽装甲車第九中隊及び野戦重砲兵第六旅団(第十四連隊欠)欠)は丁集作命甲第六十四号に基づき主力を以て速やかに下泗安・廣徳後に前進し安吉−−滑板橋道方面より杭州に向け攻撃を準備すべし
   蕪湖残置部隊は第六師團の一部と交代したる後師団主力に追及せしむべし
   又南京前新部隊は十七日南京にて主力に合せしむる予定なり

七.第百一師団は湖州に終結後紱芿・武康方面より杭州に向かう攻撃を準備すべし

八.第八十八後備歩兵団は主力を以て■■に前進し■■−−長安−−杭州道方面より杭州に向かう攻撃を準備すべし

九.第二後備歩兵団は主力を以て蘇州・密国間の警備に任ずべし

十.独立第三連隊は速やかに湖州に前進し杭州攻撃を準備すべし

十一.独立機関銃第二連隊及び戦車第五大隊は南京に位置し後命を待つべし

十二.独立軽装甲車第六中隊及び野戦重砲兵第六旅団(第十四連隊欠)は湖州に独立機関銃第八大隊及び独立砲兵第二連隊は速やかに下泗安に集結し杭州向け攻撃を準備すべし

十三.軍通信隊は別紙通信計画に基づき行動すべし

十四.第十一師団第一、第二架橋材料中隊及び第十六師団第一架橋材料中隊は速やかに湖州に前進し杭州攻撃の準備を為すべし

十五.協力飛行機隊の行動に関しては別命す

十六.爾余の軍直轄部隊は速やかに湖州に前進し後命を待つべし

十七.集団杭州の攻撃の為下泗−−湖州−−嘉興の線より行動発起は遅くとも十二月二十日と予定す

十八.南京に集合すべき諸隊の行動竝配置等に関しては別命す

十九.余は十七日湖州に至る予定
    集団戦闘司令所を十三日正午中華門付近に設定す

     集団司令官柳川平助
     下達法
       筆記命令を交付す

Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 13:47 投稿番号: [37959 / 41162]
三十万人は死んでいますよ、蒋介石のラジオ放送では、上海事変から南京陥落までの戦死者の数として発表していますね。

其の責任は蒋介石自身に在るとも言っていますよ。

所で戦闘というものは、日本語的に言うと「一会戦」という事になりますね。

一会戦とは四五日間の戦闘を言います。

之に携行及び携帯する弾薬は、一連隊に付小銃軽機関銃弾約17万発、弾約係が予備として用意するものが約6万発。

Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/24 12:56 投稿番号: [37958 / 41162]
しかしですぞ。
日本軍は南京へ20万人の兵力で攻め込んでおきながら、30万人殺せる弾薬もなかったというのは、あまりに装備がおそまつとしかいいようがありませんな。

Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 12:50 投稿番号: [37957 / 41162]
其れは間違い、装備は必要ですね。

装備が良ければ、其れだけ有利。

震え上がって驚くのは最初だけ、慣れれば脅しなど屁のカッパ。

勝利へは続かない。

兵士の練度は重要な問題だけどね、実戦経験すれば直ぐ練度は上がる。

Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/24 12:30 投稿番号: [37956 / 41162]
装備だけで戦争は勝てませんぞ。やるのは人間ですからな。
装備が貧弱でも、相手を震え上がらせるような恐ろしさを備えておけば勝利への道も開けるというものです。

Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 12:30 投稿番号: [37955 / 41162]
因みに、三八銃の実包の規格重量は21グラム(薬莢火薬とも)。

出撃時兵隊が携行する銃弾数最大180発(通常120発)。

総重量3.8キログラム(2.52キログラム)。

Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 12:20 投稿番号: [37954 / 41162]
いいえ、世界の軍隊の戦闘時標準装備ですよ、良くお勉強になってからお出ましくださいね。

Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: oldjiiji 投稿日時: 2011/12/24 11:37 投稿番号: [37953 / 41162]
>三十万を殺すだけの弾薬が無かった、又兵士も居なかった、物理的に不可能。

貴殿の言われることが真実ならば、そのような貧弱な装備で南京まで攻め入ったことは無謀ということになりますな。

Re: 南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 09:12 投稿番号: [37952 / 41162]
日本に来る留学生や、外国人が日本語を読むことは殆ど無いし、日本の漢字を読めると云うことも無い。

店頭に平積みされた本など、外国には無いので不思議に思うだけだよね。

三十万を殺すだけの弾薬が無かった、又兵士も居なかった、物理的に不可能。

南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 08:44 投稿番号: [37951 / 41162]
『歴史学事典7   戦争と外交』(平成11年初版   弘文堂)には、
かなり詳しく   解説されている。   その一部を   抜粋してみよう。

【南京事件   なんきんじけん】
「日中戦争初期、当時の中国の首都南京を   日本軍が攻略・占領
した際に   中国軍民にたいしておこなった、虐殺、強姦、掠奪、
放火、拉致、連行などの   戦時国際法と   国際人道法に反した
大規模な残虐行為の総体。南京大虐殺事件、略称として南京事件
という。単に南京大虐殺ともいう。」

「激戦3カ月におよび甚大な損害を出した(中略)上海派遣軍は
疲弊して   軍紀も弛緩していたうえに、休養も与えられず、補給
体制も不十分なままに難行軍を強いられたため中国軍民に対する
むきだしの敵愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火
などの残虐行為を重ねながら   南京に進撃していった。」

「12月4日前後に   中支那方面軍は、中国軍の   南京防衛陣地
(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京の県城・農村地域から
日本軍の残虐行為が開始された。   南京城区には40〜50万人
(南京攻略戦以前の人口は100万人以上)、近郊の6つの県には
100万人前後(同じく150万人以上)の市民が残留していたが
日本軍は   これらの膨大な中国民衆を   巻き込んで、南京防衛軍に
対する   徹底した包囲殲滅(皆殺し)作戦を   実施した。」

