入って中国人に南京事件真相議論しましょう

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第2次満蒙独立運動5 日本政府の変心1

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/06 18:31 投稿番号: [433 / 2250]
大正五 (一九一六) 年六月六日袁世凱が突然死去しました。

日本政府が宗杜党の動きを黙認していたのは、
あくまでも袁世凱が皇帝になろうとするのをくじく為だったのです。

その袁世凱が死んでしまいました。
そうなると、川島等の動きは日本政府にとって邪魔になります。

満洲侵略の野望をもっていると疑われかねませんので。
そこで、挙事の中止工作へと動き始めました。


波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書

182p
《さて、満州挙事工作中止問題は少々問題があった。日本人がかなりの数参加しており、
会議を通じてパプチャプをコントロール出来るとは誰も思えなかった。

ましてや反袁政策を推進する会議グループに対する批判は高まっていた。
満州挙事や山東挙事に積極的だった福田第二部長は辞職、

ヨーロッパ視察に向かうことになった。
後任は北京駐在武官の町田経宇少将だった。

奈良は町田と共に大島陸相に会って、会議の能力を超えた満州挙事解散の件を
「閣議にて決定せられたく」 (「奈良日記」) と要請した。・・・

もう政府の威信で止める他はなかったのである。中央では整然と干渉政策をストップ
する方針が固まっていたが、現地は直ちにこれに応ずる状況にはまったくなかった。》


184
《六月の初旬だった。満州で工作に従事していた小磯は、田中から電報を受け取った。

「貴官は参謀本部の一員たるに鑑み、
深く言動を慎み問題を激成するが如き行為あるべからず。右訓示す」》

186
《大正五年六月十三日上泉はまず大隈首相に会見・・・大隈 (は) ・・・
「支那の将来は如何になるべきか分るものか、暫らく傍観するを可とす」 と明言した。

・・・では北方挙事はどうするのか、上泉は北方が切迫していると述べたが、
大隈首相は言い放った。

「日本は公明正大にして北方挙事の如きは、政府として好まず
併 (しか) し支那人のやることは如何ともしがたし」》


187〜188p
《パプチャプ側が日本の都合で 「翻弄せられたる事を悟らば立腹すること無論」
と理解するだけに、日本の外交政策の大転換は他人事ではなかった。

・・・・
上泉は必死だった。十五日二人は二度目の会見を始めた。

まず石井外相は、自己の所信を述べ、「之まで我対支外交は宜しきを得ず」 こと、
また日中親善こそが政府の目的であり併合といった野心はない・・・」 と言明した。

石井外相は袁死去で内外での批判を浴びて方向転換を模索していたようだ。》


つづく
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