素晴らしかった戦前の日本
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2006/07/04 23:29 投稿番号: [10548 / 41162]
(googleより抜粋):
1923(大正12)年9月16日、憲兵(けんぺい=1881〔明治14〕年の憲兵条例により設置され軍隊内の秩序維持を主任務とする兵隊で、犯罪捜査・軍紀維持・思想取り締まったが、次第に権限を拡大し、公安対策・思想弾圧・防諜などにも強い権力をふるい、凶暴化していった)が無政府主義者大杉栄らを東京憲兵隊本部で絞殺し、遺体を古井戸に投げ込んだ事件。
1923年9月1日、関東大震災が発生。軍隊や警察は、混乱に乗じてデマを流し、住民と共謀して6,000人を超える朝鮮人や中国人を虐殺するが、そればかりか社会主義者や無政府主義者等の反体制運動家をも殺害する。その一つが甘粕事件である。
すなわち、東京憲兵隊麹町(こうじまち)分隊長甘粕正彦(あまかすまさひこ)大尉、東京憲兵隊本部付森慶次郎曹長は、無政府主義者が不穏・不逞(ふてい)行為に出るおそれがあるとして、9月16日、大杉が妻の伊藤野枝とともに鶴見に住む弟を見舞い、6歳になる甥の橘宗一(たちばなむねかず)を連れて帰る途中、東京憲兵隊麹町分隊長甘粕正彦(あまかすまさひこ 〔1891〜1945〕。1891〔明治24〕年1月26日宮城県生まれ。陸軍士官学校卒。1923年東京麹町〔こうじまち〕憲兵分隊長〔憲兵大尉〕となる) と憲兵隊特高課の森慶次郎が大杉ら3人を逮捕・連行、殺害するが、甘粕らのこの犯行は、軍中央の命令によるものとされている。
大杉が行方不明になると、友人安成二郎(やすなりじろう=1886〜1974。大正から昭和時代の歌人・ジャーナリスト。安成貞雄の弟で、「実業之世界」編集長,「読売新聞」「大阪毎日新聞」記者をつとめたのち平凡社に勤務した)らは事件と直感して捜索を始めるが、そうした最中の9月20日の『時事新報(じじしんぽう=1882〔明治15〕年福沢諭吉が創刊した日刊新聞で、1936(昭和11)年「東京日日新聞」に併合、廃刊)』や『読売新聞』が号外で大杉殺害を報じ、少年が殺されたこともあって、大問題となる(大杉、伊藤を虐殺したのが甘粕、宗一少年を殺害したのが鴨志田安五郎、本多重雄の両上等兵であり、また犯行全体に森慶次郎が干与していた)。
甘粕は千葉刑務所に収監されるが、態度優秀に加えて皇室の慶事による大赦によって、約3年後の1926(大正15)年10月に釈放され、帝国陸軍の官費で通常は単身赴任であるにも関わらず、夫婦で2年間のフランス留学という破格の待遇を経て満州に渡り、満州事変の仕掛け人としてかかわるばかりか、奉天(ほうてん=現在は、中国・遼寧〔りょうねい=中国、東北部の渤海〈ぼつかい〉と黄海に面する省。鴨緑江〈おうりよつこう〉を隔てて朝鮮半島と接するところで鉱工業が発達している〕省の省都・瀋陽〔しんよう〕市)に本拠をおいた特務機関(作戦以外のスパイ活動や特殊工作などを行う特殊軍事組織)に関わった。また、関東軍参謀長板垣征四郎に極秘の委託を受けて天津から旧清国の皇帝愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を拉致(らち)して傀儡(かいらい=操り人形)政権の満州国を建国するなど、満州国の黒幕として君臨する。その後、満州映画協会理事長として長らく権力の座にあったが、1945(昭和20)年8月20日、ソ連軍の新京(現長春)侵入を前に、青酸カリで自殺している(享年55歳。「大ばくち もとも子もなく すってんてん」が辞世の句)。