「同作戦は、戦時国際法に違反して、自ら武装解除した投降兵・
敗残兵あるいは武装解除された捕虜までもすべて殺害することに
なった。   一般民衆も   敵対行為、不審行動をする『敵国民』と
判断された場合は   殺害された。   日本軍は、12月13日
南京城を占領した後、17日の南京入城式に備え、徹底した
残敵掃蕩作戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量
処刑を行った。」

「武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても中国兵であった者、中国兵
と思われた者は   すべて   殺害したので、多くの市民、難民が
巻き添えにされて犠牲になった。   さらに、日本軍には戦勝の
『慰労』として10日間前後の『休養』が与えられ、総勢7万
以上の日本軍が   南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」
として強姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない
南京事件は頂点に達した。   その後、第16師団が   駐屯して
軍事占領を続け、38年3月28日に   中華民国維新政府が
成立するまで、日本軍の残虐行為は続いた。」

以上、引用した   弘文堂編纂の歴史学事典の解説は、これまで
引用した辞書・辞典の中でも   南京事件の実相をかなり正確に
述べている。   たとえば、日本軍が   南京に進撃する途上から
残虐行為を開始していたこと、南京城占領後の不法行為の事実、
また   その原因と   経過についても   あきらかにしている。
なお   この事典には   さらに   次のように付記されている。

「70年代から   80年代末にわたり、歴史事実か   『虚構』
『まぼろし』かをめぐって   いわゆる   『南京大虐殺論争』が
展開され、家永教科書裁判の   争点にもなったが、いずれも
否定論が敗れた。   犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の
日本側の研究では、十数万から   20万人の   中国軍民が
犠牲になった   と推定する説が   有力である。」

南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 08:43 投稿番号: [37950 / 41162]
『グローバルライブラリーシリーズⅡ   アジア・アフリカ事典』
(97年第1刷発行   教育出版センター)P.716の記述を見よう。
この事典では、南京虐殺事件に関して、次のように説明している。

なんきんぎゃくさつじけん   南京虐殺事件
「日華事変(日中戦争)中の1937年12月13日〜15日に、
南京を占領した   日本軍が引き起こした   虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した   近衛内閣は、『国内相剋の解消』   を
侵略戦争によって   解決しようと   はかった。」

「こうして   政府および軍部は、中国大陸への侵略を本格化した。
日本軍は当初、長期戦争を   予期してはおらず,当時国民政府の
あった南京を占領すれば、中国は抗戦を断念するであろうと判断
していた。   しかし中国は、共産党の働きかけによる国共合作を
成立させ、持久戦にもちこんだ」

「その結果、日本軍は三光作戦を展開し、中国全土で強姦、虐殺、
略奪を   ほしいままにした。   その典型が   南京事件である。」
「エドガー=スノーの『アジアの戦争』   によれば、南京だけで
4万2千人以上、南京への進撃途上で30万人以上が、殺された。
そのうちの   ほとんどは、『無抵抗』の   婦人・子供であった。」

上記の事典の記述でも、先に引用した『現代アジア社会事典』の
解説と同様に、虐殺事件の期間を   12月13日〜15日だけに
限定するかのような表現がある。
ただし、一方で   南京に至る侵略戦争の経緯、さらに、南京への
進撃途上でも   婦人や子どもを含む多くの非戦闘員が殺害された
という事実を述べている点では、より正確な内容となっている。

もう一冊、別の歴史辞典も   開いてみよう。
『角川   世界史辞典』(01年初版発行   角川書店)P.687-688
【南京事件】についての   説明は、以下のとおりだ。

「①1927年に南京で発生した国際事件(略)」
「②1937年12月、日本軍が南京の中国軍民に加えた大規模な
残虐事件。南京大虐殺といわれる。(略)日本は12月13日に
中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅
作戦を実施、すでに戦闘を放棄した膨大な数の敗残兵、投降兵、
捕虜、負傷兵を集団で殺害した。」

「さらに残敵掃討作戦を実施し、敗残兵狩り、
便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って   成年男子市民を
集団虐殺した。   軍紀の乱れから   中国女性を強姦する
婦女凌辱行為や食料・物資の略奪、人家を放火・破壊する不法
行為も多発した。   南京城内とその周辺の農村を含め20万人
前後の中国軍民が犠牲になったと   推測されている」

角川世界史事典の説明でも、期間については   12月13日の
占領直後から掃討作戦が行われていた間に限定しているように
読み取れるが、一方で、南京城内に加えて   周辺農村も含めて
軍民、つまり   兵士と民間人ともに   多くの犠牲が出たことや、
その原因に日本軍の軍紀の乱れがあった事実にも   触れている。
どの辞典でも、おおむね正確に事件概要を記述しているようだ。

南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 08:42 投稿番号: [37949 / 41162]
『現代アジア社会事典』(75年第1版第1刷   大和学芸図書)
P.315「南京虐殺事件」の項には   次のように記述されている。
【南京虐殺事件】   「1937年12月の南京占領にさいし、
日本軍が   中国軍の兵士および一般市民多数を虐殺した事件」

「軍命令による   中国軍民の大虐殺が行われたのは、日本軍が
同市を占領した   37年12月13日から、中支那方面軍松井
石根大将を迎えて入城式があげられた   同17日の前夜までの
4日間であった。   だがその後も   『敗残兵狩り』   と称して
虐殺は続けられた。   また市内全域は2か月にわたり、個々の
日本兵によって、いわれのない虐殺・略奪・放火が   行われた」

「この事件は、日本敗戦後、極東軍事裁判でもとりあげられ、
判決では   この事件の中国人犠牲者の総数を   20万人前後と
いっている。   このほか、極東軍事裁判では   とりあげられな
かったが、南京付近の   長江(揚子江)一帯では   13万人の
避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ、川の水は
鮮血でまっかになっていたといわれている。」

