7月29日 通州虐殺事件2
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/12/28 18:42 投稿番号: [681 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇
盧溝橋事件』 読売新聞社刊
381〜383p
《 一通り掠奪が終ると、保安隊は私に、「起てッ!」 と荒々しい怒声。
私はほとんど追いまくられるようにして北門内の銃殺場、女子師範学堂に
引っ張られて行きました。そこにはすでに、
私より先に捕まえられた二十人あまりの内、鮮人が来ておりました。
みんな蒼ざめた、そして髪ふり乱した顔に、沈痛の色を漂わしております。
まだうら若い朝鮮の女性が、荒縄でグルグル巻きに縛られたまま、
保安隊から銃の台尻で、骨も砕けんばかりにヒドくたたかれ、
ヒーヒー叫び声をあげている姿を目撃しました。
いったいあの女性に何の罪咎 (つみとが) があるというのでしょう。
いや、これは決して他人事ではない、やがては間もなく私の身にも降りかかって
来るのだと思った時、もうジッと正視している事が出来ないで、
下を向いたまま目をつぶってしまいました。
私の脳裏にはまず洋子の姿が映じて参りました。満洲夫の叫び声が聞えて参りました。
− そうだ。私は早く帰って、満洲夫を助け出してやらなければならない −。
私は眼を開きました。そしてあたりを見回しますと、監視兵の姿が見えません。
私は立ち上りました。そしてまっしぐらに町の方にとび出しました。
もう傷の痛さも仕返しの怖ろしさも、何も考えませんでした。
土塀の間を縫って、グネグネした小路をたどって、どこをどう走ったかも、
全然記憶に残っておりません。
やがて私が目ぬき通りを横切ろうとした時、保安隊の幹部が三人、馬に乗って
走って来るのに出会いました。私はもうこれで、お終いだと観念しました。
ところが彼等は、別に馬の速度を落すような様子もなく、
それでも何度も何度も振り返り、私の方を眺めながら行き過ぎました。
恐らく頭から一杯浴びた洋子の血汐と肉片を見て、大変な重傷だ、
放っておいても間もなく死ぬだろうぐらいに思ったのかも知れません。
私が家にたどりつくと、主人は家の前で敵弾に当って、すでにこと切れておりました。
満洲夫は私が曳 (ひ) かれた後を慕って、追いかけたのでしょう。
その方向に腹這い寄ったまま、出血多量でなくなっておりました。
家の中に入って見ると、もう床板一枚無いまでにひどい掠奪をうけているのです。
この掠奪は、保安隊だけがやったのではなく、近所の住民がこのドサグサに便乗し、
何から何まで運び去っていった事は明瞭でした。
彼等はそれから後も、まだ何か残ってやしないかと入れ代り立ち代りやって
来ますので、私はその都度、今度こそは今度こそはと覚悟を決めておりました。
・・・
お昼ごろ、どこからともなく飛行機の爆音が聞えて参りました。日本軍の飛行機です。
私はこの時程嬉しい思いをした事はありませんでした。
覚えず庭にとび出して、今まで大事に大事に懐に納めておりました
日の丸の旗を取り出しまして、力一杯振り回しました。
− 日本人がここにおりますよ! − 叫びたい気持で一杯でした。
でも付近には保安隊がまだまだ沢山います。
見つかったが最後、一たまりもなく殺されてしまいますので、
振っては家の中に駆け込み、またとび出しては振る
そうした努力は致しましたけれど、飛行機にはそれが通じたのか通じなかったのか、
やがて北の方へ飛び去って行ってしまいました。
・・・ ともかくここを脱出しよう。・・・ と思いつきました。
その手段として中国人のようにスッカリ断髪してしまい、
汚れた中国服を身にまといまして、脱出の機会をうかがいました。
我が爆撃のお陰で保安隊もスッカリ退散してしまい、三十日には日本の兵隊さんが
