第3次満蒙独立運動1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/12 18:29 投稿番号: [439 / 2250]
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書
225〜227p
《パプチャプの陣没後、複数の副将軍を中心にハルハ河畔で旧パプチャプ軍は待機していた。
これを指揮する本部は大連の粛親王府、そしてハイラルが軍と本部の窓口になっていた。
ハイラルの日本人居留民団長の山崎虎一は日本人の同志や旧パプチャプ軍に
好意をみせて熱心にその仲介の労をとっていた。
大正五年九月退避移動を開始した旧パプチャプ軍に七十名ほどいた日本人は、
木鐸暢予備大尉、入江種矩予備大尉、川島浪速の弟で川島量平、中込富三郎ら
二十七名 (一説には四十人) ほどに減少していた。
この中で中込ら三人がハイラルで商店を出して前述の山崎と協力しながら
大連と旧パプチャプ軍との中継地点とした。
関東都督府民政長官代理佐藤友熊の調査では、宗社党軍の多くは離散したという。
一方、大連西公園町に本拠地を持っていた宗社党本部では、
不在がちの川島の代理に森茂が就任、
小平総治が旅順と大連間を往復して粛親王と連絡を取っていた。
川島浪速は政府の対中方針を確認するため日本に帰国していたが、
前年十二月二十八日参謀本部において田中次長に会見、一月五日大連に帰着した。
その時田中から見せられたのが、林権助北京公使が本野外相に対し、中国政府から
旧パプチャプ軍参加の日本人の退去処分要求が記されてあった書類だった。
田中次長は、この状況下であるから当分活動を中止して
「余力を蓄積すへき」 ことを川島に促したのである。
川島は執着した。すなわち、対中方針如何にかかわらず蒙軍の現状を椎持して
「他日帝国の為め之を利用」 すれば良いのではないか、
またロシア軍がかえって同軍を利用するのではないかと反論したが、
ひとまず多少の資金を得て大きな動きを見せることをやめることになった。
・・・
都督府、満鉄では武器の密輸入、輸送、ハルビンの日満商会など関係者の動きを
いっそう監視しているとの報告だった。
末尾では川島と旧パプチャプ軍を 「絶縁せしむるの処置を執らるるを希望す」
と進言までしている。
彼らにとっても宗社党軍の日本人はやっかいな存在になっていたのである。
同様な報告が二月九日在斉々哈爾 (チチハル) の二瓶 (にへい) 兵二領事からもあった。
それには、旧パプチャプ軍に入っている満州兵は 「純粋の馬賊」 で何の信仰もなく
統御が困難で、多くは解散され、今や百三十人ほどだが、
蒙古兵は 「困苦欠乏に耐」 えて軍規も厳しく、復辟を真に願っていること、
月々二万円の費用が粛親王から出ていること、
だが、わずか四〜五千の兵で東三省を占領したり、復辟実行は不可能であり、
といって旧パ軍の動きは自在で張軍の討伐は困難であること。
だが、日本人がいるため 「戦闘力を増」 し、彼らを通じて糧食や兵器の供給を得ている。
ロシア側も今は静観しているが、ハイラルに旧パ軍の一部が駐在するのは
ロシア側の神経をいらだたせていた。
このように満州では大陸浪人の存在に批判が高まっていたが、
宗杜党本部ではそれよりも焦りがあった。
つづく
225〜227p
《パプチャプの陣没後、複数の副将軍を中心にハルハ河畔で旧パプチャプ軍は待機していた。
これを指揮する本部は大連の粛親王府、そしてハイラルが軍と本部の窓口になっていた。
ハイラルの日本人居留民団長の山崎虎一は日本人の同志や旧パプチャプ軍に
好意をみせて熱心にその仲介の労をとっていた。
大正五年九月退避移動を開始した旧パプチャプ軍に七十名ほどいた日本人は、
木鐸暢予備大尉、入江種矩予備大尉、川島浪速の弟で川島量平、中込富三郎ら
二十七名 (一説には四十人) ほどに減少していた。
この中で中込ら三人がハイラルで商店を出して前述の山崎と協力しながら
大連と旧パプチャプ軍との中継地点とした。
関東都督府民政長官代理佐藤友熊の調査では、宗社党軍の多くは離散したという。
一方、大連西公園町に本拠地を持っていた宗社党本部では、
不在がちの川島の代理に森茂が就任、
小平総治が旅順と大連間を往復して粛親王と連絡を取っていた。
川島浪速は政府の対中方針を確認するため日本に帰国していたが、
前年十二月二十八日参謀本部において田中次長に会見、一月五日大連に帰着した。
その時田中から見せられたのが、林権助北京公使が本野外相に対し、中国政府から
旧パプチャプ軍参加の日本人の退去処分要求が記されてあった書類だった。
田中次長は、この状況下であるから当分活動を中止して
「余力を蓄積すへき」 ことを川島に促したのである。
川島は執着した。すなわち、対中方針如何にかかわらず蒙軍の現状を椎持して
「他日帝国の為め之を利用」 すれば良いのではないか、
またロシア軍がかえって同軍を利用するのではないかと反論したが、
ひとまず多少の資金を得て大きな動きを見せることをやめることになった。
・・・
都督府、満鉄では武器の密輸入、輸送、ハルビンの日満商会など関係者の動きを
いっそう監視しているとの報告だった。
末尾では川島と旧パプチャプ軍を 「絶縁せしむるの処置を執らるるを希望す」
と進言までしている。
彼らにとっても宗社党軍の日本人はやっかいな存在になっていたのである。
同様な報告が二月九日在斉々哈爾 (チチハル) の二瓶 (にへい) 兵二領事からもあった。
それには、旧パプチャプ軍に入っている満州兵は 「純粋の馬賊」 で何の信仰もなく
統御が困難で、多くは解散され、今や百三十人ほどだが、
蒙古兵は 「困苦欠乏に耐」 えて軍規も厳しく、復辟を真に願っていること、
月々二万円の費用が粛親王から出ていること、
だが、わずか四〜五千の兵で東三省を占領したり、復辟実行は不可能であり、
といって旧パ軍の動きは自在で張軍の討伐は困難であること。
だが、日本人がいるため 「戦闘力を増」 し、彼らを通じて糧食や兵器の供給を得ている。
ロシア側も今は静観しているが、ハイラルに旧パ軍の一部が駐在するのは
ロシア側の神経をいらだたせていた。
このように満州では大陸浪人の存在に批判が高まっていたが、
宗杜党本部ではそれよりも焦りがあった。
つづく
これは メッセージ 438 (kireigotowadame さん)への返信です.