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- 巧妙な手口 -の拷問

投稿者: nisemono_kusai 投稿日時: 2001/07/21 12:34 投稿番号: [18759 / 196466]
- 巧妙な手口 -




巧妙な手口として、体内に傷害を与え拷問の痕跡を見えなくさせるというのがある。一般的に、腎臓の傷害が死因となるケースが多い。このことは、腎臓にあたる部分に、体外の損傷をできるだけ少なくし反対に体内の損傷を最大限に高めるよう、拷問者たちが意図的に集中して暴行を与えることを示唆している。損傷がひどく死に至るとみなされる政治囚は、リンジン・チョーデンの場合のように釈放されることが多い。

■ リンジンは1989年3月8日のデモに参加し逮捕されたが、1週間も経たないうちに釈放された。ところが、彼女がシュックセップ尼僧院に戻ってきた時は危篤状態だった。腎臓は拷問で損傷を受けていた。1990年、25歳の若さで死亡した。

■ 中国当局選定のパンチェン・ラマを認めることを拒否し拘留された僧ロプサン・シャキャが語るところによると、看守たちは暴行を与える際、体に傷痕を残さないようにしていたという。 ある看守は「彼の体に傷をつけるな。 内臓をやれ。」 と言っていた。  

■ 拷問で障害を受けた後でも、囚人たちは十分に治療を与えられず、たとえ与えられても遅すぎることが多い。生き延びたものにとっても多くの場合、拷問の傷は消えない。 尼僧クンチョク・ツォモは1993年5月のデモで逮捕され、銃の床尾で暴行を受け腕を骨折したが、治療もされずにそのまま3年間刑務所で過ごした。刑務所にいる間、羊毛を分別し洗うノルマを課せられていたが、そのせいで腕の状態はさらに悪化した。 釈放後、医者の診断によると、骨折した腕の骨の周囲や中に肉がくいこんで発達してしまっているとのことだった。1998年の段階で彼女は、いまだに腕の治療を続けているが、状態は相変わらず芳しくない。

■ シガツェで卓越した存在だったタシ・ツェリンは、ヤンモ、シガツェで独立を促がす小冊子を配っていたため、1989年11月28日に逮捕された。「反革命的なプロパガンダで民衆を扇動した」という罪状で7年間、刑に服すよう宣告を受けた。報告によれば、彼は心臓の具合が悪くなったため、1991年4月、刑務所病院に収容されたとのことだ。服役中に受けた拷問のため健康が悪化し、同年9月釈放されたが治療のかいなく死亡した。

ラクパ・ツェリンは3度以上にもわたって治療を拒否され、1990年12月15日、逮捕後13ヶ月で死亡した。この件は国際的な関心を集め、中国政府からの反応を要求するまでになった。ドラプチ刑務所に外国の使節が派遣される前、ラクパは「チベットは中国の1部で、昔も今もそれは変わらない」と派遣団に告白するよう中国当局から命令を受けたが、勇敢にもそれを拒否した。そのあとすぐさま彼は集中尋問を受け、暴行された。彼の独房に隣接した部屋に入れられていた彼の囚人仲間は彼が泣き叫ぶのを聞いたという。
「お母さん、助けて… やつら僕を殺そうとしている…」 20歳の若さだった。

ラクパの死後、ドラプチ刑務所の男子セクションにいる93人の囚人たちはサイレント抗議[silent protest]を展開した。ラクパの使っていた掛け布団の断片は囚人皆に配られ、それで抗議のための旗がいくつか作られた。 掛け布団のカバーは囚人たちが外で労働を課せられる時、旗印として使われた。 しかし、その抗議に対する中国当局の反応は予期せぬものであった。 12月16日、中国人民解放軍の軍隊が刑務所に召集され、翌朝まで待機したのである。 ラクパの身体には、大小様々な打撲傷、内出血の塊、そして鼻血の乾いた痕などがみられた。 爪も青色に変色していた。検死解剖をした医者たちが非公式に語ったところによると、暴行による腸の裂傷に治療を施さず、それが致命傷となり、ラクパは死亡したとのことだ。

緊急行動声明がアムネスティ・インターナショナルによって発表された。 それは囚人の死亡原因にする徹底的な究明とその報告書の公表を求めるものだった。 国際的人権擁護団体アジア・ウォッチも1991年1月10日、当時の中国首相李鵬に次のことを要求した。

「ラクパの死因について徹底的かつ公平な調査を開始し、もし、拷問がその直接の原因と判明すれば、それに加担した全ての人間を告発する。」中国国営新華社通信(1991年4月6日付)は、ギャルツェン・ノルブ「チベット自治区」代表の声明を掲載した。それによると、 ギャルツェン・ノルブ代表は、ジェームス・リリィ米国大使にこう語ったという。
―ラクパは1990年10月に虫垂炎と腹膜炎を併発し死亡した―

ケンカをうるのはどっちかよ!

投稿者: u2158634 投稿日時: 2001/07/21 12:30 投稿番号: [18758 / 196466]
日本政府はあなたほどばかじゃないから、得がないとそういうことするのか?日本も米国も中国との関係をうまく処理できなければ損をするのはかえって自分でしょ?もう、強盗とか、乞食とか、なんだらかんだらいうな。本当に中国と韓国が「我々無知無能な民族には、日本様の援助無しには、経済を発展させ、国家を維持する能力は持っていません。このままでは我々はジリ貧です。どうかお金を恵んでおくんなまし」のようだと思うなら、もう中国と韓国との貿易関係を切ってみ、大丈夫だと思うなら。

チベット問題に何故目を瞑る

投稿者: daitouryou_ss 投稿日時: 2001/07/21 11:10 投稿番号: [18757 / 196466]
親中共派は、偽善者か?