「この事件は、当時南京にいた   外国人記者   3人によって
詳しく報道され、たちまち全世界に知れわたったが、日本では
敗戦の日まで   その事実が   ひたかくしに   かくされていた」

上記の   『現代アジア社会事典』の解説の中で   気になる点は、
大虐殺が行われた期間が、12月13日から始まり2ヶ月間に
わたり行われた、としている部分だ。
実際には、南京市攻略戦は   12月初めから   開始されており、
5日には   第十六師団が句容を陥れ、第九師団は   南京防衛の  
第一線陣地である淳化鎮を占領した。   第十軍の   第六師団と
第百十四師団も並行して   南京に向かって   急進撃していた。

第一線部隊は   先を争うように   南京に向かって殺到したため
それでなくとも滞りがちな兵站の補給が   追い付けなくなった。
各部隊は、現地徴発という名の略奪で   急場をしのぐほかなく、
当然、防衛線の攻防戦の際に   捕虜とした中国軍兵士の給養を
確保する手段もなかった。   投降した敵兵や逃げ遅れた住民は
過酷な運命に   さらされたことは、言うまでもない。

南京大虐殺事件の期間を   日本軍入場後の   13日から始まり
その後の敗残兵狩りの期間だけに限定するのは   至当ではない。
また、事件の範囲を南京城内だけに限定するのも   正しくない。
南京陥落前は戦闘中だから敵の殺害はしかたないという反論も
あるかも知れないが、戦闘中であっても、捕虜の殺害は違法で
あるし、ましてや   非戦闘員に対する略奪や暴行は許されない。

南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 08:41 投稿番号: [37948 / 41162]
たとえば   日本大百科全書(小学館)も、南京大虐殺について
客観的な事実であることを前提に、以下のように解説している。

「占領当日から翌日にかけての南京城内外における掃蕩戦では、
戦意を失った多数の中国兵を   掃射によって虐殺し、また以後
1週間ばかりの間に、捕虜や、民間人の間に   身を潜めていて
狩り出された敗残兵(便衣兵)の大部分が集団虐殺された。」

「戦死者を含めて中国軍の犠牲者は   10万を下らなかったと
推測される。これら将兵のほか、掃蕩戦で犠牲になった市民や
城外からの避難民、また敗残兵狩りの巻き添えで殺された市民も、
少ない数ではなかった。中国軍将兵に対する集団虐殺は明らかに
軍命令によるものであった」
さらに、被害の状況については、以下のように記述している。

「城内家屋の被害は軍事行動によるもの1.8%、放火13%
(主要実業街は平均32.66%)、略奪63%に及び、中国人
は南京に処女1人もなしと称した」
「日本軍は   遺棄死体   8万4000   と発表したが、現地の
慈善団体が組織した二つの埋葬隊の記録によれば、その埋葬数は
あわせて15万5337体   に上り、揚子江(ようすこう)岸で
集団虐殺されて   同江に投棄されたもの   その他を加えれば、
中国軍民の犠牲者は20万を下らなかったものと推測される」

上記百科事典は   各学術分野の研究成果に基づき、科学的視点で
まとめられており、相当の   準備期間と   綿密な編纂作業を経て
世に出されている書籍だ。   擬似科学や   オカルトを   主張する
トンデモ本とでは、情報の質・量とも   まったく比較にならない。
後者が垂れ流す情報ばかりを妄信して、世界に通用しない論説を
吹聴する一部の論者は、カルト教団の信者に   等しいものだ。

ちなみに、「トンデモ本」   に関係して言えば、「と学会」では
「トンデモ本の世界R」で、虐殺否定派の論客として知られる
東中野亜細亜大学教授の著書について   次のように評している。

「東中野教授がどんなデタラメな手法を用いているかが分かる。
些細な矛盾点を針小棒大に取り上げて証言全体を否定しようと
したり、文章を引用する際、歪曲して   正反対の意味にして
しまったり、都合の悪い記述は   無視する一方、信憑性の低い
資料を重視したり、まさに『好き勝手』   としか、いいようが
ないのだ。   南京大虐殺の   犠牲者数については、『三〇万人』
と『ゼロ』という   両極端のトンデモ説が   火花を   散らして
いるが、東中野教授の著書はその中でも特にインチキだらけの
ひどい代物   なのである」

たしかに   くだんの著書は、読んでみると   客観性に乏しく、
検証手法も   お粗末で、幼稚な内容と感じるものではあるが、
『インチキだらけの   ひどいシロモノ』   とは、
ずいぶんとまた、手きびしい   酷評だ。  
すくなくとも、東中野先生も   虐殺や略奪の事実は認めている。
ただ、   それを   なんとか合法化しようとして
さまざまな詭弁を   こねくりまわしているに   すぎないのだ。

南京虐殺事件を否定しない日本の辞典(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/24 08:39 投稿番号: [37947 / 41162]
留学生などの外国人が   日本に滞在していて驚くことのひとつが
大きな書店などに行くと   南京虐殺を「ウソ」「虚構」「マボロシ」
とする本が、店頭に   平積みされていること   だという。
また、テレビの番組で一部の評論家が、「南京大虐殺はなかった」
「外国人の捏造」   などと発言していることも   不思議だという。

さらに、電車の中吊り公告で目にする   週刊雑誌などの目次には
南京虐殺に関連して、「米中の情報戦による謀略」だとか、「反日
プロパガンダ」「自虐史観」「左翼・マルクス主義史観」   などの
文字が躍っているのを目にする。   そこで留学生たちは、日本の
社会では、南京虐殺否定論が   圧倒的なのだ   と考えてしまう。
しかし   実際には   そうではない。