私達を救い出しに来て下さいましたので、どうやら命だけは助かる事が出来ました。》
つづく
381〜383p
《 一通り掠奪が終ると、保安隊は私に、「起てッ!」 と荒々しい怒声。
私はほとんど追いまくられるようにして北門内の銃殺場、女子師範学堂に
引っ張られて行きました。そこにはすでに、
私より先に捕まえられた二十人あまりの内、鮮人が来ておりました。
みんな蒼ざめた、そして髪ふり乱した顔に、沈痛の色を漂わしております。
まだうら若い朝鮮の女性が、荒縄でグルグル巻きに縛られたまま、
保安隊から銃の台尻で、骨も砕けんばかりにヒドくたたかれ、
ヒーヒー叫び声をあげている姿を目撃しました。
いったいあの女性に何の罪咎 (つみとが) があるというのでしょう。
いや、これは決して他人事ではない、やがては間もなく私の身にも降りかかって
来るのだと思った時、もうジッと正視している事が出来ないで、
下を向いたまま目をつぶってしまいました。
私の脳裏にはまず洋子の姿が映じて参りました。満洲夫の叫び声が聞えて参りました。
− そうだ。私は早く帰って、満洲夫を助け出してやらなければならない −。
私は眼を開きました。そしてあたりを見回しますと、監視兵の姿が見えません。
私は立ち上りました。そしてまっしぐらに町の方にとび出しました。
もう傷の痛さも仕返しの怖ろしさも、何も考えませんでした。
土塀の間を縫って、グネグネした小路をたどって、どこをどう走ったかも、
全然記憶に残っておりません。
やがて私が目ぬき通りを横切ろうとした時、保安隊の幹部が三人、馬に乗って
走って来るのに出会いました。私はもうこれで、お終いだと観念しました。
ところが彼等は、別に馬の速度を落すような様子もなく、
それでも何度も何度も振り返り、私の方を眺めながら行き過ぎました。
恐らく頭から一杯浴びた洋子の血汐と肉片を見て、大変な重傷だ、
放っておいても間もなく死ぬだろうぐらいに思ったのかも知れません。
私が家にたどりつくと、主人は家の前で敵弾に当って、すでにこと切れておりました。
満洲夫は私が曳 (ひ) かれた後を慕って、追いかけたのでしょう。
その方向に腹這い寄ったまま、出血多量でなくなっておりました。
家の中に入って見ると、もう床板一枚無いまでにひどい掠奪をうけているのです。
この掠奪は、保安隊だけがやったのではなく、近所の住民がこのドサグサに便乗し、
何から何まで運び去っていった事は明瞭でした。
彼等はそれから後も、まだ何か残ってやしないかと入れ代り立ち代りやって
来ますので、私はその都度、今度こそは今度こそはと覚悟を決めておりました。
・・・
お昼ごろ、どこからともなく飛行機の爆音が聞えて参りました。日本軍の飛行機です。
私はこの時程嬉しい思いをした事はありませんでした。
覚えず庭にとび出して、今まで大事に大事に懐に納めておりました
日の丸の旗を取り出しまして、力一杯振り回しました。
− 日本人がここにおりますよ! − 叫びたい気持で一杯でした。
でも付近には保安隊がまだまだ沢山います。
見つかったが最後、一たまりもなく殺されてしまいますので、
振っては家の中に駆け込み、またとび出しては振る
そうした努力は致しましたけれど、飛行機にはそれが通じたのか通じなかったのか、
やがて北の方へ飛び去って行ってしまいました。
・・・ ともかくここを脱出しよう。・・・ と思いつきました。
その手段として中国人のようにスッカリ断髪してしまい、
汚れた中国服を身にまといまして、脱出の機会をうかがいました。
我が爆撃のお陰で保安隊もスッカリ退散してしまい、三十日には日本の兵隊さんが
私達を救い出しに来て下さいましたので、どうやら命だけは助かる事が出来ました。》
つづく
これは メッセージ 680 (kireigotowadame さん)への返信です.