第9号文書抜粋
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/02 22:46 投稿番号: [9130 / 41162]
日本大使館への手紙
昨日午後の岡崎勝男総領事の「国際委員会は何らの法的地位を持っていない」との言明に対しては、我々の立場を少々説明しておくのが適切だと思う。日本当局に対して我々は何ら政治的地位を要求してはいない。しかし、十二月一日、南京市の馬市長は事態急変のために市政府の殆ど全ての機能を国際委員会に委託した。警察、必需施設類の管理、消防、住居規制、食糧供給、衛生などである。その結果、十二月十三日月曜日正午、日本軍が勝利者として本市に入城した時、本市において機能していた行改組織は唯一つ、我々の委員会だけであった。勿論、その権限は安全地帯の外に及ぶものでなく、安全地帯の中においても統治権を含むものではなかった。
我々は唯一つの行政組織であったし、また上海の日本当局から安全地帯に兵士がおらず、また軍事施設がなければ、日本軍は安全地帯を意図的に攻撃することはないとの確証を得ていたので、我々は直ちに日本軍先遣隊と接触すべく努力した。十二月十三日午後、一名の日本軍の大尉が一群の兵士とともに漢中路で休息しているのを見かけた。我々は安全地帯の位置を彼に説明し彼の地図にその印をつけた。我々は三つの赤十字病院について彼に丁重に注意を促し、武装解除された兵士のことも話した。彼は分かったと肯いていたので、我々はこれで日本軍に全てを諒解してもらったと思った。
その夜と翌朝早く、我々は十二月十四日付けの書状を作成し、日本語に翻訳させた。日本帝国大使館員福田氏が貴下に伝えるであろうが、ラーベ氏、スマイス氏及びフォースター師はこの書状を提出すべき日本軍高級将校を捜しに出かけた。我々は別々に五名の将校とも話したが、皆、翌日の最高司令官の到着を待つようにと言っていた。
翌十二月十五日の朝、我々は本部に日本帝国大使館の福田篤泰氏及び日本帝国海軍軍艦勢多の艦長と士官達の名刺を持った関口氏の訪問を受けた。我々は前述の十二月十四日付けの書状を福田氏に手渡し、我々が電気復旧工事の開始に喜んで協力する旨を関口氏に確約した。正午、我々は交通銀行で特務機関長に会う機会に恵まれ、我々の十二月十四日付けの書状に対する正式の返事を口頭で伝えられた。機関長はその返事の中で取り分け次のようにいった。即ち、安全地帯の入口に歩哨を立てること、武具としては警棒を持つだけである限り、民警が安全地帯内を巡回して差し支えないこと、国際委員会が貯えている米一万担を使い、また旧市政府から委託された貯蔵米を他所より運び入れて差し支えないこと、電話、電気、水道設備を可及的速やかに復旧することが不可欠であることなどである。しかし、我々の十二月十四日付けの書状の第四項に対しては、一般市民は可及的速やかに各自の自宅に戻るべきであるというだけで、回答はなかった。
(中略)
貴大便館及び日本軍に是非とも理解してもらいたいのは、日本当局が本市における諸機能を遂行する新規市政府なり他の機構を確立するまでは、我々が南京市一般住民のために市政府の業務を履行するように委ねられているという点である。しかし、不幸にして、貴国兵士達には我々に安全地帯の市民のために秩序とサービス業務の維持を引き続き行わせようという気持がない。そのために、我々が十二月十四日の朝まで担ってきた秩序の維持と必要業務の提供を行うための仕組みが壊れてしまった。言い換えると、貴国部隊が本市に入城した十三日、私どもは市民のほぼ全員を安全地帯という一地区に集合させていたが、そこでは流れ弾の砲弾による被害は殆どなかったし、全面退却中であっても中国兵達による掠奪もなかった。貴方達がこの地区を平和裡に掌握し、安全地帯以外の南京市の残りの地域の治安が確保されるまで、その中で日常生活を平穏裡に続けさせる舞台は貴方達のためにしっかりとでき上がっていた。
(中略)
従って、安全地帯の秩序維持の業務を貴国当局に引き渡すための第一歩として、我々は以下の事項を提案する。
(以下省略)
(『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』 冨澤繁信著 展転社)
このとおり、行政権を主張していますが。
トリミングはもういい加減にしてもらえませんか。