少なくとも   日本政府の公式見解は、犠牲者数は認定できないが
日本軍により   多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは、
否定できない事実であるということで一貫して変わっていない。
また   出版物については、いわゆる「トンデモ本」   とよばれる
一部の自称研究家の著書を除けば、辞書・辞典類をはじめとして
歴史書、教科書、公式文書類は大虐殺を事実として記述している。

たとえば、日本で広く使用されている国語辞典『広辞苑』第四版
を開くと、【南京】の項目には   「南京大虐殺」   の小項目があり
「日中戦争で南京が占領された37年12月前後に南京城内外で
日本軍が   中国軍の投降兵・捕虜および一般市民を大量に虐殺し、
あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件」   とある。

『大辞泉』では   【南京大虐殺】の解説として、「日中戦争初期の
昭和12年、南京を占領した日本軍による中国軍捕虜や一般市民
に対する大規模な略奪・暴行・虐殺事件」   としている。
『大辞林』も   同項目で、「日中戦争さなかの 1937 年12月
から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対して
行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。   このとき殺された中国人の
数は、極東軍事裁判では   二〇万人以上、中国側の発表では三〇〜
四〇万人とされる。」   と説明している。

また、「詳解   日本史用語事典」(三省堂03年発行)   を開くと、
【南京大虐殺】   の項目には、次のように   記述されている。
「1937年12月、日本軍は   国民政府の首都   南京への攻略戦で
十数万人から20万人の   中国兵捕虜や民間人を虐殺し、略奪・
暴行・放火・強姦などの   残虐行為を行った。」
「欧米では   『南京アトロシティー(大虐殺)』   と報道され  
国際的非難を浴びたが、日本国民には   知らされなかった。」

これらの辞書は、あくまでも言葉の意味を説明しているのであり
虐殺の内容や規模について解説しているものではない。   しかし
いずれも「〜という説である」   「あった可能性もある」という
表現ではなく、事実を指している言葉として   説明されている。
当然、「外国人によるウソ」   「反日勢力の用語」   などという
解説文は、どの辞書・辞典を探しても   見出すことはできない。

Re: 検証・虐殺の背景にあった日本軍の体質

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/24 08:14 投稿番号: [37946 / 41162]
日本が中国を自国の領土にしようとしたと言うことは無い、脳死君。

つまり、侵略戦争をしたと云うことは無い、脳死君。

蒸汽の侵略戦争が無かったので君等は証拠を示すことが出来ず、言葉だけの評論に止まっている、脳死君。

Re: 検証・虐殺の背景にあった日本軍の体質

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/24 05:54 投稿番号: [37945 / 41162]
第二次上海事変(昭和12年)は蒋介石が必勝の自信でひきおこした。大山
中尉と部下の軍曹の虐殺は、蒋介石の直命でおこなわた。蒋介石は自信
満々だった。アヘン戦争以来対外国戦争には全部負けた支那の恥を、彼が日
本軍を打ち負かすことによって雪ごうという決心だった。

第一次上海事変(昭和7年)以後蒋介石はドイツから軍事顧問団を招聘して、
上海北部の虹口地区を包囲する陣地を構築し、昭和12年にはそれが完成して
いた。またドイツ軍事顧問団により、30萬の上海包囲軍の訓練も完成してい
た。蒋介石は上海北方で日本軍と会戦し、日本軍を撃滅する予定だった。

上海会戦は誰も知るとおり双方苦戦した。遂に支那軍の防線が崩れ始めた。
このときドイツ軍事顧問団は責任を感じて、将校の身で銃を執って、前線で
日本軍を射撃した。ついに敗戦となり、ドイツ軍事顧問団は南京も攻め落と
されると判断して、南京放棄を蒋に勧告したが、蒋は聞き入れなかった。

南京陥落後、ドイツに駐在する日本外交官の交渉が成功して、ヒットラーは
ドイツ軍事顧問団に帰国を命じた。

上海における日本人居住民は合法的に住み込んだのであって虹口(ホンキューと読む)に特に多く集まっていた。虹口地区は共同租界の最北部分だった。英国居住民は日本居住民より多く、共同租界の中央部の最も繁栄した地区に英国の商社が集中していた。

Re: 検証・虐殺の背景にあった日本軍の体質

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/23 22:32 投稿番号: [37944 / 41162]
相手は本気で日本軍を自国から追い払うための祖国解放
戦争のつもりで戦っているのに、日本側はすでに侵略に
よって相手から奪った領土や既得権をそのままにし、さらに
恫喝的交渉により余計に相手から分捕ったうえで「戦争を
やめよう」と目論んでも、相手がうんと言うはずはないわな。
日露戦争で味をしめて、国家の存亡まで行かなくても戦術的
勝利さえ重ねれば戦争を自国に有利な時点でやめられるものだ
と思い込んでいたから、太平洋戦争末期になっても米国と有利
な講和ができると思い込み、ソ連に仲介を頼もうなどという
阿呆な発想をしていたわけだ。中国としては、侵略者である
日本と戦争をしたくて戦争したと言われても一向に痛痒を
感じないだろうな。実際にその通りだろうからね。

Re: 東中野修道の本

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/23 10:30 投稿番号: [37943 / 41162]
残念不正解、脳死君。

Re: 東中野修道の本

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/23 10:08 投稿番号: [37942 / 41162]
おまえさん、亜細亜大学の図書館事務員あたりかい?

Re: 東中野修道の知人?

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/23 09:37 投稿番号: [37941 / 41162]
信じるに充分な真面目な人物だよ。

東中野修道の知人?

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2011/12/23 09:04 投稿番号: [37940 / 41162]
>愛読者では無く、読んで下さいと著書を貰っているよ。

それはすごいな。   東中野って信用できる人物なのかい?

