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7月30日 脱走した通州保安隊の総隊長

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/10 16:05 投稿番号: [704 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
397〜398p

《 一味は宋哲元の後を追って、永定河の西岸に出ようと企てたらしい。
副官は総隊長の命令を、部下各隊に伝達した。

各隊は北京城の北側を、そのまま真っ直ぐ西進して京綏鉄路を横切った。
そして西直門から万寿山に通ずるアスファルトの街道に出ようとした。



一方、七月二十九日正午、清河鎮の攻略を終った関東軍の鈴木兵団は、その夜
清河鎮の南、八家という部落に宿営し、夜十一時、次の要旨の兵団命令を下達した。

    命   令
一、兵団は本夜有力な一部をもって西苑を奪取し、主力は明三十日、

   西苑 − 五堆子 − 西直門を連ねる線に向って前進す。

二、酒井機械化兵団は、依然前任務を続行すべし。

三、右縦隊 (麦倉連隊を基幹とするもの) は三十日午前六時、七軒房を出発し、

   西苑に向って前進すべし。

四、左縦隊 (奈良連隊を基幹とするもの) は三十日午前六時、八家を出発し、

   五堆子に向い前進すべし。特に北京方向に対して警戒する事肝要なり。


だから七月三十日の朝、鈴木兵団は南下するし、反乱保安隊は西進する。
この両軍は期せずしてアスファルト舗装の万寿山街道で、

ぶつかる運命をおわされていたのである。
この街道は北京郊外唯一の観光道路だった。

平素は高級自動車が往来し、路幅は十メートル余り、
両側には楊柳の並木が、鬱蒼と繁っていた。

その外側には深さ一メートル、幅二メートルの排水濠が設けられていた。

熱河の山奥から出て来た関東軍の兵隊は、この街道に出たとき、
鼻唄でも唱いたいような気持でアスファルトの上を行軍していった。



突然、この奈良部隊の先兵に不意急襲の猛射撃が浴せかけられた。
午前十時五十分、斜左、高梁畑切れ目の方向からである。

両軍は激しい射ち合いを始めた。敵の兵力は百、二百、・・、四百、
だんだん増加してきた。奈良部隊も先兵の左に先兵中隊が増加する。

その左翼に前衛本隊が展開する。大隊砲や連隊砲、配属山砲まで参加した。
勝敗は明らかである。



南京放送がデマに過ぎなかった事は、西直門の巡警の言葉ではっきりしたし、
殷汝耕を宋哲元に献上しようという大きな夢も、日本軍の砲声一発で吹ッ飛んでしまった。

大切な献上品殷汝耕は、グルグル巻きにして自動車でここまで運んで来はしたものの、
今はもう、それにかかわり合っている余裕さえなかった。

自動車の中で素早く便衣に着換えた張硯田と張慶余は、殷汝耕や部下保安隊
一千数百名を、すべて放ったらかして、高梁畑の中に姿をくらましてしまったのである。》


つづく
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