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7月18日 宋哲元の謝罪

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/10/22 18:32 投稿番号: [612 / 2250]
児島襄著 『日中戦争4』   文春文庫
22〜23p

《 七月十八日、宋哲元は、午後一時十分すぎ、
天津市宮島街の借行社で支那駐屯軍司令官香月中将と会見した。

「濃紺の長衫と黒の馬掛子にでっぷり肥えた体をつつみ、
頭はてらてらに禿げ上って、見るからに精力的な風体である」

と、『東京朝日新聞』   特派員岡部孫四郎は描写している。
この日、天津は摂氏四十五度をこえる猛暑にみまわれていた。

それだけに、肥大漢なのに格別に暑さに苦しむ風情をみせぬ宋哲元の様子に、
岡部記者は格別の印象をうけたらしい。


宋哲元は、第三十八師長兼天津市長張自忠が通知したとおり、
まず丁重に謝罪の意を表明した。

「今回の事件発生は、誠に遺憾に存じます」
支那駐屯軍司令官香月中将は、諒承する旨をこたえ、

また、第一次世界大戦が   「セルビヤ国内の一発の銃声に導火せられたる事」
を指摘し、 「挑戦的行動」   をさけてほしい、と述べた。

宋哲元は、北京に帰任したら第二十九軍の撤退を実行する、
将来の保障についての細目は第三十八師長兼天津市長張自忠と

冀察政務委員張允栄に策案させる、といい、午後一時三十五分、辞去した。



寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊
262〜263p

《 陳覚生の言葉の通り、宋哲元は七月十八日、正式に日本軍司令官を訪問した。
香月中将はこの日午後一時、天津宮島街の偕行社、

即ち上海市長呉鉄城から譲り受けた洋館建ての倶楽部で、宋哲元と会見した。

張園の軍司令官官邸は、前司令官田代皖一郎中将が、十六日午前十時五十分、
そこで亡くなったばかりなのでゴッタ返していて使用出来なかったからである。

宋哲元は、張自忠、張允栄   陳中孚、陣覚生等を帯同し、
悠揚迫らざる態度で車から降り立った。

軍司令官は橋本参謀長はじめ、和知、大木、塚田等各参謀を侍立させ、
この冀察の重鎮と握手した。

双方共、いずれ劣らぬ貫禄のある、ドッシリしたタイプで、この会見こそ、
実に、本場所における東西両横綱の立合いといった感が深かった。


会談はまず、初対面の挨拶、前司令官の病没に対する悔みの言葉、
それに引き続いて盧溝橋を中心とする時局問題に入って行った。

宋哲元はまず、身をもって停戦協定条文の第一項、日本軍に対する遺憾の意表明を、
いとも丁重厳粛な態度でやってのけた。

また第二項、二十九軍撤退の件は、北京帰任後責任をもってこれを実行に移すべき事を
確約した。第三項、反動分子取り締りの件は、さらに細目の協定を必要とするので、

その場において張自忠と張允栄に命じ、
具体案を作製して橋本参謀長に提出し、妥結を見るよう指示した。》


つづく
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