残虐性を問題とするならば、現在起こっている最悪の問題に怒りを感じるべきだ。

阻止すべきだ。

今、起こっているんじゃないか。

良心のない広報マンになり果てている。

釈放されてすぐに死亡」という謎

投稿者: nisemono_kusai 投稿日時: 2001/07/21 02:02 投稿番号: [18756 / 196466]
釈放されてすぐに死亡」という謎 -


拘留、監禁中の拷問が原因で死亡する場合、はっきりとした特徴がよく見られる。 囚人が過酷な拷問で死にかけていると、通常、入院か釈放である。たいてい刑務所内で死亡することはない。当局の過失をできるだけ最小限に見せかけるためである。拷問を受けている拘留中ずっと、何の治療もなく死亡するケースもよくある。TCHRD(チベット人権民主センター)が確認したところによると、1986年以来、出所直後、病院もしくは自宅で死亡したケースは、17人にものぼる。全員が拘留中に拷問を受けていたのだった。

■反動的な」ポスターを僧院に貼りつけたとして1997年に告発された僧、ジャンぺル・ティンレーは出所後たった4時間後に死亡した。暴行を受け拷問をされていた9日間のもの間、水、食料を一切与えられなかったと、ジャンペルは死ぬ間際、病院で友人たちに告げたのだった。刑務所内で生き埋めにされ、体が赤紫に変色したジャンペルを目撃した僧が数人いたにもかかわらず、当局から彼の死因について一切説明はなかった。

■ チャムド僧院の僧、ジャムヤン・ティンレーは、1996年の9月13日に釈放され、その5日後死亡した。25歳だった。
ジャムヤンは、1996年5月30日逮捕された。警官がジャムヤンの部屋で「反動的な」ビラを発見したのだ。チャムド刑務所で看守たちから4ヶ月もの間、過酷な拷問、暴行を受け、釈放時には、危篤の状態にあった。ジャムヤンの体を火葬前に見たチャムド僧院のある僧は、こう回想する。
「背中と首は電気を使った拷問のため、水脹れになっていた。とても酷く暴行を受けたのか、黒、青色の斑点が体中に見られた。腹部には血の固まりがところどころにあった。」

■ プルブ・ツェリンは1989年3月5日、ラサの非暴力抗議デモに参加した。その日のうちに公安当局に逮捕され、ジョカンのすぐそばの警察署内の拘留所で暴行を受けた。鉄棒で頭を強く殴打され、回復不能の重傷を負った。 その後ラサの人民病院に運ばれ、同日、親類たちは手術を受けねば助からないと知らされた。18日間もの間、昏睡状態に陥いり、半身麻痺状態のまま帰宅。それから痙攣をおこすようになり、1996年2月7日に死亡した。36歳だった。

■ ケルサン・テュトップはデプン僧院の民主運動地下組織のリーダー4人のうちの1人で、民主主義に関する小冊子「尊きチベット人権民主憲法」及び、「世界人権宣言」の訳文の地下出版に関わっていた。
これらの小冊子はその後、警察によって発見された。1989年11月30日、他の9人の僧とともに、彼は15年間ドラプチ刑務所で服役するよう宣告された。
「1996年7月4日の朝、ケルサンは尋問に連れて行かれた。 数時間後に帰ってきたが、彼は一言も口がきけなかった。看守たちに長く激しい暴行を受けたことは明らかだった。 彼は即時に刑務所内の病院に入院させられ、その翌日死んだ。」
と元政治囚、ジャンぺル・ツェリンは語る。

■ リンジンはンガリ、ムックルム・テューテ・ラプラン郡の出身で61歳だった。彼は3年間服役したが、ある情報筋によると、彼は1度も審理にかけられなかったという。
「中国当局がダライ・ラマの写真所持禁止令を公に発表してから長い間経ったにもかかわらず、リンジンは堂々とダライ・ラマの写真を祭壇に奉っていた。」とある筋。 3人の中国人官憲がダライ・ラマの写真所持について咎めた時、彼はこう言い返した。
「実際にダライ・ラマ法王にお会いすることなど叶わぬ願いというのに、写真ぐらい何だっていうのか 」 率直な性格が死を招く結果となった。  
 
リンジンは1ヶ月間、町の刑務所に拘留され、面会を拒絶された。報告によると、ンガリ刑務所に移送される前には栄養不良でひどく衰弱しきっていたとのことだ。拘留中、彼は結核を患った。
「リンジンが刑務所で一体何をされたか知るものは誰もいない」 とある筋。
「リンジンは1ヶ月間、刑務所内の病院に入院したが、その後状態が悪くなったので釈放され、その1ヶ月後に死亡した。 重病だったのでほとんど口がきけず寝たきりだった。 死亡したのは、1997年2月11日だ」

 テラー チベットでの拷問」 

投稿者: nisemono_kusai 投稿日時: 2001/07/21 01:19 投稿番号: [18755 / 196466]
「テールズ・オブ・テラー   チベットでの拷問」
- ルンデュップ・ガンデンの場合 -
----------------------

 
ルンデュップ・ガンデン (俗名ガンデン・タシィ)はラサのガデン僧院の30歳になる僧であったが、1989年から3年間刑務所に入れられた後、1992年、過酷な拷問により麻痺した体をひきずりながらの釈放となった。

ルンデュップは1988年3月5日のデモに参加し、チベットにおける人権擁護及び政治囚ユロ・ダワ・ツェリンの釈放を要求。警官が催涙ガスをデモ参加者たちに発射した後、ルンデュップは逮捕され、7人の他の僧たちとともに、独房に入れられる。警官、兵士たちは、彼らを丸裸にし、棒、銃の床尾、ゴムのこん棒、電気棒などを使って暴行し、その間ショックを増すために、彼らに水を浴びせかけた。

「意識が戻った時、私は両手に手錠をはめられグツァ拘留所にいるのに気づいた。拷問のなかで1番ひどかったのは、裸にされ電気警棒で全身を叩かれた時だ。以後、仰向けに横たわることがしばらくできず皮膚は腫れ、青、緑色に染まった打撲の痕や切り傷がところどころにできた。電気棒と針金はいつも使われた。看守たちは針金を使って手首を締め上げ、その痛みはたいへんなものだった。グツァ拘留所ではよく、天井から吊るされ、 その度に10分〜15分もの間我慢しなければならなかった。私たち囚人を吊るしあげる方法はいろいろだ。彼らは、囚人の手首を締め上げ、天井から吊るし、暴行するのである。」

グツァ拘留所で、ルンデュップと若者2人、そして女性1人が、皆裸にされ、そのまま警察官たちのいる尋問部屋に連れて行かれた。4人は電気棒で暴行を受け、ルンデュップは頭を銃の床尾で殴られた。その後、再び尋問に呼び出された時には、歩くことすらできず、他の囚人仲間に担いでもらわなければならなかった。ルンデュップは、頭部の深い損傷が長い間完治することなく、今も後遺症の偏頭痛に悩まされている。

