中国人に健全な議論ができない理由②
投稿者: Mishi_Mishi_01 投稿日時: 2001/07/20 21:31 投稿番号: [18741 / 196466]
ちょっと記憶がうろ覚えなのですが、アラスカの一部の先住民には、『緑』色と『青』色の違いを区別する事が出来ない、という話を読んだことがあります。これは先天的にそういう能力が欠けているのではなく、彼らの使用する言語では、青と緑は同じ単語で表現されるから、なのだそうです。ですから、緑、あるいは青という言葉を無理やり覚えさせると、だんだん緑と青の区別がつくようになってくる……。雪と氷の世界では、自然の中で緑という色を見る機会が少ないでしょうから、青を意味する単語“だけ”あれば充分だったのでしょう、恐らく。
それと同じように中国では、政治的には専制政治、庶民レベルでは儒教的な上下関係が支配していたため、議論という言葉を、それだけで独立させる必要が無かったものと思われます。このため中国人は、たとえ海外に留学するような知識人でも、『議論』と『罵り合い』の区別がつきません。どちらも、大差ないものだと思っています。
議論というものは、たとえ自分の主張が間違っていたと解ったとしても、お互いに真実に一歩近づくことができます(実際に、このとおりのお行儀の良い『議論』をする事は難しいものですが、少なくとも私たちは、そう考えています)。
ところが、中国人の『罵り合い』は、負けたら終わりです。例え自分が間違っていたと気がついたとしても、決して認めるわけにはいきません。
もし、言い負かされそうになったら、『60年前の戦争の事』でも、相手の『遺伝性疾患』のことでも、『三代前の母親の不行跡』でも、あるいは『お前の母ちゃん出臍』でも、相手にダメージを与えられそうな材料は、何でも持ち出して“攻撃”します。
これは反論ではなく“攻撃”ですから、話の主題と何ら関係が無くとも構いません。ようは相手に傷を負わせればいいのです
これは メッセージ 18740 (Mishi_Mishi_01 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffccf4x78_1/18741.html