村田和志郎の『日中戦争日記』かな?
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/12/17 23:33 投稿番号: [15098 / 41162]
> 数百人単位の捕虜惨殺光景が記載されている。
これはおそらく、村田和志郎の『日中戦争日記』に書かれている湖州城外の捕虜刺殺・焼殺跡のことを言いたいのだろうが、秦郁彦著『南京事件』によれば村田和志郎が見たのは死体だけだ。
余談だが、この件で秦郁彦は実にケッサクな論理を展開している。
いい機会だからご紹介しよう。
「・・・敗残兵や捕虜の処刑も当然のように続発した。第十八師団に下士官で従軍した作家火野葦平の『土と兵隊』にもいくつかの処刑場面が措かれているが、同じ師団の村田和志郎伍長(歩百二十四連隊)が書いた『日中戦争日記』には、小人数の女性殺害、捕虜斬殺が数件あるほか、十一月二十四日湖州城外で、三百人の捕虜が刺殺、焼殺された惨劇のあとを記している。
村田は第六師団の仕業か?
と見当をつけているが、崑山占領後反転して追及中の第六師団は、はるか後方にあり、下手人は前日に湖州へ突入した国崎支隊だったと思われる。
歩四十一連隊第三大隊の戦闘詳報には、次のような記述がある。
「十一月二十二日
一五〇〇、計家湾二到着、コノ時敗残兵約二百白旗ヲ樹テ数家屋ニ集結シアルヲ以テ捕虜トスべク努メタルモ、至近距離二達スルヤ、ピストル、手樽弾ヲ持テ抵抗セルニヨリ全部之ヲ刺殺又ハ射殺ス。一六二〇、八里店東方二達スルヤ……敵約五、六百ハ全ク退路ヲ失ヒ俘虜トシ敵ヲ殲滅ス」・・・」
ここにも明らかに敗残兵が俘虜と書かれている事例が見られる。(殲滅するなら、最初から収容などしない)
だがケッサクというのは、その前の部分を引っくるめて「敗残兵や捕虜の処刑」の例としていることだ。
白旗を掲げながら、接近してきた相手にピストルや手榴弾で抵抗したなら、それは偽装投降という重大な背信行為で、殺されても当然だ。そんな相手を捕虜として収容し保護する部隊があったら、それはお人好しを通り越して単なる馬鹿と言うべきだろう。
こんな明白な背信行為の例を持ってきて「敗残兵や捕虜の処刑」と非難する材料にするなど、交戦法規が全く分かっていないとしか言いようがない。
これは メッセージ 15051 (kinbf さん)への返信です.
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