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第2次満蒙独立運動2 川島再び動く

投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/05/03 16:13 投稿番号: [429 / 2250]
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書
168〜170p

《川島は同志ともいえる柴四郎 (外務参政官)、五百木良三、大竹貫一、
押川方義 (おしかわまさよし)、松平康国、上泉徳弥 (かみいずみとくや)

などと熟議し、再度満蒙独立のため尽力することに決した。
対支連合会が動き始めた。

一方、予備騎兵大尉の青柳勝敏、予備歩兵大尉の木澤暢 (もくざわちょう) は
同志と共に十一月蒙古の調査のためパプチャプ軍のいるハルハ河畔に向かった。

彼らはパプチャプに会見して、人物や見識、力量を確認した上で
将来の援助を約束して十二月末帰国した。・・・

川島は東京平河町金星館を本拠地として挙事についての計画、
兵器補充の調達方法を定め、軍事行動については青柳や木澤、

さらに工兵大尉を離れた入江種矩 (たねのり) らに委ねられた。
作戦は次のようなものだった。


責任者たる川島は粛親王と連絡を取りつつ大連に渡り、
入江らは粛親王の第七王子憲奎王 (けんけいおう) を奉じて

馬賊隊を結成して遼陽東方の山に立てこもり、
反袁の火の手をあげて中国軍を引きつけることになった。

その間に青柳らがパプチャプ軍に合流して興安嶺 (モンゴル高原の西側にある山脈)
を越えて満州に侵入、そこに、各地に準備を整えていたいくつかの特別部隊が蜂起、

中国軍が混乱に陥る中で奉天城を攻めて手中に収め、仮政府を樹立、
その上で万里の長城を越えて北京を攻め、

内蒙古から満州、北京を含む一大王国を建設、
清朝最後の皇帝宣統帝を擁して国家を固めるという広大な構想だった。

川島は鴨緑江上流の伐木公司の利権を担保に布引丸事件にも関与した
大倉組から多額の借款を得た。


翌大正五年一月下旬に青柳は同志の井上晴能 (はるかず)、松隈据吉 (まつくますえきち)、
斎藤六宏 (ろくひろ) らを連れて憲奎王と共にパプチャプ軍に加わった。

木澤、入江、岩城直一らは大連に集結、川島らも遅れて大連に入った。そこには
森茂、小平総治、若月太郎、村井修、伊達順之助、木内嶺、三村豊らも集まった。

彼らはいずれも予備後備の軍人と大陸浪人の集団だった。   まもなく
伊達のグループは奉天に赴き、城外に満蒙行商郎という薬屋を開店して拠点とした。


三月下旬あらためて同志が満州で会議をした結果、
パブチャプ軍は今後の予定として、七月初旬にハルハ河畔を出発、

七月下旬から八月初旬には南満州鉄道沿線の郭家店南北の地点に到達する、
満州の各都市を軍事偵察し、それぞれ同志を派遣して挙兵に応じる、

馬賊の中で清朝に心を寄せる者を四千八百名ほど集め、
その内二千八百名を大連に集結させる。

これらを準備した上でパプチャプ軍と合流しようというものだった。
さて、以上の計画が整ってまず着手しなくてはならなかったのが弾薬輸送だった。
・・・


大連を出発した部隊は東清鉄道を経由してハイラル、そこからハルハ河まで
陸送するというプランである。   途中でロシア官憲のチェックも予想された。

そこでまず実行したのは二人一組のグループを八組つくり、
その一組ずつが弾薬を詰めたトランクを四個携えて運ぶというプランだった。

だが、ハルピンである一組がロシア官憲にアヘンの密輸とみられて収り押さえられ失敗した。
そこで次は日清燐寸 (マッチ) 会社と三井物産の力を得て燐寸 (マッチ) 箱や
味噌樽や沢庵漬けに人れ貨物列車で送り出した。

ともかくパプチャプ軍に手渡すには、
中国やロシアの監視の目を避けなくてはならないためたいへんな作業だった。》


つづく
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