(なるほど、戦前の日本は平和でしたな。)
1923(大正12)年9月16日、憲兵(けんぺい=1881〔明治14〕年の憲兵条例により設置され軍隊内の秩序維持を主任務とする兵隊で、犯罪捜査・軍紀維持・思想取り締まったが、次第に権限を拡大し、公安対策・思想弾圧・防諜などにも強い権力をふるい、凶暴化していった)が無政府主義者大杉栄らを東京憲兵隊本部で絞殺し、遺体を古井戸に投げ込んだ事件。
1923年9月1日、関東大震災が発生。軍隊や警察は、混乱に乗じてデマを流し、住民と共謀して6,000人を超える朝鮮人や中国人を虐殺するが、そればかりか社会主義者や無政府主義者等の反体制運動家をも殺害する。その一つが甘粕事件である。
すなわち、東京憲兵隊麹町(こうじまち)分隊長甘粕正彦(あまかすまさひこ)大尉、東京憲兵隊本部付森慶次郎曹長は、無政府主義者が不穏・不逞(ふてい)行為に出るおそれがあるとして、9月16日、大杉が妻の伊藤野枝とともに鶴見に住む弟を見舞い、6歳になる甥の橘宗一(たちばなむねかず)を連れて帰る途中、東京憲兵隊麹町分隊長甘粕正彦(あまかすまさひこ 〔1891〜1945〕。1891〔明治24〕年1月26日宮城県生まれ。陸軍士官学校卒。1923年東京麹町〔こうじまち〕憲兵分隊長〔憲兵大尉〕となる) と憲兵隊特高課の森慶次郎が大杉ら3人を逮捕・連行、殺害するが、甘粕らのこの犯行は、軍中央の命令によるものとされている。
大杉が行方不明になると、友人安成二郎(やすなりじろう=1886〜1974。大正から昭和時代の歌人・ジャーナリスト。安成貞雄の弟で、「実業之世界」編集長,「読売新聞」「大阪毎日新聞」記者をつとめたのち平凡社に勤務した)らは事件と直感して捜索を始めるが、そうした最中の9月20日の『時事新報(じじしんぽう=1882〔明治15〕年福沢諭吉が創刊した日刊新聞で、1936(昭和11)年「東京日日新聞」に併合、廃刊)』や『読売新聞』が号外で大杉殺害を報じ、少年が殺されたこともあって、大問題となる(大杉、伊藤を虐殺したのが甘粕、宗一少年を殺害したのが鴨志田安五郎、本多重雄の両上等兵であり、また犯行全体に森慶次郎が干与していた)。
甘粕は千葉刑務所に収監されるが、態度優秀に加えて皇室の慶事による大赦によって、約3年後の1926(大正15)年10月に釈放され、帝国陸軍の官費で通常は単身赴任であるにも関わらず、夫婦で2年間のフランス留学という破格の待遇を経て満州に渡り、満州事変の仕掛け人としてかかわるばかりか、奉天(ほうてん=現在は、中国・遼寧〔りょうねい=中国、東北部の渤海〈ぼつかい〉と黄海に面する省。鴨緑江〈おうりよつこう〉を隔てて朝鮮半島と接するところで鉱工業が発達している〕省の省都・瀋陽〔しんよう〕市)に本拠をおいた特務機関(作戦以外のスパイ活動や特殊工作などを行う特殊軍事組織)に関わった。また、関東軍参謀長板垣征四郎に極秘の委託を受けて天津から旧清国の皇帝愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)を拉致(らち)して傀儡(かいらい=操り人形)政権の満州国を建国するなど、満州国の黒幕として君臨する。その後、満州映画協会理事長として長らく権力の座にあったが、1945(昭和20)年8月20日、ソ連軍の新京(現長春)侵入を前に、青酸カリで自殺している(享年55歳。「大ばくち もとも子もなく すってんてん」が辞世の句)。
(なるほど、戦前の日本は平和でしたな。)
これは メッセージ 10539 (konoyo_anoyo さん)への返信です.