満洲国建国4 川島浪速の拝謁
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/17 18:38 投稿番号: [444 / 2250]
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書
270〜272p
《七年二月十八日独立を宣言、溥儀は満州国の執政に、
そして九年三月一日満州国皇帝に就任した。
こうしたことは、満蒙独立運動に何度も身を投じた川島をいたく感激させていた。
これこそが満蒙独立運動の結実だった。老いた川島にとってはまさに夢の実現だった。
昭和二年三月、一度川島は天津に滞在中の溥儀を訪問したことはあったが、
七年三月長春で再度溥儀に会見した時は、自身の二十年間を振り返って誠に感慨深いものだった。
まもなく拝謁 (はいえつ) の時がやってきた。謁見室の扉をしずしずと開けるや、
溥儀はツカツカと歩み寄り川島の手を固く握りしめた。
川島は敬礼も出来ず、そのまま溥儀に手を引かれて椅子の所まで導かれた。
川島の煙草の火までつける溥儀に、川島はただただ恐縮するばかりだった。
「先生は馬にまだ乗れますか。……予は唯々、風外(川島)そちを頼りと思ふ」
「予が満州国へ来たのは帰郷だ。即ち祖先の故郷に返ったのだ。……
粛親王家の子弟も、風外そちの力で一同成人しているが、予はその苦心に厚く
感謝をして居る。子弟にも川島の恩義は忘れてはならぬと堅く申付けてある」
粛親王家では数多くいた兄弟の中で二人の子息が薄儀の侍従武官を務めていた。
川島の夢はこうして今や現実になった。
帝制が実施されると、長野県松本市では帝政実施の功労者として
川島を慰労する宴が開催され、養女で満州国の服を着た廉子も参列した。
昭和十 (一九三五) 年四月、皇帝に就いた溥儀は初めて日本を訪問、
昭和天皇と会見して日満一体化を東京で華々しく演出する会合や宴に出席した。
十三日溥儀は川島邸に工藤侍衛官長を勅使として参向させた。この時、
第二次満蒙独立運動に参加した入江種矩ら関係者も呼び出され、川島邸に参集した。
満蒙独立運動は、結局、大陸浪人ではなしえなかったが、粛親王ではなく
軍部が支えた溥儀の登場によって見果てぬ夢が現実となったのである。》
* 満洲国建国は、満蒙の人達の夢だったのです。
中国人に侵略されていた土地を取り戻すための、
満蒙独立運動の総仕上げでもあったわけです。
満洲は中国人の土地ではありません。満州人の土地です。清国は満洲の地で興り、
長城を越えて明を支配しウイグル・チベットを支配したのです。
辛亥の年になって、中国は清国から独立しました。
蒙古もチベットも別に独立しました。ウイグルはかなり後になって独立しますが。
しかし、中国は詭弁を使って、旧清国の支配地は全部中国の領地としました。
だから独立運動が起こったわけです。
ただ、日本や他の外国は中国の詭弁に騙されて、
それらの独立闘争を妨害する動きに出ていたのです。
しかしながら、最後に中国が関東軍を怒らせたため、ひっくり返され、
満洲人に土地を返させられたわけです。
ところが、中国は自分が泥棒である事を理解しませんから、
日本を逆恨みし、悪質なテロ、残虐行為へと走りました。
270〜272p
《七年二月十八日独立を宣言、溥儀は満州国の執政に、
そして九年三月一日満州国皇帝に就任した。
こうしたことは、満蒙独立運動に何度も身を投じた川島をいたく感激させていた。
これこそが満蒙独立運動の結実だった。老いた川島にとってはまさに夢の実現だった。
昭和二年三月、一度川島は天津に滞在中の溥儀を訪問したことはあったが、
七年三月長春で再度溥儀に会見した時は、自身の二十年間を振り返って誠に感慨深いものだった。
まもなく拝謁 (はいえつ) の時がやってきた。謁見室の扉をしずしずと開けるや、
溥儀はツカツカと歩み寄り川島の手を固く握りしめた。
川島は敬礼も出来ず、そのまま溥儀に手を引かれて椅子の所まで導かれた。
川島の煙草の火までつける溥儀に、川島はただただ恐縮するばかりだった。
「先生は馬にまだ乗れますか。……予は唯々、風外(川島)そちを頼りと思ふ」
「予が満州国へ来たのは帰郷だ。即ち祖先の故郷に返ったのだ。……
粛親王家の子弟も、風外そちの力で一同成人しているが、予はその苦心に厚く
感謝をして居る。子弟にも川島の恩義は忘れてはならぬと堅く申付けてある」
粛親王家では数多くいた兄弟の中で二人の子息が薄儀の侍従武官を務めていた。
川島の夢はこうして今や現実になった。
帝制が実施されると、長野県松本市では帝政実施の功労者として
川島を慰労する宴が開催され、養女で満州国の服を着た廉子も参列した。
昭和十 (一九三五) 年四月、皇帝に就いた溥儀は初めて日本を訪問、
昭和天皇と会見して日満一体化を東京で華々しく演出する会合や宴に出席した。
十三日溥儀は川島邸に工藤侍衛官長を勅使として参向させた。この時、
第二次満蒙独立運動に参加した入江種矩ら関係者も呼び出され、川島邸に参集した。
満蒙独立運動は、結局、大陸浪人ではなしえなかったが、粛親王ではなく
軍部が支えた溥儀の登場によって見果てぬ夢が現実となったのである。》
* 満洲国建国は、満蒙の人達の夢だったのです。
中国人に侵略されていた土地を取り戻すための、
満蒙独立運動の総仕上げでもあったわけです。
満洲は中国人の土地ではありません。満州人の土地です。清国は満洲の地で興り、
長城を越えて明を支配しウイグル・チベットを支配したのです。
辛亥の年になって、中国は清国から独立しました。
蒙古もチベットも別に独立しました。ウイグルはかなり後になって独立しますが。
しかし、中国は詭弁を使って、旧清国の支配地は全部中国の領地としました。
だから独立運動が起こったわけです。
ただ、日本や他の外国は中国の詭弁に騙されて、
それらの独立闘争を妨害する動きに出ていたのです。
しかしながら、最後に中国が関東軍を怒らせたため、ひっくり返され、
満洲人に土地を返させられたわけです。
ところが、中国は自分が泥棒である事を理解しませんから、
日本を逆恨みし、悪質なテロ、残虐行為へと走りました。
これは メッセージ 443 (kireigotowadame さん)への返信です.