人口の流入はあったと考える方が自然
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/07 01:44 投稿番号: [9165 / 41162]
> どうも私は細かいウソや相手をなじる表現に対して寛大すぎるのかもしれません。
> いちいち反撃をしていないですからね。
> 私の目的が資料提示をすることと強引な読解の排除にあって、議論の勝ち負けにあるのではないもので、ついその辺が甘くなってしまうのですが、でもこれは自分のスタイルなので、あまり崩すつもりはありません。
全部反論済みで、それに対するコメントがありませんが?
要するに反論できないんでしょう。
> ああ、確かに後が続いていませんね。
> ですが、上記布告はあくまで12月段階での予告であり、事実としては入城制限は2月下旬まで続いています。
と言ったと思ったら、やっぱり反論する訳ですねw
ですが、お生憎様。
華中宣撫工作資料の該当記述は安全区推定人口が25万人に増えた後の記録です。
良民証の発行により、城外から便衣兵でないと認定された市民が流入した可能性を否定するものではありません。
12月中は南京市民に対する食糧供給を国際委員会が独占していたという事実を忘れてはなりません。
国際委員会が食糧供給を独占していた12月、20万人分の食料で餓死者あるいは大量の栄養失調者が出なかったという事実から、陥落時人口が20万人を大幅に上回るものでないことが分かります。
城内では安全区以外に食糧を供給している場所がなく、日本軍は糧食の不足に悩まされており入城時これを熱心に探索した跡が窺われるので、安全区外に数万人どころか数千人単位の人口を数週間に亘って支える食料が残っていた可能性も低い。
もし、安全区外に難民が残っていたなら、一体何処から食糧を調達していたのかという問題が残るのですよ。
人口問題について、少し整理してみましょうか。
南京城内の人口が二十万人というのは、ラーベが11/28に警察庁長官王固盤から聞いた数字で、それ以降この人口推定が採用されています。
但し、リリー・アベックのように脱出時15万人と書き残している者や、兵力5万、非戦闘員10万という張群思(捕虜・少佐)の証言もあります。
既に述べたとおり、国際委員会は12月中、城内の市民に対する食糧の供給を独占しており、20万人分の食糧を日本軍に要求し、その結果餓死者や栄養失調の大量発生は記録されていません。
ここで考えられる可能性は二つ。
まず、城内の人口が20万人以下であったという、当たり前の推定。
もう一つは、一人当たりに必要な食糧を国際委員会が過大に要求していたという、少々捻くれた推定です。この場合の国際委員会の動機はひとまず横に置いておきましょう。
そしてこれも既に述べているとおり、12/24から始まった良民証の交付枚数から、国際委員会は安全区人口25万人の推定を立てました。
もし、この増加分5万人が城内から流入した者なら、彼らは何処から食糧を調達していたのか。
最も可能性の高い仮説は、国際委員会が当初から20万人分と偽って25万人分の食糧を調達していたということです。
しかしそうすると、安全区人口20万人の推定からして、疑わしくなります。
当初から国際委員会が25万人分の食糧を調達していたのであれば、当初から安全区内に25万人の難民がいた可能性も否定できません。
安全区の人口を数えた調査はないのですから。
しかし、自分たちも食糧が不足していた日本軍が、そんな水増しに誤魔化された可能性は低いと断定して差し支えないでしょう。
やはり、12月中は、20万人分の食糧しか確保できておらず、従って20万人が上限であったと考えるべきです。
1/14の人口推定25万人は、良民証発行16万人分から間接的に推定された数字に過ぎません。
一方、華中宣撫工作資料を信頼するなら、2/25時点で良民証の発行枚数は25万人分(第十六師団十五万人分、特務機関十万人分)であり、良民証16万人分で推定人口25万人の比率に従えば、南京城内及び城壁近傍には39万人の市民が生活していたことになります。
特務機関の人口推定は30万人であったようですが。
南京陥落時の南京城内及び城壁近傍の人口は、城内・安全区内の20万人と、平和街の7千人弱、合わせて21万人弱。
それに対して2月末は30万人以上。
つまり、日本軍の占領地域の人口は、陥落後わずか3ヶ月弱で10万人近く増加していることになります。
3月のスマイス調査では、城内人口は統計的推定二十二万人、捕捉率誤差修正後二十五万人で、間違いなく城内人口が陥落時に比べ数万人規模で増加しているという結論になります。
わずか2ヶ月前まで、大暴行事件が発生した都市の人口動態とは思えませんね。
そう思いませんか、虐殺派の皆さん。
> いちいち反撃をしていないですからね。
> 私の目的が資料提示をすることと強引な読解の排除にあって、議論の勝ち負けにあるのではないもので、ついその辺が甘くなってしまうのですが、でもこれは自分のスタイルなので、あまり崩すつもりはありません。
全部反論済みで、それに対するコメントがありませんが?
