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第3次満蒙独立運動2

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/13 18:46 投稿番号: [440 / 2250]
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書


227〜230p
《ついに、粛親王から蒙軍再編の指令が三月に出た。

  粛親王、三たび蜂起へ
大正六 (一九一七) 年三月、旅順の粛親王より軍再編成の命が到着した。

旧パ軍は再び入江種矩らも加わってハルハ河畔を出発、六月初旬進撃に移り、
ハイラルに入った。一年ぶりの再始動だった。

そこで呼倫爾 (コロンバイル) 独立の宣言を発表したのである。
驚いたのは中国やロシアだった。

五月十九日ハイラル副都統勝福から二瓶領事に対し蒙軍参加の日本人の退去を
要請してきた。・・・・

ハイラルに進出した旧パプチャプ軍に対し、ロシアと中国側は、
まず参加した日本人の追放を要請してきた。


・・・
日本政府は困惑した。・・・やむなく外務省と参謀本部が動き出した。
最も効果的な方法を寺内内閣は考えた。

日本人同志の動きを止める奥の手は、旅順の粛親王の滞在について圧力を
加えることである。効果は抜群だった。川島は再び妥協を余儀なくされた。

北京駐在のロシア公使は林公使を訪問して、宗社党軍についていくつかの問題を
提起した。これに対し、林は、責任を回避しながら妥協した。

(1) 日本人が蒙匪に参加していることは不都合であること

(2) ハルビンなどの日本領事が彼らにこの旨通知したこと

(3) 彼らは 「自己の危険に於て」 行動していること

(4) 中国政府が蒙匪を討伐して日本人が殺傷されても、中国政府の責任を問わないこと


こうなると川島の尽力もムダとなった。
日本側が外国政府に明言した以上、蒙軍と無関係とする他はなかった。

まもなくロシアや中国が協力して蒙軍を迫害することはまちがいなく、
中国軍が討伐軍を送り込んでくることは必然である。

日本人の大陸浪人に対し川島は 「今や諸君の生命は風前灯火」 で、このような
「非武士道的行為を貴下等に強ふるは小生の主義に於て絶村不可能なるは

実に遺憾に堪へざる所」 と伝える他はなかった。無念の一言だった。

これにより、日本人同志は旧パプチャプ軍から退去命令が出されて蒙古軍を
離脱して南満州に十月帰還した。


一方、日本人が離れてまもなくロシア・中国連合軍が蒙軍を攻撃、蒙ハイラルを
放棄して転戦したが、準備不足は歴然で、まもなく惨敗して四散した。》


231〜232p
《粛親王は、大正十一(一九二二)年二月旅順の邸宅で死去した。
五十七歳だった。川島は旅順にかけつけ葬儀に列席・・・

粛親王の遺体は北京に運ばれあらためて葬儀がとりおこなわれた。
慣例により溥儀から諡(おくりな) がおくられることになったが、

清朝皇族に良く使われる 「誠」 ではなく、溥儀は第一級の称でもある 「忠」 の
文字を与えた。清朝復活に心血を注いだ本当の忠臣だったという証だった。》


*   こうして満蒙独立運動は、日本政府の圧力により、ことごとく潰されました。
   過去の日本は、今の日本政府が、

   ダライラマの訪日要請を中国に気がねして断ったり、チベット・ウイグルの
   惨状も無視して、ひたすら中国におもねたりするのとそっくりでしょう。

   パプチャプや粛親王の動きでわかる様に、独立運動の主体は満蒙の人達だったのです。

   そして満蒙独立は、満洲事変まで持ち越されました。
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