8月26日 ヒューゲッセン大使銃撃事件2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/03/15 18:45 投稿番号: [776 / 2250]
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
206〜208p
《 ロヴァット・フレイザーが代って話を続け、 「私は大使を護衛するという
役目を買って出たので、私が自分の車に大使を載せていくことに定めていた。
ところが、南京に行って、大使と打ち合せて、途中の道路があまりよくないことを
前提として計画してみると、大使は事故のことも考えて、二台で行こうといわれる。
それで、大使用の車に大使とホール=パッチが相乗りし、大使用の運転手がそれを運転
する。それにつづいて私が自分の車を、予備の車として、随いて走るということになった。
行程の四分の三ぐらいは無事に来たのだが、
常熟と太倉の間で、突然日本の海軍機二機が現れた。
海軍機は、まず爆撃し、そのうえ、低空飛行をしながら機銃掃射をやったのだ。
二台とも、車の先端には英国旗を垂直に立て、車の屋根の上には大きな英国旗を
水平にひろげて、不慮の椿事を予防するあらゆる用意をしておいたのに、
英国旗を無視して、むちゃくちゃなことをやったものだ」 と、
少なからず昂奮して語った。私が誤爆に違いなかったといったところで、
充分な釈明にはならないので、ひたすら 「済まん、済まん」 と、ことば少なに語った。
ホール=パッチは、私のほうから呼び出しておいて、ドリンクスをオファーしかねる
ほど私が恐縮しているのを見て、 「今晩はビールで軽くやろうや」 と、
助け舟を出してくれたので、三人で一杯ずつ一気に飲みほした。
少し飲むと、会談の空気が少しやわらいだ。
私が、大使の容態を尋ねると、ホール=パッチは、
「あれから全速力で上海まで走り、カントリー・ホスピタルで診 (しら) べてみると、
背骨に弾丸があり、重傷ではあるが、神経系統には別条はないようだった。
大使は目下絶対安静中だ。 僕が、虫が知らせたわけではないが、大使を左側の座席に、
僕が右側の座席につくようにといったら、大使は、大使というものはいつでも
右側の座席に坐るようになっているから、といって、私のいうことを聴かなかった。
もし、僕の提案したように二人が座席をとっていたとすれば、大使は無事で、
私がやられたはずであった。そのほうがよかったのに」 という。
ロヴァット・フレイザー少佐は、私に向って、 「なぜ、日本海軍機は、
非戦闘員たる大使を撃って、軍人たる私を撃ってくれなかったのだ?」 といった。
二人とも、大使をかばう気持が一杯であったのに、大使を負傷させてしまったのが
しごく残念だという。 これに対して、私は返すことばもなかった。
だが、同時に、二人のイギリス魂には、少なからず感銘した。
翌日、川越大使につづいて、長谷川(清)第三艦隊司令長官も病院に赴き、
見舞のことばを述ベた。しかし、それだけでは、事件は収まらなかった。
英国の新聞は相当強く憤懣を表明し、国際問題化しそうになって、私の心を痛めた。
東京では、ただちに日英共同調査委員会が設けられたが、日本側では、海軍が
「同日午後に問題の地点に飛行した海軍機は一機もなかった」 と主張して譲らない。
日本側が早く正式陳謝をすれば、英国側も一件落着の用意があったが、
日本海軍がそういう態度なので、日本政府としても正式陳謝のしようがなく、
この事件についての交渉は暗礁に乗り上げた観があった。
つづく
206〜208p
《 ロヴァット・フレイザーが代って話を続け、 「私は大使を護衛するという
役目を買って出たので、私が自分の車に大使を載せていくことに定めていた。
ところが、南京に行って、大使と打ち合せて、途中の道路があまりよくないことを
前提として計画してみると、大使は事故のことも考えて、二台で行こうといわれる。
それで、大使用の車に大使とホール=パッチが相乗りし、大使用の運転手がそれを運転
する。それにつづいて私が自分の車を、予備の車として、随いて走るということになった。
行程の四分の三ぐらいは無事に来たのだが、
常熟と太倉の間で、突然日本の海軍機二機が現れた。
海軍機は、まず爆撃し、そのうえ、低空飛行をしながら機銃掃射をやったのだ。
二台とも、車の先端には英国旗を垂直に立て、車の屋根の上には大きな英国旗を
水平にひろげて、不慮の椿事を予防するあらゆる用意をしておいたのに、
英国旗を無視して、むちゃくちゃなことをやったものだ」 と、
少なからず昂奮して語った。私が誤爆に違いなかったといったところで、
充分な釈明にはならないので、ひたすら 「済まん、済まん」 と、ことば少なに語った。
ホール=パッチは、私のほうから呼び出しておいて、ドリンクスをオファーしかねる
ほど私が恐縮しているのを見て、 「今晩はビールで軽くやろうや」 と、
助け舟を出してくれたので、三人で一杯ずつ一気に飲みほした。
少し飲むと、会談の空気が少しやわらいだ。
私が、大使の容態を尋ねると、ホール=パッチは、
「あれから全速力で上海まで走り、カントリー・ホスピタルで診 (しら) べてみると、
背骨に弾丸があり、重傷ではあるが、神経系統には別条はないようだった。
大使は目下絶対安静中だ。 僕が、虫が知らせたわけではないが、大使を左側の座席に、
僕が右側の座席につくようにといったら、大使は、大使というものはいつでも
右側の座席に坐るようになっているから、といって、私のいうことを聴かなかった。
もし、僕の提案したように二人が座席をとっていたとすれば、大使は無事で、
私がやられたはずであった。そのほうがよかったのに」 という。
ロヴァット・フレイザー少佐は、私に向って、 「なぜ、日本海軍機は、
非戦闘員たる大使を撃って、軍人たる私を撃ってくれなかったのだ?」 といった。
二人とも、大使をかばう気持が一杯であったのに、大使を負傷させてしまったのが
しごく残念だという。 これに対して、私は返すことばもなかった。
だが、同時に、二人のイギリス魂には、少なからず感銘した。
翌日、川越大使につづいて、長谷川(清)第三艦隊司令長官も病院に赴き、
見舞のことばを述ベた。しかし、それだけでは、事件は収まらなかった。
英国の新聞は相当強く憤懣を表明し、国際問題化しそうになって、私の心を痛めた。
東京では、ただちに日英共同調査委員会が設けられたが、日本側では、海軍が
「同日午後に問題の地点に飛行した海軍機は一機もなかった」 と主張して譲らない。
日本側が早く正式陳謝をすれば、英国側も一件落着の用意があったが、
日本海軍がそういう態度なので、日本政府としても正式陳謝のしようがなく、
この事件についての交渉は暗礁に乗り上げた観があった。
つづく
これは メッセージ 775 (kireigotowadame さん)への返信です.