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加藤清正公

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2007/12/13 21:02 投稿番号: [60 / 1344]
加藤清正に感謝状を贈った朝鮮王子たち!!

(朝鮮成敗で活躍した)加藤清正が北朝鮮の会寧にまで攻め上ったとき、二人の朝鮮の王子を捕らえたが、礼を尽くして処遇した。
  翌文禄二年、講和談判が開かれるに及んで、秀吉の命令で、両王子を釜山から首都・京城まで護衛(家臣・九鬼四郎兵衛)をつけて送り還した。両王子は帰還するにあたって感謝状を清正に贈った。
  この書状は今も紀州徳川家に残っている。清正の娘が徳川頼宣の夫人となった縁故から同家に伝えられたものである。それを要約すれば次の通りである。
  <壬辰元年七月二十四日に捕らえられてから礼遇され、厚い保護を受け、衣服糧食を与えられ、至れり尽くせりの待遇を受けた。このたび関白(秀吉公)殿下に上申して釜山から京城まで送り還された。その慈悲は仏のごとくである。
  もし一行のものがこのことを忘れ、後日、日本及び清正公に対し、僅かでも背くようなことがあったら、人情を弁えぬ者であって、天地の神々もこれを知っているであろう。>
  両王子は京城まで送り届けてくれた九鬼四郎兵衛にも感謝状を送り、その厚遇の恩は永久に忘れない、と述べている。
  このほか清正は両王子を一時、鍋島直茂に預けておいたことがある。そのため鍋島氏の歓待を謝した書状が二通、鍋島家にも伝えられている。「神伝慈悲の道を貴官の中に見る」という文言さえある。

両王子は京城に帰ってから、清正の恩を忘れないように、京城の南大門外に清正の廟を作った。そこには肖像画を掲げて生きながらの社とし、両王子は親しく祭文を読み上げたと言う。
清正に感激したのは、両王子ばかりではなかった。禮曹司という職にあった五人の高官は、秀吉宛に長文の手紙を書いている。この文書は現在熊本の本妙寺に所蔵されているが全文は「日本人の博愛」−辻善之助編−に載っている。

  要約
  <清正は利欲を求めず、ただ正事に奔走した。朝鮮北部を席巻すること、勇猛果敢であって、その姿は神か人か、男子中の男子であった。会寧で両王子を捕らえた時は辞を低くし、謙虚そのものであった。この姿に日本の風格を見る思いがした。両王子を釜山まで送るその態度は一貫していた。これこそ真の仁人であり、君子中の君子である。貴国の忠臣名将録に記録して明らかにすべきではないか。>
 
  これら一連の資料に接しておれば、加藤清正という勇将の一面を窺うことができる。清正が熊本人に今も「セイショウサン」として慕われている理由も判るのである。

               「日韓2000年の真実」名越二荒之助   編著
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