9月14日 松井‐松本会談1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/03/29 18:44 投稿番号: [790 / 2250]
松本重治氏著 『上海時代(下)』 中公新書217〜218p
《 呉淞砲台が占領されてからも、呉淞と上海とを通じる軍工路には、
ドイツ人将校の指導の下に数箇の半永久的の堅固なトーチカが造られていて、
中国軍が頑強に抵抗したため、呉淞と上海との連絡はできなかった。
九月一日から数次にわたり増援陸軍部隊がキュウ江碼頭に上陸を敢行し、
また新たに増援された陸戦隊と協力して、
九月四日から、激戦ののち、トーチカを一つずつ占領していった。
やっと十三日には、軍工路に蟠居していた中国軍の第一線部隊が嘉宅方面に
退却を始め、同日、はじめて軍工路を通じての呉淞−上海間の連絡が碓立され、
居留民ははじめて胸を撫で下した。
その翌十四日であったか、支社に出ると、九時過ぎ、陸軍武官室からの電訪があった。
「松井軍司令官が松本支社長に会いたいといっておられる。
なるべく、都合して、早く呉淞に行ってもらいたい」
との話であった。
私は、臨時の日本人逆転手を頼んでいたので、すぐ車を飛ばし、軍工路を通って、
十一時少し過ぎ、呉淞の上海派遣軍司令部に着いた。
実は、松井
(石根)
大将と私とは二年ほど以前からよく知り合っていた。
私が東京本社からの一時帰朝命令で上京したたびごとに、佐藤安之助少将
(京郡および上海での太平洋会議で交友を続けていた予備陸軍少将)
や
前田多門さん
(当時、 「朝日」
の論説委員)
の肝入りで、
上海の話や日中問題についての意見交換をする数人の会合に招かれ、
松井大将はそのレギュラーの一人であったという関係があったのである。
松井さんは、そのころ、熱海
(より正確には、伊豆山)
に寓居を構えていたが、
この会合には、熱海から欠かさず出席して、私なりの意見に耳を傾けてくれた。
私の記憶に間違いなければ、松井さんは、参謀本部の
「支那班」
出身で、
その先輩坂西利八郎中将の手塩で育った中国通随一の軍人であった。
そういう会合で、私は、松井さんが、たんに中国通であるだけではなく、
中国における英国その他の第三国の権益、彼らの対中国政策にも
少なからざる関心をもっていることをも知っていた。
この会合には、レギュラーのほかには、松田義雄氏
(前田多門氏や黒木三次氏の親友、
ドイツ経済史専攻で有名な松田智雄君の父君)、満鉄の金井清氏、岩永
(裕吉)
さんらも、ときどき顔を出し、顔を出せば必ず談論風発するという人々のみであった。
副官が司令部の玄関に立っていて、私が着くなり、 「松本
『同盟』
支社長ですね」
と、誰であるかを確かめ、 「軍司令官閣下がお待ちかねです」
という。
案内されて松井大将の軍司令官室に入ると、松井大将は、 「松本君、よく、
すぐに来てくれたね、忙しいのに」
と礼をいわれた。》
つづく
これは メッセージ 786 (kireigotowadame さん)への返信です.
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