グツァ拘留所におけるルンデュプの最悪な思い出の1つに、多くのチベット政治囚がトラックで運ばれてきた日のことがある。
「皆ひどく拷問を受けていて、自分の足で立つことすらできなかった。そこで、警官たちはトラックから地面に彼らを放り投げた。公安当局は彼らを積み重ねるように放り続けた。何人かは動くことができ、その人体の山から這い出ようとしていた。拘留所の廊下は血の海。山積みになった囚人たちのうち3人が死亡しているのが分かり、また同じトラックで運ばれたのだ」

ルンデュップは、グツァ拘留所にいる間、拷問もしくは飢えで何人かの政治囚が死亡するのに立ち会う。その後、彼はウーティデュ刑務所で過ごし、そこで3人の囚人が自殺したのを耳にする。ウーティデュ刑務所で、彼は独房に監禁され、3日間もの間、外界との接触を絶たれた。独房の床は金属で、ベッドはなかった。彼は両手両足を錠で固定され、1日に貧しい食事を2度与えられるだけだった。トイレに行くことさえ許されなかった。

自分で証明しましたね

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/21 01:16 投稿番号: [18754 / 196466]
>主任1人、隊員1人、常雇い作業員10人の計40人が常勤として従事し、
>城内では多数の日雇い作業員が動員され、場外では多数に上る現地
>の農民が遺体の収容、埋葬に協力したと言うことだ。

埋葬許可証もないのに堂々と埋葬できた証明は何処にもないね。
しかもボランティアの人数も記述も無いじゃ証拠能力ないね。
しかも「南京市政府行政統計報告」の検証を怠っている。
中国側の資料だぜ、これがある以上あなたの言う資料は偽造としか判断
できないことに気付かないかねぇ。

しかも、「南京市概況」に崇善堂は「工作進行範囲狭小」
(活動は続いているが、規模は小さい)と特に注記してある。

これの何処が巨大な団体だよ。(藁

終戦後、中国側に資料を偽造できるチャンスは十分にあった
が日本には全く無かった点を考慮に入れる必要がある。
なぜなら南京事件が政治問題になったのは東京裁判以降だからね。

チベットで今も続いた拷問

投稿者: nisemono_kusai 投稿日時: 2001/07/21 00:59 投稿番号: [18753 / 196466]
中国政府が国連の拷問禁止条約に調印した1986年以来、拘留・監禁中に拷問死したチベット政治囚は確認されただけでも60人にものぼる。拘留中における拷問は圧倒的に身体に対する虐待だが、虐待後、生き延びた者にとっても、拷問は心の傷となって後々まで残ることになる。これから下に綴られる証言は、拘留・監禁中の拷問を生き延びた人たちによるものである。

拘留中における拷問は通常、尋問とともに行われ、冷凍室に無理やり押し込められたあげく、鞭打ちや電圧を帯びた牛追い棒の電気ショックをあびせられる。拘留者の多くは、様々な種類の拷問具を耐え忍ばねばならない。
 
監禁中における拷問は、拘留中とは違った様相を帯びてくる。 強制労働、訓練がそれだ。 チベット政治囚は日ごとに決められたノルマを課せられ、病気や殴打による傷害で苦しんでいても関係なく従わなければならない。

強制労働の方が拷問そのものより苛酷だ、と報告する証言者たちもいる。 そしてまた、精神の深いレベルまで傷を負わせるやり方、血液や体液の抽出、食事を与えない、などが挙げられる。 チベット僧たちはその宗教的信念のため、より一層心理的苦痛を味わされることもしばしばだ。 例えば、排泄物をタンカ(仏画) を使って強制的に運ばされることもあるのだ…

短絡的なのは君さ

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/21 00:48 投稿番号: [18752 / 196466]
証拠能力として太田寿男供述書と梶谷軍曹の日記の証拠能力は
差がないんだよ。
それくらいも読み取れないかねぇ(藁

南京碇泊所司令部の行動について、同じ司令部にいた二人の供述が食い違う際、その何れが正しいか、の判断は司令部の他の同僚、この場合は安達少佐、鈴木司令官などの証言が決定性を持つ。そのような証言者がいない以上、真実を求める研究者の態度としては、どちらか一方が正しいと論断することは慎むべきで、二つの意見があることを認める外ない。

それのできない黄色笛君に歴史を語る資格はないね。

現在の問題を無視するな中国

投稿者: nisemono_kusai 投稿日時: 2001/07/21 00:14 投稿番号: [18751 / 196466]
2000年4月27日、中国政府はチベット自治区の刑務所の状況についての報告を発表した。新華社通信が発表した報告には、チベットの刑務所が光を放って輝いている絵が描かれていて、チベット人囚人の次の言葉が引用されていた。
「私はここでの刑期を学校生活の学期のように思っています」

その報告に反して、チベットの刑務所は依然として世界で最も残酷な状況のままである。チベット人に対する不正な扱い、例えば、鉄の棒、棒状の物での殴打、口や生殖器等の傷つきやすい部分に電気ショックを与える、腕を背中へねじまげ上からつるす、冷水や冷気にさらす、犬をけしかけて攻撃させる、充分に食事や薬を与えない、独房への監禁を延長する等である。
 
98年の国連人権委員会の報告によると、チベット人女性、特に尼僧は、電気牛追い棒を使ったレイプなど最も残酷な扱いを受けているということだ。

「中国政府が88年に国連拷問禁止条約に対する協定に批准して以来、71人のチベット人がチベットの刑務所での拷問や不当な扱いを受けて亡くなった」とチベット人権・民主センター所長、ロプサン・ニャンダックは述べた。チベットからの報告は中国政府の報告を否定するものであり、世界のどの主要な人権擁護団体も中国のチベット人囚人に対する扱いを糾弾している。

98年アムネスティ・インターナショナルはチベットの刑務所での状況について、「留置所、刑務所、労働キャンプでの抑留者や囚人に対する拷問や不当な扱いは広範囲にわたり、時には死に至る場合もある。刑務所の状況は残酷であることがしばしばで、食料や治療が不十分である。その結果、多くの囚人が深刻な病気を患っていた」と述べた。
 
中国政府は報告の中で、医師が囚人に対して定期的に健康診断を行っていて、ほとんどの囚人が健康だと判明していると主張しているのだが。

中国政府は、99年2月に出された国連の「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」に対して声明を発表。それからすぐ、「98年5月にダプチ刑務所で抗議運動など決して起っていない」と主張した。中国人看守に撃たれたり拷問などで、10人のチベット人が亡くなっているにもかかわらずである。

