韓国主張に反論 現竹島は二島構成である
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2006/11/22 13:08 投稿番号: [8150 / 9207]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm084.html#No.580
(現代語訳)
別紙、内務省からの伺い書「日本海内竹島外一島 地籍編纂」の件ですが、
これは元禄五年、朝鮮人が入島して以来、旧政府(江戸幕府)が朝鮮とやりと
りした末、ついに本邦とは関係ないと聞いているという申し立てに関して、伺
い書のおもむきをお聞きになり、下記のように御指令をくだされるよう、この
段をお伺いします。
御指令案
伺い書のおもむき、書面「竹島外一島」の件は、本邦と関係ないと心得るべ
きこと。
この文書は明治政府首脳間で稟議(りんぎ)に回され、右大臣・岩倉具視
(ともみ)、参議・大隈重信、同じく寺島宗則、大木喬任らにより承認、捺印
されました。
すなわち「当時の日本の最高国家機関たる太政官は、島根県と内務省が上
申してきた竹島=鬱陵島と松島=独島をセットにする理解に基づいて、両島を
日本領に非ずと公的に宣言」しました(注1)。
1877年3月29日、この決定を伝えられた内務省は、同省の伺い書控に
「伺之趣 竹島外一島之儀 本邦関係無之儀ト可相心得事 明治十年三月二九
日」と朱筆で加筆しました。さらに、4月9日付けで島根県にも伝えられ、現
地でもこの問題に決着がつけられました。
このように、竹島(鬱陵島)および松島(竹島=独島)が明治政府により
明確に放棄されたにもかかわらず、これを記述した書籍やホームページはほと
んどないのが現状です。わずかに内藤氏の学術書が書いているくらいです(注
3)。kunitakaさんのホームページはいかがですか?
外務省のホームページもこの重要事実をふせたまま、竹島=独島の領有問
題を解説して「竹島は日本の固有領土」などと日本国民をあおっていますが、
その姿は欺瞞的としかいいようがありません。また、そうした一方的な情報に
踊らされ、やみくもに「日本の固有領土」をさけんでいる人の姿はこっけいで
哀れです。
そうした姿勢がこうじてか、あるいはディベートのあがきからか、ここの
会議室でもあらぬことをいいだす人がいるようなので、ここで念のため内務省
や太政官が放棄した外(ほか)一島とはどんな島だったのかもう一度記すこと
にします。その島は島根県伺い書にわずかにこう書かれました。
「次に一島あり。松島と呼ぶ。周囲30町(3.3km)である。竹島と同じ船路にある。隠岐をへだてる80里(320km)ばかりである。樹木や竹は稀である。また、魚や獣(アシカか)を産する」
++ 「次に一島あり」とはチクトの事でしょう、現竹島は東島、西島の二島構成ですよ、問題は松島呼称だな 松島は二島あるように思える、一つは現竹島で一つはチクトである、江戸から明治初期にかけて日本漁民達はチクトを松島と呼んでいたようですな、つまり松島は二島あった。松島二島説を検証の必要があるな、
、
(現代語訳)
別紙、内務省からの伺い書「日本海内竹島外一島 地籍編纂」の件ですが、
これは元禄五年、朝鮮人が入島して以来、旧政府(江戸幕府)が朝鮮とやりと
りした末、ついに本邦とは関係ないと聞いているという申し立てに関して、伺
い書のおもむきをお聞きになり、下記のように御指令をくだされるよう、この
段をお伺いします。
御指令案
伺い書のおもむき、書面「竹島外一島」の件は、本邦と関係ないと心得るべ
きこと。
この文書は明治政府首脳間で稟議(りんぎ)に回され、右大臣・岩倉具視
(ともみ)、参議・大隈重信、同じく寺島宗則、大木喬任らにより承認、捺印
されました。
すなわち「当時の日本の最高国家機関たる太政官は、島根県と内務省が上
申してきた竹島=鬱陵島と松島=独島をセットにする理解に基づいて、両島を
日本領に非ずと公的に宣言」しました(注1)。
1877年3月29日、この決定を伝えられた内務省は、同省の伺い書控に
「伺之趣 竹島外一島之儀 本邦関係無之儀ト可相心得事 明治十年三月二九
日」と朱筆で加筆しました。さらに、4月9日付けで島根県にも伝えられ、現
地でもこの問題に決着がつけられました。
このように、竹島(鬱陵島)および松島(竹島=独島)が明治政府により
明確に放棄されたにもかかわらず、これを記述した書籍やホームページはほと
んどないのが現状です。わずかに内藤氏の学術書が書いているくらいです(注
3)。kunitakaさんのホームページはいかがですか?
外務省のホームページもこの重要事実をふせたまま、竹島=独島の領有問
題を解説して「竹島は日本の固有領土」などと日本国民をあおっていますが、
その姿は欺瞞的としかいいようがありません。また、そうした一方的な情報に
踊らされ、やみくもに「日本の固有領土」をさけんでいる人の姿はこっけいで
哀れです。
そうした姿勢がこうじてか、あるいはディベートのあがきからか、ここの
会議室でもあらぬことをいいだす人がいるようなので、ここで念のため内務省
や太政官が放棄した外(ほか)一島とはどんな島だったのかもう一度記すこと
にします。その島は島根県伺い書にわずかにこう書かれました。
「次に一島あり。松島と呼ぶ。周囲30町(3.3km)である。竹島と同じ船路にある。隠岐をへだてる80里(320km)ばかりである。樹木や竹は稀である。また、魚や獣(アシカか)を産する」
++ 「次に一島あり」とはチクトの事でしょう、現竹島は東島、西島の二島構成ですよ、問題は松島呼称だな 松島は二島あるように思える、一つは現竹島で一つはチクトである、江戸から明治初期にかけて日本漁民達はチクトを松島と呼んでいたようですな、つまり松島は二島あった。松島二島説を検証の必要があるな、
、
これは メッセージ 8139 (ninnikumanx さん)への返信です.
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