7月30日 中国軍の敗北を知る通州保安隊
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/09 13:18 投稿番号: [703 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
396〜397p
《 実情を把握した私は機関に戻って詳細を松井機関長に報告した。
機関長は沈痛な面持で口を開いた。
「君が出かけてから間もなく、通州守備隊から電報があった。
特務機関は保安隊の襲撃で全滅してしまったらしい」
余りの驚愕 (きょうがく)、私は喉 (のど) がつまってしばらくは物も言い得なかった。
温情あふれる細木機関長、豪胆不屈の甲斐補佐官、ついせんだって私を取り囲んで、
盧溝橋の戦況を 「それから、それから」 と根掘り葉掘り尋ねた人達、
それがあの建物で一人残らず全滅してしまったとは。
朝陽門外の反乱保安隊は今度は北側、東直門の方に回って行った。
すでにここも土嚢で固めてあるので入城出来ない。
次に西北方の安定門に回って行った。ここは土嚢こそ積んではいなかったが、
鉄扉を堅く鎖して入城を拒否している。
彼等は徳勝門に回った。それから西直門に回って行った。
ここは万寿山に通ずる枢要な街道なので、これまで閉鎖している事はまずあるまい、
というのが彼等幹部達の狙いだった。来てみるとこの大門は閉まってはいたが、
小門の方が随時あけたて出来るようになっていた。
保安隊総隊長張硯田 (ちょうけんでん)、 張慶余 (ちょうけいよ) は
自動車から降りると、城門監視の巡警に語気荒々しく
「さっきから朝陽門、東直門、安定門、徳勝門、一つとして俺達のために
扉を開けてくれようとしない。北京の戒厳はそんなに厳重なのか」
「戒厳は昨朝から解かれています。ただ警察局長の命令で厳重閉鎖しているだけです」
「何、警察局長の命令? 宋委員長や秦市長は一体全体どうしてるんだ!」
「宋委員長も秦市長も、一昨日の夜おそく、この城門を出て保定の方に行って
しまわれました」 「すると政務はいったいだれが代行してるんだ?」
「日本軍です」
これを聞いたとたん、愕然たる表情が彼等の面に現われた。
「何? 日本軍? すると盧溝橋の戦況は今どうなってるんだ?」
「二十九軍が敗けて、もう一兵残らず永定河の西に撤退してしまいました」
張硯田、張慶余は、しばし茫然自失の有様だった。 つい今の今まで
自分達が考えていた情勢とはおよそ百八十度の食い違いだからである。
二人はそれ以上、深く立入って聞こうとはしなかった。
西直門外石橋のほとりに自動車を停めて、ヒソヒソ相談していたが、
副官をもう一遍城内に走らせて、巡警に宋哲元脱走の経路を確かめさせた。
それが、西直門 − 万寿山 − 門頭浦 − 長辛店 − 保定、
というコースである事を知ると、何か心に決するところがあったらしく、
車を万寿山の方に向けた。 七月三十日、午前九時半ごろの事である。
一味は宋哲元の後を追って、永定河の西岸に出ようと企てたらしい。
副官は総隊長の命令を、部下各隊に伝達した。
各隊は北京城の北側を、そのまま真っ直ぐ西進して京綏鉄路を横切った。
そして西直門から万寿山に通ずるアスファルトの街道に出ようとした。》
つづく
396〜397p
《 実情を把握した私は機関に戻って詳細を松井機関長に報告した。
機関長は沈痛な面持で口を開いた。
「君が出かけてから間もなく、通州守備隊から電報があった。
特務機関は保安隊の襲撃で全滅してしまったらしい」
余りの驚愕 (きょうがく)、私は喉 (のど) がつまってしばらくは物も言い得なかった。
温情あふれる細木機関長、豪胆不屈の甲斐補佐官、ついせんだって私を取り囲んで、
盧溝橋の戦況を 「それから、それから」 と根掘り葉掘り尋ねた人達、
それがあの建物で一人残らず全滅してしまったとは。
朝陽門外の反乱保安隊は今度は北側、東直門の方に回って行った。
すでにここも土嚢で固めてあるので入城出来ない。
次に西北方の安定門に回って行った。ここは土嚢こそ積んではいなかったが、
鉄扉を堅く鎖して入城を拒否している。
彼等は徳勝門に回った。それから西直門に回って行った。
ここは万寿山に通ずる枢要な街道なので、これまで閉鎖している事はまずあるまい、
というのが彼等幹部達の狙いだった。来てみるとこの大門は閉まってはいたが、
小門の方が随時あけたて出来るようになっていた。
保安隊総隊長張硯田 (ちょうけんでん)、 張慶余 (ちょうけいよ) は
自動車から降りると、城門監視の巡警に語気荒々しく
「さっきから朝陽門、東直門、安定門、徳勝門、一つとして俺達のために
扉を開けてくれようとしない。北京の戒厳はそんなに厳重なのか」
「戒厳は昨朝から解かれています。ただ警察局長の命令で厳重閉鎖しているだけです」
「何、警察局長の命令? 宋委員長や秦市長は一体全体どうしてるんだ!」
「宋委員長も秦市長も、一昨日の夜おそく、この城門を出て保定の方に行って
しまわれました」 「すると政務はいったいだれが代行してるんだ?」
「日本軍です」
これを聞いたとたん、愕然たる表情が彼等の面に現われた。
「何? 日本軍? すると盧溝橋の戦況は今どうなってるんだ?」
「二十九軍が敗けて、もう一兵残らず永定河の西に撤退してしまいました」
張硯田、張慶余は、しばし茫然自失の有様だった。 つい今の今まで
自分達が考えていた情勢とはおよそ百八十度の食い違いだからである。
二人はそれ以上、深く立入って聞こうとはしなかった。
西直門外石橋のほとりに自動車を停めて、ヒソヒソ相談していたが、
副官をもう一遍城内に走らせて、巡警に宋哲元脱走の経路を確かめさせた。
それが、西直門 − 万寿山 − 門頭浦 − 長辛店 − 保定、
というコースである事を知ると、何か心に決するところがあったらしく、
車を万寿山の方に向けた。 七月三十日、午前九時半ごろの事である。
一味は宋哲元の後を追って、永定河の西岸に出ようと企てたらしい。
副官は総隊長の命令を、部下各隊に伝達した。
各隊は北京城の北側を、そのまま真っ直ぐ西進して京綏鉄路を横切った。
そして西直門から万寿山に通ずるアスファルトの街道に出ようとした。》
つづく
これは メッセージ 702 (kireigotowadame さん)への返信です.