イギリス発チベット支援団体のTIN(チベット・インフォメーション・ネットワーク)は中国の刑務所でのチベット人の扱いに関して調査し、次のように述べた。

「拘留中、または釈放後まもなく、明らかに拘留の時のことが原因で、亡くなるチベット人政治囚の割合は増えている。特にラサのドラプチ刑務所に収容されている女性の政治囚は多大な危険にさらされており、死亡率は5%、20人に1人の割合である。ダプチ刑務所の男性政治囚は87年〜98年までに40人に1人の割合で亡くなっている。ところが、中国側の報告書でチベット自治区刑務局の代表責任者、ロプサン・ゲログは、地方刑務当局が囚人の基本的権利を保障し法律に従って刑務所を運営している、と言っている」
 
その中国側報告書の主張によると、女性の囚人に重労働をさせることはなく、男性の囚人も1日に6時間、1週間に4日しか労働に携ることはないということだ。ところが、チベットから脱出してきたチベット人の囚人たちがそれを打ち消している。彼らは、食料が不十分で適切な医療治療がなされていない状況での強制労働と過酷な訓練体制を報告しているのだ。

中国人に健全な議論ができない理由⑥

投稿者: Mishi_Mishi_01 投稿日時: 2001/07/20 23:53 投稿番号: [18750 / 196466]
  そして九〇年代、第二次天安門事件を徹底した弾圧で乗り切った中国政府は、すっかり神通力を失った共産主義の変わりに、人民を掌握する思想として、愛国心と中国の伝統文化を引っぱり出してきました。
  愛国心といっても、科学が優れているとか、経済が豊かだという嘘は、もうつけません。その変わり彼らは、中国人がもともと持っていた“外国に対する偏見”を利用しました。一言で言えば、『中国人は高い道徳を持っている』、『なぜかというと、それは中国人だからだ』という証明不能の理屈です。

  当然、この思想(?)は中国人にとって非常に居心地の良いものでした。

  愛国教育の強化は、天安門事件のあった八九年直後から始められており、現在の都市部における小学校教師の採用基準には、徳育の高さ(道徳ではなく、愛国心の強さを指す)が、一番の判断基準になっています。今後も中国政府は、“最も安上がりな文教政策”として、『愛国教育』を進めていくことでしょう。

  中国人が中国的な議論を止めるのは、現在の中国が崩壊でもしない限り、未来永劫不可能なことだと思います。

中国人に健全な議論ができない理由⑤

投稿者: Mishi_Mishi_01 投稿日時: 2001/07/20 23:52 投稿番号: [18749 / 196466]
  中国人にとって、自国の人間以外は皆、道徳的に劣った禽獣のような存在なのです。


  まさかそんな、この時代に……、と思われる方も多いと思いますが、これは事実です。

  一つには、解放後の共産党政権が、日本やアメリカのような資本主義諸国の人間を、『金銭に心を支配された“守銭奴”のような国民』と、教育したことにも理由があります。五〇年代〜七〇年代の半ばまで、中国は自国の社会主義体制を、世界一優れた制度だと子供達に教育してきました。

  日本がアメリカに国土を売り渡し、媚びて援助を受けることでなんとか生活している時に、中国は自力更正で国家を発展させ、その人民は革命的気概に満ちて、日夜生産に励んでいる……と。

  しかし、国連に加盟し、日米とも国交を結び、国民の誰の目にも中国の社会が世界一などではないことを、隠しきれなくなってしまいました。

  このことは、中国人がまだ僅かに持っていたプライドを、ズタズタに引き裂いたようです。八〇年代の中国人は、もはや共産主義の未来を信ずることも出来ず、その傷つき易い自尊心を抱えて、孤児のように生活していたように見えます(西側のオジさんから、隙あらばその財布を盗み取るような投資の誘致のやり方、など)。

何と自己中心的虐殺思想の中国

投稿者: nisemono_kusai 投稿日時: 2001/07/20 22:42 投稿番号: [18748 / 196466]
刑務所や強制労働収容所での死亡事例




刑務所や強制収容所から生還した人たちの証言を元にまとめると、チベット全体で収容者のおよそ7割が死亡している。たとえば北チベットの荒涼とした高原にあるジャン・ツァラカでは、5ヶ所の収容所に10,000人以上の囚人が収容され、ホウ砂の採掘と運搬に従事させられていた。これら収容所から生還した人の話によると、毎日10〜30人が飢えや殴打、あるいは過労によって死亡し、1年間で8,000人以上が死亡したという。また、中国が解放軍の仕事だったと主張する、ラサのアチェン水力発電所の建築現場でも、毎日3、4人の収容者が死亡し、死体が近くの川に投げ捨てられたり、焼かれたりするのが見られたという。東チベットの例では、1960年〜1962年の間に、ダルツェド地区の鉛鉱で12,019人の収容者が死亡したと、元収容者のアディ・タペさんは証言している。

また、チベット亡命政府が収集した情報をまとめると、1949〜1979年の間に死亡したチベット人は、120万人を下らないという結果になる。





  ウ・ツァン カム アムド 合   計
拷   問 93,560 64,877 14,784 173,221
死   刑 28,267 32,266 96,225 156,758
戦   闘 143,253 240,410 49,042 432,705
飢   餓 131,072 89,916 121,982 342,970
自   殺 3,375 3,952 1,675 9,002
傷害致死 27,951 48,840 15,940 92,731
合   計 427,478 480,261 299,648 1,207,387






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単に都合が悪いので、日本軍と

投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2001/07/20 22:37 投稿番号: [18747 / 196466]
現代版大政翼賛会のバカが認知してないだけ。

そもそも、崇善堂の母体、善堂が中国では大規模な慈善団体で、南京にも多数あった事を知らんだろう。

その中で崇善堂は江寧県に1,672.85畝の土地を持ち、長江中州に13,028.06畝の土地と、
他に家屋246を持っていた、資産力もあり大きな団体なのも知らないのかな?

