韓国主張に反論 軍艦「天城」の調査
投稿者: ninnikumanx 投稿日時: 2006/11/22 18:58 投稿番号: [8151 / 9207]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm069.html#No.454
軍艦「天城」の調査 hangetsu_joh 2000年3月20日
明治になって島名の混乱が生じ、それを整理するため軍艦天城が
派遣され、その測量の結果をもとに次の重要な結論をだされました。
「松島は鬱陵島にして、その他竹島なる者は一個の岩石たるに過ぎざるを知
り、事始て了然たり。然るときは今日の松島は即ち元禄12年称する所の竹島
にして、古来我版図外の地たるや知るべし」
この時点で、内藤教授がいうように、松島・竹島は朝鮮領という認識がで
きあがったのですが、問題は「一個の岩石たる」竹島とはどの島をさすのかで
す。
これを現在の竹島(独島)であるとするのは早計かもしれません。どうや
ら軍艦天城が現在の竹島(独島)を認識して、そこまで調査にいった形跡はな
いようです。
次の可能性として、天城が測量した鬱陵島近辺の竹嶼(現韓国名・竹島)
を明治政府が「一個の岩石たる」竹島と判断した可能性が高くなります。しか
しこの場合、明治政府はそれ以外の島が隠岐の沖合にあることを認識していな
かったので、明治政府において「現竹島については全く考察されていません」
という結論になります。竹島(独島)の認識がなければ、領有意識ももちろん
生まれません。
認識がなかったことは、明治政府が、フランス軍艦により命名された「リ
アンクール岩」(俗称リャンコ岩)をそのころは新島と考えたのか、その名を
正式に採用し、1905年まで政府刊行物などで使用していたことからもうか
がい知ることができます。そのころ、松島、竹島はともに鬱陵島のこととされ
ました。<引用おわり
++
1880年測量の結果をもとに天城は次の重要な結論をだされました。
「松島は鬱陵島にして、その他竹島なる者は一個の岩石たるに過ぎざるを知り、事始て了然たり。とある
つまり
ここでチクト(日本人による松島呼称)は竹島呼称に成ったようだ、
これは メッセージ 8150 (ninnikumanx さん)への返信です.
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