日本の光

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Re: ヒカルの碁

投稿者: neonanashinogonbei 投稿日時: 2007/12/21 15:21 投稿番号: [80 / 1344]
何が述べたいのかな?
特定アジアが、このトピの主旨にあるような感動的な事があるなら、ご自分でトピでもたてなさい!そこで妄想を膨らませ、書き連ねればよいのではないか!

Re: ヒカルの碁

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2007/12/21 15:12 投稿番号: [79 / 1344]
>ヒカルの碁のお陰で随分海外で囲碁が普及したようです。

囲碁は日本発祥の文化なのかい?

Re: カカと日本の両親

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/21 00:34 投稿番号: [78 / 1344]
その話はニュースでも特集されたりしてましたね。
カカはその時の五千円札を大事にしているとか。

カカと日本の両親

投稿者: asianrobo 投稿日時: 2007/12/19 23:28 投稿番号: [77 / 1344]
ブラジルの指令塔は山形にいた−。(産経新聞)

ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で連覇を狙うブラジル代表の中心選手、カカ(24)は11歳のとき、山形県の山あいの町、最上町でホームステイをして地元の人と交流を深めていた。カカが「日本の両親」と慕う「もがみ国際交流協会」の押切政志事務局長(56)と久子さん(54)夫妻は「こんな大選手になるとは思わなかった。ゴールを決めてもらいたいなあ」と、“わが子”の活躍を期待している。

ドイツW杯で世界中が楽しみにしているのは、最強ブラジルの攻撃陣「魔法のカルテット」だ。前回得点王のロナウド、破壊王・アドリアーノ、魔術師・ロナウジーニョ、そしてこの3人を操るのが貴公子と呼ばれるカカだ。

イタリア紳士服(アルマーニ)のモデルも務めるスーパースターで、3年前に移籍金約10億円の4年契約でイタリアのビッグクラブ、ACミランに移籍したが、今も自室には大事に日本の五千円札を保管している。「サッカーで初めてもらった賞金だから、宝物だと言ってる」。押切さんはカカの父親、ボスコさんからそう聞かされた。

カカが日本を訪れたのは平成5(1993)年秋。山形県と宮城県の県境にテーマパークができ、オープニングイベントの一環としてサンパウロFCのジュニアチーム(小学5年生)が来日した。ブラジルの富裕層の子供たちで、渡航費用は自費負担。そのなかにカカもいた。父はエンジニア、母は大学教授。ACミランと契約した際にはイタリア紙に「ブラジル代表イコール貧困のイメージを変えた」と書かれた。

来日した少年たちは約2週間、東北の山間部で農家に泊まり、芋掘りなどで交流を楽しんだ。世話人として奔走した押切さんは当時のカカを「背も小さくてかわいい子供だった」と振り返るが、宮城県の選抜チームとのサッカー大会では、既に才能の片鱗(へんりん)を見せていた。「ポジションは今と同じトップ下。キャプテンで、パスもドリブルもうまかった」

一人だけ別次元の動きを見せたカカは最優秀選手に選ばれ、茶封筒に入った五千円札を手にした。

帰国後も国際電話などで、カカと押切さん夫妻との交流は続いた。2001年にはブラジルへ招かれ、パーティーの壇上で押切さんの姿を見つけたカカは駆け下りて抱きついてきたという。

2002年、日韓W杯では決勝戦を控え、静岡県浜松市のホテルに宿泊するカカを訪ね、こいのぼりを手渡した。「日本では、自分の子供が立派に成長してくれることを願って渡すんだ」と話す押切さんに、カカは「ありがとう」と何度もお礼を言い、決勝戦のチケットを差し出した。

横浜国際競技場でドイツと戦った決勝戦。押切さんが見たのは、ブラジル応援団が陣取ったスタンドの最前列で風に泳ぐこいのぼりだった。

押切さんは「日本と同じ組(予選F組)に入って戦うことは複雑だが、とにかくカカには活躍してほしい。日本から見守りたい」と親心をのぞかせている。


こういった交流は、韓国では無理だろうなぁ。
逆に、私が世話をしたって、むちゃくちゃな数の人間が押し寄せるかも(苦笑)。

Re: あげ

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2007/12/18 23:20 投稿番号: [76 / 1344]
>貴兄がお書きなさい。

了解。

asianrobo殿

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/18 23:11 投稿番号: [75 / 1344]
落とさない様にのんびりやっていく所存です。
日韓トピでの愚か者の相手に飽きたらぜひ(笑)