そもそも、埋葬隊を組織していたことは、堂長から南京市自治委員会に宛てられた、
自動車部品やバッテリーなどの補助要請、そして、それに対する南京市自治委員会からの返答を見れば、
埋葬隊を組織していなかったや自動車を所有してなかったなどのトンデモ論が出る余地は無いんだがね〜。(笑)

そして組織なんだが、4の分隊に分かれて、それぞれに主任1人、隊員1人、
常雇い作業員10人の計40人が常勤として従事し、城内では多数の日雇い作業員が動員され、
場外では多数に上る現地の農民が遺体の収容、埋葬に協力したと言うことだ。

だから、紅卍字会の下請け論や、十数人などといった数値が出てくるのは、
現代版大政翼賛会に洗脳されちまった「哀れな」結果でしかありませんね♪

何と恐ろしやチベット!

投稿者: nisemono_kusai 投稿日時: 2001/07/20 22:21 投稿番号: [18746 / 196466]
中国のある情報筋によると、人民解放軍は1950年10月7日〜同月25日にかけて、東チベット各地で5,700人以上のチベット「兵」を東チベットで「根絶」し、2,000人以上を投獄したという。

殺戮・殺人、拷問、僧院への砲撃、遊牧テントの一掃といった話は、数多く記録に残されている。その種の報告は、国際法律家委員会がまとめた、チベットに関する1960年のリポートにも多数記載されている。

中国軍の機密資料によれば、人民解放軍は1952年〜1958年にかけて、アムドのカンロ[甘南]地区で996件の反乱を鎮圧し、10,000人以上のチベット人を殺害したという。またアムドのゴロク[果洛]地区では、1956年に130,000あった人口が、1963年にはおよそ60,000までに減ったという。パンチェン・ラマ10世は、この地域についてかつて次のように語ったことがある。

青海省での残虐行為をすべて取り収めた映画があれば、観客は大きな衝撃を受けるに違いない。ゴロク地区では多くの人たちが殺され、死体は丘の上から濠にむけて転げ落とされた。解放軍兵士たちは遺族に向かって、反乱が一掃されたのだからお祝いをしろと言った。あるいはむりやり死体の上で躍らせ、最後には機関銃を掃射した。

パンチェン・ラマ10世は、演説の中でさらにこう指摘している。

アムドとカムにおいて、人々は筆舌に尽くしがたいほどの残酷な仕打ちを受けた。10人ずつ、あるいは20人ずつに分けて銃殺されることもあった。   (中略)   こうした行為は、人々の心に深い傷を残している。

1959年3月10日にラサで発生した民族放棄が弾圧された際には、3日間で10,000〜15,000人のチベット人が殺された。他方、人民解放軍チベット軍区政治委員会による1960年の秘密文書によれば、1959年3月〜1960年10月までの間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人が殺されている。

ほう、相変わらず短絡的な奴だ(笑)

投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2001/07/20 21:52 投稿番号: [18745 / 196466]
梶谷軍曹は12月26〜28日にも1,000の死体処理を行ったと述べてるにすぎないのではないかな。(笑)

12月16日から18日まで太田少佐は下関碼頭の西側で中国人の死体約1万9千体を長江に流した。
12月14日と15日800人の兵士が処理に当り、10台のトラックと、30隻の小船が使われた。
長江に投込んだ死体は3万5千体、焼却して埋める地点まで運んだ数は約3万体。
また、16日17日は1万6千体を揚子江に投げ込んでいる。

他の陣中日記を見ても、太田寿男供述書と日時の一致を見るのだけれど、
梶谷軍曹は捏造したか、間抜けな皇軍の軍曹だけに足し算も出来なかったのかな?(笑)

チベット虐殺の事か?

投稿者: nisemono_kusai 投稿日時: 2001/07/20 21:42 投稿番号: [18744 / 196466]
自分たちの虐殺にたいして、何の良心のかけらもないようですね。

自分たちの残虐性に気づかないとは、恐ろしい。

中国人に健全な議論ができない理由④

投稿者: Mishi_Mishi_01 投稿日時: 2001/07/20 21:33 投稿番号: [18743 / 196466]
  はっきり言えば中国人は、その自覚が無いまま、決定的に“遅れてしまっている”のです。

  これは他の国々と比べた場合、あくまでも社会の発展の仕方の違いの結果であって、中国人そのものの、人間としての資質の問題ではありませんから、彼らもやがては民主的な議論のマナーを身につける“可能性”があります。ただ、これはあくまでも可能性の問題であって、恐らくそれは“中国社会をひっくり返すような変化(たとえば1945年における日本の敗戦のような)”が起きない限り、実現することはないでしょう。

  なぜならば中国人には、自分たちの文化に対する呆れるほど頑固な『信頼』があるからです。中国的“議論”一つをとっても、彼らはそれが中国の伝統的なやり方である以上、『中国には、中国的な“議論”の方法があるのだ』と言って、押し通そうとするでしょう(現実に国連などの場で、この姿勢は遺憾なく発揮されています)。

  これは人によっては『中華思想』と呼ばれているものですが、そんな大袈裟な言葉を使わなくとも、中国人であれば道ばたの乞食でも持っている思想です。それはつまり、『どんなに科学技術や経済で劣っていても、道徳的に一番優れているのは、中国人なのだ』という、ほとんど根拠のない自信です。

  日本の方には信じられないことだと思いますが、そしてほとんど呆れてしまう事実ですが、あれだけ犯罪を犯しながら、あれだけ密入国などを繰り返しながら、それでも中国人の多くは『俺達は、(日本人なんかより)道徳的に優れている』と思っています。思い込んでいるのです。

  その理由は『だって、中国人だから。』

中国人に健全な議論ができない理由③

投稿者: Mishi_Mishi_01 投稿日時: 2001/07/20 21:32 投稿番号: [18742 / 196466]
  このような中国の『議論の習慣』が、遺憾なく発揮されたのが66年から開始された文化大革命でしょう。本来は、お互いの思想の遅れた面を再確認する場だった筈の討論会は、やがて政敵をつるし上げるための“批判集会”となり、そこで敗北することは、ある種の人々にとってはそのまま、死を意味していました。

  中国人にとって、『議論』というのは、そういうものです。

  中国は78年の開放政策実施以来、表面的には西側の価値観を受け入れ、街ゆく人のファッションなども随分と洗練された感がありますが、この掲示板で反論ならぬ悪態をつきまくっている中国人を見ると、彼らの“内面”が、文革の時代から何ら進歩していない事が察せられ、唖然としてしまいます。実際、掲示板に書き込みをする中国人達は、相手の意見に圧倒され、反論できなくなると、『お前を殺してやる』とか『中国ヤクザは怖いぞ』などという脅迫を行うことも珍しく有りません。つまり中国人は、議論が『殺し合いの道具』だった頃の意識そのままで、民主的な社会に入り込もうとしているのです。

