Re: 領土の法的な意味解っているか?
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/24 23:23 投稿番号: [11271 / 41162]
>革命の意味理解してる?
理解しているが、今は特に「辛亥革命」について述べている。
>つまり、国家の分離独立ではなく、政府(朝廷)の交代。
【「民族」の独立】が辛亥革命の目標(基本政策)の一つだった。
・辛亥革命
革命運動の目標(基本政策)として、「民族」の独立、「民権」の伸張、「民生」の安定、という3つ「三民主義」を掲げた。
1911年10月、孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で反乱をおこすと、16の省がつぎつぎと清朝からの独立を宣言。
各省代表が南京に集まり、1912年には、孫文を臨時大総統に中華民国臨時政府を成立させた。
>>分離独立した国家が、
>>旧宗主国が諸外国と結んでいた条約・協定の多くを放棄してしまったら混乱は免れない。
> ↑は完全に間違いです。
別に間違いではない。
>(2)新独立国
> (a)クリーンスレート原則
> 先行国の有した権利義務は承継国に承継されない
原則はそうでも、実際には当時の支那(中華民国)は便宜上、大清帝国と諸外国との間にあった権利義務の多くを継承した。
大清帝国と列国が締結した各種条約は、革命後、それを継承するといった最初の支那の政権、即ち袁世凱政権、袁政権崩壊後は、支那各地の軍閥政権が、その都合に応じて、例えば、借款が欲しいとかいう都合に応じて継承するといったり、突然豹変して関係ないといったり(例えば、塩税や釐金税の徴収権など)など、支那は到底『主権国家』等といえる状態ではなかったが、その都度、列国が認める時の中央政府が形式上継承している形だった。
しかし、その都度態度が変るため、列国は権益保持のため軍隊を駐留させ、軍閥政権が発作的に起す暴挙に対応する準備をしていた。
以上が、『大清帝国後の各種支那政府』と諸外国との条約関係から見た継承関係。
>分離独立ではないからですね。
>同一国家における政府交代であるから、クリーンストレートは適用されず、
>大清帝国が諸外国と結んでいた条約・協定は有効。
支那にとって満州は外国であり、革命成功後は満州を支那(中華民国)に含めないことは、「革命の父・孫文」自身が言っていた。
――――――
その理由は「革命同志会」の標語は「倒満興漢」であり、清朝を倒して元来満州人である清国政府をその故郷満州に追い返すことを主張していたからである。機関紙『民報』は「日本と革命中国の国民連合」を唱え、孫文以下の指導者も「中国にとっては満州は外国であり、革命成功の後は、満州問題は日本に一任する」と公言していた。彼らは革命後にも漢民族の勢力は満州までは及ばず、清朝は満州帝国を再建して、ロシア帝国と手を結び、漢民族の敵国となるだろうと予想していたのである。
林房雄著『大東亜戦争肯定論』
――――――
また、中華民国政府が清朝と結んだ『退位協定』には、「大清皇帝は辞位後も皇帝の尊号を廃止せず、中華民国は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する」とあった。
>既に指摘していますね。
> 『領域』の要件を満たしていないと♪
満州国の領域はちゃんとあった。
理解しているが、今は特に「辛亥革命」について述べている。
>つまり、国家の分離独立ではなく、政府(朝廷)の交代。
【「民族」の独立】が辛亥革命の目標(基本政策)の一つだった。
・辛亥革命
革命運動の目標(基本政策)として、「民族」の独立、「民権」の伸張、「民生」の安定、という3つ「三民主義」を掲げた。
1911年10月、孫文の中国革命同盟会が湖北省の武昌で反乱をおこすと、16の省がつぎつぎと清朝からの独立を宣言。
各省代表が南京に集まり、1912年には、孫文を臨時大総統に中華民国臨時政府を成立させた。
>>分離独立した国家が、
>>旧宗主国が諸外国と結んでいた条約・協定の多くを放棄してしまったら混乱は免れない。
> ↑は完全に間違いです。
別に間違いではない。
>(2)新独立国
> (a)クリーンスレート原則
> 先行国の有した権利義務は承継国に承継されない
原則はそうでも、実際には当時の支那(中華民国)は便宜上、大清帝国と諸外国との間にあった権利義務の多くを継承した。
大清帝国と列国が締結した各種条約は、革命後、それを継承するといった最初の支那の政権、即ち袁世凱政権、袁政権崩壊後は、支那各地の軍閥政権が、その都合に応じて、例えば、借款が欲しいとかいう都合に応じて継承するといったり、突然豹変して関係ないといったり(例えば、塩税や釐金税の徴収権など)など、支那は到底『主権国家』等といえる状態ではなかったが、その都度、列国が認める時の中央政府が形式上継承している形だった。
しかし、その都度態度が変るため、列国は権益保持のため軍隊を駐留させ、軍閥政権が発作的に起す暴挙に対応する準備をしていた。
以上が、『大清帝国後の各種支那政府』と諸外国との条約関係から見た継承関係。
>分離独立ではないからですね。
>同一国家における政府交代であるから、クリーンストレートは適用されず、
>大清帝国が諸外国と結んでいた条約・協定は有効。
支那にとって満州は外国であり、革命成功後は満州を支那(中華民国)に含めないことは、「革命の父・孫文」自身が言っていた。
――――――
その理由は「革命同志会」の標語は「倒満興漢」であり、清朝を倒して元来満州人である清国政府をその故郷満州に追い返すことを主張していたからである。機関紙『民報』は「日本と革命中国の国民連合」を唱え、孫文以下の指導者も「中国にとっては満州は外国であり、革命成功の後は、満州問題は日本に一任する」と公言していた。彼らは革命後にも漢民族の勢力は満州までは及ばず、清朝は満州帝国を再建して、ロシア帝国と手を結び、漢民族の敵国となるだろうと予想していたのである。
林房雄著『大東亜戦争肯定論』
――――――
また、中華民国政府が清朝と結んだ『退位協定』には、「大清皇帝は辞位後も皇帝の尊号を廃止せず、中華民国は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する」とあった。
>既に指摘していますね。
> 『領域』の要件を満たしていないと♪
満州国の領域はちゃんとあった。
これは メッセージ 11239 (T_Ohtaguro さん)への返信です.