Re: 安全区外にもいくらかの人がいた
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/07 01:34 投稿番号: [9164 / 41162]
> 描写とは描かれていることであって、描写されていないというのはないことが描写されているということではありません。
と言った舌の根も乾かぬうちに
> 商店が打ち壊されて商品が掠奪されているのなら外からでもわかります。
これですかw
「商店が打ち壊されて商品が掠奪されている」なんて、一体何処に書かれているんですか。
まっ、中国兵に詳しい貴方が打ち壊しをやったというならそういうこともあるかもしれませんが、増田手記にはそんな事まで書かれていませんね。
> 「人」の存在に関しては街路にはいなかったという話と敗残兵が難民に混じって隠れていた建物の話しかしていないのです。
街路に、なんて何処に書いてありますか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
増田六助手記
・・・其処を引揚げて中山北路へ出る道中一帯には敗残兵の捨てた兵器、弾薬、被服の類から馬や車等が街路一杯に散らかつて居る。建並ぶ商家は支那軍の為にすつかり持去られて何一つなく人影どころか犬ころ一匹居ない死の街であつた。
(南京戦史資料集P521)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
街路に散らばっているのは兵器、弾薬、被服の類です。馬が散らかっている、というのはおかしな表現ですから、馬と車が放置されていた、ということでしょう。
人影については「人影どころか犬ころ一匹居ない死の街」と言っています。
何処にも、街路に限定する表現は使われていません。
> あなたの引用した文章は、「『殆ど外国人の目撃者はなかった。』と述べているのであって、『事件が起こり得ようはずがなかった。』と言っているのではない、」と事実
だから何処にそんな「事実」がありますか。
何度でも繰り返して言いますが、ベイツが実際に言っていることは、「南京のこれ(安全区)以外の場所は1月末まで事実上の無人地帯となっていた」です。
もう一度引用しましょうか?
ベイツ:
「ここに記録された事件は南京安全地帯内で起きたものだけであり、南京のこれ以外の場所は1月末まで事実上の無人地帯となっていたのであって、此の期間中、殆ど外国人の目撃者はなかった。」
> 「事実上の無人地帯で人の立ち入りが少なかったため、外国人による目撃がほとんどなかったのであり、事件が起きていないことを保証するものではない」
です。
だから事実上の無人地帯だったんでしょうw
それからNoman's Land云々ですが、国際委員会のメンバーに対して城内の安全区外が立入禁止とされていた事実はありません。
従って、立入が少なかったとする根拠もありません。
大体、立入禁止区域だったらラーベとローゼンは一体どうやって「廃墟」を見て回ったんですかww
> 実際の所は、付録Aの事例には安全区外での出来事が散見され、安全区外の人口はまばらではあるが、完全に無人ではなかったことが見て取れます。
国際委員会の告発が事実であればね。
そしてもし事実であるとするなら、1939年7月に刊行されたと見られる「南京安全区トウ案」(トウは木偏に當)は何故「貴国部隊が本市に入城した十三日、私どもは市民のほぼ全員を安全地帯という一地区に集合させていた」という第9号文書の認識を修正しなかったのか。
国際委員会の「告発」は、根拠が不十分なものばかりです。
一方、城内の安全区外が事実上無人であったという認識は日本軍と国際委員会に共通のものです。
どちらが信頼できるか、論じるまでもないと思いますが。
と言った舌の根も乾かぬうちに
> 商店が打ち壊されて商品が掠奪されているのなら外からでもわかります。
これですかw
「商店が打ち壊されて商品が掠奪されている」なんて、一体何処に書かれているんですか。
まっ、中国兵に詳しい貴方が打ち壊しをやったというならそういうこともあるかもしれませんが、増田手記にはそんな事まで書かれていませんね。
> 「人」の存在に関しては街路にはいなかったという話と敗残兵が難民に混じって隠れていた建物の話しかしていないのです。
街路に、なんて何処に書いてありますか?
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増田六助手記
・・・其処を引揚げて中山北路へ出る道中一帯には敗残兵の捨てた兵器、弾薬、被服の類から馬や車等が街路一杯に散らかつて居る。建並ぶ商家は支那軍の為にすつかり持去られて何一つなく人影どころか犬ころ一匹居ない死の街であつた。
(南京戦史資料集P521)
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街路に散らばっているのは兵器、弾薬、被服の類です。馬が散らかっている、というのはおかしな表現ですから、馬と車が放置されていた、ということでしょう。
人影については「人影どころか犬ころ一匹居ない死の街」と言っています。
何処にも、街路に限定する表現は使われていません。
> あなたの引用した文章は、「『殆ど外国人の目撃者はなかった。』と述べているのであって、『事件が起こり得ようはずがなかった。』と言っているのではない、」と事実
だから何処にそんな「事実」がありますか。
何度でも繰り返して言いますが、ベイツが実際に言っていることは、「南京のこれ(安全区)以外の場所は1月末まで事実上の無人地帯となっていた」です。
もう一度引用しましょうか?
ベイツ:
「ここに記録された事件は南京安全地帯内で起きたものだけであり、南京のこれ以外の場所は1月末まで事実上の無人地帯となっていたのであって、此の期間中、殆ど外国人の目撃者はなかった。」
> 「事実上の無人地帯で人の立ち入りが少なかったため、外国人による目撃がほとんどなかったのであり、事件が起きていないことを保証するものではない」
です。
だから事実上の無人地帯だったんでしょうw
それからNoman's Land云々ですが、国際委員会のメンバーに対して城内の安全区外が立入禁止とされていた事実はありません。
従って、立入が少なかったとする根拠もありません。
大体、立入禁止区域だったらラーベとローゼンは一体どうやって「廃墟」を見て回ったんですかww
> 実際の所は、付録Aの事例には安全区外での出来事が散見され、安全区外の人口はまばらではあるが、完全に無人ではなかったことが見て取れます。
国際委員会の告発が事実であればね。
そしてもし事実であるとするなら、1939年7月に刊行されたと見られる「南京安全区トウ案」(トウは木偏に當)は何故「貴国部隊が本市に入城した十三日、私どもは市民のほぼ全員を安全地帯という一地区に集合させていた」という第9号文書の認識を修正しなかったのか。
国際委員会の「告発」は、根拠が不十分なものばかりです。
一方、城内の安全区外が事実上無人であったという認識は日本軍と国際委員会に共通のものです。
どちらが信頼できるか、論じるまでもないと思いますが。
これは メッセージ 9146 (ja2047 さん)への返信です.