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またお前に日本語のレクチャーかよ

投稿者: sishimar 投稿日時: 2001/07/20 07:00 投稿番号: [18730 / 196466]
いつ認めるっていったかねぇ。
さて、
>「南京第二碇泊場司令部   太田寿男騎兵中佐供述書」
>太田寿男騎兵中佐指揮下   約19,000体を長江に投げ込む
>安逹由己騎兵少佐指揮下   約35,000体を長江に投げ込む
>              約30,000体を焼却し埋める
>              約16,000体揚子江に投げ込む
>他の部隊の処理数      約50,000体
>計   約150,000体

じゃあ、この珍説を否定してあげよう
安達少佐の部下の梶谷軍曹って知ってるかな?
梶谷日記によると、十二月十一日無錫に於いて命令を受け、十二日午後安達少佐と先発隊として出発、十四日正午中山門より入場、城内を抜けて午後下関変電所に宿舎を求め、夕刻、司令官鈴木中佐が本隊と共に到着、十六日まで司令部開設準備、十七日に入場式に参加、十九日より業務開始。二十五日太田少佐以下残り人員が到着、二十六〜二十八日にかけ死体処理にあたり、兵十、苦力四十、機舟(エンジン付)五隻、急造のトビクチで死体を引っかけて沖へ流した。死体処理数一千体。

両者の相違点の主要な部分は、太田少佐の下関到着の時期、従って死体処理の期間が、十二月十四〜十八日と十二月二十六〜二十八日ということ、最も大きいのは死体処理数が十五万体と一千体、ケタはずれの差である。

  梶谷日記は「騎兵第四連隊史」に掲載されたもので、「証言による南京戦史」の執筆者畝本正巳氏(46期)が発掘、保存者という。
梶谷日記により太田寿男総結書は「間違いだらけで、戦犯管制下に書かれた創作にすぎない」と論断可能である。

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