Re: 検証・虐殺の背景にあった日本軍の体質
投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/24 05:54 投稿番号: [37945 / 41162]
第二次上海事変(昭和12年)は蒋介石が必勝の自信でひきおこした。大山
中尉と部下の軍曹の虐殺は、蒋介石の直命でおこなわた。蒋介石は自信
満々だった。アヘン戦争以来対外国戦争には全部負けた支那の恥を、彼が日
本軍を打ち負かすことによって雪ごうという決心だった。
第一次上海事変(昭和7年)以後蒋介石はドイツから軍事顧問団を招聘して、
上海北部の虹口地区を包囲する陣地を構築し、昭和12年にはそれが完成して
いた。またドイツ軍事顧問団により、30萬の上海包囲軍の訓練も完成してい
た。蒋介石は上海北方で日本軍と会戦し、日本軍を撃滅する予定だった。
上海会戦は誰も知るとおり双方苦戦した。遂に支那軍の防線が崩れ始めた。
このときドイツ軍事顧問団は責任を感じて、将校の身で銃を執って、前線で
日本軍を射撃した。ついに敗戦となり、ドイツ軍事顧問団は南京も攻め落と
されると判断して、南京放棄を蒋に勧告したが、蒋は聞き入れなかった。
南京陥落後、ドイツに駐在する日本外交官の交渉が成功して、ヒットラーは
ドイツ軍事顧問団に帰国を命じた。
上海における日本人居住民は合法的に住み込んだのであって虹口(ホンキューと読む)に特に多く集まっていた。虹口地区は共同租界の最北部分だった。英国居住民は日本居住民より多く、共同租界の中央部の最も繁栄した地区に英国の商社が集中していた。
これは メッセージ 37944 (shoujouji さん)への返信です.
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