満洲国の建国3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/16 15:52 投稿番号: [443 / 2250]
黄文雄著 『満洲国の遺産』 光文社
252〜253p
《東省特別区のハルビン市長・張景恵は、板垣大佐に説得され、
治安維持会を組織して一九三二年一月一日、独立宣言をした。
東辺道鎮守使、于止 (草カンムリがついてる) 山 (うしざん) は満蒙独立派とみられる
人物で、事変直後は周囲の様子をうかがっていたが、やがて保境安民派についた。
張学良ら満州軍閥が関東軍から追放された後、新国家建設運動は、
各地でまさに澎湃 (ほうはい) として生じたのだ。
一九三二年二月、全満建国促進運動連合大会が奉天城内自治指導部大講堂で開催された。
各省代表以外には、モンゴル、各種団体、満蒙青年同盟、吉林省朝鮮人、
東省特別区朝鮮人など各代表約七百人が参加し、満州建国を宣言した。
張景恵、煕洽、馬占山、臧式毅 (ぞうしきき) の満州四巨頭は、
奉天市長・張欣伯邸で新国家創設の建国会議を開き、
建国の原則と大綱を決めたが、国体・政体については、
夜を徹して激論を続けたものの決着するには至らなかった。
しかし、東北行政委員会を結成し、張景恵委員長、臧式毅、煕洽、馬占山、
湯玉麟 (とうぎょくりん)、斉王、凌陞 (りょうしょう) の六委員を選出した。
満州国政府は一九三二 (大同元) 年三月、建国を発表した。 「三千万民衆の意嚮 (いこう)
をもって即日、中華民国との関係を離脱し、満州国を創設する」 ことを宣言した。》
254〜255p
《関東軍が溥儀 (清朝の宣統帝) を擁立しようとした当時は、
日本政府内部にも反対者が少なくなかった。
たとえば松岡洋右前満鉄総裁、南次郎陸軍大臣、幣原外相らは強く反対している。
清朝復辟と誤解されやすいからだった。
板垣参謀は一九三二年一月二十九日、
本庄繁関東軍司令官の命令を受けて旅順で溥儀氏の意向を確かめた。
このとき溥儀は、復辟にこだわっていた。その理由は、
①満州人、蒙古人とも帝政を欲している。
②宣統帝廃帝のときは、清朝優待条件で皇帝の称号は廃止されていない。
したがって、こんにち、自分がなおも皇帝の地位にある。
③満州の民度は低く、帝政に適している。
帝政の制度として内閣を組織し、その上に皇帝直属の政府を設けて、
万機を親裁したい。清朝の故土である満州において皇帝として復帰したい。
などであった。
帝政への復帰という意向は、旧臣の鄭孝胥、羅振玉 (らしんぎょく) ら
だけでなく、復辟派の煕洽も強く支持した。》
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書232p
《一方、満洲国の建国により、粛親王の第一王子は満州国宮内府侍従山武官に、
第七子の憲奎(けんけい) は新京特別市長、さらに龍江省府に就任、
また第十四子が斉々哈爾市長、に就任した。》
そして溥儀は九年三月一日満州国皇帝に就任し、川島浪速の夢は成就しました。
252〜253p
《東省特別区のハルビン市長・張景恵は、板垣大佐に説得され、
治安維持会を組織して一九三二年一月一日、独立宣言をした。
東辺道鎮守使、于止 (草カンムリがついてる) 山 (うしざん) は満蒙独立派とみられる
人物で、事変直後は周囲の様子をうかがっていたが、やがて保境安民派についた。
張学良ら満州軍閥が関東軍から追放された後、新国家建設運動は、
各地でまさに澎湃 (ほうはい) として生じたのだ。
一九三二年二月、全満建国促進運動連合大会が奉天城内自治指導部大講堂で開催された。
各省代表以外には、モンゴル、各種団体、満蒙青年同盟、吉林省朝鮮人、
東省特別区朝鮮人など各代表約七百人が参加し、満州建国を宣言した。
張景恵、煕洽、馬占山、臧式毅 (ぞうしきき) の満州四巨頭は、
奉天市長・張欣伯邸で新国家創設の建国会議を開き、
建国の原則と大綱を決めたが、国体・政体については、
夜を徹して激論を続けたものの決着するには至らなかった。
しかし、東北行政委員会を結成し、張景恵委員長、臧式毅、煕洽、馬占山、
湯玉麟 (とうぎょくりん)、斉王、凌陞 (りょうしょう) の六委員を選出した。
満州国政府は一九三二 (大同元) 年三月、建国を発表した。 「三千万民衆の意嚮 (いこう)
をもって即日、中華民国との関係を離脱し、満州国を創設する」 ことを宣言した。》
254〜255p
《関東軍が溥儀 (清朝の宣統帝) を擁立しようとした当時は、
日本政府内部にも反対者が少なくなかった。
たとえば松岡洋右前満鉄総裁、南次郎陸軍大臣、幣原外相らは強く反対している。
清朝復辟と誤解されやすいからだった。
板垣参謀は一九三二年一月二十九日、
本庄繁関東軍司令官の命令を受けて旅順で溥儀氏の意向を確かめた。
このとき溥儀は、復辟にこだわっていた。その理由は、
①満州人、蒙古人とも帝政を欲している。
②宣統帝廃帝のときは、清朝優待条件で皇帝の称号は廃止されていない。
したがって、こんにち、自分がなおも皇帝の地位にある。
③満州の民度は低く、帝政に適している。
帝政の制度として内閣を組織し、その上に皇帝直属の政府を設けて、
万機を親裁したい。清朝の故土である満州において皇帝として復帰したい。
などであった。
帝政への復帰という意向は、旧臣の鄭孝胥、羅振玉 (らしんぎょく) ら
だけでなく、復辟派の煕洽も強く支持した。》
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書232p
《一方、満洲国の建国により、粛親王の第一王子は満州国宮内府侍従山武官に、
第七子の憲奎(けんけい) は新京特別市長、さらに龍江省府に就任、
また第十四子が斉々哈爾市長、に就任した。》
そして溥儀は九年三月一日満州国皇帝に就任し、川島浪速の夢は成就しました。
これは メッセージ 442 (kireigotowadame さん)への返信です.