韓国主張に反論 1789年にアルゴノート島と
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2006/11/22 19:58 投稿番号: [8152 / 9207]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm084.html#No.581
混乱の遠因は、1789年、イギリスの探検家コルネットが鬱陵島の位置を本
来より朝鮮寄りに見誤ったことにありました。かれはそれをアルゴノート島と
名づけましたが、この誤った地図がのちに大きな影響を与えました。
鬱陵島は、欧米ではすでに二年前にフランスの軍艦により確認されてお
り、発見者にちなんでダジュレー島と命名されていました。結果的に、ひとつ
の島が二島と認識され、ふたつの名前がつけられてしまったのでした。
やがて、アルゴノート島は存在しないことがロシアの軍艦パルラダ号によ
り1854年に確認されました。この確認に、じつに65年もの歳月がかかりまし
た。絶海にある無人島の正確な位置の確認は、19世紀なかばになっても容易
ではなかったようでした。
その確認がなされる前に、日本でおなじみのシーボルトはそれらを別々の
島と考え、あわせて古来の日本地図にてらし、朝鮮寄りとされた架空の島を
「タケシマ アルゴノート」、本来の竹島(鬱陵島)を「マツシマ ダジュ
レー」と記入した誤った地図を1840年に作成しました。
当時、欧米の地図で竹島=独島はまだ知られていなかったので、シーボル
トの比定はやむを得ませんでした。しかし、この誤りが島名の混乱に拍車をか
けたことはいうまでもありません。<引用おわり
++
やがて、アルゴノート島は存在しないことがロシアの軍艦パルラダ号により1854年に確認されました。この確認に、じつに65年もの歳月がかかりました、朝鮮国は欧米列強から植民地にされる寸前だったようだな、
これは メッセージ 8150 (ninnikumanx さん)への返信です.
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