満蒙独立運動 5挙事工作の中止3
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/04/24 16:13 投稿番号: [420 / 2250]
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書
93〜94p
《ところが、すでに六月上旬輸送隊は、鄭家屯 (ていかとん) の北部で
中国側の部隊の攻撃を受け、同行した松井清助大尉も重傷するという事件が起きていた。
天鬼馬賊隊も二十七人のうち十三人が戦死、
同隊にいた支援の中国人など三十九人も戦死した。
そのため武器はその場で焼却され、挙事工作の総仕上げは失敗に帰することになった。
事件の波紋は北京に、さらに列強に広まろうとしていた。
六月十二日大島健一参謀次長 (福島の後任) は、北京の青木宣純中将に電報を送った。
そこでは、武器輸送をすでに中国側官憲がこれをかぎつけており、
当方としては 「右は浪人組の計画」 として、多賀や松井らの関わりも
「個人として之れに関係したるに過きさるもの」 と暖昧にしたいと報告するのである。
日中関係を悪化させる事件となるだけに結局、個人レベルでの工作に外務省や
参謀本部でもしたかったのである。鄭家屯の事件が発生しただけにそれはなおさらだった。
・・・
さて、同次官は関東都督府 (日露戦争後、清国から租借した遼東半島地域の責任者)
参謀長に再び電報し、「高山、守田、貴志等が兎角都督府の意向に反して行動し
従て外交上全局に於て不利結果を来す恐れある」として、万一 「常軌を脱して
行動する様」 なことがあれば 「本人を招致」 すると伝えたのである。厳しい指示だった。
・・・
川島は運動失敗の影響が粛親王に及ぶことを恐れた。
彼の生活保護と従来どおり連絡交情を保持するため、川島グループの同志を
満蒙の各地に配置したいと条件を提示して内田外相から妥協を引き出し、
工作は中止することになった。
以後、旧軍人や民間人も夢がついえて故国の日本へ帰った。》
*
このようにして、第一次満蒙独立運動は潰されます。
清国は満洲で建国され、後、長城を超え明を征服したのですから、
満洲は中国の領土ではありません。
しかし、当時の日本政府は、そういう理屈より、
国際社会で波風を立てない事の方が大事でした。
そのため満蒙独立運動を潰したのです。
しかし川島はあきらめていません。
満蒙独立運動は第二次、第三次とつづきます。
ですが第二次満蒙独立運動に行く前に「対華21カ条の要求」を挿入します。
満蒙独立運動と直接の関係はありませんが、
日本の満蒙問題とは深く関っていますし、中国の反日の原点みたいなものですから。
これは メッセージ 419 (kireigotowadame さん)への返信です.
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