Re: 東中野修道の本

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/23 08:09 投稿番号: [37939 / 41162]
君は自分のことを脳死だと思っていないだろ、脳死君。

Re: 検証・虐殺の背景にあった日本軍の体質

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/23 08:08 投稿番号: [37938 / 41162]
昭和

事変の收局に付いて
事変の收局に付いては君の提案の如く蒋介石相手の和平より外なかるべしと思う。自分も大臣就任のとき近衛首相に対し一月十六日の声明は場合により乗り切ることとの了解を得て居るのだ、只急に蒋相手の和平を提案しては騒がれるばかりだから潮時を見て居ったのだが最近の情勢から見て最早其の工作に取り掛かって然るべき時と思う、出来るならば漢口攻略前に蒋と話しを付けたしと考う。国内の情勢を見るに、昨日来訪の多田次長は何とかして一日も早く時局を収拾して戴き度いと切に言って居った、そこで蒋相手の和平は陸軍はどうかととい尋ねたるに最早今日では一月十六日声明にこだわらぬがよろしいと思いますとの返事であった。然らば陸軍はそれで纏めて行けるかと反問したるに多田は陸軍全体としては云い兼ねるが軍令系統の方は纏め得ますと云い居りたり。聞く所によると先日閑院宮(かんいんみや)様が参内せられたとき陛下より陸軍にては蒋介石相手はまだいかんかと御下問あり之に対し宮様は即答申し上げず翌日再び参内し蒋相手も已むを得ませぬとの趣旨を御答申し上げた由なり。問題は陸軍の一部にあるであろう所の強硬論者だが、板垣も此の頃は大分蒋介石を相手しせずと言うことの解釈の間口を広くして来たようであるがまだ煮え切らぬ点がある、夫れと言うは板垣は坂西等の謀略がうまく行って相当な中央政権が出来、夫れに漢口政府内部の一部を参画せしめ得るかも知れないという所に望みを繋いで居る様だ。何れ今月中旬坂西が帰京すれば其の辺のことが少し明らかとなるであろう、此の工作は君の意見によれば下策なりとあり、自分もしか思うも今の所蒋は相手にせずと言うことが前提となって居る故告ぐ直ぐ切る訳には行かぬ。此の五相の中では池田蔵相とはよく話し合って居り、米内海相も結局蒋相手の和平に異存なきもせめて和平成立後蒋が下野することにして貰いたいとの意見じゃ。民間方面にては朝日の緒方や同盟の岩永などの来ての話しによるも一般に一日も早く戦争をやめて貰いたいとの気分故蒋を相手にせずなど言う事は問題にせざるべしとの事なり。残るところは右翼なるも之も何とかなるべし。

Re: 東中野修道の本

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/23 08:06 投稿番号: [37937 / 41162]
愛読者では無く、読んで下さいと著書を貰っているよ。

Re: 東中野修道の本

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/22 22:43 投稿番号: [37936 / 41162]
>馬鹿サヨも馬鹿ウヨも方向性が違う一対の鏡像見たいなもので、同質の馬鹿だが

まさかとは思うが、おまえ、自分が馬鹿ウヨでないと思ってる?

南京虐殺事件から歴史の教訓を学ぶべきだ

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/22 22:05 投稿番号: [37935 / 41162]
なぜ南京事件のような残虐行為を、日本軍が起こしたのだろうか。
日本人が   もともと残酷な本性だなどとは   とても考えられない。
むしろ、日本人は   本来温和で、生命や自然を尊ぶ   民族だった。
それが、このような残虐事件の主役になったのには、相当の背景と
原因が   あったはずだ。

もともと   軍隊とは暴力組織であり、明白な自律意識が   なければ
残虐行為に走るのは当然だ、と言ってしまえば   それまでであるし、
満州事変での   平頂事件や   ベトナム戦争での   ソンミ事件のように、
内外に   いくつも   その例を   見出すことはできる。
しかし、南京事件は、あまりにも大規模で   しかも組織的行為だった。
旧日本軍の性質に、事件を誘発する原因があったのだ   と考えられる。

第1に、近代の日本軍の特徴は、世界にも稀なほど   厳しい規律と、
兵士に対する服従の強制があり、兵士の自主性を尊重することなく、
がんじがらめの規則と厳しい罰則とで、軍隊の秩序を維持していた。
兵士の人権は極度に制限され、苛酷なまでの絶対服従が強要された。
古参兵士が新兵に対しふるった私的制裁としての暴力などは有名だ。

自国の中でも、自己の軍の中でも、人権と自由を尊重しないのだから
敵国の捕虜や民衆に対する処遇に、人権尊重を求めるのは無理な話だ。

第2に、皇軍の特徴には、非合理な   精神主義の   強調があった。
明治の建軍にあたって、日本軍幹部は士族、つまり旧武士だった。
近代軍でありながら、「武士道」が   そのまま   持ち込まれた。
死が名誉であるという   武士の価値観が、天皇のために死ぬことが
軍人の最高の美徳という位置づけとなり、やがて   玉砕や特攻など
近代軍にあるまじき作戦の立案にまで   行き着くものになった。

いさぎよく   死を選べ、生きて虜囚の恥はさらすな、という規範が
日本軍兵士   一人ひとりに   徹底して   刷り込まれた。
自軍の捕虜を認めないぐらいだから、相手国捕虜の処遇については
じつに   非道なものとなったのは   当然だった。

日本人が、「日本人らしさ」を   最も失っていた   軍国主義時代。
そこで発生した   温和な日本民族らしからぬ   野蛮な残虐行為。
その真実に向き合わなければ、未来に責任を持つことはできない。
歴史の事実を   省みることは、自虐でもなければ   恥でもない。
恥だとすれば、自国に都合のよい歴史だけを持ち出す自慰行為だ。

そうした   恥ずべき歴史の改ざんにばかり   躍起になりながら、
人権尊重に基づき国際関係が進展している   現代にあっても、
いまだに他国の人々を侮蔑しようとする   傲慢な日本人がいる。
恥ずべきは、こうした   一部日本人による自画自賛、自慰行為だ。
他国民衆への   侮蔑的感情が、違法な残虐行為の要因に
なったという歴史の事実を   けっして忘れてはならない。

