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英国を通しての和平工作の動き

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/04/04 18:47 投稿番号: [796 / 2250]
松本重治氏著 『上海時代(下)』 中公新書
222〜224p

《 停戦協定を作るために、ヒューゲッセン大使を南京から上海に遣ろうとした
英国政府は、上海地区における事態を不拡大にしたいと考えた以上のことを

構想していた。それは、もしできれは、日中間の全面的な調停の役を買おうと、
意欲的に考えつづけていたのであった。

中国における外国の権益のなかでは、何といっても英国のそれであり、また英国は、
ドイツが近年来、中国に対する貿易を盛んにしてきたことも考慮し、

ドイツが日中間の調停をやるようなことがありはしないかと考え、
先制的に英国自身が日中紛争の留め男になったほうがよいと考えたに違いない。



英国政府の指令の下に、東京ではクレーギ一新大使が、着任後間もなく、
数次にわたって、広田外相を訪問し、英国政府の日中間の

「調停の意図を示し、日本の中国に対する要求の真意を突きとめようと試みた。
広田はこれに対し、個人的意見だがと前提して、左記のような意向をもらした。


  一、天津、北京の線からやや南の辺に線を引いて、その間を非武装地帯とする
    こととし、この地域には日中両国とも軍隊を駐めないこと。

  二、満州国の承認を行うこと。

  三、排日・侮日を停止すること。

  四、防共を実現すること。

  五、華北における対外機会均等を行うこと。


クレーギーは   『外相の要求は大体合理的だと思う。ただ思想問題には触れたくない
から防共の点は日中間の直接交渉により密約でも作ってはどうかと思う』

旨を述べた。当時英国はヒットラー・ドイツに対抗するため、ソ連との提携を
考えていたので、ソ連を刺激するようなことには手を触れたくなかったのである。」

(上村伸一著『日本外交史』第二十巻、176〜177ページ参照)



英国政府は、クレーギ一大使と広田外相との会談を重要視し、ヒューゲッセン大使が
なお三、四週間入院治療を必要とした情況に鑑み、

突如、R・B・ハウを駐中国代理大使に任命し、クレーギーと協力せしめた。
九月十二日、新任のハウ代理大使は川越大使を官邸に訪れ、その夕刻、

代理大使は、盧溝橋事件以来、ヒューゲッセン大使が南京でよく連絡をとっていた
ことのあった日高 (信六郎) 参事官を訪問、三時間にわたって、

戦況や租界の問題、上海派遣軍の意向等について意見を交換した
(上海十二日発同盟電)。



翌々十四日、ハウ代理大使は、ホール=パッチとロヴァット・フレイザー少佐を
同伴して、南京に赴き、蒋介石その他の要人たちと数次会見した。

これらの会見を通じて、ハウ代理大使は、東京のクレーギ一大使が
広田外相の意向として伝えたところを   「蒋介石に伝えたところ、

蒋は、和平のことは自分からは言い出しにくいが、いつでもこれに応ずる用意がある
とのことであった。もっとも、宋美齢は非武装地帯にこだわりをもち、

その点については反対したとのことであるが、クレーギーは、期限をつければ
それでよかろうと広田に示唆した」(上村氏同上、一七七ページ参照)。



広田外相は、少なからず気をよくしたが、クレーギーの動きを、
陸軍は、英国の調停なんかは、いずれ、中国側に有利で日本側に不利になると考え、

また従来の英国の対中国援助姿勢からみても、そう判断するのが正しいと考え、
クレーギー・広田のラインに横槍を入れた。

また英国の調停案が民間にも洩れ、九月末には排英運動が起ったので、
広田も残念ながら、ずんずん話を進めるというわけにはいかなくなった。》


つづく
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