台湾は外省人が反日喧伝しましたが、
旧来から住む方々は総じて親日ですね。
共産支那との関係上近年は反日色がほとんど見られなくなりましたが。

報道ステーションでは迎撃実験の成功にケチを付けてましたな(笑)
魂胆が見え透いていて馬鹿らしくなりました。
昨夜のTBSも腐ってましたが。

世相が殺伐(と見せかけている嫌いが有り)な時こそ、
先人の良い話でも流すべきだと思うのですがね。

Re: あげ

投稿者: tonbo_08 投稿日時: 2007/12/18 10:00 投稿番号: [74 / 1344]
貴兄がお書きなさい。

飛虎将軍廟

投稿者: asianrobo 投稿日時: 2007/12/18 04:13 投稿番号: [73 / 1344]
ついでなんで飛虎将軍廟についても


飛虎将軍廟とは、台南市にある鎮安堂の事で、太平洋戦争末期に台湾を守る為に散っていった3人のパイロットが祀られている廟です。

昭和19年10月12日、米軍による台湾への攻撃が行われ、迎撃した台南航空隊、高雄航空隊との間に激しい空中戦が行われました。

台南、高雄両航空隊の戦闘機は当時でも旧式となっていた零戦32型で、新鋭機である米軍のF6Fに対抗するのは難しく、大きな被害を出し、中には体当たりを敢行した機もありました。

この空中戦を最初から最後まで見ていた呉省事さんの畑の周辺には、体当たりを敢行した杉浦兵曹長の機体を含めて三機の日本機が墜落したと言う事です。

呉さんは、他の住民と共に憲兵隊や航空隊の隊員が遺体を回収するのに協力しました。

それから十数年後、この周辺で、毎晩白い衣装をつけ、白い帽子を被った人が幾度も目撃される様になり、占ってみると、あの昭和19年10月12日の空中戦で亡くなったパイロットの亡霊であるとのお告げがでました。

それが、この地で亡くなった杉浦兵曹長たちの霊であると思い至った呉さんは、自分の土地に小さな祠を建て、地方の安寧と無事を祈願しました。すると、急にこの辺りが栄え出したのです。

しかし、当時は国民党が大陸から台湾へ移って来ており、日本人、特に日本軍人を祀った飛虎将軍廟はけしからんと言うことで、当時の蘇南成台南市長が撤去の指示を出し、工務局から、撤去の為の部隊がやってきました。

ですが、住民たちは撤去に抵抗し、戒厳令下にも拘らず、最後まで廟を守り通しました。

その後、小さかった廟は次第に拡大され、現在では、大理石造りの立派な廟となっており、祝詞代わりに朝は「君が代」が、夕方には「海ゆかば」が歌われ、線香の代わりに煙草を上げるという独特の方法で、現在も手厚く祀り続けられています。


ほんと、台湾の人たちには頭が下がる思いです。

義愛公伝

投稿者: asianrobo 投稿日時: 2007/12/18 03:40 投稿番号: [72 / 1344]
thirteen_satanさん、遅ればせながら、トピ開設おめでとうございます。

知っている話を挙げさせていただきます。


台湾には義愛公という神様がいます。

この義愛公は、日本人である森川清次郎巡査を祀った神様で、義愛公と言うよりも、日本人の神様と言った方が通りがいいくらいのようです。

森川巡査は、台湾が日本領と成った直後の明治三十年(一八九七年)、台湾へ赴任し、副瀬村の派出所に勤務することになりました。

赴任した直後から、森川巡査は村の治安維持に当たる一方、寺小屋を開いたりするなどして、村の生活水準の向上や福祉の充実させる為に尽くしました。

最初は、森川巡査を疑念の目で見ていた村民たちも、その献身的な働きから、次第に「大人」と呼んで慕うようになっていきました。

そんなある日、総督府は新たに漁業税を制定しました。

副瀬村は、漁業で整形を立てている村だった上に貧しい村でしたから、この重税が課せられる事は死活問題でした。
村人は衆議の結果、信頼する大人である森川巡査に、税金の軽減を総督府に要請してもらえるよう嘆願しました。

徴税は、当時の台湾の警察官の職務の一つだったので、本来であれば村人に税を納めさせねば成らない立場ではあったのですが、普段から村の窮状をよく知っていた森川巡査はその要請を受け入れ、台湾総督府の台南州東石支庁を訪れて、上司に税金の軽減を訴えました。

しかし、支庁長は森川巡査が村民を煽動して事を荒立てていると曲解し、訴えを受け容れないばかりか、森川巡査を懲戒処分にしてしまいました。

村に戻った森川巡査は、村人に事情を説明した翌朝、村内の慶福堂という廟の中で、「疑われては弁解の術もない、覚悟する」との言葉を残し、抗議の自決を遂げます。

変わり果てた森川巡査の姿を発見した村人たちは、声を上げて大いに嘆き悲しみました。その日のうちに廟の前で告別式が行なわれ、森川巡査の遺体は副瀬村の東南にある共同墓地にねんごろに葬られました。

しかし、これに慌てたのは行政当局です。
台湾統治を進める上で大事な時期に、村民から信望を集めていた巡査が、当局の対応の不味さから抗議の自決を遂げたのですから。

直ぐに森川巡査の懲戒処分を取り消し、森川巡査は流行病の看病をして、自らも感染して亡くなったと発表し、問題の沈静化に勤めました。

その結果、森川巡査の件は次第に人々の記憶から薄れていき、20年ほどの月日が流れました。

1923年、副瀬村の周辺の村々で伝染病が大流行し、副瀬村の村人たちは、何時自分たちの村にも伝染病が広がらないかと、日々戦々恐々としていました。

そんなある日の事、副瀬村の村長の夢枕に制服姿の警察官が立ち、「伝染病を防ぐには、日々の生活から衛生第一を心がける事。特に食事には注意し、生ものや生水を避けよ。さすれば必ず防げる。」と告げると言う出来事が起こりました。