  こうしてみると、中国人の意識と中国語には、現代社会で生活するために、決定的なものが欠けていることが解ります。

  話し合いで事を解決しようとしている場で、いきなり個人攻撃を始める隣人が居たら、住民は誰でも迷惑するでしょう。

  はっきり言えば中国人は、その自覚が無いまま、決定的に“遅れてしまっている”のです。

中国人に健全な議論ができない理由②

投稿者: Mishi_Mishi_01 投稿日時: 2001/07/20 21:31 投稿番号: [18741 / 196466]
  ちょっと記憶がうろ覚えなのですが、アラスカの一部の先住民には、『緑』色と『青』色の違いを区別する事が出来ない、という話を読んだことがあります。これは先天的にそういう能力が欠けているのではなく、彼らの使用する言語では、青と緑は同じ単語で表現されるから、なのだそうです。ですから、緑、あるいは青という言葉を無理やり覚えさせると、だんだん緑と青の区別がつくようになってくる……。雪と氷の世界では、自然の中で緑という色を見る機会が少ないでしょうから、青を意味する単語“だけ”あれば充分だったのでしょう、恐らく。

  それと同じように中国では、政治的には専制政治、庶民レベルでは儒教的な上下関係が支配していたため、議論という言葉を、それだけで独立させる必要が無かったものと思われます。このため中国人は、たとえ海外に留学するような知識人でも、『議論』と『罵り合い』の区別がつきません。どちらも、大差ないものだと思っています。

  議論というものは、たとえ自分の主張が間違っていたと解ったとしても、お互いに真実に一歩近づくことができます(実際に、このとおりのお行儀の良い『議論』をする事は難しいものですが、少なくとも私たちは、そう考えています)。

  ところが、中国人の『罵り合い』は、負けたら終わりです。例え自分が間違っていたと気がついたとしても、決して認めるわけにはいきません。

  もし、言い負かされそうになったら、『60年前の戦争の事』でも、相手の『遺伝性疾患』のことでも、『三代前の母親の不行跡』でも、あるいは『お前の母ちゃん出臍』でも、相手にダメージを与えられそうな材料は、何でも持ち出して“攻撃”します。

  これは反論ではなく“攻撃”ですから、話の主題と何ら関係が無くとも構いません。ようは相手に傷を負わせればいいのです

中国人に健全な議論ができない理由①

投稿者: Mishi_Mishi_01 投稿日時: 2001/07/20 21:30 投稿番号: [18740 / 196466]
  先日、やはりネットをやっている友人(このトピックの聴視者でもある)と、『中国人はなぜ議論のマナーが悪いのか、あるいはなぜ普通に議論が出来ないのか(なぜ、すぐに誹謗や罵倒になってしまうのか)』という問題について話をしまた。

  もちろんその理由は、有史以来、長く独裁政治の下にあった中国社会が、健全な民主主義の土壌を育てられなかったから、に他ならないのですが、それ以前に“中国人には『議論』と『口論/罵り合い』の区別が、実は最初から解っていないのではないか?   ”という疑問が生じてきました。

  実際、中国語の『議論』という言葉には、日本語と同じ意味(意見を述べ合って、互いの合理性を確かめること)の他に、『相手の欠点をあげつらう、罵る』という意味があります。もちろん、日本語の『口論』、『罵り合い』に相当する言葉も有るのですが、独立して『議論』“だけ”を意味する単語は、ありません。

  つまり中国人は、『議論』と『罵り合い』を、同じものだと認識している。

  “『議論』と『罵り合い』の区別がつかない”のです。

  いや、こんな事を言うとまた『差別的な発言だ』と批判をされそうですが、これと同じ事は、他の例にも見られます。

<在日中国人を抹殺して

投稿者: kokorozashi123 投稿日時: 2001/07/20 21:16 投稿番号: [18739 / 196466]
ヤッパリ殺人ずきの根性忘れないね。

何々?

投稿者: OccultFilms 投稿日時: 2001/07/20 20:31 投稿番号: [18738 / 196466]
在日中国人を抹殺しても「虐殺」にはならないのかな?

ほんとおもろい理論で(嘲笑)

何だ?

投稿者: writing_writing_it 投稿日時: 2001/07/20 20:04 投稿番号: [18737 / 196466]
>白痴と議論すろのはとっても疲れるらしい


この人勝手につかれてるみたい?

他人様捕まえて   いきなり   ”白痴”だって。

別に事実を述べていらっしゃるのではないですか。

事実を聞くのが疲れるのでしょうか。

もっと事実を知るべきですね。

まだ、疲れ方が足りないと思いますよ?

”通州って、日本の領土か。”なんて惚けているようではね。

聞きたくないとしか、思えませんね。

貴方には、良心というものが無いのでしょうか。

ニセモノ−クサイさんに失礼ですよ。

白痴と議論すろのはとっても疲れるらしい

投稿者: kokorozashi123 投稿日時: 2001/07/20 19:52 投稿番号: [18736 / 196466]
通州事件で中国兵は先に日本平民を殺したから、南京で中国庶民に対する虐殺は無罪だって言い張りそうだね。
お聞きしたいのは、通州事件の経緯をともかくとして、通州って、日本の領土か。中国でしょう。あたかも被害者のふりをしてあんなふうに理屈っぽいで議論するのはなかなか理解し難いです。
考えれば、日本語に良心と言う表現は良く使われないよね。納得するよう頑張ってます。

中国軍は、いつでも狂っちゃたみたい

投稿者: nisemono_kusai 投稿日時: 2001/07/20 18:58 投稿番号: [18735 / 196466]
誰かさんは「通州事件」は、中国軍が狂ったと言っていた。

数多くの他の事件もあるようですね。
こんなに狂っていたとは、知りませんでした。

崇善堂の埋葬記録

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/20 13:17 投稿番号: [18734 / 196466]
まず、私が知らないことについて質問。
崇善堂に何人のボランティアが協力し、何時から何時まで活動していたかの
資料の提示をして下さい。
報告があると主張するのだから人数、期間の提示はたやすいでしょう。

