7月30日 北京へやって来た通州保安隊
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2011/01/08 12:06 投稿番号: [702 / 2250]
南京の嘘放送に騙されて、日本人居留民を200人以上虐殺し、それを手土産に
宋哲元に忠誠を示そうとした、通州保安隊員が北京にやって来ました。
まさか、宋哲元が、いないとも知らずに。
寺平忠輔著 『日本の悲劇 盧溝橋事件』 読売新聞社刊
395〜396p
《 七月三十日、夜が明けそめたころである。 給仕の杉沢が 「荒木五郎」
という名刺を持って来て緊急要件で面会を求めていると伝えた。
私は上衣をひっかけるなり応接室に行った。
純白の背広に開襟シャツと云ういでたちのその人は、四十四、五歳、
キリリと緊まった風貌には、一種犯し難い気品があった。
「私は北京に住む巷 (ちまた) の一浪人に過ぎません。
ご多用中甚だ恐縮ですが、今、通州反乱保安隊が、
大挙北京の朝陽門に押し寄せて来ているという情報を掴 (つか) みましたので、
至急特務機関に善処していただかなければと思ってご報告に上りました」
「反乱保安隊がですか? 朝陽門に?」
「そうです。今、城門監視の巡警と、城門をあけろあけないで
盛んに押問答している最中です。絶対あけさせちゃいけません」
私は至急警察局長と連絡をとった。
警察局長播毓桂 (はんいくけい) に電話すると
「その件はタッタ今、私の所へも報告が入ったところです。
大分大勢やって来て、小銃などをブッ放し、開門を迫っているようですが、
私はとりあえず、絶対扉を開けてはいかん。昨日来取除け始めた土嚢を
もう一遍積み上げて、厳重警戒するよう命じたところです」
「それをうかがって安心しました。朝陽門ばかりじゃない。東直門も安定門も、
全部完全に閉鎖させて下さい。
一兵たりとも北京城内に入らせないよう……お頼みしますよ」
私は応接室に引き返した。そして荒木氏に、礼を述べるとともに
「これは私も一応実情を確かめておいて、今後の対策を講じたいと思います。
今からすぐ、朝陽門に出かけましょう。あなたも一緒に行って下さいますか」
「もちろんお伴させていただきましょう」
二人は玄関口に出た。そして自動車にとび乗った。私はここで初めて荒木氏に尋ねた。
「あなたは巷の浪人だっておっしゃいましたが、中国にはかなり永くお住いなんですか」
「お恥かしい次第ですが、実は私も元軍人のハシクレでしてね。
それが気まぐれから軍人をやめて満州にころがり込んだんです……」
「すると、もしかするとあなたは張作霖の模範旅長黄慕 (ホワンムー) 将軍じゃ
ありませんか」 「ハア、そうなんです。よくご記憶でいらっしゃいますね」
「そうでしたか。そういう大先輩とは存じ上げず、大変ご無礼致しました。
実は私も若いころから中国の研究が好きでしてね。
黄慕 (ホワンムー) 将軍だとか張宗援将軍、つまり伊達順之助さんなんかの
ご活躍振りには、少なからず若い血を沸かしたものでした」
話に夢中になっている間に、車は東四牌楼の十字路を右に曲って、朝陽門に到着した。
城門に土嚢が二メートルぐらいの高さまで積み上げられている。
突然、城外で、バーンと一発銃声がした。城壁に上り、薄靄をすかして眺めると、
保安隊が四百や五百どころか七百、八百、いやもっと大勢いるかもわからない。
それが口々に 「開門 (カイメン)、快著 (コワイチョ) 点児 (テル)
開門罷 (カイメンパ)!」 (早く門をあけろ!) とどなり続けている。
巡警がそれに応じないものだから、彼等は腹立ちまぎれに楼門めがけ、小銃
ブッ放しての威嚇ぶりである。二発が私達の頭上を掠 (かす) めてとんだ。》
つづく
宋哲元に忠誠を示そうとした、通州保安隊員が北京にやって来ました。
まさか、宋哲元が、いないとも知らずに。
寺平忠輔著 『日本の悲劇 盧溝橋事件』 読売新聞社刊
395〜396p
《 七月三十日、夜が明けそめたころである。 給仕の杉沢が 「荒木五郎」
という名刺を持って来て緊急要件で面会を求めていると伝えた。
私は上衣をひっかけるなり応接室に行った。
純白の背広に開襟シャツと云ういでたちのその人は、四十四、五歳、
キリリと緊まった風貌には、一種犯し難い気品があった。
「私は北京に住む巷 (ちまた) の一浪人に過ぎません。
ご多用中甚だ恐縮ですが、今、通州反乱保安隊が、
大挙北京の朝陽門に押し寄せて来ているという情報を掴 (つか) みましたので、
至急特務機関に善処していただかなければと思ってご報告に上りました」
「反乱保安隊がですか? 朝陽門に?」
「そうです。今、城門監視の巡警と、城門をあけろあけないで
盛んに押問答している最中です。絶対あけさせちゃいけません」
私は至急警察局長と連絡をとった。
警察局長播毓桂 (はんいくけい) に電話すると
「その件はタッタ今、私の所へも報告が入ったところです。
大分大勢やって来て、小銃などをブッ放し、開門を迫っているようですが、
私はとりあえず、絶対扉を開けてはいかん。昨日来取除け始めた土嚢を
もう一遍積み上げて、厳重警戒するよう命じたところです」
「それをうかがって安心しました。朝陽門ばかりじゃない。東直門も安定門も、
全部完全に閉鎖させて下さい。
一兵たりとも北京城内に入らせないよう……お頼みしますよ」
私は応接室に引き返した。そして荒木氏に、礼を述べるとともに
「これは私も一応実情を確かめておいて、今後の対策を講じたいと思います。
今からすぐ、朝陽門に出かけましょう。あなたも一緒に行って下さいますか」
「もちろんお伴させていただきましょう」
二人は玄関口に出た。そして自動車にとび乗った。私はここで初めて荒木氏に尋ねた。
「あなたは巷の浪人だっておっしゃいましたが、中国にはかなり永くお住いなんですか」
「お恥かしい次第ですが、実は私も元軍人のハシクレでしてね。
それが気まぐれから軍人をやめて満州にころがり込んだんです……」
「すると、もしかするとあなたは張作霖の模範旅長黄慕 (ホワンムー) 将軍じゃ
ありませんか」 「ハア、そうなんです。よくご記憶でいらっしゃいますね」
「そうでしたか。そういう大先輩とは存じ上げず、大変ご無礼致しました。
実は私も若いころから中国の研究が好きでしてね。
黄慕 (ホワンムー) 将軍だとか張宗援将軍、つまり伊達順之助さんなんかの
ご活躍振りには、少なからず若い血を沸かしたものでした」
話に夢中になっている間に、車は東四牌楼の十字路を右に曲って、朝陽門に到着した。
城門に土嚢が二メートルぐらいの高さまで積み上げられている。
突然、城外で、バーンと一発銃声がした。城壁に上り、薄靄をすかして眺めると、
保安隊が四百や五百どころか七百、八百、いやもっと大勢いるかもわからない。
それが口々に 「開門 (カイメン)、快著 (コワイチョ) 点児 (テル)
開門罷 (カイメンパ)!」 (早く門をあけろ!) とどなり続けている。
巡警がそれに応じないものだから、彼等は腹立ちまぎれに楼門めがけ、小銃
ブッ放しての威嚇ぶりである。二発が私達の頭上を掠 (かす) めてとんだ。》
つづく
これは メッセージ 699 (kireigotowadame さん)への返信です.