村長は、それが生前村に尽くしてくれた森川巡査の霊であることを悟り、翌朝になるとすぐに村人たちを集め、その事を話して聞かせました。

村人たちはその教えを忠実に守り、結果、村は伝染病を免れました。

この事から、村人たちは、生前だけでなく死後も村に慈愛を注いでくれた森川巡査を神として祀る事を決め、「義愛公」の尊称を奉り、その義と徳を追慕し永久に記念することにしました。

現在も「義愛公」は副瀬村で手厚く祀られていますが、病気平癒に特に零件あらたかである事から、台湾全土からご神体の貸し出し依頼が後を絶たない状況だそうです。


台湾の日本人の神様と言うと、飛虎将軍廟が思い出されますが、こういった話もあるということで。

「援助が救った命」

投稿者: supernova_firewood 投稿日時: 2007/12/18 01:53 投稿番号: [71 / 1344]
中華人民共和国
「援助が救った命」
(湖南省平江県母子保健院救急センター入院病棟建設計画)
  平成16年1月、二人目の赤ちゃんを産んだばかりの一人のお母さんから、こんな手紙が届きました。「私は湖南省平江県芩口鎮西江村のものです。私は日本国政府と日本国民の方々に感謝したいのです。あなた方は二つ目の生命を私に与え、私と子どもを助けてくれた命の恩人なのです。1月10日、突然痙攣を起こして倒れた私は、危険な状態と判断され、湖南省平江県母子保健院救急センターに救急車で運ばれました。センターで救急措置と帝王切開手術を並行して受け、無事出産することができました。保健院の方々から、『あなたが助かったことは、日本国政府と日本国民の真心と切り離すことはできないのです。日本の無償援助によって、この保健院の設備が整い、多くの婦女や乳幼児の健康が保障されるようになったのですよ。』と聞きました。私は心から保健院と日本国政府、日本国民に感謝します。そして中日友好が子々孫々まで続くよう願っています。」


  日本は、湖南省平江県母子保健院救急センター入院病棟の建設費用工事総費用の50%にあたる79,380ドルを供与したのです。入院病棟完成後の収容患者数は前年比1.5倍増加、病床の使用率も104%となり、妊産婦や乳幼児の死亡率の低下といった大きな効果を挙げています。お母さんが安心して出産し、赤ちゃんが健やかに育てる環境の整備のために、日本の草の根・人間の安全保障無償資金協力が役立っています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/hanashi/sekai/asia/china2.html

ヒカルの碁

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/17 23:09 投稿番号: [70 / 1344]
漫画本編の終わり方には納得いかなかったのですが(笑)


ヒカルの碁で囲碁に興味…南ア留学生が二段合格
12月17日17時29分配信 産経新聞

  南アフリカから関西棋院へ“短期留学生”として囲碁を勉強にきていた17歳のカーリー・ジョーバートさんが、このほど二段の認定試験に見事合格、念願の免状を手に「普及にがんばります」と元気に帰国した。
  カーリーさんは、アニメ『ヒカルの碁』を見て碁に興味を抱き、ボランティアで指導にきていた尼崎の明田克行さんの手ほどきをうけ、「日本でもっと勉強したい」と、7月に来日した。
  尼崎市内の明田さんの友人宅にホームステイし、毎日大阪市中央区北浜の同棋院囲碁サロンで、南善己九段や東野弘昭九段、それに高段者からの指導を受けた。
  また、芦田磯子六段のこども教室の生徒と囲碁キャンプに参加したり、囲碁のほかに剣道やピアノのレッスン、バレエの観賞、教会を訪れたりと、充実した5カ月間があっという間に過ぎた。
  帰国直前にさよなら指導碁を打った南九段は「はじめは2、3級程度だったが、3、4段クラスに上達した」と太鼓判を押した。同棋院の二段認定試験は実力で合格。
  迎えにきた父親の、ウィレムさん(ヨハネスブルグ在住の経営コンサルタント)と母親のリクリームさん(大学の心理学教授)が、世話になった人たちにお礼がしたいと「サヨナラ会」を開いた。
  南九段から二段の免状を手渡されたカーリーさんは、上手になった日本語で「大変お世話になりました。たくさんの素晴らしい思い出をありがとうございます」と感謝の言葉を述べ、最後に「帰国したら囲碁の普及にがんばります」と約束した。
  帰国後は大学に進学して音楽を勉強するそうだが、日本と南アフリカの文化交流の架け橋になってくれそうだ。



ヒカルの碁のお陰で随分海外で囲碁が普及したようです。

宣教師の言葉

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/17 22:19 投稿番号: [69 / 1344]
「我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、日本人に比べるとはなはだ、野蛮であると思う。私は毎日、日本人から教えられることを告白しなければならない。私は世界の中で、これほどまで天から才能を与えられた民族はないと思う。」