次に12/16-4/9まで平均10-30までの平均埋葬数が南京占領後4ヶ月過ぎて
急激に増加し1日平均7200人以上埋葬するという矛盾について説明して下さい。

阿羅健一氏の調査によれば、昭和十年(事件の二年前)に発行された「南京市政府行政統計報告」では、崇善堂は、衣料給与、寡婦救済、保育などを行う慈善団体であり、死体埋葬は行っていない。事件直後に発行された「南京市概況」でも紅卍字会は死体埋葬作業を行っている事が記載されているが、崇善堂の事業内容にはその記載がない。そのうえ「工作進行範囲狭小」(活動は続いているが、規模は小さい)と特に注記してある。

>laodieへ

投稿者: tidwidolgjwigsa 投稿日時: 2001/07/20 12:14 投稿番号: [18733 / 196466]
朝鮮の人の名簿です。直前名簿だけです。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/tuusyuu20.htm


「通州事件」は、かなり研究されています。ご存じのように色々と議論されています。

1)3)については、知りません。
詳しい資料を探せば分かるかと思います。
ロコウ橋事件が発生していたのですから、移動は当然発生したと思いますが。

しかし、初め疑念ありでは、”大半韓国人論”の様な歪曲が生じると思います。


「大山事件」「済州事件」などを調べた方が面白いかもしれません。


その他の代表的な?事件
.尼港事件(大正9年1920)
  ロシア、中国人からなる四千名の共産パルチザンが襲撃。領
事夫妻以下居留民384人(内女子184人)軍人351が陵辱暴行さ
れた上虐殺される。通州事件は「第2の尼港事件」と呼ばれる。

4.南京事件(第一次;昭和2年1927)
  日1英2米1伊1仏1デンマーク1が死亡、2百人の中国軍
兵士と女子供を含む数百人の一般人暴徒による各国領事館銃撃、
暴行、略奪は床板、便器空瓶にまで至った。このとき日本は完
全無抵抗を貫いたが、米英は軍艦より砲撃をPM3:4より1時間
行った。死者12傷者20であった。此の事件は共産コミンテルン
の陰謀であることは国際的にも承認されている。此の事件につ
いて中国側刊行の「中国歴史」は破廉恥にも次のように大嘘の
言辞を弄している。

「帝国主義は中国での半藤支配を守るため革命を破壊しよ
うとした。3月24日北伐軍は南京を占領した。その日の、
英、米、日などの帝国主義は狂ったように南京城を砲撃し、
中国軍民二千人余りを死傷させた」

  ここまで自己の悪行を抹殺し、二桁の水増しをし、無抵抗で
あった日を砲撃に含ませる。
   
5.済南事件(昭和3年1928)中国兵による略奪陵辱暴行殺人
事件。
  略奪被害戸数136、被害人員約400とある。中国側も立ち会い
の済南医院による検死結果を1つだけ挙げる。
    西条キン(女性24歳)
    ・全顔面及び腹部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離。
    ・局部に約2糎平方の木片深さ27糎突刺あり。

で?laodie君

投稿者: OccultFilms 投稿日時: 2001/07/20 08:18 投稿番号: [18732 / 196466]
狂った中国軍に「責任能力」は無い?

南京の日本軍も便衣兵の攻撃に「狂って」居たかも知れんな(嘲笑)

物理的に可能不可能の判断もできないのか

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/20 07:13 投稿番号: [18731 / 196466]
埋葬許可証を持たない崇善堂の単体での埋葬活動が不可能なことまで
見落としていることに気付かないかねぇ・・・。
つまりは、崇善堂が埋葬活動をしているならそれは、他の埋葬許可のある
団体での下請けの可能性しかないんだよ。

数えなおしは、誰がいつどこでやったんでしょうね。

またお前に日本語のレクチャーかよ

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/20 07:00 投稿番号: [18730 / 196466]
いつ認めるっていったかねぇ。
さて、
>「南京第二碇泊場司令部   太田寿男騎兵中佐供述書」
>太田寿男騎兵中佐指揮下   約19,000体を長江に投げ込む
>安逹由己騎兵少佐指揮下   約35,000体を長江に投げ込む
>              約30,000体を焼却し埋める
>              約16,000体揚子江に投げ込む
>他の部隊の処理数      約50,000体
>計   約150,000体

じゃあ、この珍説を否定してあげよう
安達少佐の部下の梶谷軍曹って知ってるかな?
梶谷日記によると、十二月十一日無錫に於いて命令を受け、十二日午後安達少佐と先発隊として出発、十四日正午中山門より入場、城内を抜けて午後下関変電所に宿舎を求め、夕刻、司令官鈴木中佐が本隊と共に到着、十六日まで司令部開設準備、十七日に入場式に参加、十九日より業務開始。二十五日太田少佐以下残り人員が到着、二十六〜二十八日にかけ死体処理にあたり、兵十、苦力四十、機舟(エンジン付)五隻、急造のトビクチで死体を引っかけて沖へ流した。死体処理数一千体。

両者の相違点の主要な部分は、太田少佐の下関到着の時期、従って死体処理の期間が、十二月十四〜十八日と十二月二十六〜二十八日ということ、最も大きいのは死体処理数が十五万体と一千体、ケタはずれの差である。

  梶谷日記は「騎兵第四連隊史」に掲載されたもので、「証言による南京戦史」の執筆者畝本正巳氏(46期)が発掘、保存者という。
梶谷日記により太田寿男総結書は「間違いだらけで、戦犯管制下に書かれた創作にすぎない」と論断可能である。

tidwidolgjwigsaちゃん

投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2001/07/20 06:36 投稿番号: [18729 / 196466]
では、ほぼ半数って事ね?

わたしゃ煽っている訳じゃないんだが

投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2001/07/20 06:34 投稿番号: [18728 / 196466]
>いつも見ていてあなたって自分の意見を
もっていないんだなあって感じます。
相手の意見に突っ込むのは勝手ですけど、
もっと建設的な意見っていえないん
でしょうか。
それだけの知識があるのなら
なぜそれを生かそうとしないんでしょうか
なぜ自分はこう思うみたいなこと
いえないんですか。
これじゃ日本の野党なみですよ。
ばかにして諭しているつもりなの
でしょうが、タチの悪いあおりにも
見えます。


それって、こういう人ですか?(笑)↓
http://search.mb.yahoo.co.jp/search?p=forumosa1973&M=&sid=

また、丸山証言に信憑性があるのかね?