要するに反論できないんでしょう。
> ああ、確かに後が続いていませんね。
> ですが、上記布告はあくまで12月段階での予告であり、事実としては入城制限は2月下旬まで続いています。
と言ったと思ったら、やっぱり反論する訳ですねw
ですが、お生憎様。
華中宣撫工作資料の該当記述は安全区推定人口が25万人に増えた後の記録です。
良民証の発行により、城外から便衣兵でないと認定された市民が流入した可能性を否定するものではありません。
12月中は南京市民に対する食糧供給を国際委員会が独占していたという事実を忘れてはなりません。
国際委員会が食糧供給を独占していた12月、20万人分の食料で餓死者あるいは大量の栄養失調者が出なかったという事実から、陥落時人口が20万人を大幅に上回るものでないことが分かります。
城内では安全区以外に食糧を供給している場所がなく、日本軍は糧食の不足に悩まされており入城時これを熱心に探索した跡が窺われるので、安全区外に数万人どころか数千人単位の人口を数週間に亘って支える食料が残っていた可能性も低い。
もし、安全区外に難民が残っていたなら、一体何処から食糧を調達していたのかという問題が残るのですよ。
人口問題について、少し整理してみましょうか。
南京城内の人口が二十万人というのは、ラーベが11/28に警察庁長官王固盤から聞いた数字で、それ以降この人口推定が採用されています。
但し、リリー・アベックのように脱出時15万人と書き残している者や、兵力5万、非戦闘員10万という張群思(捕虜・少佐)の証言もあります。
既に述べたとおり、国際委員会は12月中、城内の市民に対する食糧の供給を独占しており、20万人分の食糧を日本軍に要求し、その結果餓死者や栄養失調の大量発生は記録されていません。
ここで考えられる可能性は二つ。
まず、城内の人口が20万人以下であったという、当たり前の推定。
もう一つは、一人当たりに必要な食糧を国際委員会が過大に要求していたという、少々捻くれた推定です。この場合の国際委員会の動機はひとまず横に置いておきましょう。
そしてこれも既に述べているとおり、12/24から始まった良民証の交付枚数から、国際委員会は安全区人口25万人の推定を立てました。
もし、この増加分5万人が城内から流入した者なら、彼らは何処から食糧を調達していたのか。
最も可能性の高い仮説は、国際委員会が当初から20万人分と偽って25万人分の食糧を調達していたということです。
しかしそうすると、安全区人口20万人の推定からして、疑わしくなります。
当初から国際委員会が25万人分の食糧を調達していたのであれば、当初から安全区内に25万人の難民がいた可能性も否定できません。
安全区の人口を数えた調査はないのですから。
しかし、自分たちも食糧が不足していた日本軍が、そんな水増しに誤魔化された可能性は低いと断定して差し支えないでしょう。
やはり、12月中は、20万人分の食糧しか確保できておらず、従って20万人が上限であったと考えるべきです。
1/14の人口推定25万人は、良民証発行16万人分から間接的に推定された数字に過ぎません。
一方、華中宣撫工作資料を信頼するなら、2/25時点で良民証の発行枚数は25万人分(第十六師団十五万人分、特務機関十万人分)であり、良民証16万人分で推定人口25万人の比率に従えば、南京城内及び城壁近傍には39万人の市民が生活していたことになります。
特務機関の人口推定は30万人であったようですが。
南京陥落時の南京城内及び城壁近傍の人口は、城内・安全区内の20万人と、平和街の7千人弱、合わせて21万人弱。
それに対して2月末は30万人以上。
つまり、日本軍の占領地域の人口は、陥落後わずか3ヶ月弱で10万人近く増加していることになります。
3月のスマイス調査では、城内人口は統計的推定二十二万人、捕捉率誤差修正後二十五万人で、間違いなく城内人口が陥落時に比べ数万人規模で増加しているという結論になります。
わずか2ヶ月前まで、大暴行事件が発生した都市の人口動態とは思えませんね。
そう思いませんか、虐殺派の皆さん。
これは メッセージ 9147 (ja2047 さん)への返信です.