「京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、科学、見識、文明はローマよりはるかに高尚である。信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりもあきらかに劣っている。」

          16世紀   イエズス会本部への報告書より
          宣教師   ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ


「日本人は何よりも名誉を重んじ、彼らの大多数は貧しいが、貧困は貴族にとっても武士にとっても平民にとっても、決して恥ずかしいことでも、不名誉なことでもない。
彼らは「正直さ」のほうを選ぶ。未信心者のなかで、日本人より優れている民族はいないと思われる。」

           宣教師    フランシスコ・ザビエル

日本の光

投稿者: nandakana666 投稿日時: 2007/12/17 16:50 投稿番号: [68 / 1344]
戦前に米国に渡った日本人達。

その子供(日系2世)達は其れこそ、本当に血を流しながらその存在を米国人に知らしめた。(日系人部隊の第100大隊442戦闘団)

彼らは、テキサス州の部隊を救出する為に、独逸軍の精鋭に突撃を敢行したと聞きます。
「万歳!」と叫んで、突入する日系人兵士の姿に、独逸将兵が震え上がった。
差別と、戦闘。
この二つの戦いを1世の日本人、日系2世は戦い抜きました。

正々堂々と。

あげ

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2007/12/15 00:08 投稿番号: [67 / 1344]
誰かなにか書け

Re: 日本が世界に誇れるもの!

投稿者: oroti98 投稿日時: 2007/12/14 13:06 投稿番号: [66 / 1344]
anthoniyさんは   どうも 可笑しいと   思っていたら    占領基本法を世界に誇れるとは   矢張り   日本人では無かったのですね

野口英世博士

投稿者: redeye_forest 投稿日時: 2007/12/14 00:13 投稿番号: [65 / 1344]
世界で数え切れぬほどの人命を医学により救ったこの人物、
日本というより日本人ですが、彼はこのトピの趣旨に合う事と存じます。

確かに、金銭感覚の欠如といった欠点はありましたが、世界に残した
功績は余りにも大きいです。

会津若松市ホームページ
http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/rekishi/noguchi/hideyo.htm

Re: 韓国

投稿者: warabi_701 投稿日時: 2007/12/13 23:39 投稿番号: [64 / 1344]
http://photo.jijisama.org/

とりあえず、トピとは関係ないですが、貼り付けときます。
朝鮮人は・・・。

韓国

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/13 22:33 投稿番号: [63 / 1344]
わが国の歴史は極端にいうと、同族殺し合いの歴史でした。
三韓時代がそうであり、三国時代もそうであり、朝鮮王朝時代における党争も法治の枠を超えたものでした。
いつも不安な政情だったのです。
誰もが自分を陥れる投書を一通投げこめば、破滅です。
どこでだれが自分を陥れるために剣を磨いているか分からない。
枕を高くして眠ることもできないのです。

  日本社会でも上下の階級はあったが彼らは下人を使う前に下人の生活は徹底保障してやりました。しかし、わが国では、とくに朝鮮王朝時代には、両斑が常民を保障するどころか、収奪していました。
  壬申倭乱(秀吉公の朝鮮成敗)のとき、倭の側についた叛徒が大変な数にのぼったといいますね。王が非難するや叛徒が王城に火をつけ、はなはだしくは王をつかまえて倭将に差し出し、地方官を鞭打って敵陣に引っ張っていった例もありました。

  解放後の事情にしても、恒心がもてないようになっているじやないですか。強要しなければ、互いに共同など思いもよらないのが、今日の現実でしょう。

                      「月刊朝鮮」1982年8月号

良い話と言うより、朝鮮の役を非難する謂れはないと言うところでしょうか。
それにしても冬と言うのに小蠅が五月蠅い(笑)

Re: 加藤清正公

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2007/12/13 21:49 投稿番号: [62 / 1344]
>両王子は京城まで送り届けてくれた九鬼四郎兵衛にも感謝状を送り、その厚遇の恩は永久に忘れない、と述べている。

ハイ、また嘘(笑)

「その厚遇の恩は永久に忘れない」を何語で述べたか答えよ。

Re: 七恩

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2007/12/13 21:27 投稿番号: [61 / 1344]
>現在の韓国人の姓名は、すでに祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。

それは大嘘だぜ!
自己申告制という建前はあっても、裏で強制する圧力があったからな!

お前、嘘つくのもたいがいにしろよ。

加藤清正公

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/13 21:02 投稿番号: [60 / 1344]
加藤清正に感謝状を贈った朝鮮王子たち!!