 
 
 

検証・虐殺の背景にあった惨酷な戦争心理

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/22 22:04 投稿番号: [37934 / 41162]
11月11日付の第三師団歩兵第六聯隊第二大隊の攻撃計画は、
大隊長から将兵に対して   次のように命じるものとなっていた。

「一般ノ領民ハ総テ城内ニ避難シアルヲ以テ城外ニ在ル一切ノ者ハ
敵意ヲ有スルモノト認メ之ヲ殲滅ス」
「掃蕩ニ方リテハ家屋ヲ焼却スルヲ便トスルヲ以テ之ガ材料ヲ準備
スルコト」

つまり、城外にいる一切の人間を「敵意を有する」   者と見なして
これを   殺害したうえ、家屋を焼き払うことを   命じていたのだ。
それでなくとも   日本兵は、中国軍の予想以上に頑強な抵抗により
苦戦を強いられ、味方に多数の犠牲者がでたことで   中国人に対する
憎悪と敵愾心にあふれていた。   そのうえに、こうした命令が下った。

さらに   後方補給のないまま   強引な物資の「現地徴発」   を重ねて
追撃していくなかで、兵士が人間性を保つのは   不可能になっていた。
もともと、「支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ   敵ノ間諜ヲ勤メ」
ているのだと刷り込まれ、一切の区別なく   敵と見なし、
民家も焼き払え   と命じられれば、極限状態にあった兵隊たちが  
どのような行動を   とったかは、想像するに難くない。

その第一線部隊の後方にも、大量の軍隊が   進軍していった。
道路や橋が破壊されていたため、馬や車両をもつ部隊の前進は
各地で   とどこおり、行李や輜重、砲兵や通信隊などの特科部隊は、
後方から   第一線を   追いかけることになったのだ。
また、上海戦での損害も大きかったので、各隊には   次々と補充員が
送られた。   この補充員たちが、各隊ごとに   先任者の引率で
第一線を追いかけるので、これも   後方の混乱の原因になった。

こうして   上海から南京に続く   江南の平地は、第一線の通過後も
雑多な日本軍部隊が長期間、広範囲に、まるでイナゴの大群のように
「現地徴発」を繰り返しながら   進んでいった。
第一線部隊が通りすぎ、避難していた住民が   集落に戻ったあとに、
三三五五と   またやって来た日本兵に、殺されたり強姦されたりした
例が多いという   中国側被害者の多数の証言があるのは、
このためであった   と考えられる。

一般市民の被害の状況を   全体として明らかにするのは   難しい。
兵士の日記や   証言などに、個々の掠奪や   殺害の記録があるが、
加害者である日本軍が   まとまった記録を残しているわけがない。
事件の実態解明は、断片的な記録資料を、丹念に   発掘・整理して
全容をあきらかにする地道な努力を続けていくほかないのだ。


 
 
 
 

検証・虐殺の背景にある犯罪非違の頻発

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/22 22:04 投稿番号: [37933 / 41162]
参謀総長が   中支那方面軍に対して異例の通達を出すほど、
当時の   日本軍の軍紀風紀は   頽廃・紊乱がすすんでいた。
軍がまとめた軍紀風紀に関する犯罪非違の調査結果によると
開戦後   2年間だけに限っても   戦地における   犯罪非違は、
日清・日露に比べて   はるかに高率となっている。

大本営陸軍部が調査した   軍隊内の犯罪数は開戦2年間で
5,221件にのぼり、うち   戦地では3,147件にも
達していた。(大本営陸軍部研究班   昭和十五年十一月)
この犯罪数は   憲兵隊が把握し、とり扱ったものだけであり、
「実数ハ之ヨリ増加スベシ」   と付記されている。

また、非違の発生件数は、3万2,964名にも達し、
しかも   「刑法処分ニ処スベキモノ本人ノ功績ト犯行ノ
情状トヲ酌量シテ行政処分ニ附シタルモノ相当数アリ」
「シカモ軍紀上相当悪性ナルモノ多数発生シツツアルニ於テオヤ」
とされている。

つまり、軍法会議に付された犯罪、懲罰権者の処罰ですませた
非違の双方とも、日中戦争下で   軍紀風紀犯罪が多発している
という調査結果が   示されているのだ。
こうした犯罪のなかで、もっとも多かったのが   掠奪だった。
上海から南京への追撃戦は   補給を無視しての   急進撃で、
給養は   ほとんどすべて   現地徴発に頼った。
徴発といっても、そこは   敵国であり   実態は   掠奪だった。
兵士たちの日記には、ほとんど例外なく、毎日無人の集落から
何を徴発したかが   書かれているが、それは   無統制に、兵士が
勝手におこなう   掠奪であったことを   具体的に示している。

徴発するには   国際法があり、規則があった。
しかし、中国戦線で   それが守られることは   ほとんどない
という実態にあった。
次のような南京攻略戦のさいの第九師団経理部将侯の記述がある。

   徴発品の代金の支払は如何にされて居つたか、
   軍隊は強盗でも山賊でもない。
   必ず代金を払って買はねばならないのである。(中略)
   後日所有者が代金の請求が出来るようにして置かねばならない
   故に徴発書はかねて印刷配付して所要の事項を記入すればよい
   ようにして(中略)ある。しかるに後日所有者が代金の請求に
   持参したものを見れば其記入が甚だ出鱈目である。
   例へば○○部隊先鋒隊長加藤清正とか退却部隊長蒋介石と書いて
   其品種数量を箱入丸升とか樽詰少量と云ふものや
   全く何も記入してないもの   甚だしいものは単に馬鹿野郎と
   書いたものもある。   全く熱意も誠意もない。

