公大飛行場の確保
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/03/24 18:51 投稿番号: [785 / 2250]
日本海軍は楊樹浦 (ヤンジッポ) の東の方に公大飛行場を建設中でしたが、
中国軍の攻撃を受けてなかなか進みませんでした。
そこで、陸軍の一部を上海に回してもらって陸軍部隊と協力して、
周囲の敵を排除することにしました。
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』 397〜398p
《 九月上旬我が東部支隊右翼隊は陸軍部隊の前進に呼応して、
キュウ江碼頭及び付近地域に対し単独作戦中であった。
付近に公大航空基地を建設中であったが、敵陣地からの銃砲火にさらされ、
航空機の進出が困難であった。
このため陸軍飯田支隊が主として同方面の攻撃に当たることとなり、
海軍側は東部支隊、火砲によりこれに協力することとなった。
陸軍中村中隊 (飯田支隊の先遣隊) の乗艦する 「栂」 は六日 02:00 上海発、
下江し同 03:05 キュウ江碼頭に横付けし陸兵揚陸を開始した。
ところが同倉庫によっていた敵から頑強な抵抗を受けたため、一たん揚陸を中止、
「栂」は横付けを離し、「刈萱、安宅、堅田、夕月、芙蓉、勢多」 などの
掩護艦と共に、夜明けまで同倉庫付近を猛撃制圧し、07:30 碼頭下流江岸に
揚陸を完了させた後、午後戦死傷者を収容し上海に帰投した。
なお旗艦出雲も六日 03:50 上海発、主砲 (二十糎 (センチ) 砲) をもって
本上陸掩護射撃に加入の上、08:00 上海に帰着した。
かくて上陸した飯田支隊は滬江大学から進撃し、何家宅以南の軍工路の線に
進出して八日ほぼその目的を達成した
が、九日未明の戦闘で飯田支隊長以下幹部多数が戦死するに至った。》
402〜403p
《 事変勃発当初、周水子基地 (大連) で陸軍部隊の北支海上輸送警戒に
従事していた第二聯合航空隊は、上海方面への急速な進出が望まれていたが、
同方面陸上基地は未整備であった。
しかし陸軍部隊上海派兵の結果、かねて建設中であった公大基地の使用が
可能となり、同隊は九月十日この基地に進出した。
公大基地は元来ゴルフ場を急速造成したもので、同隊進出直後、
天候不良のため滑走路がどろだらけとなり、昼夜兼行の修理にもかかわらず、
最初の一〇日間に九六式艦戦約一一機が発着の際大中破した。
また敵機の来襲もしばしばであったが、おおむね夜間攻撃で我に被害なく、
付近敵陣地からの砲撃もその都度反撃した。
この一〇日間が実に第二聯合航空隊にとり最大の危機であった。》
* これまで、日本軍は、上海方面に、陸上の飛行機基地を持たず、
航空母艦から小さな複葉機を飛ばすか、済州島や台湾から、
96式陸攻を飛ばすしか出来ませんでしたが、公大基地が確保できたお陰で、
陸上から、南京やその他、遠くの敵基地を攻撃する事が可能となりました。
つづく
中国軍の攻撃を受けてなかなか進みませんでした。
そこで、陸軍の一部を上海に回してもらって陸軍部隊と協力して、
周囲の敵を排除することにしました。
戦史叢書 『中国方面海軍作戦〈1〉』 397〜398p
《 九月上旬我が東部支隊右翼隊は陸軍部隊の前進に呼応して、
キュウ江碼頭及び付近地域に対し単独作戦中であった。
付近に公大航空基地を建設中であったが、敵陣地からの銃砲火にさらされ、
航空機の進出が困難であった。
このため陸軍飯田支隊が主として同方面の攻撃に当たることとなり、
海軍側は東部支隊、火砲によりこれに協力することとなった。
陸軍中村中隊 (飯田支隊の先遣隊) の乗艦する 「栂」 は六日 02:00 上海発、
下江し同 03:05 キュウ江碼頭に横付けし陸兵揚陸を開始した。
ところが同倉庫によっていた敵から頑強な抵抗を受けたため、一たん揚陸を中止、
「栂」は横付けを離し、「刈萱、安宅、堅田、夕月、芙蓉、勢多」 などの
掩護艦と共に、夜明けまで同倉庫付近を猛撃制圧し、07:30 碼頭下流江岸に
揚陸を完了させた後、午後戦死傷者を収容し上海に帰投した。
なお旗艦出雲も六日 03:50 上海発、主砲 (二十糎 (センチ) 砲) をもって
本上陸掩護射撃に加入の上、08:00 上海に帰着した。
かくて上陸した飯田支隊は滬江大学から進撃し、何家宅以南の軍工路の線に
進出して八日ほぼその目的を達成した
が、九日未明の戦闘で飯田支隊長以下幹部多数が戦死するに至った。》
402〜403p
《 事変勃発当初、周水子基地 (大連) で陸軍部隊の北支海上輸送警戒に
従事していた第二聯合航空隊は、上海方面への急速な進出が望まれていたが、
同方面陸上基地は未整備であった。
しかし陸軍部隊上海派兵の結果、かねて建設中であった公大基地の使用が
可能となり、同隊は九月十日この基地に進出した。
公大基地は元来ゴルフ場を急速造成したもので、同隊進出直後、
天候不良のため滑走路がどろだらけとなり、昼夜兼行の修理にもかかわらず、
最初の一〇日間に九六式艦戦約一一機が発着の際大中破した。
また敵機の来襲もしばしばであったが、おおむね夜間攻撃で我に被害なく、
付近敵陣地からの砲撃もその都度反撃した。
この一〇日間が実に第二聯合航空隊にとり最大の危機であった。》
* これまで、日本軍は、上海方面に、陸上の飛行機基地を持たず、
航空母艦から小さな複葉機を飛ばすか、済州島や台湾から、
96式陸攻を飛ばすしか出来ませんでしたが、公大基地が確保できたお陰で、
陸上から、南京やその他、遠くの敵基地を攻撃する事が可能となりました。
つづく
これは メッセージ 784 (kireigotowadame さん)への返信です.