(朝鮮成敗で活躍した)加藤清正が北朝鮮の会寧にまで攻め上ったとき、二人の朝鮮の王子を捕らえたが、礼を尽くして処遇した。
  翌文禄二年、講和談判が開かれるに及んで、秀吉の命令で、両王子を釜山から首都・京城まで護衛(家臣・九鬼四郎兵衛)をつけて送り還した。両王子は帰還するにあたって感謝状を清正に贈った。
  この書状は今も紀州徳川家に残っている。清正の娘が徳川頼宣の夫人となった縁故から同家に伝えられたものである。それを要約すれば次の通りである。
  <壬辰元年七月二十四日に捕らえられてから礼遇され、厚い保護を受け、衣服糧食を与えられ、至れり尽くせりの待遇を受けた。このたび関白(秀吉公)殿下に上申して釜山から京城まで送り還された。その慈悲は仏のごとくである。
  もし一行のものがこのことを忘れ、後日、日本及び清正公に対し、僅かでも背くようなことがあったら、人情を弁えぬ者であって、天地の神々もこれを知っているであろう。>
  両王子は京城まで送り届けてくれた九鬼四郎兵衛にも感謝状を送り、その厚遇の恩は永久に忘れない、と述べている。
  このほか清正は両王子を一時、鍋島直茂に預けておいたことがある。そのため鍋島氏の歓待を謝した書状が二通、鍋島家にも伝えられている。「神伝慈悲の道を貴官の中に見る」という文言さえある。

両王子は京城に帰ってから、清正の恩を忘れないように、京城の南大門外に清正の廟を作った。そこには肖像画を掲げて生きながらの社とし、両王子は親しく祭文を読み上げたと言う。
清正に感激したのは、両王子ばかりではなかった。禮曹司という職にあった五人の高官は、秀吉宛に長文の手紙を書いている。この文書は現在熊本の本妙寺に所蔵されているが全文は「日本人の博愛」−辻善之助編−に載っている。

  要約
  <清正は利欲を求めず、ただ正事に奔走した。朝鮮北部を席巻すること、勇猛果敢であって、その姿は神か人か、男子中の男子であった。会寧で両王子を捕らえた時は辞を低くし、謙虚そのものであった。この姿に日本の風格を見る思いがした。両王子を釜山まで送るその態度は一貫していた。これこそ真の仁人であり、君子中の君子である。貴国の忠臣名将録に記録して明らかにすべきではないか。>
 
  これら一連の資料に接しておれば、加藤清正という勇将の一面を窺うことができる。清正が熊本人に今も「セイショウサン」として慕われている理由も判るのである。

               「日韓2000年の真実」名越二荒之助   編著

七恩

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/13 20:55 投稿番号: [59 / 1344]
現在の韓国人の姓名は、すでに祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。台湾で日本時代に行われた「許可制」による改名運動に比べたら、むしろ韓国人にとっては「特権」であって、非常にゆるやかなやり方だ。ましてや「日帝」は万民平等等の原則に基づいた新戸籍制度を創設して、戸籍さえ許されなかった人口の半数近くを占める奴婢に姓氏を与えた。さらに、「皇民化」=近代国民運動によって日本語やハングル文字を普及させただけでなく、李朝時代以来、両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・ハングル混じりの文章を体系化させ、伝統文化の研究と再興を推進したというのが、紛れもない史実だ。
  「生命を奪われた」というのも、実に史実に反している。近代化の産業発達によって優生学的な社会改革が行われたことで、有史以来の飢餓と疫病を克服することができ、植物依存の生態系までも変えることができた。そのため、米の生産量が一千万石から二千万石以上に倍増し、韓国の人口も倍増した。このことを、生命を奪ったとは言わないだろう。日本は優生学的にも人口学的にも、韓人の生命の質を飛躍的に向上させたのだ。
  客観的に見れば、「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には「七恩」と言うべきだろう。/韓人に少なくとも自国史について「正しい歴史認識」を日本は求めなければならない。

            「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国   黄文雄

Re: warabi_701殿

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2007/12/13 20:22 投稿番号: [58 / 1344]
>旧日本軍が沢山良いことをした事も、後世に伝えなくてはなりませんね。

旧日本軍が良いことをした?
お前、気が狂ったのか?
軍隊というものはどこの国でも人殺しが仕事なんだぜ!

Re: warabi_701殿

投稿者: warabi_701 投稿日時: 2007/12/13 19:49 投稿番号: [57 / 1344]
失礼致しました。
彼は、KYのKB(コリアボーイ)でしたか?(藁

放置及び無視という事にします。
お騒がせ致しました。

旧日本軍が沢山良いことをした事も、後世に伝えなくてはなりませんね。

頑張ってください。

Re: トルコ「まあ、引き分けだな」

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2007/12/13 18:30 投稿番号: [56 / 1344]
日本対トルコの試合の行なわれた宮城スタジアムは今どうなってる?
270億円もかけてスタジアムを作って、今はほとんど使われることもないぜ。   なにもしなくても年間3億円の維持費もかかる。

サッカーが好きでない日本人にワールドカップは贅沢すぎたな!

warabi_701殿

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/13 18:14 投稿番号: [55 / 1344]
トピずれ投稿しか出来ないKYのコリアンボーイは放置してください。
構うと図に乗ります。

Re: 日韓ワールドカップ

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2007/12/13 18:08 投稿番号: [54 / 1344]
>我々日本人は人が良いのさ。
シナ朝鮮のような、偏狭なナショナリズムは持ち合わせていない。
「良い試合を、気持ちよく見たい」ただ、それだけだ。
穢したくないのだよ。

それは違うな。
カズが代表にいた頃、サポーターが代表の乗ったバスを取り囲んで卵を投げつけたりしてたぜ。

日本の民度はシナ朝鮮と変わらないぜ!