でたらめな記入をした徴発書では、代金の支払いは   できない。
中国の人々は、食糧などの物資を   だまし盗られたことになる。
国際法規も無視し、中国人民を侮蔑して   略奪の対象としか
みなかったことが、南京での残虐な行為の誘因となっていった
と考えれば、その理由が   はっきりと   理解できるだろう。

 

検証・虐殺の背景にある軍紀風紀の頽廃

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/22 22:03 投稿番号: [37932 / 41162]
組織的な虐殺が実行された事件の背景には、前述したとおり
幕僚層の   国際感覚の欠如や   モラルの低下が存在していた。
さらに、それに加えて   戦争の経過とともに   日本軍の全体に
軍紀風紀の頽廃が   深刻化していたことを   忘れてはならない。
戦争の拡大と   兵隊の大量動員が、軍の素質低下を   もたらした。
それにともなって、軍の規律がゆるみ、軍紀風紀が乱れたことが
犯罪非行を   続出させる原因となった。

大量虐殺は、軍の組織的行為である   捕虜の殺害や敗残兵狩りで
起きた集団犯罪だが、この他に   軍紀の乱れから   兵士個人による
行為によって起こった犯行も多出し、いっそう事件を   大きくした。
この点は   軍上層部でも認めており、南京事件が   国際的な非難を
浴びたのを受けて、南京占領直後の38年1月4日付で   参謀総長は
中支那方面軍に対し、次のような要望を   おこなっている。

   顧ミレバ皇軍ノ奮闘ハ半歳ニチカシ(中略)
   然レ共一度深ク軍内部ノ実相ニ及ベバ未ダ暇謹ノ
   スクナカラザルモノアルヲ認ム
   就中軍紀風紀ニ於テ忌々シキ事態ノ発生近時漸ク繁ヲ見
   之ヲ信ゼザラント欲スルモ尚疑ハザルベカラザルモノアリ
   惟フニ一人ノ失態モ全隊ノ真価ヲ左右シ   一隊ノ過誤モ
   遂ニ全軍ノ聖業ヲ傷ツクルニ至ラン   (中略)

   遡テ一般ノ情特ニ迅速ナル作戦ノ推移或ハ部隊ノ実情等ニ
   考ヘ及ブ時ハ   森厳ナル軍紀節制アル風紀ノ維持等ヲ困難
   ナラシムル幾多ノ素因ヲ認メ得ベシ
   従テ露見スル主要ノ犯則不軌等ヲ挙ゲテ直ニ之ヲ外征部隊ノ
   責ニ帰一スベカラザルハ克ク此ヲ知ル
   然レ共実際ノ不利不便愈々大ナルニ従テ益々以テ之ガ克服ノ
   努力ヲ望マザルヲ得ズ   (後略)
   (中支那方面軍参謀長「軍紀風紀ニ関スル件通牒」)  

同じ内容の要望は   北支那方面軍にも出されているが、
これは   軍紀風紀の粛正が、この時期の   日本陸軍にとって、
大きな問題であったことを   示している。
参謀総長から   このような要望がでたことは、異例のことだった。
それだけ   在中国軍の   軍紀風紀の頽廃が、軍中央部にとっては
頭の痛い問題だったということだ。
 

検証・虐殺の背景にあった日本軍の体質

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/22 22:02 投稿番号: [37931 / 41162]
これまであきらかにしたように、さまざまな記録資料や証言を
検証していくなかで   南京大虐殺につながった   原因としては、
旧日本軍の国際感覚の欠如、中国人民への蔑視と敵愾心の増幅、
日本軍の資質の低下など   様々な要素が   絡んでいたことが解る。
ここで、その誘因の一つと考えられる当時の中堅幕僚層の性格や
国際感覚の実情を示す資料を   みてみよう。

第十軍司令部が   1937年11月30日に   作成した
「南京攻略ニ関スル意見」(丁集団参謀部『南京ヲ急襲ニヨリ
奪取シ得サル場合ノ攻略案』)   という文書が   残されている。
湖東会戦を終了したあと、南京にむかって追撃している時期に
軍司令部が作成した   この意見は、第一、第二の両案に分かれ、
第一案は   追撃の態勢のまま   一挙に南京を急襲奪取するもので、
第二案は   急襲が成功しなかった場合で、次のように述べている。

   南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得ザル場合ノ攻略案
   此ノ場合ニ於テモ正攻法ノ要領ニヨリ力攻スルコトヲ避ケ左記
   要領ニ依リ攻略ス
   急襲案ト同一要領ニヨリ先ヅ南京ニ急追シテ包囲態勢ヲ完了シ
   主トシテ南京市街ニ対シ   徹底的ニ空爆特ニ   「イペリット」及
   焼夷弾ヲ以テスル爆撃ヲ約一週間連続的ニ実行シ南京市街ヲ
   廃墟タラシム

   右方法ニヨルモ   敵若シ要塞ヲ死守スル場合アリトセバ軍ハ
   努メテ僅少兵力ヲ以テ包囲態勢ヲ持続シ敢テ力攻スルコトナク
   前要領ノ空爆ヲ続行シ敵ノ自滅ヲ図ルモノトス   (中略)
   本攻撃ニ於テハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要ニシテ
   此際毒瓦斯使用ヲ躊躇シテ再ビ上海ノ如キ多大ノ犠牲ヲ払フ如キハ
   忍ビ得ザルトコロナリ
   (『陸支密大日記』昭和十三年陸支密受5267号防衛研究所所蔵)

猛毒のイペリット使用を含め、市街に対する   無差別爆撃を、
なんの躊躇もなしに、計画を   たてていたのだ。
「徹底的に毒ガスを使用すること極めて肝要」   と強調するのは、
その使用を躊躇して「再び上海の如き多大の」   損害を受けるのは
困るからだ   としている。   上海戦での想定以上の苦戦が、南京で
より苛烈で   残虐な攻撃作戦立案に   結びついていたことがわかる。