大体、協力も何も国際委員会は日本軍の行政権に服従しなければならない立場であって、条件をつけられる立場ではないのです。
昨日午後の岡崎勝男総領事の「国際委員会は何らの法的地位を持っていない」との言明に対しては、我々の立場を少々説明しておくのが適切だと思う。日本当局に対して我々は何ら政治的地位を要求してはいない。しかし、十二月一日、南京市の馬市長は事態急変のために市政府の殆ど全ての機能を国際委員会に委託した。警察、必需施設類の管理、消防、住居規制、食糧供給、衛生などである。その結果、十二月十三日月曜日正午、日本軍が勝利者として本市に入城した時、本市において機能していた行改組織は唯一つ、我々の委員会だけであった。勿論、その権限は安全地帯の外に及ぶものでなく、安全地帯の中においても統治権を含むものではなかった。
我々は唯一つの行政組織であったし、また上海の日本当局から安全地帯に兵士がおらず、また軍事施設がなければ、日本軍は安全地帯を意図的に攻撃することはないとの確証を得ていたので、我々は直ちに日本軍先遣隊と接触すべく努力した。十二月十三日午後、一名の日本軍の大尉が一群の兵士とともに漢中路で休息しているのを見かけた。我々は安全地帯の位置を彼に説明し彼の地図にその印をつけた。我々は三つの赤十字病院について彼に丁重に注意を促し、武装解除された兵士のことも話した。彼は分かったと肯いていたので、我々はこれで日本軍に全てを諒解してもらったと思った。
その夜と翌朝早く、我々は十二月十四日付けの書状を作成し、日本語に翻訳させた。日本帝国大使館員福田氏が貴下に伝えるであろうが、ラーベ氏、スマイス氏及びフォースター師はこの書状を提出すべき日本軍高級将校を捜しに出かけた。我々は別々に五名の将校とも話したが、皆、翌日の最高司令官の到着を待つようにと言っていた。
翌十二月十五日の朝、我々は本部に日本帝国大使館の福田篤泰氏及び日本帝国海軍軍艦勢多の艦長と士官達の名刺を持った関口氏の訪問を受けた。我々は前述の十二月十四日付けの書状を福田氏に手渡し、我々が電気復旧工事の開始に喜んで協力する旨を関口氏に確約した。正午、我々は交通銀行で特務機関長に会う機会に恵まれ、我々の十二月十四日付けの書状に対する正式の返事を口頭で伝えられた。機関長はその返事の中で取り分け次のようにいった。即ち、安全地帯の入口に歩哨を立てること、武具としては警棒を持つだけである限り、民警が安全地帯内を巡回して差し支えないこと、国際委員会が貯えている米一万担を使い、また旧市政府から委託された貯蔵米を他所より運び入れて差し支えないこと、電話、電気、水道設備を可及的速やかに復旧することが不可欠であることなどである。しかし、我々の十二月十四日付けの書状の第四項に対しては、一般市民は可及的速やかに各自の自宅に戻るべきであるというだけで、回答はなかった。
(中略)
貴大便館及び日本軍に是非とも理解してもらいたいのは、日本当局が本市における諸機能を遂行する新規市政府なり他の機構を確立するまでは、我々が南京市一般住民のために市政府の業務を履行するように委ねられているという点である。しかし、不幸にして、貴国兵士達には我々に安全地帯の市民のために秩序とサービス業務の維持を引き続き行わせようという気持がない。そのために、我々が十二月十四日の朝まで担ってきた秩序の維持と必要業務の提供を行うための仕組みが壊れてしまった。言い換えると、貴国部隊が本市に入城した十三日、私どもは市民のほぼ全員を安全地帯という一地区に集合させていたが、そこでは流れ弾の砲弾による被害は殆どなかったし、全面退却中であっても中国兵達による掠奪もなかった。貴方達がこの地区を平和裡に掌握し、安全地帯以外の南京市の残りの地域の治安が確保されるまで、その中で日常生活を平穏裡に続けさせる舞台は貴方達のためにしっかりとでき上がっていた。
(中略)
従って、安全地帯の秩序維持の業務を貴国当局に引き渡すための第一歩として、我々は以下の事項を提案する。
(以下省略)
(『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』 冨澤繁信著 展転社)
このとおり、行政権を主張していますが。
トリミングはもういい加減にしてもらえませんか。
大体、協力も何も国際委員会は日本軍の行政権に服従しなければならない立場であって、条件をつけられる立場ではないのです。
これは メッセージ 9109 (ja2047 さん)への返信です.