Re: 東中野某名誉毀損裁判
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/04 23:23 投稿番号: [10547 / 41162]
>「夏氏が犯人相手に懇願したり、馬夫人が犯人相手に質問している」から、言葉が通じていた、会話が成立していたと即断できるわけ?
賊が「なかに入れろ」と要求したら、馬という家主が戸を開けたよ。
言葉が通じていた証拠でしょ。
>第一、日本兵の答えが記録されていない。問答無用の状況じゃないか。日本兵(を装ったシナ人)が、シナ語を解するなら、懇願や質問にシナ語でなんらかの応答をしたはずだ。それをそばで目撃していた少女夏がキャッチしていたはずだ。
夏氏や馬夫人なら、相手が日本軍なのか支那軍なのか支那人盗賊なのかの判断はすぐにできたでしょう。
夏氏や馬夫人がそのような相手に懇願したり質問したのだから、相手は支那軍もしくは支那人盗賊だと考えるのが普通だろう。
その直前には、なかに入れろと要求された馬氏が戸を開けたくらいだからネイティブの言葉遣いや発音だったんだろう。
何と言っても、避難命令が出されたのが12月1日と12月8日であり、事件があった前日の12月12日夜から南京は本格的な戦闘状態に突入していたのだから、普通なら簡単に戸を開けないと思う。
それと、この記述は、マギーが当時8歳の夏淑琴から直接事件の概要を聞いてフィルム(映画)を制作し、その解説書として記したものだから詳細は省いているかもしれない。
>それより、
>このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した。
>このほうがおかしいと思う。12月13日までにはほとんど全市民が城外か城内安全区に避難していたはずだから、「近所の人はみな、難民区に避難した」というのはおかしい。少女夏かマギーの(故意の?)記憶違いで12月13日に起きたとされたので、実際は日本軍入城以前シナ人(兵?)による暴行だったのかもしれない。
そのとおりだと思うよ。
俺は最初から、そう思って、そう言っているのだよ。
おそらく、12月8日〜12月12日頃の出来事だと思うよ。
12月8日
南京防衛軍の司令官唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての非戦闘員は国際管理下の安全地帯に終結しなければならない」と、布告した。市内他地区での移動は、黄色の腕章に特別の印で示される特別許可証所有者を除いて禁じられる。
NYタイムズ12/8(アメリカ資料編P390)
12月8日
把江門を通って江岸に出て行くのは今でも容易であるが、 中国人はそこから城内に入る事を許されていない。昨夜警察官が、城壁外部の下関地区の家々を一軒一軒回って、長江を渡って浦口へ行くように警告して歩いた。
米大使館報告(アメリカ資料編P95)
12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
(南京事件の日々P40)
12月9日
今夜は南京市の南西隅の空全体を火炎が照らしている。(略)AP特派員のマクダニエルは、中国兵が灯油をかけて家に火をつけているところを目撃したと言っている。
(南京事件の日々P41)
12月10日
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。安全区の道路は、避難する人たちでごったがえしている。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107)
12月11日
警察官が川岸で渡江して避難する準備をしているのを見た。その後、数百人の警察官が同じ目的で下関区へなだれ込むのを目撃したから、もはや市内に警察官はいないのではないかと思われる。
(アメリカ資料編P101〜102)
12月12日
今夜の記者会見で聞いたところによれば、防衛司令官の唐生智には、旗下の部隊に対する統率力が不足ために、城内のほとんどの場所で略奪が行われているそうだ。
(南京事件の日々P47)
まー、間違いないでしょ。
犯行が支那軍・支那人盗賊によるものだったとする状況証拠は有り過ぎるほど有ると思うのだが。
賊が「なかに入れろ」と要求したら、馬という家主が戸を開けたよ。
言葉が通じていた証拠でしょ。
>第一、日本兵の答えが記録されていない。問答無用の状況じゃないか。日本兵(を装ったシナ人)が、シナ語を解するなら、懇願や質問にシナ語でなんらかの応答をしたはずだ。それをそばで目撃していた少女夏がキャッチしていたはずだ。
夏氏や馬夫人なら、相手が日本軍なのか支那軍なのか支那人盗賊なのかの判断はすぐにできたでしょう。
夏氏や馬夫人がそのような相手に懇願したり質問したのだから、相手は支那軍もしくは支那人盗賊だと考えるのが普通だろう。
その直前には、なかに入れろと要求された馬氏が戸を開けたくらいだからネイティブの言葉遣いや発音だったんだろう。
何と言っても、避難命令が出されたのが12月1日と12月8日であり、事件があった前日の12月12日夜から南京は本格的な戦闘状態に突入していたのだから、普通なら簡単に戸を開けないと思う。
それと、この記述は、マギーが当時8歳の夏淑琴から直接事件の概要を聞いてフィルム(映画)を制作し、その解説書として記したものだから詳細は省いているかもしれない。
>それより、
>このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した。
>このほうがおかしいと思う。12月13日までにはほとんど全市民が城外か城内安全区に避難していたはずだから、「近所の人はみな、難民区に避難した」というのはおかしい。少女夏かマギーの(故意の?)記憶違いで12月13日に起きたとされたので、実際は日本軍入城以前シナ人(兵?)による暴行だったのかもしれない。
そのとおりだと思うよ。
俺は最初から、そう思って、そう言っているのだよ。
おそらく、12月8日〜12月12日頃の出来事だと思うよ。
12月8日
南京防衛軍の司令官唐生智は、市が戦闘地区に入ったと宣言し「すべての非戦闘員は国際管理下の安全地帯に終結しなければならない」と、布告した。市内他地区での移動は、黄色の腕章に特別の印で示される特別許可証所有者を除いて禁じられる。
NYタイムズ12/8(アメリカ資料編P390)
12月8日
把江門を通って江岸に出て行くのは今でも容易であるが、 中国人はそこから城内に入る事を許されていない。昨夜警察官が、城壁外部の下関地区の家々を一軒一軒回って、長江を渡って浦口へ行くように警告して歩いた。
米大使館報告(アメリカ資料編P95)
12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。避難民の多くは南門付近や市の南東部の人たちだ。
(南京事件の日々P40)
12月9日
今夜は南京市の南西隅の空全体を火炎が照らしている。(略)AP特派員のマクダニエルは、中国兵が灯油をかけて家に火をつけているところを目撃したと言っている。
(南京事件の日々P41)
12月10日
なにしろ、この街の運命と20万人の命がかかっているのだ。安全区の道路は、避難する人たちでごったがえしている。(略)残念ながら軍人がまだ大勢、安全区に留まっている。
(ラーベの日記P107)
12月11日
警察官が川岸で渡江して避難する準備をしているのを見た。その後、数百人の警察官が同じ目的で下関区へなだれ込むのを目撃したから、もはや市内に警察官はいないのではないかと思われる。
(アメリカ資料編P101〜102)
12月12日
今夜の記者会見で聞いたところによれば、防衛司令官の唐生智には、旗下の部隊に対する統率力が不足ために、城内のほとんどの場所で略奪が行われているそうだ。
(南京事件の日々P47)
まー、間違いないでしょ。
犯行が支那軍・支那人盗賊によるものだったとする状況証拠は有り過ぎるほど有ると思うのだが。
これは メッセージ 10507 (monkeybrain132 さん)への返信です.