入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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豊台事件

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/06/04 18:38 投稿番号: [463 / 2250]
華北は平和に見えても、中国の反日が消えたわけではありません。
ときおり散発的に、事件が起こります。


寺平忠輔著 『日本の悲劇   盧溝橋事件』 読売新聞社刊   40〜41p


《 馮治安は河北省の出身で、当年四十四歳、馮玉祥の旧部下ではあったけれど、
抗日の鼻息荒く、する事なす事、宋 (哲元) の意に反するところが多かった。

そこで遠く手離しておくと、何を仕出かすかわからないというので、
一番手近な北京周辺の要地に配してあった。

ある日私が万寿山の方に車をとばせて行くと、ちょうど西宛の兵営から出て来た
馮治安の部隊、歩兵の一ヶ連が私の車とすれ違った。この時、彼等が歌っていた軍歌は


  打倒日本   打倒日本     除軍閥   除軍閥

  努力革命成功        努力革命成功

  去奮闘    去奮闘


というのだった。この歌詞はもともとは、打倒列強   打倒列強というのだが、
三十七師はそれをわざわざ打倒日本と置き換えて歌わせていた。

黒塗り厳めしい西苑の兵営は、昔、独逸人技師の設計監督の下に建てられた
という事だが、今では完全に侮日抗日の巣窟と化し、

さきに梅津・何応欽協定で華北から逐(お)われた、二十五師長関麟徴なども、
しばしばここに姿を現わして兵を煽動し、

また中共北方局の主任劉少奇あたりも、学生の軍事訓練に便乗して
この方面に顔を出し、盛んに抗日をアジっていたという情報が入っている。

師長馮治安が徹底的に日本嫌いな男であってみれば、上の行なうところ
下これに倣(なら)うのも、またやむを得ないところではある。


話は少々遡(さかのぼ)るが、昭和十一年九月十八日、豊台事件というのが勃発した。
満州事変柳条溝の一発から、満五年の記念日である。

こういう日には日華双方、お互いが余程気をつけ慎み合わないと、
とかく不慮のゴタゴタを引き起しがちである。

この日の夕刻、豊台駐屯一木大隊の一ケ中隊が、駅前近くを通りかかったところ、
折りから演習帰りの中国軍一ケ連とすれ違った。

ところが中国兵の一人が、穂積中隊最後尾の兵を、
故意に路外に押し出すような行動をとった。

部隊の後から乗馬でやって来た年少血気の小岩井光夫中尉、
やにわに中国兵の群に躍り込んで連長に対し、鋭く彼の不法を難詰した。

中国兵の一人が小岩井中尉の馬の尻をたたき、馬が驚いて跳ね上った。


中国兵は即座に銃に弾を込め、自分達の兵営の前に散開して、対応の姿勢をとったので、
日本軍も直ちにこれと相対峙 (たいじ) し、睨 (にら) み合いの態勢に移った。

北京から特務機関の浜田補佐官や桜井徳太郎軍事顧問がとんで来た。
もちろん牟田口廉也連隊長もやってくるし、

中国側の副師長許長林少将や外交専員林耕宇などもかけつけて来た。

河辺旅団長が即刻、隷下日本軍に発砲禁止を命じたので、彼我の交渉は、
その翌日の明け方まで続けられたが両軍干戈を交えるまでには立ち至らず、

結局中国側の陳謝と、関係者の処罰、ならびに中国軍部隊の豊台撤去を条件として、
一応この問題に終止符が打たれた。》
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