Re: 日韓ワールドカップ

投稿者: warabi_701 投稿日時: 2007/12/13 17:54 投稿番号: [53 / 1344]
我々日本人は人が良いのさ。
シナ朝鮮のような、偏狭なナショナリズムは持ち合わせていない。

「良い試合を、気持ちよく見たい」ただ、それだけだ。
穢したくないのだよ。

そして、ノーサイドと、スポーツマンシップだ。
それくらい、解れ!

日本が世界に誇れるもの!

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2007/12/13 14:34 投稿番号: [52 / 1344]
それは、日本国憲法。
実際、俺が海外で出会った人たちは日本が平和憲法を持っていることを素晴しいと賛美してくれた。


平和憲法こそが日本が世界に誇れるものだぜ!

Re: 日韓ワールドカップ

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2007/12/13 14:09 投稿番号: [51 / 1344]
>「日本と同じグループなのに、どこへ行っても応援してくれる。信じられない」(ベルギー選手)

日本の敵でも応援してしまうということは、
日本人はサッカーが好きではないということだな。
ただワールドカップという祭りでバカ騒ぎしたかっただけ。
阪神優勝でどぶ川に飛び込むバカと一緒。
日本の民度はまだまだヨーロッパに及ばないということだぜ!

比島にて

投稿者: nandakana666 投稿日時: 2007/12/13 09:30 投稿番号: [50 / 1344]
太平洋戦争末期の比島(フィリッピン)での話しです。

   米軍の攻撃に拠ってちりじりになった日本軍は、少数のグループを作りながら奥地に下がっていました。
  あるグループに、沖縄出身の慰安婦が1人いたそうです。
将兵達は彼女を慰安婦としてではなく、同じ仲間として大事に扱っていましたが、その彼女がある日、足を負傷してしまいました。

  膝の皿を銃弾で粉砕された彼女は最早、歩く事も出来ません。他の将兵達も疲労と飢餓の為、彼女を支える事すら出来なくなっていました。

  ある兵士が、彼女にこう言ったそうです。「あなたは兵士じゃないのだから、追撃してくる米軍に降りなさい。米軍は民間人には危害を加えないと聞いているから安心して良いぞ。」と。
  英語を解する兵士が、英語で彼女の保護と治療を依頼する紙を作り、彼女に持たせました。
  しかし彼女は、「投降は嫌です、私は日本人です。兵隊さんと一緒にいたい、でもそれが適わぬなら、どうか私を殺して欲しい。」と涙を流して将兵達に言ったそうです。兵士達は「馬鹿を言うな、お前は生きるんだ。」と言っても、彼女の決意は固かった様です。

  その場にいた誰もが、手をかけられずにいましたが、ある軍医(大尉)が、此れならば苦しまずに楽になれるだろうと手持ちのモルヒネを取り出し、彼女に注射ました。彼女は安らかな顔でそれを受けたそうです。

  しかし、なかなか死に切れません、後ろでは日本兵を掃討する為に米軍が迫って来ます。
有る兵士が、泣きながら彼女首に手をかけて、楽にして上げたそうです。

現在、千葉県に戦地に散った慰安婦達の慰霊碑が建っていますが、この悲壮な体験をした方はその前で号泣したそうです。

これは、忘れ去られつつあり、そして何故か無視され続けた話であります。

皆様、
長文、何卒ご容赦下さいませ。

アラブ名

投稿者: neonanashinogonbei 投稿日時: 2007/12/13 08:24 投稿番号: [49 / 1344]
現在参議院議員のさとう氏は、自衛官として先験隊の隊長としてイラクに派遣されて頑張って任務を達成してこられました。そして、それに感謝をした現地の族長さんから、「サミュール・サトウ」と言うアラブ名を賜った。こうしたことまでされて感謝される部隊が世界の中で果たしてあっただろうか?日本の自衛隊ぐらいのものかな。ましてや、強請たかりをする、どこかの国達とは、大きな隔たりがあるでしょう。

Re: 日韓ワールド ..

投稿者: neonanashinogonbei 投稿日時: 2007/12/13 01:44 投稿番号: [48 / 1344]
日本の素晴らしさを、後の世代にも伝えたいですね!

