入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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日本人記者惨殺事件4

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/27 18:36 投稿番号: [455 / 2250]
児島襄著 『日中戦争3』 文春文庫
221〜222p


《田中武夫の記憶によると、部屋には安楽椅子二脚が壁際におかれ、
壁を背にして左の椅子の前に田中、右の椅子の前に渡辺、

渡辺の前に瀬戸、二脚の椅子の間に深川が立っていた。

群衆は、前回とちがって、「殴れ」 「殴れ」 と叫びながら四人に殺到し、
たちまち、深川経二が異様なうめき声をあげて倒れた。

そのもがく姿を見たあとの田中武夫には、自身のことしか記憶に残っていない。

夢中で、眼前によろめいてきた中国人警官の腰にしがみつき、
警官を楯にして棍棒、鉄拳の攻撃をさけようとした。

警官はあわててふりはなそうとする。田中武夫はなおもしがみついていたが、
隣室に逃げこむ警官は大きく腰をふって、ふりきった。

田中武夫は、群衆の中に孤立したことを自覚すると、抵抗を断念し、
暴徒が電灯線をひきちぎって両手をしばろうとするときも、すすんで手をさしだした。


両手をしばられたあと、財布、時計その他身につけた物を掠奪され、
外にひきずりだされた。

旅館の庭、周辺は男女の群衆でうずめつくされ、のちにその数は約一万人と推算されたが、
多数の中学生、さらには小学生もあつまって、口々に田中をののしった。

現場には、警備司令部から派遣された武装兵士約二百人が到着していたが、
発砲して群衆を解散させることもなく、傍観するだけであった。

いや、田中が学生に連行されてくると、兵士が学生から引きつぎ、
田中をひきまわしさえした。

田中は、次々に群衆の殴打をうけながら夜の街を歩かせられていたが、
右耳を棍棒で強打されて倒れた。


警官が、この男は死んだ、と叫んで、なおも殴ろうとする群衆を制止し、
人力車でカナダ人経営の 『四聖病院』 にはこばせた。

気がついた田中が看護婦に時刻をたずねると、午後九時とのことであった。

群衆はなおも病院内におしかけ、さすがに乱暴はしなかったが、
いれかわり立ちかわりに、懐中電灯で田中の顔を照射した。

午後十一時ごろ、田中は担架で督弁公署にうつされ、
軍医の手当をうけて、ようやく安堵した。

瀬戸尚も督弁公署にはこばれていて、二人は無事を喜びあい、同時に、
残る二人の安否を気づかった。


田中武夫が、特派員渡辺洸三郎と記者深川経二の死を知ったのは二日後だが、実際には、
翌日、八月二十五日午前五時ごろ、二人の死体が王府街の火神廟前で発見されている。

二人ともに全裸にされ、さんざんに殴られて殺されたとみえ、
顔もぐしゃぐしゃにつぶれ、酸鼻をきわめた死にざまであった。


*   この被害者達には酷な言い方だが、日本人には平和憲法的感覚が多すぎる。
   こういう結果になりそうな事は、行く前から想像がつきそうなものに。

   昔の日本人も今の日本人と同じで、「話せばわかる」、「同じ人間じゃないか」
   「武器を持たない者を攻撃しないだろう」と言う、

   美しい心で、出かけて行って虐殺される。
   なぜ、日本人は歴史に学ばないのだろうか。


つづく
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