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7月19日 宋哲元の北京入り

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/24 15:55 投稿番号: [614 / 2250]
寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
263〜265p

《 宋哲元は、翌十九日午前七時半、少数の護衛兵を従え特別仕立の列車に乗り込み、
天津総站 (駅の事) を出発、久々ぶりの北京に向った。

車窓見波す限り生い繁っている高梁の畑には、真夏の陽光が燦々として降り注ぎ、
今日もまた暑いぞといわんばかりに照り返していた。

楊村を過ぎたころ、蒸しタオルと、何杯目かの香り高いお茶を取りかえた宋哲元は、
突然、思い出したように同席の陳覚生に話しかけた。

「この方面には、今年はまだ余り蝗の群は見かけないようだね」
彼の郷里、山東地方は、年々歳々莫大な蝗群 (こうぐん) の害を蒙り、

時として高梁の収穫皆無というような事も、決して珍しくなかったのだ。
したがって民生を念ずる為政者としては、これは非常に重大な関心事だったのである。



陳覚生は車中徒然 (つれづれ) の当意即妙

「ハア、今年は皇軍 (ホワンチュン) が沢山やって来ましたのでね。
蝗群 (ホワンチュン) はみんなどこかへ影を潜めてしまったのでしょう」

宋哲元はにわかに目を細くして微笑みを浮かべ
「オオ!   皇軍(ホワンチュン)!   蝗群(ホワンチュン)!」

彼は口の中でこの言葉を繰り返し、その言い回しの面白さを、
ひとりで反芻 (はんすう) しているみたいだった。

ちょうどそのころ、灰色の大城壁を背景に持つ、北京正陽門東停車場では、
いよいよ宋委員長が帰って来るというので、

冀察の要人、財界の大物、ないし灰色の軍服に皮帯 (ピータイ) 姿いかめしい、
二十九軍の高級幹部が、早朝から続々詰めかけて来て、

プラットホーム一杯にひしめき合っていた。その数五百といわれている。



やがて列車は哈達門 (ハーターメン) の踏切に姿を現わした。
ホームの北側、アカシヤの樹陰に、隊伍整然、堵列 (とれつ) していた

綏靖公署軍楽隊は、この時一斉に楽器をとりあげた。
タクトを執った楽長の白い手袋が、頭上に高く振り上げられる。

そしてそれがサッとふり下された瞬間、極めて急テンポなメロディーをもって、
「栄光の曲」   が演奏され始めた。

いままでバタバタあおいでいた、要人達の白い扇子が次第に影をひそめていく。
やがて列車は音もなく、緩やかにホームに滑り込んで、出迎えの人々の前で静かに停まった。

真っ先に列車から降り立ったのは、鉄路局長の陳覚生である。
続いて総帥宋哲元が、悠々その巨躯を一同の前に現わした。

五月ごろよりも一層陽焦 (ひや) けして、脂ぎった彼の顔色は、
とりわけ印象的だった。



出迎えの人達は、手に手に帽子を打ち振って彼を迎えた。
まず秦徳純が進み出て、真ッ先に宋哲元と握手した。

双方共ニコニコしているが、万感を胸にこめての堅い堅い握手である。
張維藩もいる。張越亭もいる。石友三もおれば阮玄武もいた。

賈徳耀、李思浩、魏宗翰、そういった冀察の要人が綺羅星 (きらほし) のように
並んでいる前を、宋哲元はあたかも閲兵でもするように、一々答礼しながら歩みを進めた。

日本側顧問団の前まで来ると、彼はにわかに立ち停まった。
そしてその一人一人と、丁重な握手を交わした。

彼の自動車はすでにホームの入口まで、持ち込まれていた。彼はふり返って、
もう一遍全部の人々に会釈すると、やがて京終鉄路局長兼総参議張維藩と一緒に、

その大型自動車中の人となった。》


つづく
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