満洲国建国1 各地の独立
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/14 18:39 投稿番号: [441 / 2250]
粛親王の死去によって、満蒙独立運動は一旦途絶えたかのように見えましたが、
満蒙の人達は諦めてはいませんでした。
1931年 (昭和6年) 9月18日 柳条溝事件が起こり満州事変に発展すると、
すかさず各地方が独立を宣言しました。
児島襄著 『日中戦争2』 文春文庫129p
《九月下旬には、満州では遼寧 (奉天) 省、吉林省、黒龍江省、コロンバイル
などで独立宣言がおこなわれ、》
大日本帝国の戦争1 『満洲国の幻影』 1931−1936 毎日新聞社 27p
《9月26日 煕洽、吉林省独立を宣言》
日にちを見ると明らかですが、柳条溝事件発生から、ほんの一週間で独立宣言を
しています。いくら関東軍でも、こんなに早く、工作は出来ないでしょう。
たった一万の人数で二十万の兵や馬賊を相手に戦争をしているのですから、
工作に人を割いている余裕は無いはずです。
田中正明著 『東京裁判とは何か』 大手町ブックス 日本工業新聞社発行
155p
《一九三一年十月、満州各地の代表が、揃って天津に溥儀氏を訪ね、出馬を懇請している》
黄文雄著 『満洲国の遺産』 光文社
251〜253p
《実際、当時の満州の民は、日本関東軍の張軍閥打倒に快哉 (かいさい) を叫び、
感謝したのである。これは否定できない歴史的事実である。
奉天市では、張作霖の法律顧問・張欣伯が市長に推された。これをはじめ、奉天省の
商民代表は自治派と提携して袁金凱委員長、于沖漢副委員長の奉天自治維持会を組織した。
中国本土と絶縁して民意に基づく新政権樹立を目指し、
遼寧省地方維持委員会に改組して省の行政機構がつくられはじめたのである。
彼らが目指したのは、民族自決主義、民意による遼寧省の独立、
共和制独立国家の建設であった。
また、吉林省も独立宣言した。吉林省主席・張作相は満州事変当時、天津にいたので、
実権を握っていた東北辺防軍副司令官公署参謀長・煕洽が、
清朝復辟(ふくへき:溥儀の復位)派巨頭として長春にいた張学良派の
誠允、馮占海を追放して吉林省独立を宣言したのである。
吉林省と同時に独立宣言を発表したのは、遼寧省地方維持委員会である。
前熱河省都督・○ (門+敢) 朝璽 (かんちょうじ) ら武断派が組織した
遼寧四民臨時維持会と共同して、独立宣言を発表したのだ。
彼らの独立宣言には、「わが東北民衆は、軍閥の暴政下にあること十数年、
いまやこれらの悪勢力を一蹴すべき千載一遇 (せんざいいちぐう) の機会に到達した。
……新独立政権の建設を計らざるを得ざるに至った。
これがために、本会は張学良と関係ある綿州政府ならびに軍閥の禍首
蒋介石らの声明蠢動 (しゅんどう) を否定することを決議した……」
とある。》
大日本帝国の戦争1 『満洲国の幻影』 1931−1936 毎日新聞社 27p
《11月10日 清朝廃帝・溥儀 天津を脱出
11月21日 馬占山、黒竜江省政府を樹立》
つづく
満蒙の人達は諦めてはいませんでした。
1931年 (昭和6年) 9月18日 柳条溝事件が起こり満州事変に発展すると、
すかさず各地方が独立を宣言しました。
児島襄著 『日中戦争2』 文春文庫129p
《九月下旬には、満州では遼寧 (奉天) 省、吉林省、黒龍江省、コロンバイル
などで独立宣言がおこなわれ、》
大日本帝国の戦争1 『満洲国の幻影』 1931−1936 毎日新聞社 27p
《9月26日 煕洽、吉林省独立を宣言》
日にちを見ると明らかですが、柳条溝事件発生から、ほんの一週間で独立宣言を
しています。いくら関東軍でも、こんなに早く、工作は出来ないでしょう。
たった一万の人数で二十万の兵や馬賊を相手に戦争をしているのですから、
工作に人を割いている余裕は無いはずです。
田中正明著 『東京裁判とは何か』 大手町ブックス 日本工業新聞社発行
155p
《一九三一年十月、満州各地の代表が、揃って天津に溥儀氏を訪ね、出馬を懇請している》
黄文雄著 『満洲国の遺産』 光文社
251〜253p
《実際、当時の満州の民は、日本関東軍の張軍閥打倒に快哉 (かいさい) を叫び、
感謝したのである。これは否定できない歴史的事実である。
奉天市では、張作霖の法律顧問・張欣伯が市長に推された。これをはじめ、奉天省の
商民代表は自治派と提携して袁金凱委員長、于沖漢副委員長の奉天自治維持会を組織した。
中国本土と絶縁して民意に基づく新政権樹立を目指し、
遼寧省地方維持委員会に改組して省の行政機構がつくられはじめたのである。
彼らが目指したのは、民族自決主義、民意による遼寧省の独立、
共和制独立国家の建設であった。
また、吉林省も独立宣言した。吉林省主席・張作相は満州事変当時、天津にいたので、
実権を握っていた東北辺防軍副司令官公署参謀長・煕洽が、
清朝復辟(ふくへき:溥儀の復位)派巨頭として長春にいた張学良派の
誠允、馮占海を追放して吉林省独立を宣言したのである。
吉林省と同時に独立宣言を発表したのは、遼寧省地方維持委員会である。
前熱河省都督・○ (門+敢) 朝璽 (かんちょうじ) ら武断派が組織した
遼寧四民臨時維持会と共同して、独立宣言を発表したのだ。
彼らの独立宣言には、「わが東北民衆は、軍閥の暴政下にあること十数年、
いまやこれらの悪勢力を一蹴すべき千載一遇 (せんざいいちぐう) の機会に到達した。
……新独立政権の建設を計らざるを得ざるに至った。
これがために、本会は張学良と関係ある綿州政府ならびに軍閥の禍首
蒋介石らの声明蠢動 (しゅんどう) を否定することを決議した……」
とある。》
大日本帝国の戦争1 『満洲国の幻影』 1931−1936 毎日新聞社 27p
《11月10日 清朝廃帝・溥儀 天津を脱出
11月21日 馬占山、黒竜江省政府を樹立》
つづく
これは メッセージ 440 (kireigotowadame さん)への返信です.