日韓ワールドカップ

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/12 21:28 投稿番号: [47 / 1344]
「フーリガン出る幕ない」

【ロンドン10日=土生修一】辛口で定評のある英国メディアが、W杯での日本人の対応を手放しで褒めちぎっている。
「日本人の品行の良さには驚いた。こっちも影響され、野外パーティーが終わると自分から掃除していた。こんなことは初めて。今まで、なんて自分勝手な国に住んでいたんだろう」。
9日付の英高級紙サンデー・テレグラフは、W杯観戦で来日した英国の若者のコメントを紹介、「日本体験が英国人に集団治療のような効果を発揮している」と報じた。
「3万人以上の日本人が英国国歌を歌ってわがチームを熱狂的に応援した。顔中、イングランド旗にした日本人もいる。私の頭がおかしくなったのではない。これは本当なんだ」(大衆紙デイリー・ミラー)

日本人は、他の外国チームにも好意的だとする論調も目立つ。
「カメルーン戦は劇的な引き分け。仕事を終え午前2時に宿舎に戻ると、従業員たちが屋外で拍手で迎えてくれ、大感激した」(アイルランド記者団)、
「日本と同じグループなのに、どこへ行っても応援してくれる。信じられない」(ベルギー選手)

英各紙は、この全方位外交が各国のサポーターにも影響し、対戦チームのサポーター同士が記念撮影したり、
談笑するなど、欧州では考えられない光景が各地で見られ、フーリガンが出る幕はないとの特派員記事を掲載。
経済紙フィナンシャル・タイムズも、「日本人は、憎しみなき熱狂で、W杯をより豊かにしてくれた」と最大級の賛辞を送っている。

インド独立戦争の英雄=ボースと日本軍

投稿者: alas_and_alack_2007 投稿日時: 2007/12/10 21:45 投稿番号: [46 / 1344]
http://netmuseum.co.jp/ippin/ippno40.html

>■サッカーアジアカップでの、中国での激しいブーイングの嵐は、平和ボケした日本人には、ショックでした。
そのあとのワールドカップ予選のインドでの戦いは、アウェーにもかかわらず、インド人は日本人に対して深いフレンドシップを示してくれたと、観戦に行ったサポーターは声をつまらせて話していました。(サポーターの心は常に熱いですからね!)
また、ソルトレーク・スタジアムの電光板には、こんなメッセージが試合の間、表示されていたそうです。「LONG LIVE INDO-JAPANESE FRIENDSHIP」

インドではなぜ親日家が多いのか?この試合をレポートした9月9日付けのスポーツナビの記事から抜粋します。
-- 中略 --
先日、レストランで相席になった地元のビジネスマンに、インドではなぜ親日家が多いのか尋ねてみた。彼の答えは、このようなものであった。
「さあ、考えたこともありませんね。ただ、われわれの日本人に対する親愛と友好は、少なくともチャンドラ・ボースの時代から続いていることだけは確かです」
チャンドラ・ボースとは、コルカタが生んだインド反英独立運動の指導者である。英国支配からの祖国独立を目指していた彼は、第2次大戦中に「敵の敵」であるナチス・ドイツと日本に軍事協力を申し出、旧日本軍のインパール作戦にも従軍。一時は自由インド仮政府の首班に就任するも、真の独立を達成できないまま日本は敗戦を迎え、自身も終戦直後に台湾で飛行機事故による不慮の死を遂げた。当地では今もチャンドラ・ボースへの歴史的評価は高く、ここコルカタの国際空港にも彼の名が冠されている。そしてその遺骨は、故国から遠く離れた東京・杉並の蓮光寺に仮安置されているという。
-- -以下略 -- -

そうなんです。インドの国会議事堂の正面にはチャンドラ・ボース。その右にはガンジー。左にはジャワハラル・ネール(初代首相)の肖像画が掲げられており、インド独立の最功労者として扱われているそうです。
この偉大なチャンドラ・ボース氏の遺骨は、なぜか我らが東京の中心のはずれ、杉並区の和田三丁目にある蓮光寺に丁重に安置されているのです。命日の8月18日には毎年インドと日本の関係者が集まり慰霊祭が開かれています。
東京の杉並区の名物は、「荻窪ラーメン」だけではありません。蓮光寺は、インドと日本の、親愛と友好の基点です。「LONG LIVE INDO-JAPANESE FRIENDSHIP」


インド国民意識調査   2002年度
「好きな国」の1位は日本(33%)、2位米国(29%)、3位英国(7%)、
「行ってみたい国」の1位日本(31%)、2位米国(30%)、3位英国(7%)
「日本は信頼できるか」では信頼できるが45%、かなり信頼できるが25%<

トルコ「まあ、引き分けだな」

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/07 23:11 投稿番号: [45 / 1344]
トルコ最大の都市イスタンブールから約3時間。船とバス、タクシーを乗り継いでたどり着いた同国西部サカリヤ県アドリエ村で「FIFAワールドカップTMで日本とトルコ、どちらが勝つと思うか」と尋ねると、木陰で茶をすすっていた数人の男はちょっと困った顔をして、こう言った。「まあ、引き分けだな」。

決勝トーナメントに引き分けはないことを知っての答えだ。必勝の願いを込めたトルコ国旗が翻り「トルコが絶対勝つ」と多くの市民が即答するイスタンブールとは対照的だ。
村の別名は「日本トルコ村」。1999年8月17日、死者1万7000人以上を出したトルコ北西部大地震。村には阪神大震災で使われた仮設住宅が移設され、ピーク時に約5000人、今も約3000人が身を寄せる。路地は「東京通り」「神戸通り」などと名付けられ、子供たちがサッカーに興じていた。