結果として、第一案の急襲が   成功したため、無差別空爆も
毒ガス使用も   実施しなかったが、こうした   攻撃計画があり
準備されていた事実が   証明するのは、当時の   幕僚層の感覚、
つまり   国際法にも人道にも無関心な体質が   軍上層部にあり、
それが、大虐殺の背景に   存在していた   ということだ。

 
 

Re: 検証・南京虐殺は全て捏造 横

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/22 18:04 投稿番号: [37930 / 41162]
>あはは。東中野の本は台湾では「権威」でしたか。

レス:   南京大逆殺を事実としたい者にとっては、立ちはだかる権威である。

Re: 東中野修道の本

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2011/12/22 17:43 投稿番号: [37929 / 41162]
おまえ、馬鹿ウヨだろ。

Re: 東中野修道の本

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2011/12/22 17:41 投稿番号: [37928 / 41162]
>いいえ君が理解出来ていないだけ、残念でした。

東中野修道の本読んだことあるのかい?

Re: 検証・南京虐殺は全て捏造 横

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/22 17:33 投稿番号: [37927 / 41162]
>中野氏の著書の権威は微動もしない。

あはは。東中野の本は台湾では「権威」でしたか。

Re: 東中野修道の本

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/22 17:32 投稿番号: [37926 / 41162]
<nidanidao>
おまえ、なにごまかしてんだ?

「わたしは東中野修道の愛読者です」と正々堂々と言えよ。


こいつは、トピックの命題を議論できずに、どうでもよい他所事で絡むただの馬鹿だな。

馬鹿サヨも馬鹿ウヨも方向性が違う一対の鏡像見たいなもので、同質の馬鹿だが、こいつの程度はそれ以下。
ただの馬鹿だな。

Re: 検証・南京虐殺は全て捏造 横

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/22 17:25 投稿番号: [37925 / 41162]
<fukagawatohei>
>原告が平素行う南京虐殺被害者としての証言の真偽でもない

だからどうしたの?
日本の最高裁判所がうそつきは被告のペテン学者東中野某だと
断定してるんだけどね〜、それで十分でしょう

>ここでも原資料の真贋を判断する話ではなく、被告が著述の正当性を主張する根拠の不確定性を以って上告理由に該当せずとしたに過ぎない。
最高裁の上告棄却決定は、二審の判断を支持しただけのこと。>

それでいいじゃん。ペテン学者の言い分はあてにならないって
最高裁が断定したんだから。

これだけくそみそに言われても、まだ何かものたりないの?


地裁判決
「通常の研究者であれば矛盾を認識するはずで、原資料の解釈はおよそ妥当ではなく学問研究の成果に値しない」

高裁判決
「通常の研究者であれば矛盾を認識するはずで、原資料の解釈はおよそ妥当ではなく不合理な点や明らかな矛盾がある」

(まあ〜、東中野某は大ウソツキのペテン学者として日本の最高裁から公式に認定されたわけですな。)




東中野の根拠とする原資料に対する解釈が、根拠とするには乏しい論拠での解釈だと法的に判断されても、それが南京大虐殺の有無になんら直接的な影響を及ぼすものではない。
東中野が、南京大虐殺を肯定しない者の代表者でもなければ、肯定しない者の多くの支持を得る人物でもないのが現実だ。

彼の著書や存在を好んで取り上げるのは、他人の主張する根拠の尻馬に乗って肯定する馬鹿と所謂馬鹿ウヨやネットウヨと相場が決まっている。
まともに検証しようとすれば、東中野の主張や著述の裏を取らねばならないことは、否定する側の常識であろう。

fukagawatohei は、名誉既存裁判で東中野をペテン学者に認定したと真剣に思っているようだな。
そんなんでは、原告に訴えられて名誉既存で賠償を命じられた、東中野の著述を根拠に「夏淑琴はニセ被害者、詐欺師」呼ばわりした馬鹿ウヨと変わらない。

東中野が、複数の原資料の記述にある少女と原告の同一性を否定した著述の正当性の根拠として主張した複数の原資料の解釈を”根拠とするには相応でない解釈の仕方”であると論証し、当該の著述が原告の名誉を損なったと判断して損害賠償絵責任を言い渡した裁判だ。

原告と被告のどちらに対しても虚偽性を証明したわけでもない。
原告の平素の証言の真偽も東中野の著述の真偽も断定していない。
東中野の主張する根拠では、原告が原資料に出てくる少女と同一人物ではないとする根拠に乏しい故に、名誉毀損に該当すると言う判決だ。

高裁判決で、「通常の研究者であれば矛盾を認識するはずで、原資料の解釈はおよそ妥当ではなく不合理な点や明らかな矛盾がある」としたかのような嘘を書いて、何をしたいのだろうね。(笑)

一審の判決文に出てくる文末を改竄した程度で、高裁の判決の内容も同様だと捏造しようとする馬鹿さ下限には、飽きれる外ないね。
だいたいが、二審である高裁は上告棄却をしただけで判決などしていないしな。(笑)
「一審ではマギーフィルムと解説文を本物と前提として認めていたのに二審で主張を翻すのは合理性を欠く」というのが、高裁の上告棄却理由だ。

Re: 東中野修道の本

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2011/12/22 17:21 投稿番号: [37924 / 41162]
おまえ、なにごまかしてんだ?

「わたしは東中野修道の愛読者です」と正々堂々と言えよ。

Re: 東中野修道の本

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/22 16:46 投稿番号: [37923 / 41162]
いいえ君が理解出来ていないだけ、残念でした。

化けの皮がはがれちゃったfukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/12/22 16:02 投稿番号: [37922 / 41162]
>これ書いた人有名なんだけどね〜。

匿名で参加するWikipediaの記述を、

有名人が書いたと”言い逃れる”程の馬鹿である。

そりゃ、自分の嘘同士が矛盾もするだろう    (大笑
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