8月26日 ヒューゲッセン大使銃撃事件1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/03/14 18:47 投稿番号: [775 / 2250]
松本重治著 『上海時代・下』 中公新書
204〜206p
《 翌々二十六日午後四時ごろ、上海の英国大使館事務所からのメッセンジャーが、
「同盟」 支社に来て、ロウで封印された親展の手紙を私に渡した。
開いてみると、
「英国大使は、朝九時南京を自動車で出発、五時半か六時ごろ上海到着の予定、
到着のうえは、川越大使にアポイントメントについて電話する」
と書いてある。 私は、六時ごろには英国大使からの電話があるものと予想して、
その少し前、大使公邸に行った。
ロビーで待っていると、川越さんは二階から階段をゆっくりと降りてこられた。
そして席に就かれると、吉報を心待ちにしていた私に対し、
「松本君、大変なことになった。日本海軍機が英国大使の自動車を機銃掃射し、
大使は重傷、上海のカントリー・ホスピタルに入院したということを知らせてきた」。
私は愕然とした。万事休すだ。
「大使、責任は私にあります。何と申してお詫びをしてよいか判りません」 と私がいうと、
川越さんは、 「君が、要らんことを提案したので、こんなことになったのだ」
などとは、一言もいわれなかった。 川越さんは、
「松本君、日中関係を心配され、またそのための日英協力を計画されたことに対し、
私はありがたく思っているのです。
出来たことは出来たことで、適宜に措置するほかはありません。
さっそく大使館のものを病院に見舞にやりましたが、明日は、
英国大使の病状如何によって私自身が見舞に行き、事実、海軍機の仕業だと判れば、
陳謝のことばを坦懐に述べるつもりです」 といわれ、翌朝、川越さんは英大使を見舞った。
八月二十六日(昭和十二年・一九三七年)の夕刻、川越大使公邸を辞した私は、
何よりもホール=パッチに重大な手違いを謝らねばと思い、
支社に帰るとすぐホール=パッチを呼び出した。
彼は、電話に出ると、いきなり、
「日本軍はあまりにひどい。おかげで、大使も、ロヴァット・フレイザー少佐も、
私も、すんでのことで殺されるところだった」 と、
矢継ぎ早に文句のいいつづけであった。 私は、 「エドモンド、ほんとに済まん、謝る。
すぐ、ちょっとでもいいから、会いたい。君に直接会って、詫びをいいたいのだ」 というと、
「僕も君に事件の真相を話したいし、少佐も、どうしても君にいいたいことがあると
いっているから、三人で会おう。上海クラブでは、少しく目につきすぎるから、
今晩は河岸をかえて、メトロポール・ホテルのバーででも会おうや」 との話。
私は、叱られるのは覚悟だと、相当肚をすえて、メトロポールのバーへ行った。
他の二人も、二、三分違いでやってきた。
私は、平身低頭して、簡単ながら二人に対して陳謝した。 ホール=パッチは、
「何も、君自身がそんなに謝ることはないじゃないか。
君が日本の海軍のほうに通知しなかったことは、諒解済だったし、
こちらも、相当の危険を冒す覚悟だったのだが、まさか英国旗を無視し、
英大使の自動車を、日本の海軍機が爆撃したり、機銃掃射したりするとは、
想像もしなかったよ」 「爆撃までやったのかね?」 「そうなんだよ。幸いにも、
爆弾は自動車には命中せず、車の前方とか、車側に落ちたが、爆風で砂埃がひどく、
一時は車の運転ができなかった。 僕 (ホール=パッチ) は、無我夢中で、
気づいてみたら、車外にほうり出されていた。
大使はと見ると、車内で、座席の中で横に倒れ、背中の激痛を訴えていた」。》
つづく
204〜206p
《 翌々二十六日午後四時ごろ、上海の英国大使館事務所からのメッセンジャーが、
「同盟」 支社に来て、ロウで封印された親展の手紙を私に渡した。
開いてみると、
「英国大使は、朝九時南京を自動車で出発、五時半か六時ごろ上海到着の予定、
到着のうえは、川越大使にアポイントメントについて電話する」
と書いてある。 私は、六時ごろには英国大使からの電話があるものと予想して、
その少し前、大使公邸に行った。
ロビーで待っていると、川越さんは二階から階段をゆっくりと降りてこられた。
そして席に就かれると、吉報を心待ちにしていた私に対し、
「松本君、大変なことになった。日本海軍機が英国大使の自動車を機銃掃射し、
大使は重傷、上海のカントリー・ホスピタルに入院したということを知らせてきた」。
私は愕然とした。万事休すだ。
「大使、責任は私にあります。何と申してお詫びをしてよいか判りません」 と私がいうと、
川越さんは、 「君が、要らんことを提案したので、こんなことになったのだ」
などとは、一言もいわれなかった。 川越さんは、
「松本君、日中関係を心配され、またそのための日英協力を計画されたことに対し、
私はありがたく思っているのです。
出来たことは出来たことで、適宜に措置するほかはありません。
さっそく大使館のものを病院に見舞にやりましたが、明日は、
英国大使の病状如何によって私自身が見舞に行き、事実、海軍機の仕業だと判れば、
陳謝のことばを坦懐に述べるつもりです」 といわれ、翌朝、川越さんは英大使を見舞った。
八月二十六日(昭和十二年・一九三七年)の夕刻、川越大使公邸を辞した私は、
何よりもホール=パッチに重大な手違いを謝らねばと思い、
支社に帰るとすぐホール=パッチを呼び出した。
彼は、電話に出ると、いきなり、
「日本軍はあまりにひどい。おかげで、大使も、ロヴァット・フレイザー少佐も、
私も、すんでのことで殺されるところだった」 と、
矢継ぎ早に文句のいいつづけであった。 私は、 「エドモンド、ほんとに済まん、謝る。
すぐ、ちょっとでもいいから、会いたい。君に直接会って、詫びをいいたいのだ」 というと、
「僕も君に事件の真相を話したいし、少佐も、どうしても君にいいたいことがあると
いっているから、三人で会おう。上海クラブでは、少しく目につきすぎるから、
今晩は河岸をかえて、メトロポール・ホテルのバーででも会おうや」 との話。
私は、叱られるのは覚悟だと、相当肚をすえて、メトロポールのバーへ行った。
他の二人も、二、三分違いでやってきた。
私は、平身低頭して、簡単ながら二人に対して陳謝した。 ホール=パッチは、
「何も、君自身がそんなに謝ることはないじゃないか。
君が日本の海軍のほうに通知しなかったことは、諒解済だったし、
こちらも、相当の危険を冒す覚悟だったのだが、まさか英国旗を無視し、
英大使の自動車を、日本の海軍機が爆撃したり、機銃掃射したりするとは、
想像もしなかったよ」 「爆撃までやったのかね?」 「そうなんだよ。幸いにも、
爆弾は自動車には命中せず、車の前方とか、車側に落ちたが、爆風で砂埃がひどく、
一時は車の運転ができなかった。 僕 (ホール=パッチ) は、無我夢中で、
気づいてみたら、車外にほうり出されていた。
大使はと見ると、車内で、座席の中で横に倒れ、背中の激痛を訴えていた」。》
つづく
これは メッセージ 774 (kireigotowadame さん)への返信です.