移設の際に家々のドアに張られた日の丸は、やや色あせたが「本当に困っている人のところに足を運び、助けてくれた日本の人々を絶対に忘れない」という言葉を何度も聞いた。
アジアの東と西に位置する日本とトルコ。「おれたちは大昔、一緒にアジアの真ん中にいた兄弟だ」という主張が出るくらい、トルコ人は日本に親近感を寄せてきた。

1890年9月、トルコ皇帝が日本との国交樹立のため派遣した軍艦が現在の和歌山県串本町沖で沈没。地元住民が必死で生存者を救助、水死者の遺体を手厚く葬った「エルトゥール号遭難事件」は、トルコではあまりにも有名だ。
イラン・イラク戦争が激化した1985年8月、テヘラン在住日本人脱出用の日本政府救援機が飛ばず、トルコ航空機が日本人を脱出させた。95年前の海難救助の恩返しだった。
「本当はトルコに勝ってほしいのでは」と重ねて尋ねると、アフメド・ギュンギョルさん(60)が口を開いた。
「サッカーはゲームだから、勝ち負けなんてどうでもいい」
自国だけに頼っては生きていけない、と身をもって体験した仮設住宅の村人から、偏狭なナショナリズムを感じない。18日の対戦は日本と親日国トルコとの「真剣な親善試合」でもある。

(トルコ西部アドリエ共同=小熊宏尚)(共同通信)

alas_and_alack_2007さん

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/07 01:13 投稿番号: [44 / 1344]
有り難うございます。
戦争が絡む話だとどんなに良い話でも戦後教育で教えられる事はありませんね。
片手落ち過ぎると言えますが、
そういう風潮を作って来た某組織には辟易しております。

スリランカ(旧名セイロン)

投稿者: alas_and_alack_2007 投稿日時: 2007/12/06 00:16 投稿番号: [43 / 1344]
http://bbs001.garon.jp/test/read.php/politician/1122350571/

>1951年9月、サンフランシスコ対日講和会議の席上、セイロン(現スリランカ)代表のJ・R・ジャヤワルダナ蔵相(後に大統領)の演説。
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それはアジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また列強の植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである」
「(戦前)アジア諸民族の中で日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として仰ぎ見た」
「私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時アジア共栄のスローガンは従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には最愛の祖国が解放されることを希望して日本に協力した者がいたのである」
スリランカは対日賠償請求権を放棄し各国にそれに続くよう呼びかけた。インド、ラオス、カンボジアなどがこの呼びかけに答え自発的に対日賠償請求権を放棄した。<

台湾・インドネシア・ミャンマー・インド

投稿者: alas_and_alack_2007 投稿日時: 2007/12/05 23:44 投稿番号: [42 / 1344]
日本の光、多くの日本人に知ってもらいたいですね。
新トピおめでとうございます。
----------------------------------------------------
◆日本と台湾:東アジアの二つの民主国家
http://www.youtube.com/watch?v=chPCjJcpbXw&feature=related

◆李登輝前台湾総統   日本外国特派員協会での記者会見一部
http://www.youtube.com/watch?v=JsZBGxpcyzg&feature=related

◆台湾李登輝前総統   靖国参拝後の講演での質疑応答
http://www.youtube.com/watch?v=Z5kLyqI5QgY&feature=related

◆インドネシア独立パレード(Independence parade of Indonesia)
http://www.youtube.com/watch?v=4_eZxs4Ln8w&NR=1

◆インドネシアの英雄:PETA , Heroes of Indonesia : National Revolution 1945-1950
http://www.youtube.com/watch?v=dHRyiPjc5E8

◆インドネシアのサムライ:Japanese Samurai in Indonesia
http://www.youtube.com/watch?v=jpzNVPRmzAs&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=NvoC0R7WV_8&NR=1

◆大東亜戦争   ビルマ独立と日本との関係
http://www.youtube.com/watch?v=vZFaIo8uEEc

◆インドで歌い継がれる日本兵を称える歌(A beautiful India song : A memory of Japanese army)
http://www.youtube.com/watch?v=f7UNqmCdaOQ&NR=1

◆India - Japan friendship
http://www.youtube.com/watch?v=ZQo50RFRemE&mode=related&search=

◆Asians Unite under "Netaji" Subhas Chandra Bose
http://www.youtube.com/watch?v=yPJqreRca7k&mode=related&search=
http://www.youtube.com/watch?v=y1br51hyPDI&mode=related&search=

◆進めデリーへ   〜チャンドラ・ボースの戦い〜
http://www.geocities.co.jp/Playtown-King/2816/flash/netaji.html

故中田厚仁氏(カンボジア)

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/05 22:07 投稿番号: [41 / 1344]
平成5年4月8日カンボジアでのUNTAC活動中に亡くなられた中田厚仁氏の言葉です。

「だけれども僕はやる。この世の中に誰かがやらなければならない事がある時、僕は、その誰かになりたい。」

尊い言葉です。
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