満洲国建国2 溥儀の天津脱出
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/15 15:58 投稿番号: [442 / 2250]
田中正明著 『東京裁判とは何か』 大手町ブックス
日本工業新聞社発行
155p
《清朝の廃帝を租先の地に迎え、中国本土から独立しようという運動が各地におこった。
これらの運動と同時に、溥儀氏擁立の運動となり、一九三一年十月、
満州各地の代表が、揃って天津に溥儀氏を訪ね、出馬を懇請している》
関東軍の土肥原は天津の溥儀をたずね意思を伺いました。
臼井勝美著 『満洲事変
戦争と外交と』 中公新書 105p
《土肥原は十一月二日、溥儀と会見した。
このとき溥儀は、新国家が共和か帝制かを質疑し、復辟ならば満州に行くが、
共和ならば行かないと語ったのに対し、土肥原は、もとより 「帝制」 であると明言した。
土肥原は溥儀に、この機会を逸せず、十六日以前に是非渡満ありたいと要請した。》
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書270p
《十一月八日土肥原賢二が天津で騒擾 (そうじょう) を起こして溥儀を連れ出し、
営口を経由して旅順に入った。》
粛親王の娘で川島浪速の養女となった金壁輝(きんぺきき) は芳子と名乗り、
東洋のマタハリとして活躍していたが、溥儀の妻秋鴻を天津から脱出させた。
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書233p
《溥儀が旧清朝の高官栄源の娘、秋鴻と結婚して天津で生活していた・・・
彼らが満州に向かう前、天津脱出に際して、
秋鴻を変装させ芳子自身は男装して夫婦を装って無事脱出した。
やはり芳子は清朝の血筋を引く人物だったのである。》
つづく
これは メッセージ 441 (kireigotowadame さん)への返信です.
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