満蒙独立運動5 挙事工作の中止1
投稿者: kireigotowadame 投稿日時: 2010/04/22 18:31 投稿番号: [418 / 2250]
波多野勝著 『満蒙独立運動』 PHP新書
86p
《ところが、この電報と相前後して独立運動の工作中止が北京や関係者に打電された。
高山大佐は突然に動きを封じられ、当面中国人と面会しないこととし、
宗社党との接触を一時取り止めた。》
87〜88p
《参謀本部第二部長宇都宮少将が訪中しようとし・・・多方面に様々な憶測が飛びかった。
海軍は上海駐在の宗方小太郎を通じて中国情勢を探っており、宇都宮訪中の真意を
調べていた。その中で宗社党幹部と接触する風説が当地に流れ始めていた。
すでに宗方は宗社党関係者と面会しており、・・・宗社党関係者が「頻 (しきり) に
事を急ぎ、如何なる故か宇都宮陸軍少将の来遊を嘱望 (しょくぼう) し、
其 (その) 上海に来るを待て之と密会」する計画を本省に報告した。
上海の増田高頼 (たかより) 海軍中佐も、軍令部に村して、・・・
「我か陸軍は本件に付同少将に何等内訓ありや、
小官は実力は疑はし今日事を挙げれば失敗に帰すべしと認む、
宗方より時期尚早を説て見合せ方勧告せり」 と批判的な報告をおこなった。
・・・
そこで参謀本部では、宇都宮少将の訪中は
「視察何等の内命をも含居さる」 こと、また陸相の意向もあって
宗社党等のある地点に行くことは取り止めになったと回答したのである。
ところで官革交渉を仲介したイギリスは袁世凱の手腕に期待していた。
明治四十五 (一九一一) 年二月十六日イギリス大使マクドナルドは
内田外相に満州を含む南北統一政府を袁主導で樹立する、
満州分離運動は中国保全とならないと通知していた。
同様な視点はロシア側にもあった。日露戦争後、両国は蜜月時代をむかえた。
その絆というべき日露協商の枠組を越えるような挙事工作に賛同するはずもなかった。
二十日内田外相は、日本の特殊権益が守られるならば不干渉の態度を保持すると
対英協調をマクドナルド大使に伝えた。
しかし、満州において日本政府の意図が出先に徹底していなかった。
・・・
内田外相は、宗社党関係日本人の行動は政府としては 「固より之を是認せざる次第」 で
「穏便なる方法」 で取り締まることを指示したのである。
陸軍の出兵論を押さえている以上、これは当然のことだった。
そこで政府は粛親王や川島らの動きについては、当初黙認の動きを見せながら、
かくして方針は大転換することになった。
二月二十一日、外務省は福島次長を通じて川島に対し、粛親王を北京へもどすか、
あるいは他の場所へ移動させることを要請した。》
つづく
これは メッセージ 417 (kireigotowadame さん)への返信です.
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