投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2001/07/20 06:23 投稿番号: [18727 / 196466]
埋葬開始が1月半ばなどとトッ違ったことを言ってるようだし、かなり苦しいんじゃないかな。

それから、崇善堂は4班に分かれて作業してたから、1組が3人なので計12人だとでも言うのかな?

崇善堂にはボランティアが多く加わっていたとの報告は知らないのかな?
また、余りにも信憑性の少ない数値のため、
確認の意味で、指定を受けた埋葬場所を掘り起こして数え直したのも知らないのかな?

君の言ってることは全て中身無しの情緒論でね、
私にはなぜその様な結論が導き出されるかよくわからんので、説明してくれんかな?

それとも、君には他者の投稿の引用が関の山かな?(笑)

しかし、簡単にかかったな〜(笑)

投稿者: YellowFlute 投稿日時: 2001/07/20 05:48 投稿番号: [18726 / 196466]
崇善堂の埋葬記録を差し引いても257,933体。

お前はそれを認めちまうんだ。(笑)

ここにも一人

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/20 02:45 投稿番号: [18725 / 196466]
根拠のない二次資料を一次資料と信じて発言するおばかさんが一人。
この20万人という数字はどこから来たのでしょう?
噂?希望的観測?夢?幻?(藁

日本における南京事件論

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/20 02:39 投稿番号: [18724 / 196466]
他のトピックより抜粋
(いちいち自分の口で説明するのも面倒だ)
ホーム>政治>軍事>南京虐殺はでっち上げと確信している
misareiji氏発言より
_________________________________
◎「東京裁判,検察側最終論告」
〜日本軍が同市を完全に支配するや、強姦、殺戮、拷問及び掠奪
への耽溺が始まり、それが6週間続きました。最初の2〜3日間に2万人以上
の人々が日本軍により即座に死刑に処せられました。
  6週間に南京市内とその周りで殺害された概数は、26万ないし30万で、
全部が裁判なしで残虐に殺害されたのであります。
(「日中戦史資料集」8   東京裁判資料編P300)

---------------------------- -
◎まず「範囲は南京城とその周辺」
この範囲は概ね「南京城区」に相当する。

◎期間は6週間。
「あくまでも、6週間で30万人虐殺」というのが中国の主張。

◎殺害人数について
中国側の公式主張は「30万」
説としては「40万〜60万」という荒唐無稽なものもある。

◎日本の虐殺派学者の中心的人物「笠原十九司」教授説は
上記の範囲に限定した場合「軍人8万、民間人6万」程度と考えているらしい。
(笠原教授は範囲と時間を勝手に拡大したうえで、虐殺20万以上としている)

 
  つまり「虐殺派の学者」ですら、中国の主張を「半分」しか認めることが
できないわけだ。(この点は重要だよ)
-------------------------------------- -
----------------------------

◎諸説について簡単に説明すると、

殺された人(戦死含む)
★虐殺派   15万以上
★中間派(まぼろし派)3〜5万程度

この差は「崇善堂埋葬記録11万」を採用するか否かで決まる。
----------------------------

○中間派、(虐殺3〜4万)説は、
死体の総数をおよそ5万と考え、そこから「戦死」をマイナスする。
また捕虜、敗残兵の処刑は「全部違法」として計上。

○過小派、(虐殺1万〜2万)説は
処刑の中には「合法なものもあった」とする主張。
(合法処刑は、虐殺にはいらない)

○まぼろし派(0〜1万以下)
中国軍の処刑は、ほぼ合法。
ゲリラ狩りに巻き込まれた民間人の処刑を、合法とみるか
違法と見るかで「0〜1万」の幅が出る。

------------------------------ -

中国の主張をそのまま書いてたら芸がないぜ、黄笛君。

おまえもなー

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/20 02:26 投稿番号: [18723 / 196466]
今時、本気で30万人を信じてるのはアイリス・チャンや中共の
洗脳を受けてるに違いない。(藁

第一、中華人民共和国以外で30万人説を強弁するアホ学者はいない。
日本の虐殺あった派の学者でも15万人
そこから崇善堂の埋葬記録
を引くくらいの知恵はないのかね。

>わははは(爆笑)

投稿者: laodie 投稿日時: 2001/07/20 02:23 投稿番号: [18722 / 196466]
このわはははは、Mishi Mishiじゃないか(笑)。

>朝鮮の人は、111人ですよ。(開示分)

結構研究しているようで、出所を教えてください。

ではgagababa_kk
への質問も一緒に、

1)提示された通州居留民名簿は1937年7月29日午前1時遭難直前、となっていますが、事件数ヶ月前の名簿はありませんか?つまり事件数日前に、他のところへ移動した人はどのくらいいますか?

2)名簿は「内地人の部」となっていますが、朝鮮系の人は含まれないですか?事件当時、朝鮮系がどのくらい通州におりますか?どれくらい被害者が出たのですか?

3)深夜に日本軍が中国保安隊の宿舎を「誤爆」することは自然だと思いますか?

3)について、知っていました?知っていたのならば、この通州事件を提起する人としてまったく触れないとだめではありませんか。

まぁ、いい加減なこと

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/20 02:15 投稿番号: [18721 / 196466]
最低限削るべき資料が幾つもあるぞ、戦死者、中国軍による殺害遺体、
崇善堂の埋葬記録。
嘘もほどほどにな。(藁

いきなり破綻かよ

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/20 01:59 投稿番号: [18720 / 196466]
>崇善堂埋葬記録:女2,091体、子供813体

いきなり崇善堂の資料ですか(爆笑
じゃあ、12人の崇善堂がトラックも無しに1日平均2600人を埋葬
できるという理論を説明してもらおうじゃないですか(爆笑

嘘資料を持ち出して力説、そのあげく
「4,371人もの無抵抗な女・子供を虐殺してるな。」
と原爆への発言を避ける。

便衣兵(軍服を着ない戦闘員)には、捕虜になる権利がなかったんだよ知ってる?
捕虜と呼ぼうが呼ばまいが便衣兵は法的には捕虜になれなかったんだよ。
わかった???
ちなみにゲリラ(便衣兵)に法的に投降する権利が国際法に明記された
のは戦後です。

未だに崇善堂の埋葬記録を信じている馬鹿がいるとは思わなかった。(藁
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