第2次満蒙独立運動4 張作霖爆殺失敗
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/05 15:22 投稿番号: [431 / 2250]
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書
175〜177p
《大連に赴いていた川島の宗社党本部ではパプチャプ軍南下の障害となる
張作霖殺害計画が立案され、
伊達のグループと予備役軍人グループに命が下り、
両者協議の結果、三村豊予備少尉のグループが襲撃隊となった。
満蒙挙事において重要なポイントは、
張作霖がパプチャプや宗杜党と手を結ぶか否かということだった。
張が挙事に共鳴すれば、北方の勢力は拡大するし、
袁世凱に味方すれば重大な障害になる。
しかし張は袁の帝制運動にむしろ好意的だった。
ここに宗社党が張暗殺をねらう理由があった。・・・・
大正五年五月二十七日、中村覚関東都督が奉天にやって来る時をねらって
暗殺計画は練られた。
用心深い張も、関東都督が奉天駅にやって来るとなれば出迎えるのは当然だった。
伊達や三村豊らの決死隊は、奉天城と駅の間の張の順路を確認した。
決死隊は三村グループ。伊達グループはそれを支援する側となった。
彼らは張一行の帰路をねらった。
メンバーの斎藤正明は身体に爆薬をつけて張の座乗していると思われる
二台目の馬車に突っ込んだ。
大音響と共に護衛の兵は数名バタバタと倒れ、計画は成功したかに思われた。
ところが用心深い張は行きと帰りの馬車を変えて三台目に乗っていたのである。
素早く馬車から飛び降りた張は馬に飛び乗り、城内に向かって走り去っていた。
万一の場合に備えて隊の責任者三村が張の帰路を待ち伏せして図書館の二階から
手投げ弾を投げようとしたが、これが建物の電線に引っかかって自爆してしまった。
こうした二度の失敗をしたこともあって張作霖はいっそう用心深くなり、
奉天城の外になかなか出なくなってしまった。
この時のことをちょうど満州に派遣されていた秘密会議のメンバー八角少佐が、
後年次のように回顧している。
「……一面極めて駿敏で、私どもが会った数日前とか、張氏が城内に帰る時、
城門近くで、その馬車に爆弾を投じた者があって大さわぎとなり、
忽ち城門がしめられ、犯人の捜索が始まったのに当の張氏が見えなかったそうで、
さわぎは一層大きくなったそうでした。
さがしあぐんだ護衛の人々が城内に帰ると、彼はとっくの前、自分の家に帰って
自若としていたとの事で、皆が驚いてその敏捷なのに舌を巻いたそうですが、
彼は爆弾が飛ぶと、咄嗟に護衛兵の馬を奪って、あっという間に城門を通り、
家に帰って平気な顔をしていたので、家人も気がつかなかったそうです。
此の人にはこういう一面がありまして全くただ者ではないのです」
(『忘れ得ぬことども』)》
つづく
これは メッセージ 430 (kireigotowadame さん)への返信です.
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